何故逃げたのか sideノアゼット
楽しかった長期休暇が終わり、学園生活が戻ってきた。今までのようにお昼と夜ご飯を共にするだけの生活は、ひと月も一緒に過ごしてしまうと物足りなくてしょうがない。
ここではお菓子を作りも出来ないし、歌を歌うことも、どこに目があるか分からないからして貰えないだろう。
部屋の中なら防音の魔道具があるから、してもらえるだろうか?
「はい、これ」
僕の部屋に来たグレンに渡された調査報告書。休暇前に依頼していたやつだ。
気持ちを切り替えてそれをぺろりとめくる。
「…禁術?」
「その可能性がでてきた。あそこは魔法に特化した家だから、そういう本があってもおかしくない。」
ドルトイ一家は、はるか昔とてつもない魔力を持ったとされる英雄の直系の家だ。魔法に詳しいし、魔力量が高い人も生まれやすい。
今では禁術となった魔法の書かれた書物が残っていてもおかしくは無い。
別荘に行った調査員からの報告書には、恐らく禁術、という記述がある。
もう2年も経っているからか、証拠は何も見つからないし、怪しげなところもない。至って普通の別荘。
ただひとつ、地下にあるとある部屋には、何かの魔術を行った跡がある、との事。
それは普通の魔法の発動と違い、地面に何か書いたようで、書かれたものは勿論消されているものの、僅かに地面のコンクリートの隙間に染料が残っていて、この地面に何かを書いたことがわかる、と。
どうやらそれは円形のようだ、と。
別荘の使用人に探りを入れるも、別荘にいる使用人は全てエミリアを誘拐した後から来た人らしい。それまで働いてた使用人は、エミリアが誘拐された日よりひと月前くらいに全員本邸に異動になり、その間は使用人は誰もいなかったらしい。
その理由としては、ドルトイの三男が、2ヶ月ほど魔法の研究に打ち込みたいとのことで、その2ヶ月は三男と彼の信用のおける魔法使いが数人だけでそこの別荘に住んでいた。
件の地下室は、物置として今まで使われていたらしく、その2ヶ月が終わって使用人が戻ったあとは元通り物置になっていたそうだ。
ただエミリアの証言から、地下室を調べろと命じて調査員は細かく地下室を調べた。
その結果が、円形で書かれた何か。
円形で書かれた何か、で思い浮かぶものは、今は禁術となった魔術というもの。
魔術は魔法と違って柔軟性はないが、ひとつひとつの力が強い。そして明らかに違うのが発動条件だ。
簡単な詠唱と魔力を糧に生み出す魔法と違い、魔術はそれなりの糧と魔法陣と、一言一句違えない長い詠唱が必要になる。
その糧がものによっては人の命だったり、そうでなくても魔術の影響は世界を危険にするものが多く、神によって全ての国で魔術は禁術とされ、それを示すものはほとんど燃やされた。
魔法陣と詠唱がしっかりあってないと発動されない魔術だから、欠片を知っても発動されない。それ故に今では禁術というものを知る人も少なくなってきた。
それが今ここで出てくるとは。
「…召喚術か」
「その可能性が高いな」
禁術の中の召喚術。それならエミリアが攫われたというのも辻褄が合う。エミリアが攫われた前後に馬車や人が動いていないことも、彼女が周りの国もこの国も知らないことも。
この国から遠く離れたところから喚ばれたのなら、筋が通る。
「だけど床の僅かな染料の残りじゃ証拠にはならないし、そもそも何故エミリアちゃんをよんで、エミリアちゃんが逃げたのか…。」
「禁術でどこまで出来るのか、今はもう分からないことがほとんどだからね」
その召喚術は、何を呼ぶ召喚術でエミリアが現れたのか。それとも、こちらが指定してエミリアが現れたのか。
そしてなんでエミリアは逃げたのか。
「エミリアはどこから来たんだろう…」
「さぁな。俺らも知らないくらい遠くの小さな集落とかじゃないのか」
ここ周辺の国や集落は地図になってみんなが知っている。それよりも遠くなのか。
地図の端の国まで行けば、それより先の地図もある。どうにか沢山の地図を手に入れるべきなのか。
「…でも、絶対帰れないとも言っていた。故郷の名前すら言わないのは、どういう事なんだろうね?」
「探して欲しいなら、帰りたいなら言うはずだ。ノアゼットの力があればどんな遠くの国の小さな集落でも、数年もあれば見つかるだろうに」
グレンの目がまた疑いを灯す。
帰れないと断言したエミリア。
絶対に行けないとばかりのあの言葉は、どうしてそこまで断言出来るのだろう。この国を知らなくても、知らないくらい遠くかもしれないだけなのに。
帰り方が分からないと言っていたのに、帰るべきところの名前も教えてくれない。教えてくれればこちらも帰る方法を探れるのに。
「調べれば調べるほど、分からなくなっていく一方だぞ」
「本当にね。参ったよ。ますます夢中になってしまう」
「おいおい…」
ドツボにはまっていくようだ。彼女を囲うためにあれこれ調べているのに、こちらが彼女に捕まってしまっている。
「とりあえず、次は禁術方面で調べるぞ。異論はないな?」
「ない。こっちもそっち方面を調べるよ。頼んだよ、グレン」
「まったく…」
そんなある日、ある情報を得て、僕はある人に会いに来た。
ドアをノックすれば、落ち着いた穏やかな声でどうぞ、と言われる。
中に入ると立ち込める紅茶の香りと、真ん中に鎮座する防音の魔道具。
「いらっしゃい。あなたと喋るのはあの時ぶりね、ライオニア」
「お久しぶりです、学園長」
学園長はいつもと変わらない笑みを浮かべて、紅茶を注ぐ。僕がソファに座ると、目の前に注いだ紅茶を出して、僕の目の前に座る。
僕は遠慮なく紅茶を1口飲んだ。毒の心配はしていない。ある程度は慣れているし、僕を殺すつもりは無いと思ったからだ。
「それで、何かしら。私に話って」
学園長は平民ながらも優雅に紅茶を飲む。言われなければ平民だなんて思わないくらい。
「エミリアを狙う人はドルトイ家の人だと判明したんです」
「……そう」
僕の言葉になんの反応も示さない。ただ相槌をうっただけ。
その顔が作った顔でないなら、本当に関わりはなさそうに思える。
「学園長は、ドルトイ家と遠いですが血が繋がっているそうですね」
「……私がエミリアを騙してると言いたいのね?」
「話が早くて助かります」
いつもの作った笑みを僕はうかべる。
学園長を疑ったのは禁術が出てきてからだ。学園長の家は蔵書で溢れていると聞くし、禁術の記された書を持っていて罰せられた人が学園長の先祖にもいた。
そこから更に辿ると、ドルトイ家が出てきたのだ。
遠いものの繋がりを感じて疑わないことは無い。
「てことは、やっぱり禁術でエミリアは誘拐されたのね」
「…ご存知では?」
「いいえ。エミリアを誘拐したのはドルトイでは無いかとは思っていたわ。知っての通り、私の家と同じくらいあの家は蔵書がある。禁術がどこかに紛れ込んでてもおかしくは無いもの」
落ち着いて紅茶を飲む学園長の言葉に嘘は感じられない。よほど隠すのが上手いのか、本心なのか。
「ドルトイ家だと分かっていたのに、エミリアには伝えなかったのですか?」
「知ったところでいつどこにドルトイ家がいるかも分からないし、罪に問える訳でもないからよ」
「禁術で呼び出されたと、訴えれば良かったのでは?エミリアを保護してすぐなら、証拠も残っていたでしょう」
「それをしたらエミリアの秘密がバレてしまうわ。それを1番警戒してるの」
エミリアの秘密を守るため。それがただの言い訳でないことを祈るばかりだ。
だって学園長が裏切っていたなんて知ったらエミリアはきっとすごく悲しむ。エミリアが今1番信用しているのは、悔しいことに学園長だから。
「…では、何故禁術を使ったと思われたんです?普通に誘拐されたとは、思わなかったのですか?」
学園長は持っていたティーカップをそっとソーサーに起き、窓の方を見る。
窓の外の夕焼けを見ているようだ。
「ドルトイの先祖を辿ったのでしょう。英雄がいた事をご存知よね。その英雄に関する日記が、我が家にはあったの」
「……はい」
「その日記には、禁術で被害にあったとある人のことが書かれていたわ。それは全くエミリアと同じだった。エミリアの抱える秘密も。だから禁術じゃないかと思った、それだけよ」
エミリアと同じ秘密を抱えた人が過去にいた?そしてその人も、エミリアと同じく禁術の被害にあった…。
「その書物を見せてもらうことは?」
「それはエミリアの秘密を知ることになるからだめよ。それにその日記はもうないの。そこに書かれていたのは、きっと今の世に残してはいけないと思って葬ったわ」
その言葉は嘘ではないんだろう。きっと学園長の家に忍び込んでも見つからない。本当に無くなったんだろう。
でも葬るほどの日記。たかが日記。葬りたかったのは、禁術でも書かれていたのか、はたまたエミリアの秘密の事なのか。
「きっと似たようなものをドルトイも持っていたのね。だから、あんな非道なことが出来たんだわ。エミリアのような被害者を出したくないから、燃やしたというのに」
その目には確かに怒りが宿ってる。本気でドルトイを潰そうとしているような顔だ。
「…学園長はエミリアの秘密を利用しようとは思わなかったのですか」
「思わなかったわ」
「何故です」
高位貴族が利用したくなるほどの秘密。学園長は何故それを利用しようとせず、守ろうとしたのだろう。
学園長は僕の目をまっすぐ見て、ふっ、と笑う。
「同じ女だから、かしらね」
「…女だから、ですか…」
その秘密が明かされると、女として酷いことをされるということなのか?そしてそれを案じたのか。
「だから私は、エミリアを利用しようとする者は容赦しないわ。たとえライオニア家が相手だろうと、エミリアを利用するなら私の持つ全てを使ってあの子を逃がすつもりよ」
少し挑発的な笑みを向けられる。
きっと、利用するというのはそれほど酷いことをするということなんだろう。
そして学園長のその威嚇にも近い顔は、エミリアの絶対的な味方であると示しているようだった。
「…学園長は、僕がエミリアの秘密を知ったら、彼女を利用すると思いますか?」
だから、聞いてみた。僕がそれを知った時、果たして僕はエミリアを利用しようとするのだろうかと。
これだけエミリアのことが好きで、大切にしたいのに、利用したくなってしまうくらいの秘密なのだろうかと。
学園長は、困ったように眉を顰める。
「……そうでないことを願って、婚約を許したわ」
「利用しそうでもあると?」
「あなた個人の考えでは利用しないと思うでしょう。だけど国のことを考えると、利用した方がいいとなるはずよ」
国の利益をとるか、エミリア個人をとるかだと学園長は言う。
エミリアが国の利益になる?
「そんなの、エミリアをとるに決まってます」
「…なら少しは安心かしらね」
国の利益になるからとエミリアを利用すると思われるなんて心外だ。そんなに僕のエミリア愛が学園長には分からなかったのか。
「…でもねライオニア。貴方がエミリアの秘密を知った時、あなたの周りもそれを知るわ。その時貴方はエミリアを守れて?国益になるから寄越せと言われて退けることが出来て?」
学園長の真面目な射るような瞳は、僕の目を真っ直ぐみる。
そこまでの勇気と覚悟があるのかと僕に問うように。
「エミリアの笑顔が守られるのなら、やってみせましょう。それでも無理ならば……僕はエミリアと共に国を出ます」
その覚悟だって出来ている。
エミリアに、利用されるほどの秘密があると聞いた時から、覚悟は出来てる。
僕が守れないものなんてないと思ってはいるが、万が一の時を想定して、この国を出ることも考えている。
この国を出ても、僕ならエミリアを何不自由なく暮らせるだけの職にもつけると思っている。
きっと両親も許してくれるだろうし、許されなくてもそうする。
それだけ僕にとってエミリアが大事で、1番優先されるべきものだ。
僕の覚悟が伝わったのか、学園長は表情を和らげる。
「そう。……そんなにあの子を想ってくれてたのね。先程の態度を謝るわ」
「…いえ、こちらこそ、疑ったことをお詫びします」
もう学園長に対して疑いは持っていない。大丈夫、この人はエミリアを大事に思ってくれる人だ。エミリアの味方だ。
「ふふ、でもそうなったら国は大変ね。エミリアという利用価値あるものと、ノアゼット・ライオニアという手離したくない人材が国から居なくなってしまうのだから」
「そこも交渉材料にするつもりです。」
「頼もしいわ。……エミリアを守ってあげてね」
学園長は願うように、少し小声で言った。
「勿論です。彼女は僕が守ります。」
「…お願いね。私に出来ることがあればなんでも言って。エミリアの為なら何でもするわ」
学園長はエミリアの絶対的味方。僕も同じだ。
僕と学園長は同じ方向を向いてるはずだ。
エミリアを守る。その方向を。




