閉じ込めて逃がしたくない sideノアゼット
「浮かれてんなぁ〜。明日から一緒なんだっけ?」
「そうだよ。1ヶ月もエミリアと一緒に居られるんだ。浮かれないわけないだろ」
僕の部屋に入ってきたグレンが、僕の顔を見て言った。呆れてため息が出てるくらいだから、相当僕は緩みきった顔をしているんだろう。とても他人に見せられる物じゃない。
だってしょうがないじゃないか。エミリアと1ヶ月一緒に過ごせるんだ。朝ごはんだって一緒に食べれるし、お風呂上がりや寝起きの姿も見れるかもしれない。
うう、想像したら最高すぎた…。
「ま、なんでもいいけど。一線は越えるなよ」
「それくらい分かってる。……で?調査はどうなの?」
グレンに釘を刺されるも、そんなことは百も承知だ。
そんな急に進めたら逃げられるに決まってる。怖がらせたくはないんだ。僕は待てる。大丈夫。
「上手い具合に潜り込めてる。休暇が終わる頃にはいい報告が出来るだろうな」
「楽しみにしてるよ」
グレンは公爵家次男でありながら、裏の人間に顔が広い。そのツテを借りて、そっち側から調べてもらっている。
あまりにもドルトイの三男から怪しいものが何も見当たらないから、ドルトイ家に侵入してもらった。王都の屋敷と、領地の屋敷と、エミリアが逃げてきたあの別荘。
これで何も出てこないと、手詰まりになる。罪を作ってあの三男を捕らえるとかしないとエミリアが外に自由に出れなくなる。
「なんか出てくるといいけどな」
「何。エミリアのこと疑ってるの。」
「そりゃ少しくらい疑うだろ」
グレンはエミリアを白とは決めつけずに捜査をしている。その点は僕と違う。
気持ちは分かる。もしエミリアが何かの命令を受けてここに来て、僕を懐柔させたのなら、国の存亡にも関わる何かをしでかすかもしれない。そして僕が利用されるということもグレンは危惧している。
分かってはいる。だけど僕はどうしてもエミリアを疑えない。
家がどこにあるのか聞いた時の遠いところを見る顔、自分の命を軽く見てる行動、そして異常なくらいの世間知らず。
エミリアは常識ある言動だし、言葉遣いも丁寧だ。食事のマナーも慣れてはいないけど知ってはいるようで、賢くもある。
ただ、この国における常識は分かっていない。
だけど具体的に何が分かってないのか、エミリアを見ていないと気づかない。そんなこと知ってるんだ、と思うこともあったり、それを知らないのかと思うこともある。情報に偏りがある。
そんなちぐはぐなエミリアを、僕は疑うことは出来ない。
ちぐはぐなのに頑張って周りに馴染もうとしている健気な彼女を。
「大体、高位貴族が利用したくなる秘密ってなんだよ?女ひとり利用しないといけないほどこの国は腐ってないぞ」
ふん、と突き放すようにグレンは言う。
この国は豊かな方だし、貴族も困った人は少ない。悪政を強いるような人もいないし、ほとんどが国と国民のことを考える。王政の国にしては珍しい方だ。
それなのに、貴族に利用される秘密。そんなことを言われて、高位貴族である僕らがバカにされてると思ってもおかしくは無い。グレンはそう感じたんだろう。
「でも事実、利用されそうになって逃げてきたんだよ。」
「本当にそんな理由なのかよ?」
あんなにエミリアとの仲を応援してくれたグレンは、エミリアの事が分からないと分かると疑いを深めていた。
今までほとんど分からない情報なんて手に入らなかったグレンが掴めないエミリアのこと。自分じゃ太刀打ち出来ない何かがあるんじゃないかと警戒を強めている。
「秘密を明かすのが結婚をしたらっていうのも分からん。ノアゼットの地位が目的のような気がしてならない」
「だけど僕から逃げてたよ。僕からのアプローチも全然気付いてくれてなかったし」
「それすら罠かもしれないだろ」
「それはちょっと遠回りなんじゃない」
婚約しようって僕が最初に言った時、罠ならそこで頷けば良かったはずだ。わざわざ逃げて返事を伸ばす意味は無い。
……まぁ、あの時のエミリアは本気で逃げたそうな顔をしていたから、あれが罠なんてことはないだろうけど。
「……ともかく、あんまり入れ込むなよ」
「無理」
「…お前なぁ」
無理な相談だ。だって既に僕はエミリアに夢中なんだから。
エミリアが僕の家に来た。エミリアは僕の家を見てきらきらと目を輝かせていて、庭園なんかも歩きたそうな顔をしていた。あとで一緒に歩こう。
僕の部屋でエミリアを抱きしめていると、心の中から普段抑えようとしている黒い気持ちが沸いてくるのが分かる。
今エミリアを鎖で繋げば、一生エミリアはここにいるしか無いのでは?
そんな悪魔の囁きが脳内に響くが、すぐさまその気持ちを抑える。
ここまで頑張ってきたんだから、ここで台無しにしたくはない。このままいけばきっとエミリアは僕に心を預けてくれるはずだから。
歩いた廊下の窓から、エミリアが庭でお茶をしているのが見える。エミリアは景色を眺めながら時折侍女に話しかけていて、会話を楽しんでいた。
エミリアの侍女には信頼出来てエミリアと歳の近い侍女を2人つけた。彼女達は腕もたつから、護衛と兼任だ。エミリア専属に任命している。
「素敵なお嬢様ですね」
「僕もそう思う。」
近くにいたロインが、僕の見てる方向を見て口元に笑みを浮かべた。
「こんなに幸せそうなノアゼット様を見れるとは思ってもいませんでした」
「……エミリアが僕を幸せにしてくれるんだよ」
今まで結婚は家のためになる人でいいと思ってた。誰が相手でも変わらないし、この国の女性に興味引かれることも無いだろうと思っていた。
それがこれだ。エミリアに出会ってしまってから自分でも驚くくらいエミリアのことしか考えてないし、もう彼女のいない生活を考えられない。
自分がこんなになるとは思わなかった。両親のような恋愛結婚は無駄だと思ってたし、出来るわけもないと思ってた。
でもエミリアに出会ってから、僕の両親は僕の目標になった。いつまでも仲睦まじく、一緒にいたい。エミリアが生きているその様を1番近くで見たい。そして出来ることなら二人の子供を産んで欲しい。
そのためなら、僕はなんだってできる。
グレンはエミリアのことを疑っていたが、もし本当にエミリアが僕を騙そうとしていても、喜んで騙されるだろう。きっと国家転覆だって彼女に願われればしてしまう。その代わり彼女が僕の妻として僕のものになってくれるのなら。
グレンはそれを恐れていたはずだ。僕がエミリアに逆らえなくなることを。
だけどもう遅いよ。僕はとっくにエミリアに逆らえないし、彼女の望むことは全て叶えたい。
だからグレンが出来るのは、エミリアがそういう考えを持っていないことを祈ることだけだ。
エミリアが僕の屋敷にいるのを目にする度、表現しがたい気持ちが心に浮かぶ。嬉しいし幸せだし、まるで一緒に住んでいるかのような錯覚に陥って、たまらない気持ちになる。
エミリアに手作りのクッキーまで作ってもらえて、結婚したらこんな毎日なのかな、とか思うと幸せでたまらない。
エミリアは夫人としての教育を心配してたけど、僕は本当にエミリア次第でいいと思ってる。やりたいなら手配するし、やりたくないならやらなくていい。それは結婚してからも。
彼女のやりたいことがなにより大事で、無理は強いたくないし、それのせいで嫌な気持ちにもさせたくない。エミリアが夫人としての仕事が出来なくてもなんの問題もないし、むしろエミリアは家から出ないでずっと家の中に居させた方が変な男も寄ってこなくていいんじゃないかと思うくらい。
でもきっとエミリアのことだから、僕に迷惑をかけまいとするんだろう。本当の気持ちを隠して、程々の望みを口にする。いつもそうだ。
僕がエミリアに頼られたいのを分かって、叶えやすい支障のない願いを口にする。本当にしたいことは迷惑をかけると思ってるのか、言いかけてすらしてくれない。
成熟した歳が、そうさせるのかは分からない。僕がエミリアよりも歳上だったら頼って貰えたのだろうか。それとも、彼女と同郷なら、もっと素を見せて貰えたんだろうか。
そんな僕の悩みは、両親が来たことにより崩壊した。
エミリアが、泣いていた。
僕の母に抱きしめられて、その目から大粒の涙を流して泣いていた。
なんで、なんで泣いているの。
母上に何かされたの?何か嫌なことを言われた?傷つけられた?
エミリアの涙を見た僕は想像以上に混乱してしまって、母上に敵意を向けるも、エミリアの言葉を聞いて違うのだと理解した。
母上と話して故郷を思い出し、泣いてしまったんだと。
泣いた理由が傷つけられた訳じゃなくて良かったと思う反面、僕の前でだけ泣いて欲しかったと思う自分もいて嫌になる。僕が泣かせてあげたかったと思ってしまった。
でも彼女はそのあと、僕の前でも泣いてくれた。
信じたくないから甘えたくないと言った彼女。
それなら信じなくていいから甘えてと言うと信じられなくてごめんと泣いた。
僕だって本当は信じて欲しいけど、そのうちでも構わない。エミリアの心が苦しいなら、信じないままでいい。ただ、胸に抱えてるものは素直に吐き出して欲しい。
どんな願いもどんな言葉も受け入れる。それがたとえ僕を否定する言葉でも。
それでエミリアが楽になれるなら。エミリアの心が軽くなって笑顔を見せてくれるなら、僕はなんでもいい。
僕の傍から居なくならないでくれるなら、なんでもいい。隣で笑ってくれるなら。
その後もエミリアは泣いた。
帰りたいと。家族に会いたいと。帰ったら僕ともお別れなのに、それでも帰りたいと。
途中知らない言葉もあったけど、何も聞かずにエミリアの心を聞いた。
「ノア…っ、私、未だにここで生きていく自信が無い…っ。学園から出たこともないし、街におりたことも無いっ。どうしよう………怖いの…。知らないところ過ぎて、なんだか怖い……。」
僕に縋って、怖いと泣く。
生きていく自信が無いなんて言わないで欲しい。怖いものは全部僕が排除するし、エミリアを害するものも遠ざける。
なんでもするから、生きて欲しい。僕と一緒に。
自信が無いなら与えるから。自信が持てるように僕がしてあげるから。
知らないなら知ればいい。知りたいこと全部教えるし、街に出たことがないなら一緒に行こう。
こんなに怯えるほどだ。学園だけでも、彼女のいたところとは違うんだろう。
でもきっと根本は変わらない。エミリアを見てればわかる。同じように人がいて、営みがあって。色んな感情が渦巻いていて、人生を謳歌する。
きっと何も変わらない。
それでもエミリアは、また心を押し込めようとした。
これ以上は申し訳ないと。もう充分なんだと。
全くエミリアは僕のことをなんにも分かっていない。
エミリアは僕が頼られて嬉しいと思ってる。それは当たっているけど、エミリアが僕以外を頼るのは嫌なんだ。本当は僕だけを頼って欲しいし、僕だけに甘えて欲しい。
そして僕に依存して欲しいし、僕がいないと眠れなくなるくらい僕に夢中になって欲しい。君の願いを叶えられるのは僕だけなんだと思って欲しい。
本当ならエミリアを今すぐにでも僕の私室に閉じ込めてしまいたいし、エミリアの世話も全て僕がしたい。誰にもエミリアを見せたくないし、彼女の見るもの考えるものの全てを僕でいっぱいにしたい。
そんな暗い感情を押し込めて、僕の思ってる願いを口にする。
エミリアは涙で濡れた頬を少し赤くしながら、僕から目をそらさないで全部聞いてくれた。
言うか迷ったけど、家に帰したくないとも言った。帰る方法が分かっても、僕がいけないところなんていかせるわけがない。それこそ監禁してでも。
どれだけ嫌われても憎まれても、そばにいて欲しい。僕の行けないところにいかせるなんて許せない。
そう言ったのに、エミリアは嬉しそうに僕のことを優しいと言った。
家に帰せないと言ったのに、どこが優しいと思ったのか。僕の言葉を疑ってるようには見えなかったけど、僕は優しい言葉を口にした覚えもないんだけどな?
涙が収まったエミリアは、願いを口にしてくれた。
彼女が遠慮してた願いは、僕には全く大変でも迷惑でもない願い。
街に出たいなんて、ささやかな願い。
ドルトイのことを気にして、言い出せなかったようだ。そんなの、僕がドルトイを監視してないわけがないだろう?やつらのいない時を狙うなんて造作もないことだ。
そしてもう1つ。エミリアは歌を歌いたいと言った。
歌というのが、僕の知ってる詩ではないのは分かる。僕の知る詩は歌うものではなく詠むものだ。
深く聞かないで、と言った。きっとまだ僕には答えられないんだろう。
それでもエミリアの秘密をひとつ知れると思って、僕は頷く。
心臓が、震えた。
エミリアがその口から、音楽を奏でていた。
言葉に音を乗せて、滑らかに奏でていた。
喋るとも違うそれは、立派な音楽だ。
少し寂しそうな、故郷を馳せるようなその気持ちのこもった音が、風に乗って運ばれる。
そしてそれをしているエミリアがとても神秘的だった。
これが、歌を歌うということなのか。
ここらの国にはないものだから、彼女は我慢していたんだろう。それが正解だ。こんなものを披露されたら、どんな貴族に囲われるか分かったもんじゃない。
これが彼女の秘密としてもいいくらいだ。
きっと彼女の故郷では当たり前の事なんだろう。だから聞くなと言ったんだろう。
本当に、彼女の故郷は一体どこにあるのか。
だけどこの歌を歌うということが、僕だけが知る秘密だと知ったのが何よりも嬉しかった。




