この世界から逃げたい4
「……僕がエミリアに、何も求めてないと思ってる?」
ぐっ、と抱きしめる腕に力が篭もる。離さない、と言われたかのように、苦しくない程度に強く抱きしめられる。
「僕はね、エミリアが思うほど綺麗な人間じゃないよ。僕がエミリアに望んでるものも、エミリアが望むものより沢山あるよ」
「……そうなの?」
ノアが私に望むもの…?聞いたことがない。
私は何もあげられないけど、何を望んでいるんだろう?
私を抱きしめたまま、私の頭を撫でる。その大きな手が、熱く感じる。
「エミリアに、愛して欲しい」
「……ノア」
「僕がエミリアを好きなのと同じくらい好きになって欲しい。僕無しで生きていけなくなってほしい。僕以外をその目に映さないで欲しいし、僕のことだけ考えて欲しい。」
ノアのその声が、本心なんだと告げているようだ。
普通に聞いたら重いそれも、今は重苦しく感じない。
「僕だけを頼って欲しいし、エミリアの泣き顔を見るのも僕だけがいい。君を守るのも僕だけがいいし、君の秘密を知るのも僕だけがいい。」
そしてそっとノアは私を腕から解放して、泣いて不細工になった私の顔をじっと見つめる。
「エミリアに触れたい。手を繋ぎたい。抱きしめたい。頭を撫でたい。キスもしたいし、それ以上の事だってしたい。結婚したいし、君との子供も欲しい。」
「……っ!」
「あと、笑って欲しい。でも怒っても欲しい。悲しんでも欲しい。気持ちを押し付けて欲しくない、我慢して欲しくない。僕の前では、素直になって欲しい。あるがまま生きて欲しい」
真面目な顔で、強い瞳で真っ直ぐな声で私に言う。何も隠さないそのストレートな言葉が、心にすんなり入ってくる。
「エミリアの願いを叶えてあげたい。エミリアが望むこと、それを叶えられるのは僕だけでありたい。…でもごめんね、僕は強欲で自分勝手だから、君が家に帰る方法を見つけても、それで僕と離れてしまうなら、僕は君を帰せないだろう。」
熱の篭った目で私を見つめる瞳が、最後の最後に少しだけ和らいだ。
「だからね、何も遠慮しないで?僕はこんなにも君に望んでるし、そのほとんどが自分勝手なものだ。君を守ることは僕の望みでもあるのだから、僕になにか返したいと思うなら、観念して守られてくれないかな」
いつもの優しい笑顔が、私の心をくすぐる。
私のわがままを、自分の望みだと言うノア。そこにとてつもなく深い愛を感じた。
「……ノアは、優しいね」
「えぇ?エミリア話聞いてた?」
困った顔になったノアを見て、くす、と笑みがこぼれる。
そんな私をノアは不満げに見てくる。
「まったく…。結婚したら覚悟するんだね。そんなこと言ってられなくなるよ」
「ふふっ」
6つも歳下の男の子にこうも励まされ、慰められて。重く深く愛されて、そんな彼がいいよって言うなら、私も少し甘えてもいいかな。
甘えて…それでも信じることは出来ないけど、いいかな?
「……ノア、私ね、街に出てみたい」
「うん、行こう。」
「でも、見つかるかもしれない…」
「大丈夫。あいつらが確実にいない時に行こう?あいつらには監視をつけてるから、どこにいるのかすぐ分かるよ。近付いてきたら帰ればいいんだ」
私のわがままを全力で叶えようとしてくれている。そんな彼に返せるものがなくて苦しいけど、こうして頼ることがお返しになると言っていた。
それが本当なら。そうならば、私は頼ってしまおう。
「ありがとう、ノア…。……あとね、したいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「うん。なんでも聞くよ。なに?」
少し嬉しそうに微笑むノアは、本当に頼られて嬉しいのだろう。
「私、故郷では歌を歌うことが好きだったの。上手くはないけど、心がすっきりするし、楽しくもなれる。」
「歌を歌う…?」
「意味わからないよね。ここにはないものだからやらないようにしてたの。…でもノアなら、深く聞かないでくれるんでしょう?」
何も躊躇わずにうん、と頷いたノア。
歌を歌うというのがどういう事なのか分からないのに、私のことを信じて委ねてくれる。
だから私も、頼ってみよう。甘えてしまおう。
完全に信じることは出来ないけど、それでいいとノアが言うんだから。
「ノアはそこに居てくれればいいから、聞いてくれる?」
「うん」
私は立ち上がって、ノアを椅子に座らせる。そして立ったまま、少しノアと距離をとって、息を大きく吸った。
「ーーーーーー」
言葉に音を乗せて紡いだ。風と共に運ばれるように歌った。
恋愛にも家族愛にもとれる真っ直ぐな愛のうたを。
私の世界と繋がらないこの空に、届くはずのない声を届けたくて。
BGMもないアカペラで、ノアには理解できない言葉も混じっているだろう。きっと楽しいのは私だけ。それでもいい。私のために歌うの。
願わくば、この声が届きますように。
「……聞いてくれてありがとう。これが、歌を歌う、だよ」
1番だけを歌い終え、私はノアの顔を見た。
驚きと嬉しさに包まれたその顔で、ノアは立ち上がると私のことを抱きしめた。
「素敵な声だね。心が籠ってる気がして、聞いてたこっちも幸せな気持ちになったよ」
「ほんと?」
「うん。……これは、僕だけが知る秘密だね?」
ぐりぐりと頭上に額を押し付けられる。
ノアの言葉に独占欲のようなものを感じて、それが何故か嫌に思えなかった。
「そうだね。ノアしか知らないし、ノアにしか聞かせたことないね」
「そう…。嬉しいな。また聞かせてくれる?」
「ノアがいいなら、勿論」
そのうちメロディーも歌詞も忘れてしまうんだろう。それまでに沢山歌わせてもらおう。寮の部屋で小さく口ずさむより、大きく歌った方が気持ちがいい。こうしてお屋敷にお邪魔した時は歌わせてもらおう。
「他にはない?やりたいこと、行きたいこと。」
「他には…無いかなぁ。この国に何があって何が出来るのか知らないから…」
この国の事なんて何も知らないんだ。私が知ってるのは学園で教わった知識だけ。
「あ…観劇、行ってみたいな。ミルムがロットと行ったって言ってたの。」
「うん、行こう。他は?」
「他…またお菓子作りさせて欲しいな」
「いつでも。なんなら毎日でもいいよ?」
「毎日はちょっと…」
際限なく私の願いを叶えようとノアはしてくれる。
こんなに甘やかされるとダメ人間になりそうだ。
「今のところはそれくらい。これからもっとやりたいことが増えるといいなとは思ってる」
「そっか。……じゃあ色んなことをやっていこう。僕が全部教えるから」
頭を撫でられながら目を見つめられ、その目が私のことをとても愛しいと言ってくるようで、むず痒い気持ちになる。
なんとなく、なんとなくだけど。
秘密を明かす前に、ノアのことを好きになってしまいそうな予感がした。
お義父様とお義母様は2泊して領地へ帰って行った。2人が滞在してる間はお義母様と主によく過ごしていて、でもお義父様にも良くしてもらった。
どちらもとても優しくて、私を受け入れてくれた。それがとても嬉しかったし暖かかった。
今度は領地にも行くと約束して、2人を見送った。
冬休みもあと1週間というところで、ノアは私を街に誘ってくれた。
ドルトイの手の者がこことは離れるように動いていると報告を受けたらしく、今なら間違いなく見つからないとの事だ。
そして今日、私はノアと街におりた。
「おお、おおお…!」
馬車から降りて、その街並みに足を踏み入れる。
凄い人の数と、活気の量。商店街にも見えるこの街並みは、人が沢山いて、客引きの声や楽しそうな声も聞こえる。
歩く人達は笑顔の人が多くて、買い物した袋を持っていたり、食べ物を持っていたり。とても楽しそうにしていた。
「ここはメイン通りだから人が多いんだよね。エミリア、はぐれないようにね」
ノアは私の手をぎゅっと握る。ノアに手を繋がれても何も感じないくらい、私は目の前の光景に釘付けになっていた。
カラフルな髪の人達が、アニメの世界のような街並みを歩いている。
もうとっくにここは異世界なんだって理解したはずなのに、もう2年もこの世界で過ごしたはずなのに、この光景に違和感を覚えてしまう。
あぁ、やっぱり違うんだな。
ここは全く違う世界なんだな。
黙ったままの私の手を、ノアが強めに握った。
我慢はするなと言われているようだ。
だから私はノアの方を見ずに言う。
「私の故郷はね、こんなに髪色がカラフルじゃなくて。暗い色ばっかりだったんだ。だからなんか……やっぱ違うんだな、って思った」
私だって今は魔道具で誤魔化してるけど、黒髪だ。こんな明るい髪の人たちの中、黒髪はひとつも見当たらない。
それはつまり、そういうことだろう。
「エミリアの髪も、魔道具で変えているんだよね」
「知ってたの?」
「多分僕しか気付いてないけどね」
ローリアさんに貰ったこの魔道具は、違う効果をフェイクとしてつけていて、髪を変えるものだとはバレないと言ってた。
それに、ノアは気づいてたの?
ノアは空いてる手で私の髪をひと房掴むと、その髪にそっとキスをした。
「結婚したら、見せてくれる?エミリアの本当の色」
「ーーっ、したらね!したら、だからね!」
なんてキザったらしいんだ!イケメンだから許されるんだよそういうの!ノアはイケメンだから許されるけど!
「ほら、行こう?気になったところがあったら教えてね」
ノアは人混みから私を守るように、街の真ん中を進む。歩く速度はいつもよりもゆっくりめで、私が周りをよく見れるようにゆっくり歩いてくれてることがよく分かる。
右も左もきょろきょろ顔を回し、田舎者みたいに見えるだろう。
だって仕方ないじゃん!異世界の街だよ!
最初の疎外感はどこへやら、気分はテーマパークに来た気分に早変わりだ。
「ノア!あれは?」
「見てみて!何これ!」
「わ…すごいあれ!」
大興奮の私に文句1つ言うことなく、にこにこしてノアは手を引いてくれる。
「わ〜!綺麗!ノア、この石何?」
屋台でアクセサリーを売ってる店が目について、そこまで行く。
そこに並ぶ色んなアクセサリーには不思議な石がついていた。
丸だったり角張ったりするその石は、少し透き通る石で、真ん中に透けない部分がある。その透けない部分にはラメのようなものも入っていて、とても自然のもののように見えない。
「これは、魔輝石だね」
「まきせき?天然物なの?」
「そうだよ。採る前はこの真ん中の色をしてるんだけど、採って魔法で加工すると、周りが透けて、魔力が中心でキラキラ光るんだ」
へぇ〜不思議な石…。
私はひとつアクセサリーを採って、まじまじと眺める。
隣からノアが私の顔を覗き込んできた。
「欲しい?」
「えっ、いらない!」
慌てて手に持ってたアクセサリーを置いてぶんぶんと首を振る。
だめなのだ。さっきからずっとノアは、私の気になるものを全部買い与えようとするんだ。
私は一文無しだから、仕方ないといえば仕方ないけど…。
……いや!?仕方なく無いよね?必要なものだけでいいよね!?
「店主、水色の魔力のものはある?」
「水色はー…これくらいだな」
ノアは店主に話しかけ、店主から数個のアクセサリーを見せてもらっている。その全ての石は、真ん中に水色のラメがあった。
やばい、買う気だ。
「ノア!いらないって!そんなに何でも買い与えようとしないで!」
「エミリア、今日のデートの記念だよ。…だめ?」
「記念ってだって…3つ目だよ!?」
今日のデートの記念。その手はこれで3回目。ちなみにその手には今のところ全敗している。
「お願い。僕に贈らせて?」
寂しそうにそう見つめられちゃうと、ノーと言えなくなる。
言葉を喉に詰まらせながら、私はひとつだけね、と言った。それを聞いたノアがすごい嬉しそうな顔をするから、まぁいっかって気持ちになってしまう。
うーん、良くないね。非常に良くない。
甘やかしに拍車がかかってる気がする。
「うーん、一つだけか…。じゃあこれにしようかな」
アクセサリーをひとつひとつ丁寧に見て、ノアは1個選んでくれた。
それはまん丸の魔輝石がひとつぶら下がったピアス。中の黒い部分には水色のラメが入っている。
それと引き換えにノアはお金を店主に渡す。お金を受け取った店主は笑顔でまいど!といった。
「付けてくれる?」
「う、うん。…よくピアスホールあるの気付いたね?」
「エミリアのことはよく見てるからね」
私は普段ピアスを付けないし、この世界に来てからも1度もつけたことがない。ピアスホールの大きさも普通サイズで、とても目立たない。
…のに、よく気づいたなぁ。
ノアからピアスを手渡され、私はその場でつけた。久しぶりの耳に揺れる重みを感じて、少し心に余裕が出来たような気がした。
「うん、やっぱり似合うね」
私の耳についたピアスを人撫でしてノアは微笑む。
うーん、甘い。ノアの笑顔が甘い。通り過ぎる女の人達が立ち止まってこちらを見て顔を赤くしているのが見える。
わー…ある意味人間兵器だぁ。
苦笑いしながらノアに引き続き街を案内してもらう。街の雰囲気に慣れると今度は周りの目が痛いことに気付く。この国宝イケメンの隣がなんであんな女?って言う目線をビシビシ感じる。
文句はノアに言ってくださいぃ!
…うん、いいや、諦めよう。ノアと婚約したばっかの学園はこんな感じだったような気もするし。そう思っておこう。うん。




