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私は逃げたい  作者: 兎のうさぎ
本編
14/110

この世界から逃げたい3

 

「…だからきっと、あなたとノアゼットは相思相愛では無かったのね。ノアゼットの押しに、あなたが負けた…そんなところかしら?」

「…ご想像にお任せします」


 押しに負けたと言うより、脅しに屈した…ような…。

 まぁ私たちの様子を見てもわかるだろうし、誰かに報告させてればそれでも分かるだろう。変に嘘をついて疑いの目を向けられるのも良くない。


「ふふ、でもねエミリア。私は嬉しいのよ。あなたの気持ちがノアゼットに向くまで、あの子は待てなかったんでしょう?それほど好きな子を見つけられて、私はとても嬉しかったの」


 嬉しそうにはにかむお義母様。

 きっと私の気持ちがむくのを待ってたら、ノアはおじいちゃんになってただろう…。だから強引な手段を取ったんだろうな。

 だって私はノアの事避けてたし、お菓子とかお花とか貰っても何にも思ってなかった。余ったの処分するの面倒なのかな、くらいにしか。


 ミルムの話ではずっと狙われてたらしいし…。それにずっと気付けなかったから。


「無理にとは言わないけど、少しだけでもいいから、ノアゼットの事を好きになる努力してくれると嬉しいわ。」

「お義母様…」

「本当に少しでいいの。好きになれなくても、あの子はあなたがそばに居るだけでとても幸せそうだったから。あの子に恋出来なくても、家族として信頼し合える関係くらいにはなって欲しいなと思うわ」


 少し申し訳なさそうにお義母様は言う。

 お義母様の気持ちは理解してる。私だって、せっかく結婚するなら愛し合いたい。義務だけや、疑い合う結婚なんて嫌だ。


「私も、愛し合えるような関係を築いていきたいと思っています」

「まぁ!それは嬉しいわ。でも無理はしないでね?」

「ありがとうございます」


 この先がどうなるかは分からないけど、何事もなくノアと結婚なんてことになったら、そうありたい。

 もし私の秘密を知っても、私のことを好きでいてくれるのならば。

 私のことを、利用しないと思えるならば。


 …だめだね、そういう期待はやめておこう。裏切られた時が辛いだけだ。この件に関しては、ローリアさん以外を信じてはいけない、期待もしてはいけない。


「それとエミリア、あなたさっきから堅苦しいわ。私やロワールの前でも、もっと気楽にして?」

「では、お言葉に甘えますね」

「ええ!だって私達は家族になるのよ!遠慮して何も言えない家族は嫌でしょう?」


 家族。

 それは私が失ったもの。

 それを、新しくここで作るの?


「……そう、ですね。家族に、なるんですよね」

「そうよ。家族が増えるの。私達ライオニア家にエミリアが、エミリアとエミリアの家族にノアゼットが、新しい家族として増えるのよ」


 増える?

 そうか、増えるのか。

 代わりに新しく作られる家族じゃないのか。


 お義母様の、言葉は、私の心にスっと入ってきて、私の心を包んでくれるようだ。

 私は家族を失ってなんかないと、そう言ってるみたいで。

 離れても、会えなくても、その縁は途切れないと言われているようで。


 勿論お義母様は私の事情なんて知らないのだから、そんなことを考えて言ったわけじゃないかもしれない。


 それでも、声色が、雰囲気が、優しげな顔が、とても母親の顔をしていて、所作が綺麗で美しいお義母様と、がさつで大雑把な私のお母さんは似ても似つかないのに、同じ母親の顔をしていて。



 だからこんなにも、心が暖かくなるんだろうか。

 こんなにも、お母さんに包まれてる感じがするのだろうか。


 あぁ、会いたいな…。

 折角、心の奥底に閉じ込めて我慢してたんだけどな…。


 何も言えなくて、頬をなにかが伝う感触がした。


「エミリア」


 気付いたらお義母様は立ち上がって私の傍に来ていて、私の頭をそっとその胸に抱き抱えてくれた。そこからふんわり香るバラの香りは、私のお母さんからは香ったことないものだ。


 私の頭を抱く腕の強さも、香りも胸の柔らかさも何もかも違うのに。

 違うのに……。



「いいのよ、エミリア。私は何も知らないけれど、私の胸で良ければいつでも貸すわ。だって私はあなたのお義母様で、あなたはもう私の娘なのよ」

「おかあさま……」

「でも忘れないで。あなたの本当のお母様は、あなたの心にいるわ。今会えなくても、心は繋がってるのよ。あなたが恋しく思う何倍も、お母様は恋しく思ってるはずよ」


 優しく優しく、頭を撫でてくれる。

 意識もしてないのに、目から涙がポロポロこぼれ落ちる。

 私の涙に濡れることも厭わずに、お義母様は私を抱きしめたままだ。


 今は会えなくても、心は繋がってる。

 今日初めて会ったのに、お義母様に言われると本当にそんな気がするから不思議だ。


 不思議な魅力にあてられて、ポツリと言葉が洩れる。


「お義母様…私、ずっと帰りたいんです」

「ええ」

「ずっと、帰りたくて仕方ないんです。……それなのに、帰れないんです」


 髪を整えるように、優しく頭を撫でてくれる。

 もう片方の手で、背中をとんとんとあやすように叩いてくれる。


「帰り…たい…っ。私の場所に、家族の元に…。………帰りたい……!」


 涙がどばっと溢れた。堤防が決壊したかのように溢れた。


 今までずっと押し込めてた気持ちが溢れて、年甲斐もなく私はお義母様に抱きついた。

 お義母様は何も言わず、そっと頭と背を撫でてくれていた。




「…お見苦しいところをお見せしました…」

「あら、私は嬉しかったわ。娘に甘えられて嬉しくない母親がいるもんですか」


 当たり前でしょとお義母様は笑って言った。

 お義母様は当然のように私を娘として扱ってくれる。それがとても心地いいと感じた。


「エミリア、そろそろ僕とー…ん?」


 その時、屋敷からノアが声をかけながら近付いてくる。

 ノアの声がしたからと彼の方を向くと、彼は私の顔を見て眉を少し潜め、早歩きで近づいてきた。


 そして私の目の前に跪くと、私の顔を覗き込む。


「エミリア……泣いた?」

「えっ…………うん」


 まぁあれだけ泣いたんだ、そんなすぐに顔が戻るわけないよね。

 きっと今の私は目も充血して、目尻も赤くなって悲惨な顔になっているかも。


 見せるべきじゃ無かったな、と思いつつ、いや来たのはノアだし、と切り替える。

 だけどノアは、厳しい目をお義母様に向けた。お義母様は気にせず優雅に紅茶を飲んでいる。


「何を言ったんですか。エミリアをこんなに泣かせるようなこと言ったんですか」

「ノア、待って、落ち着いて?」

「エミリア。母だからって僕は容赦しないよ。君を傷つけるものは全て排除すると決めてるんだ」


 全て!?待って重い!…じゃなくて!


「違うよ!?傷つけられたんじゃないの!むしろ逆なの!慰めてもらってただけなんだよ!」

「慰めて…?くっ、それは僕の役目だっ!」

「ノア!?」


 役目ってなに!?そこで張り合わないで、お願いだから!

 変わらず睨むノアを見て、お義母様は嬉しそうに笑った。


「こんなノアゼットが見れるなんて、本当に嬉しいわ。ありがとうエミリア」

「え?はい……」

「さて、ノアゼットにも睨まれることだし、お役目交代してあげようかしらね」


 ノアの睨みなど何も気にせず、お義母様は手を振りながらその場を去った。

 私とノアだけが、ここに残ったままだ。


 未だ跪いてるノアに、私は声をかけた。


「あのね、本当にお義母様は私を傷つけてなんてなくて。家に帰りたいって泣いた私をただただ慰めてくれたんだよ」

「エミリア……」

「お義母様の中にお母さんを感じて、懐かしくて寂しくなっちゃっただけなの。心配かけてごめんね」


 笑ってそう言うと、何故かノアは傷ついたような顔をして、膝に乗った私の手を両手で握る。


「…いいんだよ。寂しいなら寂しいと言っていいんだよ。帰りたいと言って泣いてもいいんだよ。僕でも胸を貸すこと位はできるから。だから……だからそんなに、辛いのに頑張って笑わないで」


 頑張って笑ってるように見えてしまったか。

 ノアの方が辛そうな顔してるのになぁ。


「エミリアに感情を隠されるのが1番嫌だよ。だから僕の前では無理して笑わないで。辛いなら辛いと言って。我慢しないで。胸も貸すし、八つ当たりだって受け止めるから」

「……そんなこと」

「お願い。どんな話も聞くよ。その話がどんな話でも、何も問わないでというなら問わないし、言いたくないことは言わなくてもいい。ただ、吐き出して欲しいんだ。無理して押し込めないで欲しい」


 なんでノアは、こんなにも私の欲しい言葉をくれるのだろう。なんでこんなにも、私の救世主のように言葉を紡ぐのだろう。救世主のようで、悪魔の囁きのようだ。


 甘えてしまえと囁く悪魔。そしてそれに頷きそうになる自分がいる。

 それを押しこめる。甘えたら、戻れないよ。彼を信じてしまう。信じて、裏切られた時にすごく辛い思いをしてしまう。



「ほら今も。思ったことを飲み込もうとしてるでしょ。飲み込まないで、吐いて?どんな罵声でも拒絶でもいいから。そばに居るから」


 ほら、またこうやって、惑わせようとする。

 ダメだって押し込んでも、下から伸びてきた手が、私の背中に回って、同じ高さで抱きしめられると、ぐっ、と言葉が口から出そうになる。


「ね?エミリア…。甘えて欲しいな」


 耳元でそう囁かれたら、もう勝てるわけが無い。


「……甘えたら、あなたを信じてしまう。信じたら、裏切られた時が辛くなるの。だから、甘えたくないの…!」

「そっか。じゃあ僕のことは学園長の代わりとでも思って?あの人なら信じられるでしょ?吐き出したいことがある時は、僕を学園長だと思って甘えてよ。それなら僕のことは信じないままでいられるでしょ?」


 ローリアさんの代わりに思え?確かにローリアさんは1番信じているけど。

 それでいいの?ノアは、それでいいの?好きな人に、他の人の代わりに甘えられるの、辛くないの?


 信じないままで、いいの?


 私の気持ちを読んだかのようにノアは続ける。


「本当は信じて欲しいよ。でも、エミリアの秘密を知らない僕がどれだけそれを言っても、信じられないでしょ?だから、信じなくてもいいよ。それでエミリアの心が守れるなら。」

「そ…んな…の…」

「僕は辛くないよ。なんにも、全く辛くない。むしろエミリアが苦しそうにしてる方が辛い。ずっと思ってた。何かを堪えてぐっと呑み込んでる姿を見て、凄く辛かった。吐き出して欲しかった。相手が母上でも、僕を誰かの代わりに見立てても構わない。」


 優しくゆっくり、ノアの言葉が心に落ちてく。

 信じなくていいなんて、それが辛くないなんて嘘に決まってる。好きな人に信じてもらえないのは、とっても辛いって分かってる。


 私が気持ちを我慢すればそれを突きつけられずに済むのに?なのに、我慢するなっていうの?


「ごめん……ごめんね、ノア…。信じてあげられなくて、ごめん………」

「本当に大丈夫だよ。それでもエミリアが気になるならこうしよう?結婚したら僕を信じてよ。ね?」


 背中を優しく撫でてくれる。

 彼の腕の中は、いつのまにこんなに落ち着く空間になったのだろうか。





「ノア…あのね。私本当は凄く帰りたいの。家に。」

「うん」

「帰ったらね、ノアともミルムともお別れなの分かってるけど、それでも帰りたいの。私の生きる場所はあそこなの」

「…うん」

「でも帰れないんだ。……帰り方が、分からないんだ。」


 さっき散々泣いて枯らしたと思った涙は、また湧き出てきた。

 涙声になった私に気づいたノアは、少しだけ私を抱きしめる腕を強くした。


「お父さんとお母さんに何も言えてないのっ。きっと心配してる。弟もいるんだ…高校生だったけど、進路はどうしたんだろう。職場にも迷惑かけてるだろうな。急に無断欠勤なんてして。」

「……うん」

「アニメも途中のやつがあったし、友達とご飯行く約束もしてたの。一人暮らしにも慣れたし……私の人生、これからだったの」


 自由に使えるお金が増えて、やれることが増えて。これから好きに生きて楽しくやっていくつもりだった。



 やりたいことが沢山あった。そのどれもが、もう叶わない。



「ノア…っ、私、未だにここで生きていく自信が無い…っ。学園から出たこともないし、街におりたことも無いっ。どうしよう………怖いの…。知らないところ過ぎて、なんだか怖い……。」

「大丈夫。何も変わらないよ。」


 頷いていただけだったノアが、初めて私の言葉に応えた。


「きっとエミリアのいたところと変わらない。人がいて、生活してる。学園にもエミリアは馴染んでいるでしょ?だから大丈夫。それに僕もミルム嬢もいる。怖くても、ひとりじゃない」


 ひとりじゃない…?

 この世界で異質な存在の私が、独りじゃない…?


「知らなくて怖いなら、行ってみよう?街に出てみよう。この国の色んなところにも行こう。面白いものも綺麗な景色も沢山ある。きっと好きになれるよ」

「……でも、外に出たら、見つかるかもしれない…。だからって、見つからないように色々やってもらうのは申し訳ないの……。」

「エミリア、それは」

「あのね、ノアには凄く感謝してるんだ。婚約しただけなのに、私を狙う人を突き止めてくれて、色々調べてくれて。こうして学園の外にも連れてきてくれて、本当に嬉しいの。だからこれ以上はいいんだよ。」


 ノアは優しいから。優しくて、無理をしないか心配なんだ。

 私は思いも信用もあげられないのに、なにひとつノアにあげれるものなんてないのに、見返りも求めずにノアは私に良くしてくれる。


 なにも返せない自分が辛い。

 でも秘密を明かすことも出来ない。

 そんな浅ましい自分が、嫌いだ。



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