失くしたもの7 sideノアゼット
うっすら目を開ける。
なんで僕は寝てるんだっけ。
しっかり目を開いて辺りを見ると、ベッド脇の椅子にエミリアが座っていた。
心配そうにこちらを見ていた。
その時、つい先程まで僕がしていた全てを思い出した。
僕が起きても様子を伺ってるだけのエミリアに、その理由も理解した僕は飛び起きて抱き着いた。
数日ぶりに彼女を抱きしめる。今回は、結界に防がれることは無い。
僕が抱きしめればエミリアも抱きしめ返してくれて、エミリアは僕の胸で泣き出した。
エミリアを落ち着かせようと、エミリアの気が済むまで抱きしめ、背中をさすったり声をかけたりした。
やがて落ち着いたエミリアと共にリビングに向かうと、グレンがソファに座って待っていて、僕のことを見ると片手を上げた。
僕の記憶が戻ったことはもう理解しているようだ。
寝室のドアも開いていたし、声も聞こえていただろう。
「グレン、今回は手間かけさせたね。感謝してる」
「大した手間じゃないさ。お前の記憶が戻ってよかったよ」
「僕も良かったよ、あのままじゃなくて」
ここ数日の記憶を、僕はしっかり覚えている。そして、今から記憶を戻すとなった時には確かに、このままでもいいと思っていた。
エミリアから貰った記憶のないプレゼントでも、エミリアが心を込めてくれたことだけは分かって、それを壊すのはどうしても抵抗があったし、あの時の僕もエミリアを愛していたから、それでいいだろうと思っていた。
結果として彼女から貰ったプレゼントを壊すことは無かったし、僕は今記憶が戻って心底良かったと思っている。
「相手の侯爵子息は?」
僕の記憶がなければエミリアを奪えると思った、馬鹿な男。それだけでエミリアが手に入るなら、とっくの昔にエミリアは僕のものになってたし、隣国の王子に奪われることだってあったはずだ。
エミリアはそんなに単純じゃない。彼女が深く愛してくれてるのもそうだけど、捕まってじっとしてるような女性じゃないから。
強かで賢い女性だから。
「もう捕まってる。ただ神から啓示があって、神が天罰を下すから人間は何もするなと言われている。今は牢屋に居るだけだな」
「なるほどね」
神が天罰を下すと啓示したのか。エミリアを悲しませたからだろうね。
僕が手を下したいところだけど、神に出てこられてしまうと僕ができることはないだろう。
「…そう言えば神様が言ってた。天罰を下すのはノアが起きてからにするって。きっとノアが1番仕返ししたくなるだろうからって」
「有難いね。僕にその機会を与えてくれるとは」
エミリアの言葉に驚いた。神は僕に、奴を罰する機会をくれるというの?
そんな機会を頂いたからには、盛大に仕返しさせてもらおう。死んだ方がましな目に遭わせてやろう。
「向こうの国から賠償の話も出てる。詳しくは書類を後で渡すから、それ見て向こうの国に返事してくれ」
「分かった」
自分の国の貴族が、神の愛し子の夫に危害を加えた。だから愛し子が悲しんで、神が怒った。
その怒りを鎮めるために、国の方から賠償の話が出ているんだろう。
それについてはあとでグレンから書類を受け取ってから考えることにしよう。
「じゃ、ノアゼットの様子も平気そうだし、俺は学園長やミルム嬢達に報告してくる」
グレンはそう言いながら、腰を持ち上げる。
学園長にもミルムにも、ロットにも迷惑をかけたな。後日詫びなければ。
でも今は、1番の被害者で1番大切な人を安心させないと。
「グレン、本当にありがとう」
「おう」
グレンは部屋から出ていった。
君が僕の友人で本当に良かった。
エミリアと2人になり、エミリアの頭を優しく撫でる。
このサラサラで撫でるのが癖になる髪も、本当は黒いことを知るのは今の僕だけ。それを忘れるなんてあってはならない。
「エミリア、本当にごめんね。僕は酷いことを沢山したね」
「……うん。怖かった」
「…たくさん、怖がらせたね」
思い出す。僕がエミリアに魔法を向けた時、剣を向けた時。
驚いて信じられない顔をして、エミリアはぶるぶる震えていた。
あれだけ敵意を持って攻撃されたのは初めてだろう。
愛称を呼ぶなと言って、エミリアはぽろりと涙をこぼした。
目を大きく見開いて、信じたくない、って言う顔をして。
言葉でも、態度でも、傷つけた。エミリアの心に深く傷をつけたし、恐怖も植え付けた。
エミリアに向けたことの無い普段の僕の姿を、エミリアに向けてしまった。
何よりも大事で大切なエミリアを、僕が傷つけて泣かせた。
次の日に会ったエミリアは少し腫れぼったい目を化粧で誤魔化していた。前日の夜に沢山泣いたんだと分かる顔だった。
あの時は泣いたんだなとしか思わなかったが、記憶を思い出した今では、自分で自分を殴りたいくらい、自分に腹が立つ。
悔やんでも悔やみきれない。確かにあの時エミリアのことを気にしてなかったとはいえ、後悔と罪悪感が心を支配する。
エミリアが僕の体をぎゅっと抱きしめる。
「…ノアが、私を忘れたことが、1番怖かった…」
僕からの仕打ちも視線も、それら全てより僕に忘れられた事が怖かったと泣くエミリア。
「やっぱり、ノアは今のノアがいい…!忘れて欲しくない…!」
僕にしがみついて、エミリアが僕を離すまいと抱きしめる。
こんなエミリアの僕への強い思いも、僕は忘れていたんだ。
「うん。僕もエミリアとの事は覚えていたい」
エミリアを初めて気にした時のことも、エミリアを追いかけたことも、一緒に過ごした日々も。
エミリアと過ごした楽しかったこと辛かったこと全て、忘れたくない。
今までのエミリアの表情や気持ちをひとつ残らず覚えていたい。
「もう、忘れないよ」
「うん、うん…っ!」
泣き疲れたエミリアが僕の腕の中で眠ってしまった。過去の僕には分からなかったが、うっすらくまが出来ている。ここ最近あまり眠れなかったんだろう。
エミリアを抱き上げて、エミリアの匂いがしなくなったベッドに横にする。
ここは僕だけの場所じゃない。もう二人のベッドなんだ。
寝室のベッドフレームについてる鎖に目をやる。
記憶が戻る前の僕が、エミリアを寝室に縛り付けようとして用意したものだ。
外に出れない格好にして、寝室からも出れない状態にすれば、逃げられないだろうと思ったのだ。
エミリアに恋をした時も、エミリアを閉じ込めたいと思った。
人に囲まれているエミリアが気になってしまって、いらついてしまって、閉じ込めれば解決だと思ったのだ。
あの時グレンが助言をくれなかったら、きっとこういう風になっていたんだろう。エミリアをここに縛りつけようとした僕と、あの時の僕は全く同じ気持ちだから。
そして捕まえて縛り付けて、また逃げられる。それが繰り返される度、僕の気持ちが膨れ上がって、どんどんエミリアの心が離れていく。
僕に恋心を自覚させたときグレンは言った。閉じ込めたらエミリアの心は手に入らないと。
確かにその通りだ。そんなことをしたらエミリアの心は離れていくばかりだ。
今回だって、相手が僕だったから歩み寄ってくれていただけで、今日この鎖を使っていたらもしかしたら嫌われていたかもしれない。
いや、そう簡単にエミリアは僕を嫌いにはならないだろうけど。
でも心は大きく離れていたはずだ。
それに、今の僕を見ても影響するくらいのトラウマを植え付けていたかもしれない。
グレンが早く戻ってきてくれて助かった。今回のことはとても世話になったし、エミリアを好きだと自覚した時も。
本当にグレンには頭が上がらないな。
僕はベッドフレームの鎖を外す。
今の僕らには必要のないものだ。
こんなものがなくたってエミリアは逃げないし、僕のことを愛してくれる。
リビングに出て、今日使うはずだった魔法の鍵も壊す。そしてエミリアに嵌める予定の新しい魔法封じの首輪も、棚の見えないところにしまった。
つくづく自分の執着具合に笑ってしまう。
ここまでしてエミリアをこの部屋に縫いつけようとしてるくせに、それが恋だとは気付かない。
そうじゃなくてエミリアの笑顔を見た方が何倍も幸せで満ち足りる気持ちになれるということに、気付けない。
正直今でも、閉じ込めたくなる気持ちはゼロじゃない。
前に比べてエミリアは僕に愛されて美しくなったし、その力や神の祝福のことも加えて、エミリアを狙う人が増えたから尚更。
閉じ込めておけば安心だし、エミリアが他に心を奪われないで済む。心が奪われても離すことなんて出来ないけど。
それでも監禁を実行しないのは、エミリアの笑顔が見たいから。
エミリアの笑顔が、僕に向ける愛情が、何よりも僕を幸せにしてくれる。
それを僕は分かってるから、閉じ込めない。
今閉じ込めても、エミリアはきっと従ってくれる。1週間くらいしたら抜け出しそうだけど、一応僕の意図は汲んでくれるだろう。
でも閉じ込めて僕だけが安心するより、一緒に行動して色んなところに行って、エミリアの笑顔を沢山見た方が全然満足なんだ。
連れてきてくれてありがとう、と言われる方が、よっぽど嬉しい。
エミリアを閉じ込める道具を全部撤去して、しまっていたエミリアの生活用品を元に戻しておく。
僕が記憶を失う前と元通りの部屋になってようやく、僕は寝室に戻った。
すやすや寝ているエミリアの隣に横になり、寝ているエミリアを優しく抱きしめる。
僕の記憶の宿った大切なものが、エミリアからのプレゼントじゃなくて良かった。
確かに僕の中で1番大切なのは、エミリアの名前だ。
絶対に忘れない、エミリアの本当の名前。
エミリアがエミである確かな証拠。
記憶のない僕はあの紙を見ても、あの文字を文字だとは認識していなかった。だからその上に書かれたシノミヤエミという言葉も、謎の言葉だと思っていただけだった。
あの紙が無くなっても、僕はあの文字をもう覚えているから、あとで書き起こしておくとする。
でもあれは忘れちゃいけない、何よりも大事にしないといけないものだ。
そしてそれを、僕だけが知っている。
エミリアと僕だけの秘密は、沢山ある。エミリアの故郷のことも、歌のことも。
それら全てを、僕の記憶が無くなったままでももしかしたらエミリアは教えてくれていたかもしれない。
でもあのまま監禁を続けていたら、そんな日はやってこない。
良かった。記憶が戻って。
エミリアとの秘密は、エミリアが僕を信じてくれた証だから。絶対に忘れたくはない。
「……のあ…」
エミリアが僕の名前を呼びながら、僕に縋り付いてきた。その目はしっかり閉じられているし、規則正しい寝息も聞こえる。
寝言かな。寝ていても僕のことを考えてくれてるなんて、本当に可愛いな。
僕は寝ているエミリアのおでこにそっとキスをした。
もう絶対に忘れない。忘れても、思い出す。
でも今度は閉じ込めたりしないように、自分宛に手紙を残しておこう。今度なんて来て欲しくないけど。
もしもまた記憶を失っても、エミリアに恋するだろう。エミリアに恋して閉じ込めようとするだろう。
その時グレンがいなかったら、止めてくれる人がいない。きっとグレン以外からそう言われても納得しない。
だから記憶のない僕に向けて、閉じ込めたくなったらそれは恋だと、閉じ込めたらエミリアの心は手に入らないから絶対にダメだと記しておこう。
きっと僕は何度記憶を失っても、どれだけ昔の自分に戻っても、エミリアに会ったら彼女に恋をする。
本にあるような穏やかなものでなく、重く暗い恋心を持つ。
だからどう足掻いても僕からエミリアは逃げられないし、他の人がエミリアを奪うことも出来ない。
エミリアがもし僕を好きにならなくて、本気で逃げようとしても無駄だったんだろうなと思う。
今はこうしてエミリアが僕に捕まっててくれるから、意味の無い想定だけど。
でも今エミリアが僕から逃げようとしたら、エミリアのことを熟知してる僕は、今朝までの僕とは比べ物にならないくらい、あらゆる手を使ってエミリアを捕まえるだろう。
閉じ込めるかは分からない。逃げ出す気が収まらなければ、閉じ込めるかもしれない。
でもそんなことしたくないから、ずっと僕に捕まっててね。
「愛してるよ、エミリア」
補足です。
隣国の公爵子息は、ノアの大事なものが何かを知っていて術をかけたわけではありません。
大事なものを壊す、を解除の条件にしただけで、なにかは分かっていません。
ノアにかかった魔術は、ノアの脳内に入って記憶を奪い、その中から大事なものを見つけてそれを解除のトリガーにしました。
エミリアの名前の書いてある紙には魔術はかかっておらず、それを壊したとノアが認識したら魔術が解けるようになっていました。
分かりにくくてすいません。




