失くしたもの6 sideノアゼット
お昼の時間にエミリアの教室に顔を出すと、彼女は分かりやすく固まった。まさか僕が昼に来るとは思わなかったんだろう。とても驚いている。
僕だってやられっぱなしではいられないよ。
エミリアに近付こうとしたら、エミリアは近くにいた友人と目を見合わせると、僕に背中を向けて教室の窓から飛び出した。
……なるほどね?
追いかけっこしようっていうの?
この僕から、逃げられると思ってるの?
彼女が消えた窓を鋭く睨みつけ、すぐさまその後を追いかけた。
窓から出て、彼女が消えた方向へ歩く。
僕と彼女では足の速さが違うから、彼女が真っ直ぐ逃げるとは思えない。どこかに隠れて僕が通り過ぎるのを待つだろう。
そう思って周りを観察しながら歩くと、人の気配を感じた。
すぐそこの生垣の辺りからだ。
バレないと思ってるんだね。僕が人の気配に鋭いことは、エミリアも知らなかったのかな。
いくら殺気がなくたって、この距離じゃすぐ分かるのに。
思わず笑いそうになるのを耐えた。僕の部屋から逃げるのは得意なのに、こうして追いかけっこになると逃げるのは下手なんだなと思った。
彼女が息を潜めてる。僕が通り過ぎるのをじっと待ってるんだろう。
彼女を閉じ込めてる訳でもないのに、今この時彼女は僕のことしか頭にないのだと思うと悪くない気分だ。
こうして彼女が僕のことでいっぱいになるなら、外に出るのもやぶさかではないな。
彼女の前を足音を立てながらあえて通り過ぎ、ゆっくり足音を消していく。
少し距離をとって振り返り、彼女が出てくるのを待ってみた。
足音を消して2分ほどした後、彼女の気配が動いた。
ゆっくり起き上がった彼女は葉っぱまみれになっていて、立ち上がって辺りを確認し、僕の姿を見つけて驚く。
そしてすぐさま僕に背中を向けて走り出した。
「……ははっ」
耐えてた笑いが口から漏れた。
こんなに楽しい感情は久しぶりだ。人を追いかけるのがこんなにも楽しいなんて。
僕を見つけた時の彼女の顔。なんでここに、って顔をしてた。驚きと絶望の入り交じった顔をしていた。
目を大きく見開いて、僕の存在をその目に映した。
そういえばあまり彼女とじっと目を合わせたことは無かったな。部屋で過ごしてたあの時間も、彼女の目に僕が映っていたら、あんなに苛つくことはなかったのだろうか。
分からないけど、彼女を追いかけるのは思いのほか楽しかった。
彼女が僕に追いかけられてるその間は、彼女は僕のことだけを考えていて、僕の存在を探している。
そして同じく僕も彼女のことを考えていて、僕らの間に入り込む隙間はない。
彼女が誰かと話す時間もなく、誰かが寄ってくる暇もなく彼女は場所を移す。
彼女が人と関わることも無く、僕だけを頭にいれていることが、とても気分がいい。
「もう追いかけっこは終わり?諦めて捕まってくれる気になった?」
「い、嫌だ…!」
「ここからどうやって逃げるのかな?」
彼女を庭園の隅に追いつめた。彼女は壁の角に逃げていて、それに迫る僕から逃げることは出来ない。
楽しい追いかけっこだったけど、そう長くもやっていられない。彼女は昼もまだだろうし、僕もまだだ。それにそろそろ捕まえたい。
「追いかけっこをするのはいいけど、お昼もまだでしょ?お昼食べてからにしよう?」
「ど、何処で食べるつもりですか…」
「僕の部屋だよ?」
他のどこで食べるというの?僕の部屋でじゃなかったら、君はまた逃げるんでしょ?
そんなこと僕が許すと思う?
いい加減諦めた方がいいと思うのに、彼女の目にはまだ希望が宿っている。諦めるつもりはまだないみたいだ。
「まだ諦めないの?君じゃ僕から逃げるのは無理だよ」
「無理でも、でも…!」
「素直に従っておいた方がいいと思うけど。これ以上僕に反抗したって、君の待遇が悪くなるだけだよ」
本当に待遇を悪くするか分からないが、これくらい脅さないと彼女は屈しないだろう。
なのに何故か彼女の目には闘志の炎が燃えていた。
なんで?なんで今の脅迫でやる気になった?
なるほど、どうしても彼女は僕の言うことを聞きたくないらしい。
それなら多少強引にでも、捕まえるしかないか。
その時、少し離れたところから人が寄ってくる気配がした。
「こっち、こっちです!早く!!」
「わかったわかった。…お?」
女がこっちに向かって走ってきていて、その後ろからグレンも駆けてきた。
グレン、戻ってたの?
それはいいとして、なんでエミリアはグレンに対して縋るような目を向けるの?
さっきまで僕のことしか見てなかったくせに。
なりを潜めていた怒りが再び湧き上がるのを感じる。
グレン相手ですらそう感じるんだ、きっと彼女が誰と話しをしていても、僕はイラつくんだろう。
ならやっぱり、閉じ込めるしかないじゃないか。
「え、どういう状況?」
「ぐ、グレン様…。グレン様の手紙、もう遅かったかもしれないです、助けてください…」
「なんでグレンに助けを求めるの?」
エミリアが僕の前でグレンに助けを求めたことに激しく苛立ち、僕はエミリアに冷たい目を向けた。
夫の僕の前で他の男に助けを求めるなんて、どういうつもり?
それは不貞ともとられる発言だよ、分かってる?
グレンのことをそこまで信用してるというのも腹が立つ。
君が信用するのは僕だけでいいはずだ。
「あー…確かに遅かったみたいだ…。ノアゼット、とりあえず落ち着け」
「落ち着いてるよ。今すぐグレンに斬りかからないくらいには」
「うわっ、重症だな、これは」
グレンが近付いてきて、僕の隣に立つ。そして僕の肩に手を置く。
これだけ苛立った状態で、彼じゃなかったらその手をはたいて魔法で吹き飛ばしてるところだ。
「ノアゼット、俺の報告を先にさせてくれ。エミリアちゃんのことは後にしろ」
「……分かったよ。僕の部屋でいいね?エミリアももちろん、来るよね?」
エミリアに目を向けると、エミリアはびくっと体を震わせ、頷いた。
何はともあれ、彼女を僕の部屋に入れることが出来るならとりあえずいいだろう。
グレンとエミリアと共に僕の部屋に向かった。
そしてソファに座ると、何故かエミリアはグレンの隣に座った。
なんでグレンの隣に座るの?君は僕の妻でしょ?僕の隣に座るのが当たり前じゃないの?
直ぐにそれを指摘すると、グレンが笑いながら僕の隣に座った。
そうじゃないんだけど…、まぁ彼女の隣にグレンがいるよりはマシか。
「じゃあ報告するぞ。結果から言うと、ノアゼットに禁術を掛けたやつはすぐ見つかったし、話も聞くことが出来た。それで記憶を移した媒体のことも聞いた」
「ほ、本当ですか!」
どうやら僕の記憶を戻す手が見つかったようだ。エミリアの顔がパァっと明るくなる。
それが何だか気に食わないのはなんでだろう。
「その媒体なんだが、ノアゼットの1番大切なもの、らしい」
「…大切なもの?」
僕の大切なものに記憶が宿っているらしい。きっと術者はあえて壊しにくいものを媒体に選んだんだろう。
もしも違かったら、ただ大切なものを壊しただけになるから。
「それが嘘の可能性は?」
「ない、とは言いきれないが、ないだろう。奴に話を聞いた時、なんか妙だった。聞いてないことまでベラベラ喋るし、自分が話してることに驚いてる様子でもあった。……多分あれは神によるものだろうな」
グレンに嘘の可能性を聞くと、彼は首を振ってそう答える。彼の言葉に神の存在が出てきて一気に胡散臭さを感じる。
禁術とはいえ、神が介入することなんてあるのか?
「神はそこまでやるの?」
「エミリアのことならやるさ。前もそうだったからな」
聞くと、愛し子である彼女に関わることならやってくれるらしい。以前にもあったのなら、今回も神によるものだろう。
彼女がそこまで神に愛されてる理由は結局聞いてない。
彼女の出自も、彼女の秘密も。
「で、ノアゼット。心当たりあるか?」
「大切なもの?………心当たりはないね」
大切なものと聞いて思い浮かぶものはない。どれも消耗品だし、大事に使ってはいるけど、大切にしているものはない。
予想つく答えだったのか、グレンは直ぐに彼女に質問した。
「エミリアちゃんは?」
「誕生日にあげたマフラーとか、ですかね?あとはお揃いの結婚指輪?あとあげたものは…手紙とか?」
「まぁ確実にエミリアちゃん関連だろうな」
そうか、3年後の僕は彼女をそれはそれは愛していたらしいから、彼女から貰ったものという可能性は高い。グレンもそう読んでいたみたいだ。
マフラーはきっとタンスに丁寧に畳まれていた手編みのやつだろう。手紙は分からない。見つけていない。結婚指輪っていうのは、今左手に嵌ってるシルバーのものだろう。彼女の左手にも同じものがある。
それらを貰った記憶は生憎僕にはないけど、彼女から貰った物を壊すのに抵抗がある。
「じゃあそれで、ひとつずつ壊してみるけど、異論はないか?」
「はい」
「エミリア」
だからグレンに異論がないか聞かれて、僕はうんとは言えず彼女の名前を呼んだ。
「エミリアはやっぱり、僕の記憶が戻って欲しい?」
「え?……はい」
君から貰ったものを壊してまで、僕の記憶は大事?
「…そう。僕は別にこのままでも構わないんだけど、エミリアは3年前の僕じゃ夫婦にはなれない?」
「え?」
君のくれたものを壊すくらいならこのままでもいい。
あのマフラーを編むのに時間と手間をかけてくれただろう。手紙も見つけてはないけど、優しい彼女のことだからきっと色々考えて書いてくれたんだろう。
それにこの結婚指輪は、結婚の証なんでしょ?
それらを壊すのは、どうしても抵抗がある。
「僕は君に恋してるとは言えないけど、君と過ごすのは悪くないと思ってる。外に出ると心配だから閉じ込めたくはなるけど、君を傷つけるつもりはないんだよ」
「それは……分かってます」
僕が彼女に傷をつけるつもりが無いことは彼女も分かっていたみたいだ。だから脅しにも屈しなかったのかな。
「僕が君を愛せるかは分からないけど、多分愛せるような気がする。君には嫌悪感を抱かないし、抱くことも出来る。そう思えるのは君だけだから、きっと愛せると思う」
愛とか恋とか、僕には分からないけど、きっとそれを初めて感じるとしたら彼女にだと思う。こんなにも一緒にいることが出来るのは彼女だけだから。
僕の言葉に彼女は固まっていて、隣のグレンが苦笑した。
「ノアゼット、それが恋だ」
「……これが?…この気持ちが?」
恋?…これが?
こんなものが、恋と呼べるの?
「そうだ。それでエミリアちゃんが外に行ってイライラするのは、嫉妬だ」
「嫉妬……」
嫉妬、だったのか。あんなにイラついて周りに怒りを覚えていたのは、嫉妬だったのか?
そう言われると確かに、男といる時の方が怒りが強かった気がする。彼女が愛し子だから狙われやすいんだと思っていたが、それならグレンにもいらつく必要は無い。
僕にとってグレンは1番信用出来る男だ。
彼が僕の妻を奪うようなことは絶対に無いと分かってるのに。
嫉妬というなら、納得がいった。
彼女が他の人と話してるのが嫌なのも、僕じゃなくてグレンに助けを求めたのも。
恋だと言うのもストンと胸に落ちてきた。
好きだから、嫉妬したのか。好きだから、そばにいて欲しいのか。
自分以外を見て欲しくないのも、自分のことだけを考えていることに喜びを感じるのも、好きだから。
僕は、エミリアが好きなんだ。
「そう……。僕はエミリアに恋してたんだね。納得した。それなら愛するのもすぐだね。それでどう?エミリアは3年前の僕じゃ愛せない?」
愛せるかは分からないと言ったけど、好きだと自覚すると話は違う。
きっとすぐに愛する。今でさえこんなに気持ちが溢れているのだから。
エミリア、僕じゃだめかな。




