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私は逃げたい  作者: 兎のうさぎ
番外編
101/110

失くしたもの3 sideノアゼット

 

 妻と名乗るエミリアが、僕の部屋に来た。僕の部屋を訪ねたという事実が必要だからだ。

 僕の部屋に来て一体何をするのかと警戒したが、彼女は僕の部屋に来るなり勉強を始めた。


 僕とどうこうするつもりはないらしい。グレンの言う通りだ。



 気にせずに本を読んでいたが、どうしても自分の部屋に女性がいるのが気になってしまって、ちらちらと彼女の様子を伺った。

 彼女は僕のことを気にする様子はなく、ただ真面目な顔で計算問題を解いていた。


 平民の中では上位の成績だったし、きっと真面目なんだろう。


 そう思いながら彼女のノートを見ると、丁度今書いている式が間違えていた。


「そこ、違うよ」

「え?……あ、本当だ」


 ついつい口を出してしまった。

 彼女は間違いに気付いて書き直し、そして恐る恐る僕の顔色を伺ってきた。


「あの、これの解き方とか教えてくれたりします…?」


 やっぱり声をかけなければ良かったと後悔した。



 仕方なく彼女の分からないと言ったところの解き方を教えると、彼女は感心したように僕にお礼を言った。

 その顔に、僕へすり寄る様なものは見当たらない。僕の妻だと言う割には、僕に対して夫婦の雰囲気を出さない。


 だからか、僕も思ったより平然とした心でいることが出来た。

 彼女と話をしても、最初に感じた嫌悪感は少し薄れてるような気がした。



「君は神の愛し子で侯爵夫人なのに、まだ勉強をするの?」


 熱心に勉強する彼女を見て、つい聞いてしまった。


 卒業したら彼女は侯爵夫人で、神の愛し子。しかも夫はこの僕。必要最低限の知識はあるようだし、これ以上頑張る必要があるようにも見えない。


「折角学園に入ったんですし、出来ることはやろうと思っています。それに彼の隣に堂々と立ちたいので」

「神の愛し子なのに?」

「そう扱われるのはあまり好きじゃないので」


 苦笑いを返される。


 僕の隣に堂々と立ちたいと。神の愛し子としてでは無く、普通の人間として。

 その目にはしっかり愛情が宿ってはいたけど、思い馳せるように遠くを見ていた。


「君は僕のどこを好きになったの?」


 僕から好きになったとは聞いたが、彼女は婚約を嫌がっていたらしい。それを罠にはめて無理やり囲った僕を、どう好きになれたのか。

 確かに顔や地位には自信があるが、彼女はどうもそんなことを気にするようには見えない。


 グレンの話では中々僕は彼女に甘々だったらしいが、彼女はちゃんと自立してる心の持ち主だし、そんなものに絆されるようにも見えない。


「どこかと言われると答えられません。気がついたらもう好きだったので」


 彼女が微笑みながら僕に向けて答えてくれたものははっきりしないもので、その答えは未来の僕が彼女を好きになった理由と同じだった。




 その後は再び会話がなくなり、お互い好きに過ごした。彼女は変わらず勉強を続けていて、僕は本を読んだ。

 本の進みは遅かったけど仕方ない。僕は部屋に女性がいる感覚にまだ慣れそうにない。


 6時を知らせる鐘が鳴り、彼女は片付けの支度を始める。


「今日はこのくらいで帰ります。お邪魔しました」

「……うん、気をつけて」


 知り合いの家にお邪魔したかのように他人行儀に挨拶をする彼女に、僕は一応夫らしく心配の言葉をかけておいた。

 すると一瞬彼女の顔が輝いたように見えたけど、それは一瞬だった。


 そんな一言が、彼女を喜ばせたんだろうか。

 宝石でも花でもなく、そんな他愛のない一言を?


 少し不思議に思ってると、支度を終えた彼女がリビングのドアに手をかけて振り返る。


「あ、聞きたいことがあったんですけど」

「なに?」

「ノアゼット様の好きな食べ物ってなんですか?」

「…は?」


 何を聞かれるのかと思ったら、好きな食べ物。


「好きなお菓子でもいいですよ」

「……特にこれといったものはないよ」

「そうですか。じゃあお花は?好きな花ありますか?」

「……それも特に」

「そうですか……」


 やっぱりか、という顔をして彼女は沈んだ声になった。

 もしかしなくても、僕に何かくれようとしてるのだろうか。


 要らない。いくら妻でも、今の僕にとってはただの女性だ。女性からの贈り物なんて、出来れば受け取りたくない。


「じゃあ嫌いなものありますか?嫌いな食べ物、お花とか…」

「無いけど、何かくれようとしてる?要らないよ」

「そんな、夫なら妻からの贈り物は受け取ってくれないと。」


 拒否したが、彼女からそう言われると頷かざるをえない。

 彼女から拒否させないという意志も感じる。


「えぇ…。じゃあなんでもいいよ。でも言っておくけど、手作りは食べないからね」

「はい、勿論です。じゃあ、また明日」


 僕の返事に納得して、彼女は帰って行った。

 少し憂鬱な気分になりながら、僕は読みかけの本を読み進めた。




 それから僕は部屋に届いた夕飯を食べ、本を読んでから寝た。

 次の日も変わらない。部屋からなるべく出ず、本を読んだり僕の知らないノートを見たりして、3年後の僕がどういう考えを持っていたのか理解しようとした。


 記憶が戻る方法はあったものの、それが絶対ということは無い。もしかしたら、記憶が戻らないかもしれない。

 そうなったら、僕は愛してもない女性と結婚したままになる。彼女を愛してる振りを続けなければいけない。


 中々辛いことではあるが、離縁は出来ない。

 グレン曰く、彼女のことを守るために僕は国王陛下に勅令まで出させたそうだ。でもそれが出たからには離縁が出来なくなったと。



 それを聞いた時は引いた。未来の自分に。

 そこまでするかと思った。


 どうやらエミリアには、貴族に狙われるような特殊な力があるらしく、それを守るための措置だったらしい。

 だけどその力のことに関しては、グレンは何も教えてくれなかった。



 彼女は何者なんだろう。国王陛下に勅令を出させるほどの特殊な力を持って、神から祝福も受ける。どれだけ彼女を守る盾が要るんだ。


 普通に関わってるだけではただの女性だし、魔力も平均より高い程度。特殊な力と言っても見る限りは何も見つからない。

 狙う人がいるから僕は記憶が無いわけだし、特殊な力があるのは事実だろうけど。



 それらのことも含めて何か見つけられたらと、部屋にある書類やらノートやらを漁った。

 だけど肝心なことは何も無く、それどころか彼女の事が書かれた報告書がたくさん見付かって、やっぱり引いた。


 ストーカーじゃないか、これは?

 しかも複数人から。平民やら下位貴族やら、男女バラバラで。色んな方面からエミリアの事を報告させている。


 ……本当に、彼女はこんな僕のどこを好きになったんだろう…。




 昨日と同じ時間に僕の部屋を訪ねてきた彼女が僕にくれたのは、1輪の花と小さな焼き菓子。

 僕に拒否させずそれを渡してきて、昨日と同じようなことをして帰って行った。


 僕は花瓶なんて買った覚えはないけど、確かに部屋には花瓶があったので、彼女に貰った1輪を指し、目立たない窓際に置く。

 焼き菓子はクッキーが3枚入っていた。



 妻から夫への贈り物と聞いたから身構えていたが、拍子抜けした。

 花が1輪とお菓子が少しなんて。これは贈り物と言えるのか?それともあえて少なく渡して何か企んでいるのだろうか。


 とはいえ、花が沢山あってもうるさいし、お菓子が沢山あっても消費に困るから良かった。

 花は主張が激しくないもので、あまり気にならなさそうだし。

 それとも僕がそう思うことまで全部分かってのチョイスなのだろうか。




 次の日も、その次の日も、彼女は僕に少しの贈り物を渡してきた。

 そしてそれ以上の何かをすることも、何かを要求することも無く、静かに僕の部屋で過ごして帰っていく。


 意図が読めない。だけど彼女のくれるものはこの学園内には無いもので、確実に毎日放課後買いに行ってるのが分かる。


 神の愛し子が1人で出歩いてもいいのだろうか。

 誰かを連れて買いに行ってるのか聞くと、友人に付き合ってもらってるらしかった。

 仲のいい平民の女の友人と、伯爵令嬢の友人がいるらしい。

 平民の友人と行く時は、その女性の婚約者にも付いてきてもらってるらしい。


 なるほど、確かに平民と出かけるのであれば、男がいた方が安心ではある。

 安心を覚えた時に、何故安心なんかしたんだろう、とは思ったが、彼女に何かあったら僕の評判にも関わるし、僕が心配するのは当たり前のことだ。


 うん、だから安心したっておかしくない。



 彼女が自分の部屋に帰ろうとした時、ふとここは男子寮であることに気が付いた。

 彼女は男子寮のしかも貴族用の寮で、1人で出歩いて大丈夫なのだろうか。


 そう聞くと、彼女は大丈夫です、と言って微笑む。


「グレン様が事情を知る人を手配してくれて、その人に平民の女子寮まで送って貰ってます」


 なるほど、グレンが手配していたのか。

 それなら安心は出来るけど、なんだろう、少し感じるこの不快な気持ちは。




 彼女が僕の部屋から出て、僕は玄関のドアから外へ耳をすませた。


「毎回ありがとうございます」

「いえいえ、これくらいどうって事ないですよ」


 遠ざかる足音と会話。

 聞こえた男の声は、確かにグレンの腹心の男だった。伯爵子息の男。彼なら腕もたつし彼女の護衛として最適だろう。


 それでも腑に落ちない気持ちになるのはなんでだろうか。





「君は、僕がこのまま記憶が戻らない可能性を考えてる?」


 これを聞くのは躊躇われたが、聞くべきだと思った。

 傷つけてしまいそうな気はしたが、大事な話だ。


 彼女は読んでいた本から頭を上げて僕を見て、そして少し目線を下げて頷く。


 やっぱり、彼女も馬鹿じゃない。記憶が戻るのが、絶対じゃないと分かってる。


「そうなったら君は、君を好きじゃない男と夫婦になるわけだけど、そこはどうなの?」

「そうですね…。どうしてもノアゼット様が私を無理だと言うなら、形だけの結婚で諦めますが、少しでも他の女性よりも嫌悪感が薄れているなら、頑張ります」


 頑張る?と僕が聞くと、彼女は頷いた。


「はい。好きになって貰えるように、頑張ります」


 にこりと、意思の強い光がその目に宿っていた。


「……そんなに簡単に、未来の僕を諦められるの?」

「いえ、きっと凄く辛いとは思いますが、ノアゼット様の根本は変わりませんから。私は多分今のノアゼット様を好きになると思うので」


 彼女がサラリと言ってることが、軽い気持ちじゃないことは伝わっている。重みがある。そして希望を失ってない。


 僕を好きになると言った。

 僕はどうだろうか。もしこのまま記憶が戻らなくて彼女と夫婦をやることになって、彼女を好きになれるのだろうか。



 僕に好きになってもらうと。本当にそんなこと出来るのか。

 僕に好きになってもらいたいと色々してきた女達を見てきた。その全てに嫌悪感しか抱かなかったのに、彼女はそんなことが出来るのか?


 でもそれを示すかのように、確かに当初に比べて嫌悪感は薄れた。

 ここ3日ほど同じ部屋で1時間だけ過ごしただけでも、彼女が僕の部屋にいることに慣れてきた。


 恐ろしい。彼女の思うつぼになりそうで。


 でも、記憶が戻らないなら、僕も好きになる努力をするべきなんだろうか。

 歩み寄るべきなんだろうか。



 そう思って、彼女を知ることから始めてみる事にした。


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