005 ルッキズムの正当性について再考してみる
北の宗教都市ア・バシリー。
夢幻郷の宗教皇帝が住む都市である。
南から魔族が攻め入ってきたとき、南の地で応対した防衛軍にも犬好きの聖犬使が現れ、人間の国からも邪悪な犬ギライを一掃するという条件で、防衛軍と魔族は和睦した。
それに怒った宗教皇帝が聖剣士を繰り出したが、魔力を使うとほとんど回復しない聖剣士は、魔力も金もアイテムも経験値藻でも無節操かつ無尽蔵な供給される魔犬使の相手にならなかった。
現地軍が独立して将軍が国王の位を宗教皇帝をうけたことでエリア王国は成立している。
そのエリア王国の建国戦争によって、宗教皇帝の側も遅ればせながら「時代は犬」と認め、魔力の供給のために修道院と孤児院を大量に建造した。
修道士と修道女は各地をまわり、犬ギライを見つけて痛めつけた。
すると、魔力も金もアイテムも天から直接に供給されることになった(9612企画のゲーム世界ぱどこまでも犬の味方なのだ・・・)
あからさまな奇跡。
孤児院は身寄りのない子どもを引き取るといっても、犬ギライを見つければ、「死んでも問題なし」と体罰をくわえた。
名目は子どもの改心である。
実を言えば、別にターゲットが改心してくれなくてもOK。
犬ギライを虐げれば、体力も魔力も経験値も武器もアイテムも何でも天からの褒賞として0.5秒で与えられるのだから。
ターゲットの前世が犬イジメの悪党の転生者ならば、ひと財産をきずきあげられる。
* *
4625 企画の乙女ゲーム【ムゲンキョー】にはマーサという修道女が登場する。
マーサは、自分の容姿についての醜形コンプレックスを魔族につけこまれる。
結果として、【華納と耳の大きい悪意に満ちた毛むくじゃらの巨人】と説明されるトロールのような怪物に変貌する。
悲惨な運命。
ヒロインやその攻略対象たちにマーサは退治されることになる。
9612 企画の設定したこの世界で、マーサにとって救いはあった。
マーサは、犬イジメ転生者を再生しなくなるまでネチネチいたぶりまわし、魔族と無関係に肉体改造魔法と変身魔法を入手した。
ルッキズムの呪縛からの解放。
自分の生活を中心に考えたマーサは、必要な時だけ変身魔法で妙齢の美女の姿になった。
通常形態はトロールっぽい姿になるように肉体改造魔法を使用した。
人間が大型肉食猛獣に進化した場合のモンスター。
それが町中を巡回して犬ギライはの悪党を捕らえて痛めつける業務に優位だったからである。
「犬イジメをする悪い奴はいねえか?」
正義の修道女。
犬ギライをいたぶれば、体力も魔力も経験値も武器もアイテムも何でも天からの褒賞として0.5秒で与えられるというのが9612企画の設定だった。
たとえ他のジョブであっても悪質な犬ギライを発見すれば人生一発逆転のチャンスはある。
しかし、教会の権威を利用して他人の中にまで強引に押しこむことができるというのは、犬ギライを発見するために有効だった。
冒険者といった他のジョブにはない修道女のジョブのを選択する利点。
犬ギライがいれば、もしくは、彼女に反発して本当に犬ギライが発生してくれれば、マーサにとってしめたものだった。
「そのダンスは?」
「明るく陽気な俺は身体障碍者のことを馬鹿にする民族舞踏を踊っていただけだぞ」
「犬イジメ文化に浸った転生者の疑いあり」
「差別、ヘイト」
「おぼえておけ、犬は大切」
「俺はコミュニケーション強者なんだ。ワルい人とは、だいたい友達」
「ならば、こちらは【正義の修道女】だから貴様の友達ではない」
「何が【正義】だ? 俺に暴力をふるったら俺の友達が黙っていない」
「ややこしいことを言われても知らんがな。もしかして、貴様は自分がメチャ賢いつもりか? ワシのことをアホや思うてナメとんのか? 殺すゾ、ごるぁ! おや・・・? 今、貴様を軽くはたいたらMPが少し回復したぞ。貴様を処分することは天も認める正しい行いだな。貴様、犬ギライだな、犬ギライ。そうに違いあるまい? ヒャッホー♪ 今日はラッキ―デイ(大歓喜)」
「・・・許して・・・殺さないで・・・」
「ホームランで葬らん」
マーサは、特注の巨大な戦棒〈メイス〉をふるって、ターゲットの頭を叩き壊し、スプラッタ場面を演出する。
気が向けば美女の姿にも変身するとこともあるマーサにとって、変身魔法(時間制限あり)のためのMP補給は欠かせなかった。
個人的事情もあって、マーサは仕事熱心だった。
* *
メラビアンの法則。
人は見た目が九割という。
ぱっと見た感じの判断が否定されれば多くの人は自分の外部的な判断について自信を失い、続いて、自分が自分であるという自分の内面の判断についての自信を失ってしまう。
ルッキズムを否定されて、自信を失わないのは、最初から目が見えない人か、だましあいが当然すぎて自分の判断の事後検討を習慣的にやる人ぐらいではないか?
自分のことを無力と責める鬱病。
外部に万能の巨悪の悪意を想定する躁病。
自分の中の他人がやったことと規定する多重性人格。
現実感を消失する離人症。
最後には、自分が何者かも不明な自己同一性の融解にまで至ることになる。、
人間が大型肉食猛獣に進化した場合の想像図のような生物が、【正義の修道女】という設定で、白昼堂々と町中を徘徊した。
ひとを見た目だけで相手を判断するというルッキズムが差別と非難される状況で、多くの人々(特に前世で犬イジメをしていた邪悪)は恐怖して不安で精神的健康を損なった。
━━社会秩序の維持の観点からすれば、ルッキズムの全面否定は問題がある。細かくTPOに応じてルッキズムの利害得失を論じあげた上で、最終的な規定については、【対立する政党】ではなく【対話する政党】によって構成された議会が模範的な議論を行って、困民的魔論を活性化して、一般意思を形成して定めるというのが社会正義に沿うのではないのか?━━
マーサという一人の修道女の存在はルッキズムの正当性についての再考の契機となった。