044 気が向いたので少し立憲主義の話をしよう
事件も事故も多い。
ヒーナック・ゲッカーも含めて、混沌に耐性のある者が集まる。
悪いところをあげていけば、解放区はろくでもない地域である。
しかし、足を踏み入れようとする者は多い。
解放区の外に広がるのは、生まれてから死ぬまでの軌跡があらかじめ見えてしまう気がする他人の作り上げた計画主義。
いわゆる【終わりなき週末】と か【大きな物語の消えた世界】とか、何も変わらないという安心の幻想。
あくまでも幻想にすぎない。
そういう幻想がヒトの心の安定に必要なことも確かだ。
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気が向いたので少し立憲主義の話をしよう。
まず、立憲主義の話をする時には、「正しい法の下で国民は精神の平穏を得るべきだ」というドイツ国法学的な立憲主義なのか、「国民に精神の平穏を与えるものが正しい法だ」というモンテスキュー的な立憲主義なのか、そのあたりから話をしてもらわないと始末に困る。
正しい法をつくるために関係者の同意は必要か?
デュー・プロセス。
法哲学で言えば、ファンダメンタリズムとアンチ・ファンダメンタリズムとの対立よ。
ところで、芦部の岩波憲法はシュミット『憲法学』の市民的法治国家の部分にそっくりである。
シュミット『憲法学』を翻訳したのは芦部の師匠である宮沢だが、せ芦部も下訳に加わったことが原因とみられる。
英米法の憲法をドイツ系の公法学者が輸入しようとしたために混乱が生じた。
何せ、第二次世界大戦後の日本の公法学は高校生レベルの一般意思の問題をほとんど説かない。
国民の意思を統合するための対話の断念。
日本の公法学の『法の支配』の概念がガラパゴス的オリジナルになっていることをやむえないとする公法学者の話が佐藤幸治の著作にもある。
日本のインテリに科学主義がないと丸山真男が『日本の思想』で嘆いたことも根は同じであろう。
多様性を言うばかりの多数決の絶対。
間接民主主義は直接民主主義の代替と 言ってはばからない奇矯さ。
反対者の言い分をきかずセンメツばかり口にする者つ代に居場所はない。
民心の安定(政治的自由)を目指すモンテスキュー的な立憲主義は、フランス革命の狂乱を反省して、理性万能の姿勢を脱却し、権力のパワーバランスのみを謳うドイツ国法学的な立憲主義も生まれた(立憲主義については関西憲法学会会長の長谷川史明『憲法学における立憲主義理解について』(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001206121773952)などを読むとよい)。
前者では「権利が認められるまでどの程度まで統合した人格personであることが求められる?」という精神医学的な疑問が生じるであろう(近代において、文明国・未開国の区別があったというのは当然である)。
後者では「なぜ他者の言うことに何の同意もなく従わなければならないのか?」という主権論的な疑問が避けられない。
対話をできる知性の乏しい者には人権を認めないという前者の理性万能主義の考え方は、理由を言語で説明できない差別を攻撃した。
もっとも理由が後で言語化されるというようなこともあったりするので、相当の注意が必要である。
そして、対話ができる者が状況に応じてカタチを考えるという近代も一つのカタチにすぎない。
その注意もわからない者は歴史からも経験からも何も学んでいない。
もちろん、異質や未知の他者との対話を推奨する近代を全否定することは早計ではないか?(犬のように臭いで相手の心がダイレクトにわかるのではないのに)。
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この世界の貴族主義的な王立学校は、異界からの転生者の影響はあったものの、原則として、カタチの重視に傾いた。
決まったカタチは安心感をもたらすと同時に閉塞感をもたらした。
王立学校の生徒たちの中には、学校の規則で禁止されているのにかかわらず、解放区に足を運ぶ生徒たちがいた。
校則破りの生徒が解放区で酷い目にあうだけならば学校側にとって話は簡単だっただが、中には聖犬使になって一足飛ばしに社会階級を問答無用に上昇させる者も顕れた。
それが混乱に拍車をかけた。
事件や事故は全て自己責任といった混乱の中でスクールカーストやヒエラルキーに不満を持つ王立学園の生徒たちは、解放区に足を踏み入れた。