004 第一部のラスボスにあたる敵を自主制作してしまっていた
コーキ王子と婚約する当日にゲッカー公爵の家の令嬢カオリは「犬よりも猫」という(この世界で)キチガイじみたタワゴトを口にした。
制裁としてコーキ王子は彼女の頭を蹴り飛ばし、カオリは一撃ノックアウトされた。
犬を侮辱するという不祥事を起こしたことで、ゲッカー公爵家はカオリを勘当して、北のア・バシリーの地の修道院運営の孤児院に送ることを決めた。
コーキ王子と婚約前にカオリは追放。
「あんたなんて、もう、うちの子じゃありません!」
ゲッカー侯爵家の苛烈な措置に一番に喜んだのは、ヒーナック・ゲッカーである。
ヒーナックはカオリの実の弟ではない。
血筋から言えば、従弟。
ヒーナックの父はゲッカー公爵の弟で爵位を逃して、一発逆転の聖犬使を目指して冒険者になった。
しかし、冒険者の業界も甘いものではなく、父は行方不明になった
そして、ヒーナックはゲッカー公爵家の養子に引き取られた。
そこから岳南の道。
ヒーナックはカオリの下に弟として入った。
カオリは将来に悪役令嬢になりそうな鬼姉だった。
年下の弟妹としての悲哀をトラウマになりそうなぐらい、ヒーナックは味わった。
しかし、いかなる天の配剤か。
ヒーナック視点では全ての悪の元凶だった姉のカオリはゲッカー公爵家を叩き出された。
心の底からヒーナックは喜んだ。
* *
誰にも聞かれないように自分の部屋で一人になった時にシメシメと両手をこすりあわせた。
大笑い。
「これ、『お姉さまがいけないのだよ』とかボクが言ったら、あのひと、『はかったな、ヒーナック』とか言うかな?」
本当はカオリを救うチャンスはヒーナックにあった。
前世の記憶を取り戻して混乱しているカオリに向かって一言「この世界では犬の悪口は絶対禁止」と注意するだけでよかった。
しかし、ヒーナックは華麗にスルー。
むしろ「正直は最大の美徳」などと吉にすることで、カオリの失言を誘った。
「法の公平の理念の下、この国の過失の基準は一般人です。
┅┅一般人は気づかない。気づいても防ぎきれない。ただ、一般論を口にしただけ。
そういう主張が通るときには、いかなる結果が生じても、過失犯が成立するということは現在実務でこの国の法理論上にありえないのです」
ひとしきり笑ったあと、ふとヒーナックは考えた。
「統一の義務教育、文化の統合って法いうカタチは大切だね?
ある程度は。
一般人のレベルが下がって、過失の作為義務のハードルが下がっていったら、過失の基準が一般人のままならば、ボクみたいなタイプのやりたい放題。
過失の基準が行為者本人になったり、拷問や自白強制が推奨されるようになってもボクは驚かない。
それとも英米法みたいに、故意の立証義務を被疑者に完全に押しつけてしまうか?
暗黒の中世とか安易に口走る人もいるけど、当時の社会状況においては、中世法は近代法よりも社会維持の目的のためにフィットしていたのではなかろうか?
時流、民度、TPOに応じた法制度を提案せず、進歩主義を主張するような人は、愚物です。自分が絵を描く紙の状態も確認せず絵を描き出そうとするようなおっちょこちょいダ」
まだ幼い子どもとは思えない衒学的考察。
実はヒーナック・ゲッカーはカオリよりも早く前世の記憶を取り戻していた。
彼の前世にの書体にすでにお気づきの人のために方もおられるかもしれないが、気づいていない人たちのために今は伏せておこう。
ヒーナックも前世では【夢幻郷と君の微笑み】という乙女ゲームのプレイ経験があった。
「聖女とコーク王子が結ばれる正規ルートなら、ボクはお姉さまの聖女に対する妨害工作を手伝わされたのがバレて追放エンド。
聖女が他の攻略対象と結ばれるルートでも。あの人は何だだかんだでコーキ王子さまから婚約を破棄されて、最終的にあのひととの結婚はボクにしつけられることになる。地獄ダ・・・ 冗談じゃない! イジメだ。いったい何の罰ゲームなわけ?
唯一のボクの生存ルートはボクが聖女に結ばれるルートだけ。
でも、競争が激しそうだし、せっかく男の子に転生したのに、好きな女の子を自由に選べず、恋してもいい相手が聖女一択というのでは、あまりにも切ない。
ろくでもない展開に入る前に話の筋を曲げる機会があれば、それはヒナくんだって機会を逃すわけにはいかなかったのですから。
さよなら、お姉さま、ボクのことは忘れてくださいね。もう二度とこちらはお会いしたくありませんから」
* *
前世のヒーナックは、女子校生だった。
特定のグループに属することなく人間関係をうまくつかんで受け身一方ではなく情報操作して自分は絶対に悪くないと言うカタチで誰にも気づかれないままま自分にとって都合のよい状況をつくりあげる。
校内では、
━━人が良くて何でもできるうからみんなして頼っちゃう可愛くて優しいお姉さんキャラで下級生にも人気の完璧委員長━━
といった【いいひと】判定の評価を受けていた。
巧思の一言では片づけられない。
陰然と画策して致さざるをなし。
化生じみている。
そういうイキモノが転生してきて自分の弟になった時、何も知らないカオリは姉の権威をふりかざして好き勝手なことをしまくったのである。
カオリや周囲の大人は小さな子供同士のイジリと安易に受け止めていた。
しかし、ヒーナックはそれを弟イジメと感じ、心の中でカオリのことを【ワンチャンスあれば処分】の箱に分類していた。
この作品のヒロインにあたるカオリ・ゲッカーは、誰にも頼まれていないのに第一部のラスボスにあたる敵を自主制作してしまっていた。