026 犬の素晴らしさを知る者は学園でも歓迎される
一、法有我無。
正しい法を演繹法的に深く突き進むべし。
わかっていると思うことは心の安らぎにつながる。
カタチに守られて生きることこそ心は安らぐ。
しかし、一つのカタチこだわれば見落とすものも多いと気づいてしまう。
その行き着く先として、わからないものに怯えてしまう。
一つのカタチで深いだけでは、相手の不意を突けることのある反面、通用しないということも相当にある。
一、法我倶有。
広くならなければならない。
アブダクションで多くのカタチを修めればよいのではないかという考え方もありうる。
しかし、多くのカタチを認めれば、どれがよいのか、混乱してしまう。
一、法無去来。
状況は刻々と変わっていく。
一、現通仮実。
その時々の状況に応じたカタチを探すべきではないか?
一、俗妄真実。
多くのカタチは間違っている。
しかし、意識的に答えを探そうとするという点は共通しているではないか?
一、諸法但名。
正しいカタチを求めようという意識の中心となるのが自我である。
天上天下唯我独尊。
帰納法的に多くのカタチを統合しようとする自我を持てばよいのではないか?
ここまでは小乗仏教の話であり、以下は大乗仏教の話。
一、一切皆空。
もともと、一切法皆空と言ったらしい。
世に人は多い。
心の中にバラバラだ。
全てを規律することのできるカタチはないのではないかという疑問が湧いてくる。
一、真実不空。
いかなる時もいかなる者にとっても、たとえ無我の境地に至っても、正しいということはある。
たとえば右と左という概念を認めれば一方と他方という概念を認めたことになる。
当然すぎて絶対に正しいことは世にわずかながら存在しているのかもしれない。
一、相想倶絶。
もしも絶対に正しいものがあれば、その現象の相も、また認識する心想も、感じることも論じることもできないだろう。
あたりまえすぎることは意識にのぼらない。
一、円明具徳
いかなる意図であれ、それによって、絶対に正しい結果につながっていくということは、━━決してアリストテレス流の正義ではないにしても━━徳である。
仏教は功利主義に向かうのか?
正義が消えれば多くのものは滅びるのではないか?
利他的遺伝子が乏しい群れは群淘汰されていくのではないか?
無。
まだ起きていない未来のことは是も非もなく不知。
人humanは感じるまま生きる。
不完全な人間personの目からみた正義と完全な神の目から見た正義は異なる。
演繹法・アブダクション・帰納法。
深くなり、広くなり、一つにまとまる。
カタチを守ることも破ることも新しいカタチを目指すことも一長一短。
選ぶことも選ばないことも結果につながる。
正しい結果は不知。 。
できることは、目の前にある現実に対して真摯にあがくのみ。
* *
クロ・アシオトネは、中肉中背の熟年の男だ。
エリア王国の聖犬使である。
王立学園のトップであり校長をつとめている。
ターボという名の黒柴犬をなぜる作業に忙しいためにあまり、ほとんど学園の仕事をしない。
やむえない。
それほどターボという英雄黒犬は素晴らしかった。
クロは十宗の教えについて考えながら犬をなぜていた。
知のかたまり。
ごろごろわんわん
黒い毛皮なぜ放題。
むくむくずっしり。
香りで相手の心がわかるという不思議な生き物。
ホモサピエンスに論理と他者との協調の重要性を知らせ、ネアンデタールを上回る契機をつくった生き物は、犬である。
中でも英雄黒犬は飛びぬけて素晴らしかった。
ある伝説によると、創造神が自分の限界に挑戦してみようと英雄黒犬を作り上げたが、あまりにもの素晴らしさに、創造神は自分の才能に恐怖して、休息の眠りについたという。
この世界に神はいないのではないかと思うのならば、髪は休息中と割り切るべきだとも伝えられる。
限りなく立派な黒犬をベッドの中で抱きしめながら、クロは思った。
「もうすぐ、ゲッカー公爵家から転入生が来るのか・・・」
ゲッカー公爵家は、エリア王国において、最上級の貴族である。
何でも、前世において、その娘のカオリの祖母は猫を飼っており、その影響で「犬よりも猫」という暴言をコーキ王子の前で吐いてしまい、北のア・バシリ―の修道院に投げ入れられたと言う。
ところが、その猫は前世においてご近所の犬とも親しくしていて、カオリはその縁を通じてエルサスという犬ともフレンドリーな関係を結んでいた。
「犬が認めたというのであれば、私たちも認めなければならないだろう」
何度も繰り返すが、この世界は【犬=絶対正義】の法則が支配している。




