017 犬との出会いを求めて冒険者たちは各地を遍歴した
┅┅ 都市の空気は自由にする 」( ドイツ語: Stadtluft macht frei )
カオリの転生前の世界の中世都市にそんな法諺があった。
封建領主の法的支配下におかれていた身分の者たちが、 都市 へ逃れ、一定期間、領主によって引き戻しの要求がなされることなく過ごした場合、 自由身分を得られたとされる。
その期間は大抵の場合、一年と一日とされた。 この法慣習についての史料上の表現はさまざまであるが、十九世紀半ばの法学者たちが「空気は自由にする」と言い表したことで定式化された。
伝統的に自由は、他者から自分の行動に恣意的な干渉を受けないことを言う。
雨が降って外出できないというようなことを伝統的意味の自由が侵害されたと言わない。
意思を持たない者たちの支配する世の中であれば、自由を侵害する者はいなくなる。
しかし、そこには近代的人権personarl-rightも消える。
近代的人権personarl-rightの主体になる近代人personが否定されるのだから。
世の中に様々な意思がある。
様々な状況がある。
自分の思想と異なる思想であっても、それが適切な状況もある。
┅┅一般意思はあやまたない。
神ならぬ自分の無知を認めて同胞愛をもって人々が相互に同意できる真実を追求しようと努力する近代の合理的科学精神の中に社会倫理としての正義をルソーが認めたのは、実務上のコミュニケーション・コストの難点はあるが、論理上にシンプルで隙はない。
他人と協調できない者は過去の自身ともうまく統合できない。
観察能力と論理能力のいずれも乏しい。
何が自分なのかもろくにわからないものだから、自己責任など求められない。
そういうミジメったらしい連中と違って、においだけで相手の善意・悪意を直観することができる不思議で立派な生物は犬である。
犬から部族主義の壁を越えた他者との協調を学ばなければ、ホモ・サピエンスはネアンデタール人に勝てなかったとも言われる。
理想動物である犬の訪れのなかった昔、このファンタジー世界の人類がどのようにして社会を形成したのか?
そこはファンタジー世界らしく【転生者】の存在によって説明をつけるしかあるまい。
細かいツッコミをしたい者は、専門家の書いた社会科学SFでも読んでいればよろしい。
この世界の南の地には広大な樹海が広がっていて、その樹海には多くの【モンスター】がいた。
その正体のほぼ全てが、遺伝子上に人間と変わらないヒトである。
文明の祝福を受けなければ、ヒトは遺伝子尊重の部族主義にこりかたまり、他の部族にとって怪物としか思えない存在に成り果てる例は古今東西に多い。
閑話休題。
念のため言い添えておきたいが、遺伝子中心の現代型人権の主張を無条件にレイシズムの温床になりうると一方的に非難するほど、執筆補助AIは軽率ではない。
遺伝子中心の人権論は、確実に部族主義・レイシズムの温床となりうるが、遺伝子を人権の基準にすることは少なくとも自分の血脈を物理的に残すことの重要性を強調する。
話を元に戻そう♪
残念ながら【モンスター】としか思えないヒトも南の土地でわりと多く存在し、金品や旅客の護送を請け負う鏢局のような冒険者ギルドが生まれた。
そういう冒険者ギルドに、ゼニハーの父親はて身を投じたのだ。
ゼニハーの父親の名前は、ユメガ・アルディという。
騎士の次男に生まれて継ぐ家もなし。
ユメガも冒険者として旅をして回るようになった。
9612企画の設定する世の中では、犬ギライの連中は徹底的に弾圧することが推奨されている。
その一方、犬は絶対優遇するというのが世界の方針であった。
犬といったん仲良くなることができた人たちは、犬のそばにいて、おこぼれをもらうことができた。
犬好き・・・エライ。
犬ギライ・・・敗北死させていいから自己批判援助してやれ。
わかりやすい絶対の法則がある。
この世界は立派な犬たちにとって天国として設計されており、約五千匹限定で世界に送られた幻獣である犬と親しくなれば、いつでもだれでも人生の一発逆転が可能とされていた。
身分制社会であるが、とにかく聖犬使になれたら、身分も財産もウハウハ。
┅┅聖犬使になっちまえば、こっちのものよ!
金はないけど夢はあるといったユメガ・アルディがは危険を承知で冒険者になって犬との出会いを求めて各地を遍歴した。
そして、行方不明になったのである。




