涙
リーサは誰にも見つからないように荷物をまとめて王宮を出た。ここにはもう戻らないと決意すると何もかもが懐かしく感じた。走り回った王宮の廊下や庭、共に働いた仲間のこと、レイダ公爵をはじめとする重臣の方々、そして愛する王様・・・彼女はすべてを捨てなければならないのだ。
(さようなら!)
涙が目からこぼれそうだった。だがリーサは何とかこらえた。すべては愛する王様のため・・・こんなことで泣いてはいけないと・・・。
(お幸せに・・・)
リーサは門の外から王宮に向かって大きく一礼した。
リーサは家に帰ってきた。家と言っても村にあった家ではない。ガンジが執行官になり、王都に屋敷を与えられて居を移したのだ。
リーサは玄関前で深呼吸してからドアを開けた。
「ただいま!」
すると母のソリアが奥から出てきた。
「リーサ! こんな時間にどうしたのです?」
ソリアはとても驚いていた。リーサは心配させまいとわざと笑顔で答えた。
「帰ってきてしまいました」
「たまの休みにしか帰ってこないのに、こんな昼間に帰ってくるなんて・・・。王宮のお務めはどうしたのです?」
「お暇をいただいて来ました」
「えっ! いきなり急に・・・何かあったのですか?」
「学問をするためゼロクロスの学校に入ろうと思います」
「リーサが? 一体どうして?」
ソリアには訳が分からなかった。ただ娘の様子がいつもと違うことはわかる。きっと王宮で何かがあったとソリアは感じていた。
「ただそう思い立っただけです。明朝すぐにゼロクロスに立ちます。しばらくは帰って来ないと思います」
リーサからはその理由が聞けなかった。そのただならぬ様子、そしてすぐに遠くに行ってしまうと・・・ソリアはとても心配だった。だが無理に聞いても言わないだろう。だから王宮勤めから帰ってくる夫に相談することにした。夫なら何か知っているだろうと・・・。
夜遅くなってやっとガンジが帰ってきた。ソリアは早速、リーサのことをガンジに相談した。
「リーサが昼間に帰ってきたのです。王宮でお暇をいただいたとか・・・。それにすぐにゼロクロスに勉学のために旅立つと言います。あまりにもおかしすぎます」
「そうか・・・気になることは確かにあった。お前には話していなかったが王宮で様々なことがあったのだ」
「お役目のことですから詳しくは聞きません。でもリーサの様子がいつもと違います・・・」
「わかった。私が聞いてみよう」
ガンジはリーサの部屋に行った。リーサは黙々と荷造りをしていた。
「リーサ。少しよいか」
「はい」
リーサは手を止めた。
「母から聞いた。すぐにゼロクロスに立つそうだな」
「はい。学問をするために」
ガンジにはすぐにわかった。リーサが自分を押し殺して無理にそう言っていることが・・・
「王宮でのことはすべて知っている。学問のためではない。この地を離れたいのだろう。王様のそばから」
それを聞いてリーサは王様のことを思い出し、悲しくなって顔を曇らせた。
「いえ、違います・・・」
「もうわかっているのだ。お前の心が・・・。もう無理をせずともよい。私はただ見ているだけだった。お前がこのまま妃になるかと。王様のもとで幸せになるのかと・・・。だがそれができぬことがお前にわかったのだろう」
リーサはそれを聞いてずっとこらえていた涙が目から落ちた。
「父上・・・私は・・・」
「もう我慢せずともよい。泣くがいい。そうすれば心の痛みも少しは和らぐ。お前は誰にもそのつらい胸の内を話せなかったのだろう。ここでは誰も見ておらぬ。思いっきり泣くがいい」
ガンジがそう言うとリーサは堰を切ったようにむせび泣いた。あの苦しい朝駆けの特訓でも涙一つ流さなかった娘が・・・。ガンジはそのリーサの頭をそっと撫でた。
「いつかは忘れよう・・・。私はお前に何もしてやれぬ。この不甲斐ない父を許せ」
ガンジはそう言ってリーサの部屋を出た。ソリアが心配してそばに来たが、ガンジは首を横に振った。このまま一人にしてやれと。部屋からはいつまでもリーサの泣く声が聞こえていた。
翌朝、リーサはすっきりした顔をしていた。一晩中泣き明かしたので瞼は腫れていたが・・・。ソリアが心配して声をかけた。
「リーサ」
「もう大丈夫。元気になりました。この分ではゼロクロスまで走っていけそうです!」
リーサは笑顔で言った。ガンジはもう何も言わずに見ているだけだった。
「それでは行ってきます!」
リーサは元気な声を上げると、荷物を担いで玄関から飛び出して行った。その姿はかつての遠くの学校に通ったときの様でもあった。それを心配そうに見守るソリアにガンジが言った。
「大丈夫だ。リーサは私たちの子だ。きっと強く生きていく」
そのガンジもずっとリーサの後ろ姿を見送っていた。
街道はまっすぐにゼロクロスまで伸びている。空は明るく晴れ渡り、雲一つない。その中をリーサは新たな目標に向かって一歩々々歩き出した。




