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開始

 王宮ではアデン王が窓から町はずれにある教会の方を見ていた。日が昇る前の夜の暗がりに、教会のかがり火がポツンと見える。


「いよいよだな」

「はい。もう夜明けでございます」


 横にひかえるドラス大臣が答えた。朝駆けは日の出とともに始まる。やがて東の空が白んできた。


「王様。そろそろ」


 ドラス大臣が促した。アデン王はうなずいて周りの者に告げた。


「朝駆けを始めよ。合図を送れ!」

「はっ!」


 周囲の家来が動いた。「カーン! カーン! カーン!」と鐘を大きく鳴らし、合図の明かりを燃やした。いよいよ朝駆けの始まりである。



 教会では甲冑を着たリーサが出発の時を待っていた。周囲には多くの騎士が並んでおり、甲冑の擦れ合う「カチャカチャ」とした音が聞こえてくる。そして周囲の熱気も甲冑を通して感じられる。その雰囲気が彼女を圧倒していた。

 甲冑に閉じ込められた暗い中で彼女は不安感を覚え、極度の緊張感に襲われていた。そしてそのためか、したたり落ちるほど汗をかき、足も震え出した。このままでは走れない。彼女は目を閉じて祈った。


(神様。どうか私に力をお与えください。私は走ります。父のため、この国のため・・・そして私自身のために・・・)


 そうすることでやっと周囲からの重圧をはねのけ、心を圧迫する不安を押さえられた。後は走りに集中するのみ・・・そう思うとようやく足の震えも収まった。


 やがて王宮の鐘が鳴り響くのが教会にも聞こえ、王宮の合図の明かりも見えた。


「皆の者! 王宮へ駆けよ!」


 役人が叫んだ。それを合図に教会で待つ騎士たちは一斉に走り出した。ほのかに明るくなった道は騎士の群れであふれ返る。リーサも目を開けて周囲の騎士たちとともに走り始めた。


「えっさ! えっさ!」


 掛け声が辺りにこだまする。リーサは周囲の騎士たちに合わせて走った。

 沿道にはこの勇壮な行事を見物しようと多くの観衆が詰めかけていた。彼らは、


「しっかり!」

「がんばれ!」


 と声援を送ってくる。それに応えようと騎士たちは走っていく。

 だがしばらく行くうちに息が切れる者が出てきた。一人、また一人と脱落していく。やはり重い甲冑を着て走るのは大の男でもかなりの体力がいった。だがリーサはそのまま走り続けていた。


(あの特訓の通り、息を整えながら一定のペースを守って走る)


 リーサはそれを心の中で唱えながら、冷静に走っていた。


 いよいよコースは街を外れて森の中に入る。鬱蒼とした木々で道は薄暗くなっていた。先頭集団は10名ばかり、その中には騎士団長のベルガもいれば、リーサもいた。さっきよりピッチが上がってきている。

 先頭集団は一団となっていたが、そのうちにばらけてきた。やはり先頭はベルガだった。彼はその軽やかな足さばきで軽快に走っていた。


(ここいらで一気に引き離すか)


 ベルガはここが勝負時と判断してペースを上げた。ここで引き離せば自分についてくるものはない・・・彼は過去の経験からそう確信していた。


(あっ! またスピードを上げた! でもまだついていける)


 リーサはベルガから離されまいと必死だった。他の騎士もペースをさらに上げる。だがベルガについていくのは容易ではない。

 結局、ベルガについていけたのはリーサだけだった。その後の者はかなり離されていた。


(なかなかやるな!)


 ベルガは時々、後ろを振り返り、自分についてきている者があるのを知っていた。だが自分に敵うわけがないと自信満々だった。


(俺についてきても、そのうちにスタミナ切れでスピードが落ちて後ろに下がっていくはずだ)


 ベルガはそう思いつつも、このままただ勝つだけでは自分のプライドが満足できなかった。


(この俺についてくるとは生意気な奴だ。俺の脚を見せてやるぜ!)


 ベルガはさらにペースを上げた。ややオーバーペースとなりながらも・・・。


(これで独走だ! ぶっちぎりで勝って圧倒的な強さを見せてやる!)


 一方、リーサは必死に走っていた。重い甲冑を着て体力は徐々に失われていく。それなのに先頭の男はさらにペースを上げていった。


(もうついて行けない・・・でも・・・)


 リーサは冷静だった。彼女が見るところ、先頭の男は無理をしているように見えた。それなら自分にできることは・・・


(このままのペースで走り続けること・・・)


 リーサはそれを頭に入れて走り続けた。しばらくするとベルガはかなり先に行き、彼女からは見えなくなった。


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