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冥境の章5

7


恨まれているだろうな、とは思っていたが、さすがにらこう率直な恨み言を聞く機会はないから、まじまじと発言者を見てしまった。

「----彼もとうに鬼籍ですから。」

「妻と娘もろとも、陸奥の片隅で焼け死んだとか。やつも、北の方様と同じような身に落ちているだろう!」

 黙っているのが正しい、と思った。

 しかし、かちんときた。特に思い入れがあるとも思っていなかったのに。

「お生憎様。ふたりはちゃんと成仏したわよ。心残りはないんですから。」

「妻と娘を殺しても、心残りがない? さすがは数々の非道を以って平家を滅亡に追いやった男ということか!」

 最初の穏やかさはどこにいったのか。これが素なのか、それとも異界の空気に中てられでもしているのか。

「奴は、白拍子の女との子も、鎌倉で縊られたそうじゃないか。因果は報いたわけだ。」

 脳裏に、小さな仏像が浮かんだ。朝夕に手を合わせ、いつも懐に入れていた。見えることはできなかったけれど、()は、父とともにいた。そして、一緒に旅立った。

「あのひとがするべきだったのは、大好きな旦那様の後を追うことではなくて、形見を残す努力をすることだった。静御前は結果としては、奪われる結末だったけれど。もしかしたら、何か、奇跡的な巡り合わせて、私のように残ることができたかもしれないのに、その可能性をぜんぶ捨てた!」

「・・・、なに?」

 理性は殆ど感じない眼だった。本能に近い直感か。

「お前、源九郎の縁か!?」

 ぐい、とのど元に太い指がかかった。力が加えられる。

 息苦しさでもがきながら、遠くでのんきな(現実逃避した)思考が、首を絞められる頻度が高くないか、と瞬いた。

 体が船べりから、海面に向かって反る。

 ----目的、忘れている。

 自分を質にして、黎と交渉するのではなかったか。

 きらぎらとした目で、男はあけのを海面に突き落とした。


 冷たいかな、とか、泳げない、とか。

 その一瞬にいろいろ思ったのだけど。

「何回、俺の心の臓を止める気だ!?」

 そのどちらもなくて、すくい上げるように、ふわりと体は浮いて、その腕の中に収められた。

 強く、かたく抱き寄せられた。

「なにが、危害はないだ!?」

 文句を言われた麻生は、舟の上に立っていて、苦笑いしている。

「いや、だってまさか、あけのちゃんが受けて立っているとは予想外じゃないか。あと、まあ、かなり毒気が強くなっているし? 関係者は引きずられるさ。」

「理由にならない。」

 跡がついているのだろうか。慎重にあけのの首に指を添わせて確かめている黎に、男がはっと我に返った顔で話しかけた。

「れ、黎どのか!?」

「早めに冷やさないと、腫れる。」

「う、うん。」

「他に傷は?」

「ない、けど。」

「黎どの、どうか北の方様をお救い下さい!」

「お腹は空いてないか?」

「お宿で、唐菓子もらったから、そんなには。」

「黎どの、日のもとで、あなた様しかいないのです。どうぞ、北の方様をあの頸木から解き放っていただけませんか!? お礼はお約束通り! 」

「おやつだろう? 」

「まあ、そうだけれど。」

「黎どの、どうか話を!」

「あり合わせになるけれど、温かいものでも作るから、帰るぞ。」

 因みに、両腕であけのを横抱きにした黎は、海面に浮いて()()

「帰る!? 黎どの、お話が違います!」

 舟の外に立つ黎に、男は手を伸ばす。舟は大きく揺れて、麻生がわざとらしく、おっとっと、と言った。

「貴様らと約束したのは、あの破戒坊主と鬼市の山姥だろう? 俺の知ったことではない。」

 淡々とした声が、怒りの深さを表しているが、残念ながらそれがよく分かるのは麻生だけだ。

「ましてや、あけのに手をかけようなど----、」

 身に宿す神威が漏れ出して、心理的ではなく物理的な威圧になっている。男ははくはく、と苦し気に喉を鳴らす。

「いっそ、沈めてやろう。永遠に、あの女の供として、さまよい続けてはどうだ?」

 うん、悪役だ。慣れている麻生は、うまく神威の影響を逃しながら、もちろんしっかり守護されて影響などないあけのと目を合わせた。なだめて、と。

「ひとりで、永劫に海に囚われているのがお気の毒なのだろう? 供があれば寂しくない。一人で足らぬのなら、あの婆と息子も追って加えてやろう。」

「----あのね、黎。」

「すぐ終わらせるからな?」

 一気に柔らかくなる切り替えがこわい。これで、よく手放すとか、そういう論になるものだ。

 とうに中てられて倒れ伏している船頭の脈を、とりあえず確認している麻生は思う。

「じゃなくて、」

 あけのは、にこりと笑った。

「あの(ひと)、助けてあげてほしい。」


 黎は小首を傾げ、空中を蹴るようなしぐさをして舟上に降り立った。舟板に足をつけたあけのは、まだその腕の中に囲われたまま、黎を見上げた。

「----あのひとは、心残りだから、つなぎ留められているんでしょう? 後を追うくらい好きな旦那様を追って、望みのままに死んだのに、でもまだ旦那様のもとに行けないでいる。」

「自業自得だ。」

「そうね。でも、可哀想。」

 ゆらりぐらり、歪な足取りで、はざまに迷うこころ。

「思うままに命を絶ったけれど、心残りがあるから、逝けないんじゃないかな。あのひと、ずっとお腹を押さえているの。」

「…子どもの念はない、な。」

 目を眇めて、暫く眺めたあと、麻生が言った。あけのが、頷く。彼女にはそれは分からないことだったけれど、やはりという顔だ。

「黎が、わたしを連れていってくれなかったら、わたしの母さまもあのひとだったかも知れない。」

「生きるべきを生きなかった女だ。生かすべきを生かそうとしなかった。」

「黎はわたしを連れていってくれた。わたしはとても幸運で、幸せ。でも、黎が辛かったように、辛いままの子はたくさんいて。わたしはちょっと後ろめたい。」

「それはお前のせいじゃない。」

「うん。だから、あの、いつかお腹にいて、いまここにいない子は、きっとあちらで、お母さんを待っている。旦那(御父)様と。そんな風に思いたい。」

 黎は真っすぐにあけのの目を見て、

「お前は、やはりとても健全で、まっとうな娘だ。俺に育てられたとは思えない。善良で、優しい。」

 そして、幼い日のようにこつんと額に額をあてた。

「えーと、ありがとう?」

「俺のそばでなくとも、お前は普通に幸せになれる。」

 ここで、別居話のつづきか!?とあけのは眦をつりあげた。

「わたしはっ、」

 言いさした口元を、黎の手が塞ぐように押さえた。

「だけど、俺が駄目だった。俺が知らないところで、お前が苦しむのも----幸せになるのも、許せない。」

 そのまま、両手をすくい上げるように己が口元に寄せる。

「面倒な奴に拾われてしまったなと諦めてほしい。」

「わたしは、黎に連れて行ってもらえなかったら、とうに…、」

 こういう状況はちょっと夢見たことがあるが、実際されると頭は真っ白だ。

「俺はお前を連れて行かなかったら、頼朝も殺して、壇ノ浦にいた武士どもをことごとく燃やして、我らを見捨てた都を焼いて、…()()()()()として、麻生に討伐されているか、四番目の魔縁となって君臨していた。」

 黎は断言したが、あけのにはその根拠は分から(ぴんとこ)ない。麻生は、()()お前に俺が太刀打ちできるか、とげっそりしている。

「---俺と怨霊を隔てるのは、お前だ。お前が---お前だけが、俺を人にして、人に留めると、愚かなことにようやく気付いた。」

 滲み出る闇----も、纏うひとだ。

 ()()()、黎だ。それでも、あけの()()、ただ優しい色が向く。

 大好きな、ひとだ。

「俺のそばに、居たいと言った言葉はまだ有効か?」

「もちろん!」

それこそが、ずっと望みだ。

「では、()()()俺のそばにいてくれ。」

 耳を疑った。勢いよく振り仰いだ先には、とても真剣な目。

「俺は、ああいう女を決して許せないが。妻の頼みなら、()()()やろう、と()()()。」

「つ、妻って、えっと、?」

 急展開な言葉に、茫然としていると、黎は()()()()()首を傾げた。

「妻はいやか?」

「いやじゃない!」

 頬を押さえて、じわじわと嬉しくなってきたらしい。赤らんだ頬と、明るい瞳が初々しい。黎が微笑む。

「では、今から、お前は俺のただ一人の妻だ。」


 下から上に走る、雷のような光が夜空に向かってに立った。轟音と突風。そこから、放射状に朝日のように鮮やかな光が海面に拡がって、紅を飲み込む。

 神が降りて、舞いをひとさし。そのように、冥府への境が溶け、あちらとこちらが渦を巻いて、収斂していくのだ

 息をするのも憚られるような神々しい空気が満ちる----。

 その中で、まずは、()()()()、と大鎧が崩れていった。

 濡れそぼっていた髪と衣服が乾いて、もとの艶と軽さを取り戻す。

 何かに気づいたように伏せていた面がゆっくり上がって、不思議そうにまわりを見渡した。

 彼女が何を見たのか、何かを思ったのか、それは永遠に分からない。

 刀は振り下ろされる。薄絹が断ち切られるように()()は切り替わって、藍色の海が戻ってきた。

 戦という運命に翻弄されて一緒に生きられなかった夫婦の終わりを見送って、戦の果てで出会った黎とあけのは新しい関係(夫婦)に踏み出すことになる。

「収まるところに収まる。いろいろありすぎだが、結果的には、いい夜だ。」

 これは麻生の述懐であるが、この顛末のすべてである。




《語られる物語と語られぬ話のこと》あるいは『平家物語』と『平家物語後奇譚』のこと 

 

  二位殿、先帝をいだき奉り、宝剣を腰に差し、神璽を脇にはさみ、「浪の下にも都のさぶらふぞ」とて、なくざめたてまて、ちいろの底にぞ入り給ふ。

・・・海上には赤旗、赤印、投げ捨て、かなぐり捨てたれば、龍田山のもみぢの嵐の散るがごとし。なぎさに寄する白波も薄紅にぞなりにける。むなしき船は、風にまかせていづくともなくゆられ行く。

                                  『平家物語』より


(あま)御前()。」

 舌足らずな声で、その子供は自分の身体を抱き抱える老女を呼んだ。束ねず肩甲骨のあたりまである艶やかな髪が、潮風に吹き散らされるのを、鈍色の衣を纏った老女の手がそっと撫でつける。

「尼御前。何処に行こうというのか?」

「辛きことも憂きこともない、良き国へ参るのですよ。」

「皆も共に参るのか?」

 屋形内にて身を縮こませていた女房たちも、ひとりまたひとりと潮風のなかに出てきている。

「はい。浪の下の都にて、また共に過ごすのです。」

 幼子は言われるままに、東と西に拝礼する。子供は哀しみの溶けた笑みで見つめる老女に気づいて、小首を傾げた。

「哀しいのか? 尼御前。憂きことがない処に行くのに、哀しいのか?」

 そう不思議そうに問う明敏さと雅い表情に、老女は袖に浮いた涙の滴を吸い取らせる。

「・・・・参りましょう。」

 老女は船端を蹴った。


 子供はもがいた。首から下が水につかることなど初めてだった。思わず息を吸い、鼻に水をつまらせ開いた口から、空気の泡をがばっと吐きだしてしまう。そうすると、もう肺には空気は僅かしかない。

 熱くなり、裂けるほどに空気を求める胸。がぶっ、と空気を求めて開く口を水が侵す。

 空気は上、上・・・・!

 小さな体は本能的に浮上しようとするが、しっかり胴に交差した腕の力は緩まぬ。

 染みるだけだった目が、ようやく薄ぼんやりと影像を結ぶ。ぶわっと広がった尼そぎの髪、歪んだ表情。膝の上に座って見上げた慈しみ深い馴染んだ老女とは、別人に見えた。

 苦しい辛い辛い辛い・・・・!

 尼御前は辛いことも憂きこともない処に行くのだと言った。なのに、こんなに辛い苦しい。尼御前がたばかる筈がない。尼御前が自分をこんな苦しい目に合わせる筈がない。--尼御前などではないのだ。尼御前に化けた得体の知れないモノに攫われてしまったのだ。

 --助けて。

 もはや力のこもらない、重りと化したような手足。

 --助けて、尼御前。

 昏くなっていく意識。船板から刺を刺したときも、お腹が壊れそうに痛かったときも、苦しいときはすぐ来てくれたではないか。こんなに苦しい。死んでしまうというのは、こんな苦しいことをいうと、正しい使い方を悟るほど苦しい。苦しい、のに。

 --どうして、来てくれないの?


 閉じる寸前の意識。何かが--紙一枚が挟まったような、危うい境界で止まる。誰かが紙を挟めて、止めている、そんな感覚。

 一瞬、身体の芯が背骨にかけて熱くなり、ふっと身体が軽くなったと思うと、呼吸ができていた。視界が、空気中であるように開ける。

 拘束していた腕もいつのまにかとけ、あがらいようのない眠りが、水を宿命に受け入れた子供の、火照り高ぶった身体の保護として訪れた。

 知らぬ間に、老女の帯にさしてあった一振りの剣を胸に抱えた子供は、手足を丸めて海中を流れていった。



 

元暦二年(1185年)3月24日。

長門国檀ノ浦にて、源義経軍により平家軍壊滅。平清盛のもとに栄華を誇った平家一門はここに滅亡した。

一門は次々に海面に身を躍らせ、平家に奉じられ共に西国へと流れてきた幼帝安徳も祖母平時子に抱かれて、天皇の証である三種の神器二つと海底に消えた。

二つの神器のうち神璽は拾い上げられたが、宝剣の行方は幼帝の消息にあわせてよう杳として知れなかった。



 





お読みいただいてありがとうございました。


黎と麻生の愉快な「京洛あやかし討伐譚」的なメモとか残っていたりはしますが、もともとは鎌倉(幕府)和田合戦あたりから書きたい話があって、その主人公の親たち(ちなみに二人の実子ではなく、これまた拾い子です)はどんな人?から成立させた物語でした。


いつか、この後の話も書ければ、いいなと思っていますが、まずは現在書いている「五花陸」を続けていきたいと思います。


 


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