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冥境の章1

2024,7.22 年齢など変更しました。

前段


 雲はなく滑らかな濃さの紺色の夜空、凍える大気。月の銀光は冴え冴えと、見上げる者の瞳を心を射るような、まるで凍れる矢のようだ。

 綻び始めた梅の蕾みに気をとられていた僧形の人物が、さざ波を飾る海面に、さりげない--鋭い視線を飛ばす。

 沖の、一点。朧と霞みがかり、海面と大気の境が見えない。

 海面をさ迷うように移動する範囲の限定的な霞に、暫時目を据えていたその僧は、傍らの老婆に向かって、首を横に振った。

 老婆が目を見開き、僧の袖に縋った。目を充血させながら訴えるが、僧の首は横の動きを繰り返すのみ。

「・・・・おいたわしや、」

 やがて地にへたり込み、老婆は沖に虚ろな目を向けた。

「最後の頼みの綱であったのに。ようやく、お見つけして・・・・これでと思ったのに。」

 ぼそぼそという老婆の恨み節に、僧は額を掻く。

 あの人なら。これまで老婆が依頼した二十人を下らない者達のなかで、老婆に同情的になった数人の者が、事を成せずと告げる折、揃って希望的な存在として彼の名を上げた。しかし、連絡先不定の彼を掴まえることは甚だ困難で、他の高名な者にあたり続けていたが、誰も首を縦に振らなかった。彼を捜すことに意志を固めてから、二年と少し。風の便りに足跡を辿る、いつ終わるともしれない長い旅路は、もしかしてを信じなくては乗り切れなかったろう。

 あくまでも希望的なそれを信じて、そうでなかったからといって、一方的に信じられた方が責任を感じることはないのだが。

「申し訳ありませぬ。もう、どうしてさしあげる術も・・・・不甲斐ないわたくしをお許しあぞばして。この上は、再びお側にお仕えに上がります。」

「待たれよ!」

 ふらふらと、崖際との距離をつめる老婆を、僧は引き留めた。

「早まってはいかん。早まっては。」

 老婆は懐からにしまっていた金子袋を、僧に差しだした。

「どうか、わたくしが()()()()()参れるようにしていただけませぬか?」

 本来の依頼とは真逆なことを言い出され、やれやれ、と僧は溜息をついた。

「落ち着かれよ。儂に…ちと当てがある。」

「あなた様()()、多くの者が口を揃えました。そのあなた様が無理と断じたことをだれができると?」

 厭世的に言う老婆に、僧は言い切った。

「いや、おるのだ。」

「しかし、そのような方の噂など、どなたもされませんでした!」

「---人見知りでな。知己を増やさぬゆえ、実力も広まらぬのだ。」

「どこかの深山に籠っているとか、なのですか?」

 僧を捜しだすのに余程苦労を重ねたゆえの発想である。僧は苦笑した。

「都におるよ。鬼市(きいち)にいって、名指しすれば良い。」

「そんな…簡単なことで良いのですか?」

 鬼市に行くのが一般的に簡単かどうかはさておき、老婆にしてみれば初手に戻ったような感じなのだろう。半信半疑の顔だ。

 僧は己が後頭部をぺたぺた叩いた。

「間違いなく断るだろうが、」

 そんな断言はいらない。

 お金、と握ったままの巾着袋に目を落としたが、そうではない、と僧は言う。

()()()()()()仕事というわけだ。」

「あのような、気の毒なさまを放っておける人非人(ひとでなし)なのですか!?」

「気の毒、というのはそちらの主観であろう? 」

 僧は、彼女たちに思い入れも肩入れもしていない。あくまで、提案をしているだけだ。

「忌み嫌う状況に連れ出しても、十分な力は振るわれない。」

 さて、と沈思な様子から打って変わった、遊びを考えるような、実に楽しげな瞳だ。老婆は戸惑った表情を浮かべた。

「いかに誘い出そうか。一応は師として、次の段階に導いてやらんといかんお年頃だろうよ。」




 顔面に、粘つく感触を覚えて、少女は顔に手を触れさせた。

 蜘蛛の巣に頭を突っ込んだ経験のある者なら分かるだろう。あの何ともいえぬ粘り気に、少女は気色悪げに眉を寄せた。

 何処の蜘蛛の巣、と少女は辺りを見渡したが、木立のなかを歩いているのではない。一間ほど前方に今を盛りと咲き綻ぶ、梅より淡く、桜より濃い紅の桃の木があるが、蜘蛛の巣が吹き飛ぶには、風はないような穏やかさであり、枝はしなわない。そも、蜘蛛が巣を張るには未だ早い季節だった。

 少女は手布で粘りを落とそうと手で顔を拭っているが、そうあっさり取れるものではない。 ・・・・今度は、喉回りに粘りつくものを感じた。

 同時に、ざわりと少女の身体を不快感の波がさざめいた。肌が粟立つような、悍ましさと呼ぶべきだろう気配を--存在を、彼女は感じ取った。

 とっぷりとした新月の闇。近づいてくるのではなく、小路と小路の交差する、所謂辻に、薄布を一枚ずつ剥がしていくように、存在感が増していく。

「みつけた。」

 嬉しげなといってよい声が、膝程の高さの偏平な物体から漏れた。ソレは、ぞろっと彼女の方に進みでた。

 松明の明かりの輪の、もっとも外縁に達したソレの姿を目の当たりにした瞬間、少女は硬直した。悲鳴を上げる、というゆとりなどなかった。凝然とソレを、剥いた目で見つめる。もっとも、見つめていたいと思えるような代物では決してなかった。

 ソレは一言で言い表してしまうのなら、大蜘蛛--胴体の大きさにして、土佐犬ほどの大きさはゆうにあり、足は、少女の二の腕よりも太さがある。

 極めつけは。顔があることだった。黒々とした髪に縁取られた美しいといって良い女の顔は、にたりと醜悪な笑みを浮かべた。

「みつけた。」

 異形の蜘蛛は、同じ言詞を繰り返した。視線は、少女をとらえている。

「おまえ、お死に。」

 不意に少女の首が、きつく締め上げられた。 息を詰まらせ、蹌踉めいた少女の喉には食い込む赤い糸を見える。先程、少女に粘りついたときは、普通の蜘蛛の糸の感触でだったが、いまや彼女がどんなに喉を掻き毟ろうが切れやしない。だいたい爪に、かちかちと硬質な音をたてるコレを糸と呼べるのだろうか。

「そのまま逝かせたりはしないよ。それじゃあ、余り楽するぎるものねぇ。」

 残忍な、嬲ることに酔った声が、窒息死に片足をかけた少女の耳に届いた。言詞通り、糸は一定より締め上がらないでいる。

「瑞々しいね、おまえ。一番美味しいのは赤子、次は子供、その次くらいにおまえくらいの娘は美味しいんだよ。」

 手から落ちた松明。これもまた器用に足で遠くの方へよけて、蜘蛛は少女の傍ににじりよる。

「生気があった方が、当たり前だけど美味しい。ちゃんと、殺さないで喰ってあげるよ。」

 生臭い息が顔にかかる。うつ伏せた顔を下からのぞき込む、爛々と赤く燃える丸い目。 だが、少女はまだ信じていなかった。自分がその異形のモノの腹のなかにおさまるなどということを。目覚められる悪夢のような感覚。胸のなかで呼び続けるひとつの名前のゆえに--その人を信じているがゆえに。

 その人のいない処で、その人が知らず自分が逝く筈がない、と、少女は信じるように思っていた。

 

 蜘蛛が潰れた声を発し、見えない何かに体当たりをくらったように後方に吹き飛ばされた。

糸が緩み、呼吸が唐突に通常に戻る。地に手をついて咳き込む背中に、ふわりと手が乗せられ、優しく摩る。

「大丈夫か、あけの?」

 誰よりもよく知っている、耳慣れた、間違える筈もない声であったけれど、・・・此処に現れられる筈はない人の声だ。

 少女は目を瞠り、そんな筈はないという冷静な指摘と、その人のもの以外でない声に混乱した。

 恐る恐る、視線を上げる。

「怖い思いをさせたな。もう大丈夫だから。」

 ゆっくり手を上げて、微笑む人の衣服の胸元を掴んだ。

「--黎、」

 青年は震えを帯びた少女の手を胸元から外させて、自分の掌で包み込む。

「・・・・貴様ぁ。」

 態勢を立て直した大蜘蛛が、獰猛に唸った。

「それは、こちらの台詞だ。」

 青年は立ち上がり、少女を背に庇った。下がっていて、と柔らかく言い、大蜘蛛の方へ距離をつめる。

「よくも・・・・」

 怒りを燃した声だった。青年は右手を頭上にさしかける。一瞬の青い閃光と弾ける(プラズマ)音。何処から来たのか、一振りの太刀が、その掌に握られていた。

 環頭のある柄。長さは三尺余り。武士たちの腰の太刀とは違い、反りのない、真っすぐな造りの太刀の刃身は、目映いばかりの白い光を放つ。

 その光に戦いたよう身を竦ませ、後ずさる大蜘蛛の背後から、新たな声がかかった。

「オレたちの不意を二度もつけると思う? それに、また空間跳躍する力なんてないんじゃない? 素直に逃げだせば良かったものを、一矢報いたいなんて、報われないことを実行するから、まったく。」

 闇の幕の内に佇むその人物の顔は見て取れない。だが、確かに聞き覚えのある声だった。

「・・・・麻生、さん?」

 あけのは該等する人物の名を呟いた。黎の古くからの友人で、黎が組んで仕事にあたることもある、唯一の同業者だ。

「おのれら・・・・っ。おのれらにあたしたちを裁く資格などないわっ。喰うて生きる。それはおのれらも同じ理であろうが!」

「裁く意志はない。これは、喰うための仕事だ。同じとは、奇遇だな?」

 皮肉を込めて笑って、吐き掛けられる糸の塊を、黎は一刀両断に片付けた。殺意が太刀に感応して、常にない蒼い火花を激しく飛ばしている。単なる請負が、少女を巻き込んだ時点で、きっぱり彼の私事私怨の相手に成り上がったのだ。

 いま一人の青年が、懐から出した紐を横から低く、大蜘蛛に投げた。風を切る速度で、その絹をよりあわせた紐は、蜘蛛の周囲を一周し、先端が青年のもう一方の手に戻る。端と端を素早く結び合わせ、青年は地に紐を落としながら叫んだ。

「縛!」

 巨大な蜘蛛の周囲を取り囲んだ紐が、銀色の炎と化した。空間封鎖。蜘蛛を己が紐で区切った空間に閉じ込めた青年は、友人に親指をたててみせた。

「洛中ど真ん中だからな。おとなしく行こうか。見舞い金、引かれてはたまんないしな?」

 巧みな連係というよりは、気遣い。沸騰していた黎の頭も温度を下げた。片手を挙げて、了解の旨を伝える。

 黎は、刃先を下に頭上で逆手に太刀を構えた。落ち着きなく飛び散っていた火花が収縮するよう失せ、刃身の輝きが膨らんでいく・・・・。

 黎は太刀を蜘蛛の胸部と胴体の付け根に向けて、渾身の力で投げた。見事につき立った瞬間、

「爆!」

 麻生の言に従って、紐内部の空間にて、銀の炎が噴き上がった。黎の太刀の発する力と絡み合い、相乗し、渦巻きとなって天を衝く。

 空間を封じていなかったら、この辻の四方の屋は台石から奇麗に吹き飛んでしまっていたに違いない。もっとも、空間を閉鎖したからこそ、これだけ思い切った力の発動になったのだが。

 炎の柱は余韻もなく消えた。闇は闇の深さを取り戻し、彼らの肩に落ちかかる。

 共に燃えることはなく、地に突き立っている太刀と、紐。同じ年頃の青年二人は、それぞれ獲物を手に取り戻す。

 地面に座り込んだまま少女は呆然とひとつの背中を見つめている。

 麻生が、ちらりと視線を寄越し、黎の腕を叩いた。肩から、ゆっくり、ためらいがちに黎が振り返る。

 ふ・・・、と意識が揺れ、視界が霞んだ。霞んだ先から闇に呑まれていく。

 意識を無くして前に傾く体に飛びつき、胸に抱いた青年は、少女の青ざめた顔に唇を噛み締めた。やがて切れた唇から、血がこぼれだしたことに、自ら気づくこともなく・・・・。




 雀の声に誘われる、朝の目覚め。

 うっすらと、瞼が持ち上がり、瞬き一つを経て、大きくと見開かれた。一動作で、半身を起こしたあけのは、ここが我が屋であることを認識した。

 膝で進んで、二間の屋の、境に立てている古ぼけた几帳の向こうをのぞき込む。一番正面に戸、視線を引いていく。ひとつの間に、同居人の姿はなかった。旅支度を解いた形跡もない。

 自分を連れ帰っただけで、そのまま、また旅立ってしまったのだろうか。一言も、自分とかわさずに? あけのは枕元を見たが、書き置きもなかった。不自然な不在・・・・昨夜のあれが、自分の紡いだ悪夢であり、本当は彼が帰っていないというほうが、理解できる。

 ほつれて頬にまとわりつく髪を指で梳きながら、鏡台を見返り、上布を外した。

 夢ではない証しが、写る彼女の首にあらわれていた。首の中程を一周する細い赤い痣・・・・・昨夜の光景が、次々と脳裡に蘇って流れていく。

「黎・・・・、」

 震えが走る。両手で身体を抱き締めた。

 どうして、彼はいないのだろう。


 「・・・・おまえ、」

 帰宅した麻生は、出掛けと同じ姿の--小袖を頭から被って俯している友人に、溜め息まじりの声をかけた。

「もしかして一日、そうしてたのかよ?」

 組んだ手の上にのせていた額を離し、腕を立て、黎は身を起こした。小袖は被ったままだ。

「悪いか?」

 麻生は、こめかみを押さえた。

「鬱陶しい。自己嫌悪なら自分の屋でやれ。」

「友垣甲斐のない。」

 解れた髪が一筋二筋、顔に乱れかかり、しどけない風情をかもす。細面、通った鼻梁。切れ長の深みのある漆黒の瞳。冴え冴えとした実に綺麗、な顔立ちである。

 くい、と麻生は細い顎に手をかけ、仰向かせた。

「甲斐を発揮して、慰めてやろうか?」

 息がかかる程に顔を寄せた友人に、黎はまるで挑発するような眼差しを返した。

 きっぱり冗談なのだが、実行できないことを分かりながらわざと挑発してくる黎の底意地の悪さに、麻生はムッとした。

 小袖の下に手をくぐらせ、黎の頭をぐいと自分の方へ引いた。

「おいっ。おまえ、酔っ払ってんのか!?」

 さすがに焦った声を上げるが、無視した。いくら美貌とはいえ、体の感触は、細身でも筋肉質な男のものだ。嬉しくない、と思いつつ、もう意地である。

 黎は迫る身体をつっぱねようとした。しかし、腕力は麻生の方が上だ。もがいた弾みで小袖が滑り落ちる。

「おま・・・っ。」

  言詞は途中で遮られた。唇に唇が重ねられたので。因みに、()()()()()()()()()()()()()押し付けたのだ。

 がだん、と扉が鳴る音が聞こえた。戸が引き開けられた音に、麻生は慌てて黎から顔をひいた。ここは彼の住居であり、訪ねてくるのは彼の客ということになる。自ら招いたこととはいえ、誤解の被害を被るのは彼なのである。青くなって戸口を見返った麻生は、佇むその闖入者に更に血の気がひくのを覚えた。 目を瞠って立ち尽くしているのは、十四・五の少女。切り下げた前髪が、まだあどけない風情で・・・・。

「あけの、これは・・・・っ、」

 自分の女より始末に悪い相手に見られた。突き飛ばすように黎を離した。

「冗談だからな。ちょっとした、ほんの冗談だって。」

 取り乱した麻生の弁明を聞きながら、あけのは沈黙したまま、黎だけ見ていた。

「・・・・冗談じゃないから。」

 不意に黎が言った。麻生は、は?と虚をつかれて、その横顔を窺う。

「ようやく麻生がその気になってくれたんだ。邪魔だ。帰れ。」

 あけのが唇をわななかせた。黎は膝で立っている麻生の腕を掴み、彼を見上げた。

 艶っぽい、というのか、その気のある輩が受けたら、悩殺されるだろう表情だ。

「続けてくれ。」

 かすれぎみの声で訴える。

 麻生はまさかと内心、青ざめる。

 ----おれの接吻がうますぎた、とか?

 やけぼっくいに火がつく、いや違う、・・・うそからでたまこと・・・!?

 あけのが顔を背ける。ぱたぱたと、駆け去る足音。黎が指を解いた。

 その顔は、既になまめかしさはなく、迫真の演技であったことを告げ、麻生にほっと息をつかせた。同時に、振り回されたことへ怒りが湧きだした。

「何のマネだ?」

 険悪な声で麻生が唸るように言った。

「ほんの冗談だ。」

「冗談、だと?」 

「本気といって欲しいのか? 積年の秘めてきた恋情が噴出したんだよ」

「気色悪いことを言うなっ。」

「先にしたのはそっちだろうが。」

 麻生は、十年を越えた付き合いの友の胸倉をつかみあげた。切り込むように言う。

「本気でやってやろうか? 」

「おまえの相手などしたら、身体が壊れる。」

 黎は胸倉を掴む手をはずさせ、床に落ちた小袖を拾い上げた。まるめるように畳んでおいて、再び麻生に向き直る。

 深くなっていく紫は、互いの表情をその身に溶かす。麻生が指を弾く仕草で、灯台に火を灯した。貴族の邸宅では夜宴を張るときには、不夜城のごとくに惜しみ無く灯火を燃すが、庶民には油は高価な代物だ。

 たった一本の灯台などささやかすぎる明だ。しかし、闇と決して交わらない、闇に負けぬ灯火は、闇に対する恐れを幾分軽減する。

闇を畏れることは、臆病ではない。夜は昼とは地続きながら、まったく異なる世界であるから。人を昼の住人とするのなら、夜には夜の住人がいた。夜の闇を跋扈するモノたちの前に、昼にこそ生きる人はひどく脆い。闇の深さにおののくことは、この夜を越えて次の昼を迎えるための、自警への警鐘かも知れない。

 灯台の小さな光の輪のなかの麻生の顔を、あらためて黎は客観的に眺める。

 眉の濃い、意志の強そうな、くっきりと彫りの深い顔立ち。笑うと片えくぼができて、奇妙にあどけない印象になる。肩幅のある、均整のとれた細みながら、太い骨格の身体つき。精悍という言葉がよく似合う男だ。

 精悍という表現を、黎は微かに羨望している。

 黎の身長は麻生に負けるが、それでも一般的には立派な長身である。だが生まれついての骨の細さと、繊細な感じの造作とがあいまって、実際以上に華奢に見られがちだった。

「で? あけのに、おれたちが恋仲だと思い込ませようとするなんて、いったいどういうつもりなんだ?」

 流石に演技の目的は見抜かれているらしい。

「もし、おまえがさしつかえなかったら、このまま、暫くでいいから誤解させておいて欲しい。」

「あ・・・?」

 麻生は呆気にとられて、友人の顔をつくづくと見つめた。

 差支えはあるに決まっているが、一刀両断に断るには、情を持ちすぎている。

「何考えてんの、おまえ?」

「わたしに、・・・あれは惚れている。」

 自信過剰な台詞に聞こえなくもないが、麻生は嘲笑わなかった。

「そりゃ、見てりゃ分かる。」

 あけのが黎のもとにきて11年。背が伸び、身体の線のひとつひとつが丸みを帯びて、細くしなやかに・・・童女は今咲き初めの華となった。

 恋のひとつも抱く・・・その相手が何より身近な青年であったコトは何ら不自然な展開ではない。

「綺麗な娘になった。オレはてっきり、お前が妻問うもんだと。」

「馬鹿を言うな!」

 過敏に激して黎は麻生の言葉を否定した。

「わたしが育てたんだ、・・・娘だよ。」

「それこそ、馬鹿をいうなだ。おれの目は節穴とは違うぜ?」

 こちらも見てれば分かる。

「何でだよ?」

 相愛のくせに、どうしてその手をはなす?

「・・・・普通の相手と結ばれる方が、穏やかな生を生ける。」

 ぽつり、と黎が応えた。

 それは彼らの現在までに裏づけされた実感の重みとして有って、麻生も黙する。

「わたしは、あけのを死なせるところだった」

 信濃の山奥で近隣の村を襲う大蜘蛛のつがいを退治する仕事だった。雄の方は現地で退治したが、雌に逃げられた。アレは僅かなものだが読心の能力があった。黎の心からあけのの存在を見取り、夫の復讐をするつもりになったのだろう。

 空間飛翔した蜘蛛の意図を汲み取った時の、黎の自分が死地に置かれた以上に凍りついた表情を、麻生は思いだした。

「・・・でも、おまえが救った。」

 術師の異能力で。術師でなければ、『闇』の住人から救いだすことはかなわなかっただろう。

 友人の慰めに、しかし白くなるほどに拳をかたく作り、肩を強ばらせ青年は頑なに言い張る。

「所詮は術師(わたし)が、呼んだ危険だ。」

『闇』と戦う者・『闇』を払う者。----故に術師は『闇』を常人より引き寄せる。

 『闇』を身近な者に引き寄せてしまう。

 今回は間に合った。だが次は? 次にまた同じようなことが起きないと、その時も守れるという、保証はない。

「・・・いつか殺すかも知れないわたしが、共に生きていいと思うか?」

 麻生より己へむいた問いかけだ。

 ----それは認められない。いや、認めてはいけないのだ、と。

 「あのお、」

 おずおずとした声が、重ぐるしい空気を破った。開いたままだった戸口から、彼らより五つ六つ年上だろう男が屋内を覗きこんでいた。

「何か?」

「また、あんたか。」

 麻生の言詞に、黎の言詞が続いた。

「何度来ても、お断りだ。お引き取りを。」

「で、ですが。」

「お引き取りを。」

 取りつく島もない。麻生は黎の冷ややかな横顔をみやり、男に視線の先を移した。

「・・・・黎への依頼人か?」

「は、はい。」

 自分の家に友人への依頼人がきた不自然さに首をかしげかけた麻生だが、

「あぁ、じゃ、あんたが。」

 得心の扉を開く情報を保持していたらしい。

「鬼市の山姥、」

 思わず口走り、いやいやいや、と彼らしかいない室を落ち着き無なく見渡し、何に取り繕うのか、妙なにこやかさで言を継いだ。

「・・・・白鶴どのがいってた、じきじきに仲介した、黎を指名の依頼主?」

 今回の蜘蛛退治は、鬼市が請け負った仕事を下請けしたものだったから、報告義務があった。黎が逃避したため、麻生は一人で行ってきたのだが、後金を貰えるまでが長かった。

 京内で火柱を立てるな。結界を張れば、いいってもんじゃないね。だいたい、逃すってのが間抜けてる等など。厭味を言うしか、もう生きがいもない姥だという敬老精神で、乗り切らねば報酬を無事いただけない、と耐えた自分に、麻生は〃大人になったなあ、俺も〃と陶酔して、帰宅の途についた。

 鬼市とは、組織に属さず、いわば一匹狼で仕事をする民間の術師達の、いわば組合である。今回の仕事にように鬼市で請け負い、適当な術師に回す業務や、指名でくる依頼の窓口の役割を果たす。

「商売繁盛、結構なことだな。黎」

「断った。」

「顔を潰すと祟るぜ。」

「仕事の選択権は術師にある。仲介者が口を挟むことではない。」

「そりゃそうだが。」

 ----建前である。黎も麻生も、それぞれ指名の仕事も随分入るようになっており、以前のように下請けを選べずこなすような立場ではなくなってはいる。だが「独立」できる程のものではなく、下請けは必要不可欠である。また組織の業というべきか、鬼市の中核者の心証の善し悪しは、即ち回してくる仕事の質や量にしっかりかかわってくるものだ。鬼市きっての実力者、白鶴が自ら仲介してきた仕事を断る度胸は、麻生には、はっきり言ってない。真剣に呪詛返しの結界を張り巡らす覚悟がいる。

「お願いです。どうか!」

「ごめんだ」

 懇願を無視して、黎は床に落ちた小袖を拾い上げ、今度は几帳面に畳みだした。もう相手をする気はない、という露骨な意志表示だ。

 麻生は溜め息をついて立ち上がり、男の肩を押して屋の外に、共にでた。

「諦めな。ああいう表情したら、頑として聞きやしねぇ。」

「ですが、」

 男はいらだたしげに唇を噛む。麻生は気の毒そうに、

「・・・・俺じゃ駄目か? 結構、腕はいいが。」

「ありがとうございます。ですが、あなたでは多分かなわないと思います。」

 あなたを軽んじているのではありませんから、と慌てて言い添える。

「様々な高名な術師と呼ばれる方々を、総浚いに依頼をして、誰にもかなえていただけなかったのです。」

「それが、黎なら、かなえられるっていうのか?」

「はい。黎どのには、その力があると、うかがいました。ご本人も出来ないから断るとは、おっしゃいませんでしたし。」

「成程、なら俺じゃ駄目だわな。」

 麻生は耳の後ろをかいて、呟いた。詳細は分からずとも、特殊性は納得した。

----誰が、黎の情報を流した?

 普通の術師にかなえられぬことをかなえる能力。そんなことを知っている存在など、多くはない。否、まったく少ない。黎が語ることはないし、能力を使う場に立ち会えば理解るが、そんな機会のもてる術師は自分くらいだ。

 ----山姥?

 あのとっくに人間離れした女なら知っていても不思議ではないが。

「また伺います。」

 諦めませんと決意を込めて言い、男は麻生に一礼して踵を返していった。

 



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