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第三十四話 魔物


「なんじゃあれは……」


 ライナスは学院を囲うようにして出現した黒い狼を見て、思わずつぶやいた。

 それまで影も形もなかったのに、気づけば包囲されている。

 常識の通じない出来事に、少しだけあっけに取られてしまう。

 ただ、頭は働いていた。

 帝国軍は急ぎ、首都への進軍を開始した。

 学院は魔物に任せるつもりなのだ。

 状況を考えれば、魔物と帝国軍は連携を取っている。そして魔物に任せて、首都に行かねばならなくなった理由は、急いで首都を落とさなければいけなくなったから。

 元々、帝国軍の動きは早かった。

 常に三国は後手後手に回っていた。

 この学院で足止めを食らったにしても、大した時間ではない。

 ここで一日足止めを食らっても、なお帝国軍には余裕があるはず。

 それなのに急いだ。

 なぜか?

 想定外のことが起きたからだ。

 では、想定外のこととは?

 そんなものは決まっている。

 陽動に動いた帝国軍が襲撃されたのだ。

 つまり、もう少しで剣聖が来る。

 それがわかっていたライナスは、声を上げようとした。

 しかし。


「奮い立ちなさい!! たかが魔物程度!! 幾度も実習で相手をしたはず!! 数の多さに惑わされず、迎撃態勢を!! 帝国軍だろうと! 魔物だろうと! 私たちがやることに変わりはないわ!!」


 先にユキナが声をあげた。

 そのことにライナスは目を丸くする。

 なぜならライナスは確実に援軍、しかも最強の剣聖が来ることをわかっている。

 そんなライナスですら、目の前の魔物の大群に少しだけ圧倒された。

 だが、ユキナは確実に剣聖が来るという情報を知らない。

 それなのにユキナはライナスより先に立ち直り、周りを鼓舞した。

 ライナスはその事実に苦笑した。

 さすがはロイが傍にいることを許したことはある、と。

 ロイは認めてない誰かが傍にいることを嫌う。本気で付き纏われるのが嫌なら、どんな手を使っても引き離そうとするはず。

 そうではないということは、認めて、多少なりとも気に入ったということ。

 話を聞いた時、珍しいこともあるものだと思ったが、確かにとライナスは納得した。

 剣士としての実力はさておき、ユキナは覚悟という点ではすでに一流の域にある。

 覚悟を決めているから、動じず、やるべきことをやれる。


「さすがは剣聖を目指すというだけはあるのぉ」


 感心しつつ、ライナスは城壁へ登る。

 黒い狼たちはゆっくりと学院へ向かってきている。

 そのさらに向こう。

 黒いフードの人物を確認したライナスは、すぐにそのフードの人物が元凶だと察した。

 いきなり魔物が現れるわけがない。何かしたに違いない。

 けれど、その何かがわからない。


「やはり魔族か……」


 文献だけの存在。もはや神話にだけ出てくる伝説だ。

 かつての大陸の支配種。魔物を生み出したというだけで、その力の恐ろしさがよくわかる。

 だが。


「とにかく近寄らせるでない!! 魔法と魔導銃を交互に放ち、射撃に穴を作るな!!」


 まともにやり合う必要はない。

 とにかく時間を稼げば。そう考えての指示だった。

 しかし、それは悲鳴によってかき消される。


「きゃぁぁぁぁぁっっ!!!!」


 生徒の悲鳴。

 振り返ると、学園の中に魔物が出現していた。

 それは二メートルを超える狼男。長い手足の先には鋭い爪を備えている。

 その狼男の目が自分に向いていることを察し、ライナスは急いで城壁を降りた。

 あれは指揮官を狙った刺客。城壁にいては、生徒たちが巻き込まれる。

 そう思っての行動だったが、元々、足の悪いライナスは動きが遅い。

 城壁を降りた時点で、狼男はライナスの前に先回りしていた。


「くっ……!」


 ライナスは剣を抜くが、狼男が腕を振るっただけで剣は半ばからへし折られた。

 そこら辺の魔物とは一線を画する。

 やられる。

 そうライナスが思った時。


「お父様!」


 ライナスと狼男の間にレナが割って入った。


「レナ!?」


 咄嗟にライナスはレナを退けようとするが、その前に狼男の腕が振り下ろされる。

 しかし。


「吹き回れ【渦風】」


 渦を巻いた風がライナスとレナを覆う。

 風の防御魔法。

 本来なら強固な防御だ。人間が素手で触れれば、手は傷だらけになってしまうだろう。

 しかし、狼男は構わず風の渦に手を突っ込んだ。


「くっ……!」


 レナは渦の勢いを強めるが、狼男は徐々に右腕を渦の中に侵入させていく。

 人間相手には十分な防御魔法も、狼男相手では時間稼ぎにしかならない。

 迫る狼男の爪を見ながら、レナは悲鳴を出すのを必死にこらえた。

 実戦らしい実戦は今回がはじめて。自分の命が危機にさらされるのも、はじめて。

 緊張と恐怖で息が荒くなる。それでもレナは魔法を切らさない。

 切らせば死ぬ。自分も、そして父も。

 死。死。死。死。

 それを強く認識した瞬間。

 レナの体が一瞬だけ光り輝いた。

 それはほんの一瞬で、かつ渦巻く風の中にいたレナをしっかりと見ていた者などほとんどいない。

 しかし、それは確かに起こった。

 光の後、風の防壁は消え去り、レナはフッと意識を失った。それをライナスは慌ててレナを抱きとめた。


「レナ!? レナ!? レナ!!」


 その隙を逃す狼男ではなかったが、狼男も無事ではなかった。

 レナの光にさらされた右腕が完全に消滅していたのだ。

 風の防壁に手を突っ込んだから。周りはそう解釈したが、そうではない。レナの光で、完全に消滅させられたのだ。

 本能的に体を引いたからこそ、腕だけで済んだ。もっと近くにいれば腕だけでは済まなかっただろう。

 狼男は自ら半ばまでなくなった腕を切り落とし、そのまま肩口から腕を再生させる。

 ただの魔物ではありえない再生速度だ。

 腕の喪失程度では、止まる理由になりえない。

 その理不尽さにライナスは唇を嚙み締めつつ、レナを担いでどうにか距離を取ろうとする。しかし、足の悪いライナスでは上手くいかない。

 どうしてこの足は上手く動かないのか?

 苛立ちながら、ライナスは迫る狼男からレナを庇うようにして抱く。

 だが。

 狼男の爪を割って入ってきたユキナが受け止めた。


「お下がりください……! ルヴェル男爵……!!」

「無茶をするでないぞ!」


 ライナスとて多少の剣の心得はある。

 そのライナスから見て、狼男の強さは異常だった。

 いくらユキナでも危ない。

 そう察しての言葉だったが。


「私は大丈夫です。ご心配なく。私は剣聖になる女です。ここで魔物ごときに遅れを取ったりしません」


 そういうとユキナは狼男と戦い始めた。

 狼男も気絶したレナやライナスよりも、ユキナのほうが危険だと判断したのか、ユキナとの戦いに集中し始めた。

 ユキナは狼男の足を凍らせ、その隙に斬りかかるが、狼男には浅い傷しかつけられない。

 お返しとばかりに狼男は長い腕を振って、ユキナを吹き飛ばす。

 壁まで叩きつけられたユキナは、顔をしかめながら膝をつく。

 無事なのは、ちゃんと反撃を想定して防御を意識していたから。

 しかし、防御の上からでもダメージを負わされた。

 体中が痛み、意識が朦朧とする。

 その間に狼男が間合いを詰めてくる。

 まずいと思ったとき。

 自然とユキナは前に出ていた。

 狼男の腕が頬を掠るが、ギリギリで躱した。

 そしてユキナは渾身の突きを放った。

 だが、それは横腹を貫通しただけ。

 まだ狼男は動ける。

 心臓を狙わなかったのは、胸の防御のほうが厚いと判断したから。

 その分、致命傷にもならない。

 にもかかわらず、ユキナは笑った。


「攻撃が効かないと思って……油断したわね」


 狼男はユキナに攻撃しようとするが、それはかなわなかった。

 ユキナの魔剣が内側から凍り付かせたからだ。

 一度、攻撃が通じなかったため、狼男はユキナの攻撃に注意を払わなかった。

 それが勝負の分かれ目だった。

 外から凍り付かせることができなくても、内側からなら凍らせることができる。

 魔物とて生き物だからだ。

 剣を引き抜き、ユキナは膝をつく。


「はぁはぁはぁ……」


 荒い息を吐きながら、ユキナは何とか顔をあげる。

 その瞬間、さらに二体の狼男がユキナの前に現れた。

 それに驚きつつも、ユキナは立ち上がった。


「来なさい……!」


 自分がひきつけている分だけ、周りの者は外の魔物に対処できる。

 いくらでも足掻いて、一秒でも引き付けてやる。

 しつこさと諦めの悪さなら自信があると思いながら、ユキナは剣を構えた。

 だが、その剣が狼男に届くことはなかった。

 空から降ってきた男が二体の狼男の首をあっさり斬り落としたからだ。



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