第二話 剣聖の秘密
「ふわぁぁぁ……よく寝てたぁ」
模擬戦は一対一の連続。
複数の教師が審判役で、負けた奴は敗退。そこからは基礎練習だ。
強くなりたいなら勝つのが一番。
負けた奴は負けた理由を考えつつ、基礎練習に打ち込むことになる。教師は有限であり、強い者を育てることが彼らの役割だ。早々に敗れた者に目をかける余裕はない。
だから俺はさっさと敗退して、壁に寄りかかって寝ていた。
楽な授業だ。
健全な生徒を育成しようっていう学院だったら注意されたかもしれないが、この学院は三国を守る精鋭を育成するための学院だ。
意識の低い者の意識を無理やり高めようとはしない。おかげでしっかり眠れた。
午後の授業が終わり、生徒たちは学院から帰路につく。
グラスレイン学院は、小高い丘の上にある巨大な学院だ。元々、城だった場所が増設されて学院となっている。
その丘を下ると都市がある。
名は〝アンダーテイル〟。
最初は小さな町だったそうだが、グラスレイン学院が設立されたと同時にアンダーテイルにも大勢の商人たちが入ってきたことで、今では大公国有数の都市となっている。
授業が終わった生徒は、寮に戻るかアンダーテイルに向かうか。その二通りに分かれる。
そして妹のレナはアンダーテイルで買い物をしてくると言っていた。
つまり。
時間があるということだ。
さっさと部屋に戻ると、俺は一枚の紙を取り出す。
人型の小さな紙。
それに魔力を込めると、俺と瓜二つな分身が出来上がる。
〝式神術〟。
廃れた東方の魔法だ。
百パーセント、自分の力を再現できるわけじゃない。それこそ身代わり程度にしか使えないのに、消費魔力が多い。
だが、俺にとっては優秀な魔法だ。
自律行動も可能だから、これによって一人三役が可能になる。
「寝ていろ」
式神に指示を出し、俺はすぐに転移する。
場所は剣の国、アルビオス王国だ。
■■■
アルビオス王国は武を尊ぶ質実剛健な国だ。
剣士の国として大陸に名が知られ、剣士ならばこの国の最高峰、〝剣聖〟を目指すべきと言われている。
そんなアルビオス王国の現剣聖の名はクラウド。二年前、突如として現れた旅人の剣士。
真っ白な髪に赤い瞳の青年だ。
そのクラウドの隠れ家に転移した俺は、そこでクラウドに扮していた式神の分身を解く。
すると、式神の記憶が俺の方に流れてくる。
出陣の要請が来た場合は、俺が転移して駆けつける。しかし、それ以外の日常は式神に送らせている。熟練の式神術ならば、それなりに分身が独立行動をできるからだ。
そして合流したら記憶を共有。これで俺は一人三役をこなしている。
とはいえ、共有された記憶はほとんど意味がないものだ。
この隠れ家を知っているのはごくわずかな者だけ。そのわずかな者たちも、剣聖クラウドは気ままに旅をしていると思っている。
だから訪ねてくる者はほとんどいない。
自由気ままに王国内を旅して周り、必要な時だけ戦場に出る剣士。空を流れる雲のように自由な男。それが剣聖クラウドなのだ。
自らの姿を幻術で変化させ、白いロングコートを羽織る。
二本の愛剣を腰に差し、少し厚底のブーツを履く。
姿を変えることはできるが、体型まで変えてしまうと戦うときに不便だ。ゆえに体型はロイ・ルヴェルとあまり変わらない。
ただ、まるっきり体型が一緒だとバレかねないのでブーツで小細工している。
涙ぐましい努力をしつつ、俺は王都へ向かう。
ルテティア皇国に大規模な侵攻があったため、城はかなりバタバタしているだろう。
剣聖が顔を見せることで、落ち着かせることができる。そう考えた王は、俺を呼び出したのだ。
アルビオスには剣聖がおり、同じような侵攻を受けても大丈夫と思えるからだ。
もちろん、七穹剣という精鋭はいるけれど、その中でも剣聖の強さは群を抜いている。
ルテティア皇国の大賢者と同じく、一人で国を守れる存在。それが剣聖なのだ。
そして俺はアルビオス王国の王都・アルスの中央にそびえたつ白亜の王城へやってきた。
慌ただしく走り回る城の騎士や大臣が俺の姿を認めて、立ち止まる。
「剣聖クラウド様だ……」
「剣聖殿が来てくださった!」
「そうだ! 我らには七穹剣の第一席! 剣聖様がいる!!」
少し悲壮感の漂っていた城の者たちの顔が明るくなる。
それだけ剣聖の存在は大きいのだ。
それを感じながら、俺は玉座の間へと向かった。
扉を開けると、そこでは王が重臣たちと対策を講じていた。
「ルテティア侵攻に失敗した帝国軍が次に狙うのは、我が王国でしょう!」
「それはこれまでの傾向から明らか! 国境に軍を増強するべきです!」
「その通り! 陛下! すぐに……」
今すぐに対策するべき。
そんな重臣たちは玉座の間に入ってきた俺を見て、黙り込んだ。
静かに重臣の言葉を聞いていたアルビオス国王、アルバート・ヴァン・アルビオスは口を開く。
「貴公はどう思う? 白の剣聖……クラウド」
「政治は〝オレ〟にはわかりません。ただ、たしかなことは十万程度なら何度来ても迎撃可能ですよ、陛下」
クラウドの真っ白な髪とは違い、光沢のある銀髪、紫色の瞳。アルビオス王家の特徴をしっかり持つアルバートは四十過ぎの男だ。
初代剣聖の子孫であるアルビオス王家の者にしては珍しく、武勇に秀でた王ではない。その代わり、歴代でも屈指の穏健派だ。
この王だからこそ、長年争ってきた隣国、ルテティア皇国との同盟が成ったといっても過言ではない。
「だ、そうだ。では、国境軍への増強はしない。以上だ。解散」
「し、しかし、陛下!」
「これ以上、議論するつもりはない」
ピシャリとそういうとアルバートは重臣たちを追い出してしまう。
そして俺とアルバートだけが残った。
「剣聖だけの力に頼るのは危険。軍を強化するべき。一見正しいように聞こえるが、腹のうちは見え透いている。守るためにと強化した軍は、貴公が帝国軍を迎撃したのち、帝国に逆侵攻を仕掛ける侵略軍と化すだろう。他でもない、彼らが一番、剣聖の力を過信している」
「迎撃しているだけじゃ旨味はありませんからね」
一時期、三国同盟は劣勢に立たされた。
とくにアルビオス王国は大きく領土を削られていた。
しかし、二年前から一気に反撃に転じて、元の国境まで帝国軍を押し戻した。
つまり、俺が剣聖になった時から反撃が始まったのだ。
だが。
「貴公の力で領土は取り戻したが、国力が戻ったわけではない。今は国力を蓄えるときだ。帝国に侵攻している余裕は我が国にはない」
「だから無駄な軍の増強はできないってことですね」
俺の言葉にアルバートは頷く。
これまで通り防衛するだけなら今の体制で問題ない。
わざわざ軍を増強するなら、それ以外のことに力を注ぎたいんだろう。
しかし。
「彼らの言い分はきっと、失ったからこそ奪うべき、ってところでしょう」
「帝国の領土は広い。少し奪うことはできるだろうが、守り切る力が我が国にはない。過ぎた欲は身を滅ぼす。得る物より失う物が多い。それに……私は戦争を望んでいない」
「同感ですが……相手がやる気なうちは終わりませんよ、戦争は」
「そうだな……早く諦めてくれるといいのだがな」
「皇帝が代替わりしない限りは無理でしょうね」
俺の言葉にアルバートはため息を吐いた。
帝国の皇帝はアルバートと大して年は変わらない。若くして皇帝の座につき、侵攻にすべてをささげている男だ。
まだまだ元気だろう。
誰かに玉座を譲るとも思えないし、暗殺ぐらいしか代替わりの手段はないだろう。
しかし、皇帝は強者たちを自分の周りに置いている。滅多にその強者たちは皇帝の傍を離れない。だから暗殺も難しい。俺ですら。
「帝国内にも不満を持つ者が増えていると聞く、彼らに期待するとしよう。顔を出してくれて助かった。また旅に出るのか?」
「その予定です」
「行く先は聞いても無駄か?」
「味方が知らぬということは、敵も知りません。オレの位置がわからないほうが敵は攻めにくいでしょうから」
「それも国を守る術か。では、ルイズに顔を見せてやってくれ。貴公に会いたがっていたのでな」
「わかりました」
■■■
王城の一室。
王族だけに許されたその部屋に、俺は入った。
そこでは銀髪の少女が一心不乱に剣を振っていた。
年は十歳くらい。
輝く銀髪をサイドポニーにしている。
紫色の瞳が俺の姿を捉えると、パァっと明るくなった。
「クラウド!!」
「やぁ、ルイズ」
振っていた剣を置き、少女、ルイズが駆け寄ってくる。
彼女はアルビオス王国の第二王女、ルイズ・ヴァン・アルビオス。
あと五年もすれば誰もが振り向く美しい女性になるだろうが、今はまだ無邪気な子供だ。
俺の腰に抱きつき、満面の笑みを見せる。
「お帰りなさい!!」
「ただいま、ルイズ」
そう言いながら俺は抱きつくルイズを机まで連れていく。
二脚の椅子を軽く引き、片方に俺、片方にルイズが座る。
しかし、ルイズはそれが不満だったのか、すぐに俺の膝に飛び乗ってきた。
「危ないぞ?」
「アルビオス王国にこの人ありと謳われる白の剣聖が、私を落とすはずないから大丈夫!」
「まったく……」
ルイズと出会ったのは剣聖になったばかりの頃。
国王である父は忙しく、母はもう亡くなっていた。
一人、寂しそうに剣を振っていたから声をかけた。
最初は王女だなんて思わなかった。あとから王女と知ったが、言葉遣いを改めるのも変なので、砕けた口調で接している。
本人もそれを望んでいるし、剣聖なら王族への無礼も目を瞑ってもらえる。貴族や騎士は良い顔をしないけれど。
こうしてたまに顔を出しては、剣の稽古をしたり、遊んだりしている。
「今回はどれくらいいるの?」
「残念だけど、すぐに出る」
「えー……遊んでくれないの?」
「ごめん」
素直に謝ると、ルイズは唇を尖らせた。
不満そうな顔だが、髪を撫でると幾分かマシになった。
「ねぇ、クラウド」
「うん?」
「戦争はいつ終わるの? お父様は忙しそうだし、お姉様は前線だし……」
「うーむ、現実的なことを言うなら皇帝が代替わりしたら終わるかな?」
「じゃあクラウドが帝国に行って、皇帝を斬れば終わるの?」
純粋な疑問。
それに俺は首を横に振った。
「終わるかもしれないけれど、それはできない」
「なんで? クラウドなら簡単じゃないの?」
「皇帝は自分の周りを五人の〝親衛隊〟に守らせている。彼らの力は凄まじい。一人一人がオレに匹敵するって言えばわかる?」
「そんな強い人が帝国にもいるの!?」
「帝国は人材も豊富なんだ。彼らが皇帝の周りにいる間は、暗殺なんて無理だよ。誰であってもね」
そう。
だからこそ耐えるしかない。
皇帝が痺れを切らして、前線に親衛隊を派遣するのを。
そうすれば皇帝の周りが薄くなる。
親衛隊の数には限りがある。前線で撃破を繰り返し、数を減らせばいつかチャンスが巡ってくるかもしれない。帝国は性急な拡大により、多くの国を支配下においている。彼らの反乱も見込めるだろう。
けれど、気の遠くなる話だ。
しかし、三国同盟にはそれしか勝ち筋がない。今の皇帝が続くかぎり。
まぁ、それに付き合う気はオレにはない。あと数年は剣聖であり、大賢者であり続けなきゃいけないだろうが、後継者さえ見つかればさっさと引退する。
三国を守るより、大事なことが俺にはあるからだ。
ただまぁ。後継者が――見つかればの話だが。