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第二十五話 幻想猫


 学院の外。定番となりつつあるアネットの稽古に付き合っていると、アネットは今日はおしまいと稽古を切り上げた。

 俺の絵も一区切りついたので、俺たちは学院への帰路についた。その道中、俺はこれまで聞けなかったことを訊ねることにした。


「なぁ、アネット」

「うーん?」

「嫌なら答えなくていいんだが……十二年前の出来事のきっかけが俺の父親だということは知っているか?」

「うん、知ってるよ。なんで?」


 なんでって……。

 不思議そうに聞き返すアネットに、俺は戸惑う。さすがに予想外な返しだ。


「アネットの……お爺さんは」

「お爺様は自分の意思で行ったんだよ。行かない選択もできたけど、お爺様が行くと決めたの。君のお父様は関係ないよ。そうでしょ?」


 達観した様子でアネットは告げる。

 俺なんかよりよほど大人だ。それは多様な経験をしてきたからだろう。

 ここでそれでもルヴェル男爵家に責任があるというのは、失礼というものだろう。

 この話は終わりだ。

 一言、そうだな、と告げて、俺はアネットと共に歩く。

 そんな帰り道。学院の門をくぐった俺たちの近くで、何かが通った。

 その何かにアネットは気付かない。とにかく速いうえに擬態していたからだ。

 そしてその何かは学院の中へと消えていった。

 生き物なのは間違いない。ただ、害のある感じではなかった。いざとなれば捕まえれば済む。そう思い、俺はその何かの後は追わなかった。




■■■




 学院内に戻ると、何か慌ただしい様子だった。

 俺とアネットが首をかしげていると、息を切らしたレナが通りかかった。


「レナ、何かあったのか?」

「お兄様! 大変です! 貴重な幻獣が逃げ出したそうで、今、みんなで捜索中なんです! 見つけた人には報奨金も出るそうです! お兄様も探してください! お願いしますよ!」


 レナはそれだけ言うと、ものすごい勢いで走っていってしまう。なかなかに本気だ。

 幻獣というのは、希少な魔法生物の総称だ。ただの動物と片付けるにはあまりにも特殊だし、かといって魔物ほど危険でもない。そういう分類の獣のことだ。

 学院がわざわざ生徒に報奨金を出すと言うことは、相当、重要なんだろう。

 まぁ、俺には関係ないけれど。


「ご苦労なことだ」


 そう言って俺は寮の部屋に戻ろうとするが、服を掴まれた。

 気のせいだと思い、無理やり進もうとするが、がっちりと掴まれている。


「……なんだ?」

「ロイ君! 報奨金はあたしたちが貰うよ!」


 目がお金になっているアネットが俺の服を掴んでいた。

 しかも、俺が協力すること前提らしい。


「……寝たいんだが?」

「お願いお願いお願い!!」


 まるで子供のようにアネットは両手を振る。ただの我儘なら無視するところだが、アネットがお金を必要としているのは弟や妹のためだ。

 無碍に扱うのは心が痛む。

 だから、俺はため息を吐いて呟く。


「ちょっとだけだぞ?」

「わー!! ありがとー!!」


 アネットは素直に喜ぶ。だが、すぐに真剣な顔つきへと変わり、宣言した。


「では! 出発!」

「あてがあるのか?」

「あてはないけど、こういう時は知恵ある人に聞くに限るよ!」


 そう言ってアネットは歩き始めた。

 向かったのはいくつかある食堂の一つ。食事時ではないので、生徒の姿はまばらだ。

 そんな食堂の奥。優雅に紅茶を飲みながら読書をしている女生徒がいた。


「おーい! ユキナさん! 知恵貸して!」

「あら? アネットさん、それにロイ君」


 アネットに声をかけられた女生徒、ユキナは不思議そうに首を傾げた。なぜ、俺たちがここに来たのか疑問なんだろう。

 というか。


「なんでユキナがここにいるってわかったんだ?」

「前、ここでお茶したんだよ。一杯ごちそうしてもらっちゃった」


 えへへ、とアネットは笑う。

 アネットから詳しく話を聞くために、ユキナは手っ取り早く食事で懐柔したらしい。やけに情報を聞きだすのが早いと思ったが、そういうことだったか。


「ここは静かだし、読書には向いているの。それはそれとして、何事かしら?」

「そうそう! あのね! 幻獣が逃げ出したらしくて、見つけたら報奨金が出るんだよ! 捕まえるのに知恵を貸して!」

「そういえばそんなこと言っていたわね。たしか……幻想猫(ミラージュ・キャット)だったかしら?」

「逃げ出した幻獣を知っているのか?」

「教師陣がそんな話をしていたわ。興味がなくて、探す気もなかったけれど……二人は一緒に捜索中かしら? 仲が良いのね」


 スッとユキナの目が細くなる。言い知れる圧力を感じて、俺は自然とアネットの後ろに隠れるが、そのせいでより圧力は強くなった。


「うん! 一緒に探してってあたしが頼んだんだよ」


 アネットは素直にそう言って、邪気のない笑みを浮かべる。

 その反応に少しユキナは戸惑った様子を見せる。


「そ、そう……でも、二人で探しているなら私の知恵なんていらないんじゃないかしら? それに私はまだ読書の途中だし」

「そんなことないよ! お願い! ユキナさんの知恵が必要なの!」


 ユキナはあまり気が進まないようだった。まぁ、ここは静かで読書に向いているから気にいているわけで、そこにうるさいのが割り込んできたら迷惑ではあるか。

 とはいえ。


「アネットは弟や妹に報奨金を送りたいらしいんだ。手伝ってくれないか?」

「……そういう言い方はずるいわね」

「頼むよ、ユキナ」

「……仕方ないわね」


 しょうがないとばかりにユキナはため息を吐いて、開いていた本を閉じた。


「ありがとう! ユキナさん! 大好きだよ!」


 そう言ってアネットはユキナに抱きつく。

 アネットの素直な感情表現に戸惑いつつ、ユキナは説明を始めた

「幻想猫は高度な擬態能力を持っているわ。どのような場所でも溶け込めるの。普通にやって見つけるのは難しいわね」

「ユキナでも、か?」

「学院をくまなく捜索するのはごめんよ。それより簡単な方法があるわ」


 ユキナは言いながら、食堂の調理場は指さす。

 それだけで俺はだいたい何をやろうとしているのか、察した。


「え? 何? 何やるの?」

「本で読んだわ。幻想猫の主食は果物よ。見えない相手を追いかけるより、来てもらうほうが早いわ」

「なるほど! 餌で釣るんだね! さすがユキナさん!」

「けど、今、私の持ち合わせがないわ」

「あたしもないよ?」


 学生用の食堂とはいえタダではない。

 ユキナとアネットがジッと俺を見つめてくる。

 その圧に負けて、俺はため息を吐きながら財布を出した。悲しいことに、持ち合わせがあってしまった。

 こんなことなら存在に気づいたときに確保しておけばよかった。




■■■




「わーっっ!! ねぇ! 食べていい!? 食べていい!?」


 幻想猫をつり出すために、俺たちは食堂で用意できる果物やデザートをテーブルに並べていた。

 なのに、なぜかアネットが興奮している。


「食べていていいんじゃないかしら。もったいないもの」

「構わないけど、これで捕まえられなきゃ払い損か……」

「その時は私が立て替えるわ」


 さすがお嬢様。言うことが違う。

 それならすっかり寂しくなった俺の財布も復活するかもしれない。

 ただ、一番は幻想猫を捕まえることだ。それで報奨金が手に入る。

 なんて思っていると、アネットが幸せそうにデザートを食べ始めた。


 「うーん! 甘い! 幸せ!」


 本当に幸せなんだろうな、という表情をアネットが見せる。

 そんなアネットに苦笑していると、突然、それはやってきた。

 何かがテーブルの上に乗り、果物を勢いよく食べ始めた。

 俺とユキナが同時にそれを取り押さえようとするが、それは一瞬で察知すると果物をくわえて、テーブルを強く蹴った。

 それだけでテーブルがひっくり返り、テーブルの上にあった果物やデザートが飛び散る。


「ちっ! 逃げられたか!」


 咄嗟に後ろに引いて、テーブルから離れたため俺に被害はない。

 しかし、二人は違った。


「あ、あたしのデザートがぁ……」

「着替えなきゃね……」


 飛び散ったデザートや果物で、ユキナとアネットの服はひどく汚れていた。

 アネットの場合は、汚れたことよりデザートが駄目になったことのほうがショックみたいだが。


「俺が追うから、あとで合流しよう」

「お願い。さぁ、アネットさん行きましょう」

「まだ食べてないのもあったのぃ……」


 嘆くアネットを連れて、ユキナはその場を後にする。

 それを見送った後、俺は幻想猫を追った。悠長にしているのには理由がある。

 果物をくわえていったから、たしかな痕跡を追えるためだ。

 点々と落ちている果物や、果汁。そしてその匂い。それらが姿の見えない幻想猫の行方を教えてくれる。

 それらを追っていくと、近くの建物へと向かっていた。

 よほど腹が減っていたんだろう。まだ果物をくわえている。

 そっと気配を消して、扉の開いていた部屋を覗き込む。姿は見えないが、確実に何かを食べている音が聞こえる。

 素早く俺は部屋へと入り、扉を閉める。


「これで逃げ場はないぞ?」


 果物を食べていた幻想猫を部屋に閉じ込め、俺は腰に手を当てる。

 意気込んで怖がらせても仕方ない。

 ジッと見つめていると、幻想猫は擬態が通用しないと判断したのか、擬態を解いた。

 真っ白な子猫がそこにはいた。唸りながら威嚇してきているが、大して怖くはない。

 そっと前に出る。怖がらせないように、なるべくゆっくりと。

 しかし、それがまずかった。

 一瞬のうちに幻想猫は部屋の壁をよじ登り、小さな隙間から通気口へと入ってしまった。


「しまった……猫を甘く見てたな」


 予想外の動きにそう呟きつつ、俺は自分の耳を頼りに部屋を出て、幻想猫を追う。

 擬態できるとはいえ、走れば足音が聞こえる。ましてや通気口を通る足音だ。追うのはそんなに難しくない。

 駆け足で追っていると、突然、幻想猫が進路を変えた。その先には部屋がある。

 好都合。そこで捕まえてやる、と意気込み、俺は部屋の扉を開けたのだが。


「えっ……?」

「わっ!?」


 そこにはユキナとアネットがいた。さきほど汚れた服を着替えるために。

 なぜ? という言葉は出てこない。確認してないが、ここが更衣室で、一番近かったからだろう。

 タイミングがいいのか、悪いのか。ユキナの水色の下着も、アネットのピンクの下着もばっちり見えてしまっている。

 二人は俺の姿を見て、固まる。ただ、すぐに顔を赤くして服で体を隠すが、それだけで隠せるものではない。

 ユキナは均整の取れたスレンダーな体だということがよくわかったし、アネットは小柄な体に似合わず、思ったより胸がデカいというのがわかってしまった。

 非常に気まずい。気まずいが、ここに幻想猫が逃げ込んだのも事実。

 どうするべきかと迷っていると。


「タダ見禁止!」


 そう言ってアネットが物を投げつけてきた。

 急いで扉をしめて、俺は弁明する。


「違う! ここに幻想猫が逃げ込んだから……ごめん!」

「えっ!? 報奨金!」

「アネットさん! まず服を着て!」

「でもでも! 報奨金が! どこ!? どこ!?」


 わちゃわちゃと部屋の中から聞こえてくる。

 たぶん、もう幻想猫は逃げてしまっただろう。つまり、証拠がない。俺はただの覗き野郎ということだ。

 さすがにわかってくれるとは思うが……。


「あの猫め……」


 どうして俺がこんな目に、と思いつつ、俺は壁にもたれ掛かるのだった。

 それからしばらくして、別の生徒が寛いでいた幻想猫を見つけて、保護したという情報が入ってきた。

 元々、親と離れてしまった個体らしく、学院がしっかりと引き取り先を探すそうだ。


「ああぁぁ……あたしの報奨金……」


 しばらくの間、アネットの放心状態は直らなかった。

 俺としてもデザート代は払うし、駆けまわる羽目になるし、踏んだり蹴ったりではあったが……。

 美人の着替えを見られたという点だけで、プラスマイナスゼロと思っておこう。

 実際、眼福物ではあったしな。怖くて口には出せないけど。



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