第一話 稽古相手はクール美少女
歪なDのような形をしたロディニア大陸にはいくつもの国がある。
しかし、大・中・小で大きさを分けた時。大に分類されるのは一国だけ。
大陸のほぼ半分を領土とする大国〝ガリアール帝国〟だ。
大陸の東側半分はこのガリアール帝国の領土といっていい。
そんなガリアール帝国は今代皇帝になってから二十年。積極的な侵攻策を取っており、その領土を広げている。
だが、二年ほど前からその侵攻にも陰りが見え始めた。
各国の抵抗が激しくなったのだ。
特に大陸北西部に位置するアルビオス王国とルテティア皇国。領土的には中に属する。そして両国を支援する小国、ベルラント大公国。
この〝三国同盟〟には手を焼いている。
その中心にいるのが白の剣聖と黒の大賢者。
どうにか打ち破るために、帝国は頻繁に軍を派遣するがすべて返り討ちにされている。
とはいえ。
三国同盟はその現状に甘んじてはいない。侵攻を跳ね返しているだけで、優位に立っているわけじゃないからだ。
目下の課題はより良い、そして、より強い人材の育成。
ゆえに、領土的に帝国とは接していない後方にあたるベルラント大公国には、三国が共同運営する学院があった。
名は〝グラスレイン学院〟。
十年前に設立されたこの学院は、三国から優秀な教師陣を集め、三国の逸材たちを教育するための学院だ。
中等部と高等部があり、二つの学科がある。
剣の国、アルビオス王国の教師陣が教える〝魔剣科〟と、魔法の国、ルテティア皇国の教師陣が教える〝魔導科〟。
魔剣科の制服は白。魔導科の制服は黒。
国を守るために強くなる。
そういう強い意志と誇りをもって、素質ある若者たちが集まっている。
その魔剣科の末席。
常に最下位常連が俺、ロイ・ルヴェルだ。
■■■
「おいおい、〝落第貴族〟のくせに遅い出席だなぁ?」
「今日の実技が嫌で来ないかと思ったぜ!」
「毎回、無様に負けてるからな!!」
魔剣科一年と書かれた教室に入ると、何人かが俺の存在に気づき、言葉を浴びせてくる。
言い返すのも面倒だし、言っていることも事実なため、俺はさっさと自分の席につく。
そのまま机に突っ伏して目を閉じた。
睡眠は人に与えられた当然の権利だ。
早朝からルテティア皇国に行っていたせいで、睡眠が足りてない。
授業が始まるまでの僅かな時間、眠るくらい許されるだろう。
「また寝てるぜ?」
「寝るしか能がないからだろ?」
「あれでルヴェル男爵家ってんだから、驚きだよな?」
「まさに〝落第貴族〟。お父上や兄上、それに妹も恥ずかしいだろうさ」
通称は〝落第貴族〟。
言い得て妙な通称だ。
ルヴェル男爵家の現当主は、アルビオス王国とルテティア皇国をその知略で翻弄した我が父上。十二年前、自分の領地を餌にして、両国の過激派を戦場につり出し、それらを殲滅して三国同盟設立の要因を作り出した傑物。両国からは〝灰色の狐〟と評された謀略家。
俺の兄は現公王に仕えるエリート。妹のレナは中等部の次席。
灰色の髪を持つ者、つまりルヴェル男爵家は優秀。それがベルラント大公国の常識だった。けれど、例外も存在する。
それが俺。
そんな俺の通称が落第貴族なのは、優秀な家系の中で唯一の落ちこぼれというのと、本来なら落第するはずなのに、とある事情から落第せずにいること。
そしてそんな状況に甘んじている、貴族としてあるまじき駄目さ。
つまり。〝ルヴェル男爵家として〟。〝学院の生徒として〟。〝貴族として〟。
すべてにおいて落第しているという意味だ。
まぁ、真実はどうあれ、学院の生徒に見えているものだけで判断すれば俺は相当問題児だ。
午前の授業には滅多に出ないし、出てもずっと寝ている。かといって成績が良いわけじゃない。
この学院に来る生徒たちは、大なり小なり向上心を持っている。祖国を守りたいとか、家族を守りたいとか、出世したいとか、理由はいろいろだけど前を向いている。
そこに俺みたいのが混じっていれば陰口くらいは出てくるだろう。
俺としてもさっさと退学にしてくれればいいのに、と思っている。
学生をやりながら剣聖と大賢者を演じるのは結構、無茶だ。
けれど、なかなか退学にならない。
それがとある事情。
俺ですら、ベルラント大公国にとっては〝大事な逸材〟なのだ。
ベルラント大公国からすれば、アルビオス王国もルテティア皇国も大国だ。当然、人材の面でも差がつく。
現在、ベルラント大公国出身者の中で、成績上位の者はほぼいない。それぐらい差がある。けれど、三国で協力して人材を育成しようという創設理念のためにベルラント大公国からは毎年、ベルラント大公国出身の若者が一定数、入学している。
〝現地枠〟というわけだ。
しかし、大公国はその現地枠の確保すら苦慮している。最低限の入学条件をクリアできる者すら少ないからだ。だから、俺も退学にならない。
そんな理由で俺は落第もしない。どれだけ成績が悪くても。
大事な現地枠だから。
当然、そんな特別扱いは祖国を守ろうと学院に通う真面目な学生たちからすれば、面白くない。
けれど、それが学院の、そしてベルラント大公国の方針なんだから仕方ない。
「よーし! 席につけ! お前たち!」
強面の教師が教室に入ってきた。
さきほどまでざわついていた教室が静かになり、生徒たちは席につく。
教室を見渡していた教師は俺の姿を認めて、ニヤリと笑う。
「来たか、寝坊助」
「……起こされたんで」
「ありがたいことだ。これで人数が偶数になった」
そういうと教師は声を張り上げた。
「全員、着替えて修練場に集合! 本日の実技は模擬戦に変更だ!」
声を聞き、俺は顔をしかめた。
模擬戦じゃ眠れないからだ。
だが。
「今日はトーナメント形式だ。勝てば強い者と戦えるし、負けたら基礎稽古だ。経験を積みたきゃ、勝て。一位には特別実習への参加を許可しよう」
この学院に来ている者たちは向上心を持ってきている。
早々に負ければ経験を積めない。それをもったいないと思う奴らだ。
しかも特別実習は成績優秀者しか受けられない。そんな報酬を出されては、燃えてしまう者たち。
けれど俺は違う。
「さっさと負けてサボろう」
俺はここに学びに来てはいない。寝に来ているんだ。
■■■
学院は国を守る逸材を育てる場所だ。
当然、国を守るためには強くなくてはいけない。三国には帝国という明確な敵がいるからだ。
巨大な円形の修練場には、動きやすい修練服に着替えた生徒たちが集まっていた。
「まずは二人一組になって、ウォーミングアップだ! 組み合わせは事前に伝えたな!」
……伝えられてないが?
ほかの生徒はさっさと自分のパートナーを見つけている。
次々にコンビが出来上がっているのを見て、俺は立ち尽くす。
ボッチに当たりが強すぎでは? と思っていると、教師が俺を呼ぶ。
「ルヴェル! ロイ・ルヴェル!」
「……はい?」
「ボーっとするな。お前の相手は彼女だ」
教師は修練場の入り口を指さす。
そこには黒髪の少女がいた。 驚くほど綺麗な少女だ。思わず目が奪われる。
スッと伸びた背筋、白い肌。そして氷のような無表情。少女は長い黒髪を揺らしながらすたすたとこちらに歩いてくる。
それを見て、周りの者たちがつぶやく。
「〝剣魔十傑〟第三席……氷剣姫……ユキナ・クロフォード……」
「本国に呼び戻されてたはずだけど、戻ってきたのか……」
「今日の一位は無理だな……これは」
周りの者たちが一斉に威勢を失くす。
それだけ彼女が絶対的な存在ということだ。
教師が偶数になったことを喜んでたのは、彼女が帰ってきたからか。
「先生、遅れてしまいすみません」
「気にするな。戻ってきて早々、模擬戦だが問題ないな?」
「はい」
氷剣姫なんて呼ばれるだけあって、冷たい声だ。
それが良いなんて言う輩も大勢いるらしいが、俺は温かみある女性のほうが好きだ。
ただ、認めざるをえないのはその容姿。
男子の間では〝魔剣科一の美少女〟と呼ばれているが、それも間違っていないだろう。
たしかに彼女は美しい。
真っ黒な黒髪は夜空のように引き込まれる魅力を放っているし、薄い青色の瞳は声と同様に冷たい光を放っている。
雪のように白い肌は本当に体温を持っているのか、不安になるほどだ。
氷のように冷たい表情も、ミステリアスな感じを強めている。
ただ、威圧感に対して体はそこまで大きくない。俺よりも背は小さい。
女性にしては、やや高いくらいだろう。けれど、この場にいる誰よりも大きい存在感を発している。
「ルヴェル、彼女がお前の相手だ。真面目にやらんと怪我するぞ?」
ニヤリと教師は笑い、俺と少女、ユキナを残して立ち去っていく。
残された俺は立ち尽くし、ユキナはスッと模擬剣を構えた。
「よろしく、ルヴェル君」
「あ、よ、よろしく……」
すでにウォーミングアップは始まっている。
ここにいる生徒は全員、魔剣科。つまり全員が剣士だ。ウォーミングアップも簡単な剣による手合わせ。
ただ、彼女は氷剣姫なんて呼ばれる実力者。実力の高い者のウォーミングアップは、ある程度の実力がないと務まらない。
「行くわね」
そう言ってユキナが剣を動かした。
左からの斬撃。
速いが、全然、全力ではない。俺が反応できるか探っているんだろう。
なんてことない相手なら、この手を食らってしまうんだが……彼女はちょっと特殊だ。
ユキナ・クロフォードはかつての剣聖の子孫。
剣の国、アルビオス王国の名門クロフォード公爵家の娘であり、次期剣聖を狙う逸材だ。
本人もそれは公言しているし、それは決して大言壮語ではない。
学院には魔剣科・魔導科問わず成績優秀者、つまり強い奴らだけが名を連ねることができる〝剣魔十傑〟と呼ばれるランクがある。
席は十。次代の剣聖・大賢者を担う可能性を秘めた新星たちというわけだ。
ユキナは一年生ながらその第三席。
まさしく逸材。学院全体で見渡しても、これほど才能に溢れた剣士はいないほどの。
つまり、どういうことかというと。
剣聖の座を押し付けられる存在、もとい――剣聖の座を継いでくれるかもしれない存在だということだ。
ちゃんと強い奴が後継者になってくれれば、俺が剣聖を続ける理由はない。
けれど。
今の彼女は剣聖どころか、七穹剣にすら及ばない。
それは明確な弱点があるからだ。
落第貴族のロイが指導なんてしても、影響はたかが知れているかもしれない。剣聖として手解きする機会はほとんどないし、そもそも弟子を取って育てる時間は俺にはない。最低限のレベルまでは、自分で強くなってもらう必要があるわけだが……。
明確な弱点があるわけだし、ここで一つ、指導しておくか。成長が加速してくれれば儲けものだ。
俺は剣でユキナの斬撃を受け止める。
ユキナは少し意外そうにしつつ、さらに斬撃の速度を上げようとしてくる。
けれど、俺はそれをさせない。
ユキナは攻撃において、かなり高いレベルでまとまっている。
弱点は攻撃ではない。防御だ。
学生レベルじゃユキナを受けに回させる使い手は少ない。ゆえにユキナは攻撃に比べて、防御が下手だ。
攻撃で圧倒できてしまうから。
しかし、戦場や強敵が相手となると。
防御こそが一番だ。死なないからこそチャンスがある。
ユキナが剣を引き、次の攻撃に移ろうとする僅かな隙。
そこで俺は前に出て、突きを放った。
大して速度もない平凡な突きだ。
けれど、ユキナの隙を完璧についたその突きに、ユキナは思うような反応ができない。
攻撃にばかり意識が行っていた証拠だ。どれだけ弱い相手だろうと、反撃してこないと思い込むのは慢心だ。
隙を突かれれば、この程度の攻撃でも反応できない。これでユキナも多少なりとも防御を意識するだろう。
俺は剣をユキナの喉の前で止める。
「もう少し、本気で大丈夫だよ」
「……そう。それならお言葉に甘えるわね」
そう言ってユキナの目が本気になった。
かなり負けず嫌いなんだろう。
仕切り直しとばかりに、二人で再度剣を構える。
そしてユキナは怒涛の攻撃を仕掛けてきた。
右、左、突き、上段、下段。
多彩な攻撃を俺は受け止める。なるべく必死に。
どうにか食らいついている感を演出する。
そんな俺の防御に対して、焦れたユキナが決めに来た。
再度、左からの斬撃。
けれど、これはフェイントだ。わずかな重心移動からそれを見抜き、俺は手だけそれに反応しつつ、本命の右からの斬撃に備える。
まだまだ浅いフェイントだが、これは引っかかってもいいかもしれない。
ギリギリ間に合わない、を演出しよう。
そんなことを考えつつ、視線を右に移動させたとき。
ユキナの目が俺の目を捉えていることに気づいた。
その目の色に俺は一瞬、目を見開く。
輝く金色の瞳。ユキナの目の色は本来、薄い青色の瞳。明らかに瞳の色が変わっていた。
魔眼。そんな言葉が頭によぎる。
超希少な具現化した魔法。魔力の高い者にごくまれに顕現するレアスキル。
輝く星を瞳という箱に収めた芸術品と評されるそれは、持っているだけで評価されるレベルの代物だ。
持っている者は滅多にいないし、持っていれば噂になるはず。ユキナが魔眼持ちだなんて聞いていない。
今日まで一度も使っていなかったモノを俺に使ったってことか?
しかも。
よりにもよって〝天狼眼〟。
最上位に分類されるA級魔眼。
その効果は〝見切り〟。身も蓋もない言い方をすれば、とても目が良くなる。ただ、その効果が異常だ。
あらゆるものを見切るその目は、きっと俺の動きをすべて捉えている。
俺とユキナの間には絶対的な実力差がある。だから、俺の手加減を見抜けないと踏んで、こんなことをしたわけだが。
天狼眼はそんな俺の動きを見ることができてしまう。
その目は驚きに見開かれた。
俺がフェイントに引っかからず、次の攻撃を的確に読んだからだ。
良い眼を持っている。そんなことを思いながら、俺は左からの斬撃が止まり、右からの斬撃に変化するタイミングでそちらに剣を移動させる。
フェイントに気づいていることは見抜かれている。あえて食らうのは不自然だ。
しかし。
「わぁお……」
右からの攻撃。
たしかにユキナはそのつもりで動いていた。
けれど、俺が読んでいるのを見抜いたユキナは無理やり、それを突きへと変えた。
読みが外れた俺はそれに反応できない。
まいったとばかりに両手をあげる。
「お見事」
「……」
俺の賛辞にユキナは反応しない。元に戻った青色の瞳がジッと俺を見つめてくる。
何か言いたげだ。しかし、言葉は出てこない。
その代わり、ユキナは再度剣を構えた。
「もう一本」
何かを確かめたい。
そんな雰囲気のユキナだったが、それは教師の言葉で遮られる。
「ウォーミングアップ終了!! これより模擬戦に移る!」
教師の言葉で俺とユキナのウォーミングアップは終了した。
好都合とばかりに俺は剣を下ろし、軽く手を振った。
「お疲れ様。勉強になったよ」
「……」
機会を奪われたユキナは不満そうな表情を見せるが、それ以上何も言ってこない。
さすがは逸材。まさか魔眼を隠し持っているとは。学生相手だから気を緩めすぎたか。
あの目で見ていたと言うことは、俺が力を隠していることには気づいただろう。ただ、それがどれほどまでかはわからないはず。
相手は次期剣聖を期待される逸材で、俺は学院の落ちこぼれ。
今回は教師が決めた相手だったから関わったが、本来なら関わることがない相手だ。
疑念もそのうち消え去るだろう。
そう思いながら俺はユキナに背を向けたのだった。