第十八話 よからぬ男
ルテティア皇国。
魔法の国と呼ばれるこの国は、魔導師の数がほかの国と比べて段違いに多い。
少し前までは魔導師になれない者は落ちこぼれ扱いすら受けていたそうだ。
今はそういう風潮が少なくなり、グラスレイン学院の魔剣科に入学して、剣士を目指す者も増えてきている。
ただし、それでも魔導師が優遇されることに変わりはない。
最高戦力が〝十二天魔導〟という魔導師集団なのが良い例だろう。
そのトップに立つ黒の大賢者は、自分に与えられた屋敷から滅多に出てこない。
帝国が攻めてきた時か、王から依頼が来た時か。
それ以外は自分の魔導研究に没頭している。
――ということになっている。
実際は、屋敷にいるのは式神だし、本体はグラスレイン学院で生徒をやっている。
我ながら馬鹿みたいな三重生活だ。
どうしてこんな手間を父上はやらせるんだろうか?
剣聖と大賢者に集中させてくれれば、もう少し楽なのに。
そんなことを思いつつ、俺は屋敷に配置していた式神の分身を解く。
記憶が流れてくるが、変わり者と噂の大賢者を訪ねてくる者は滅多にいない。
というか、アポもなしに大賢者に会おうとする者がそもそもいない。
ただ、今日はアポがある。
わざわざ帝国侵攻というわけでもないのに、ルテティア皇国に来たのはそのアポのせいだ。
無駄にデカい屋敷を歩き、俺は応接室へと向かう。
玄関には向かわない。
無駄だからだ。
「よう、邪魔しているぞ」
そこには金髪の男がいた。
年は二十代半ばか。
整った顔立ちに、服の上からでもわかる細身だが引き締まった体。
見るからに上等そうな服を平然と着こなす姿は、名門貴族か、もしくは大成功を収めた商人あたりを思わせる。
特徴的なのはその落ち着いた声と、端正な顔に浮かんだ不敵な笑み。
何やらよからぬことを考えてそう。
そんな風に思わせる雰囲気を体中から発している。
しかし、そんな男は屋敷にあるグラスを勝手に使い、勝手に置いてある酒を飲んでいる。
まるで自分の家かのような振る舞いだ。
その振る舞いすら様になっているのが癪ではあるが、こいつ相手に怒っても仕方ない。
「相変わらず礼儀のなってない男だな、お前は」
「そうか、悪かったな。お前が丹精込めて用意した式神にお邪魔しますと言えばよかったか? すまんな。人形遊びの趣味はないんだ。お前の気持ちをわかってやれなかった」
しっかりと俺の方を見て、そんなことを言ってきた。
顔が本当に申し訳なさそうなのが、余計腹立たしい。
人を挑発することにかけて、こいつほど長けている人間はそうはいないだろう。
「用がないなら帰れ」
「わざわざ今日、屋敷に出向くと伝えていたのに用がないわけがないだろ。俺はそこまで暇じゃない」
「それなら早く用件に入ってほしいものだな、十二天魔導の第七位、風魔のヴァレール」
男の名はヴァレール。
十二天魔導の一人で、俺が現れるまでは最速の魔導師と呼ばれていた男だ。
風系統の魔法を操り、どんな場所にでも素早く向かうことができる。
ただし、それはこいつの最大の特徴じゃない。
こいつの最大の特徴は情報収集能力。
三国を股にかけて、時には帝国にまで潜入して情報を集めている。
諜報こそがヴァレールの真骨頂であり、三国一の情報屋といっていい。
話術や変装もお手の物で、どの場所でもそれなりの身分をもっている。
唯一、三国で俺より忙しい男。
それがヴァレールだ。
「黒の大賢者様はせっかちだな。まぁいい――帝国がこれまでにない大規模な作戦を計画している」
ヴァレールは酒の入ったグラスを置くと、静かに告げた。
わざわざ俺に言うあたり、偽情報ではないだろう。
「時期は?」
「そろそろということしかわからん。わかっているのは、この作戦が失敗したら皇帝は親衛隊の投入を検討する。そのレベルの作戦ということだ。各戦線の精鋭たちが集められ始めているようだ」
「親衛隊を極力動かしたくない皇帝からすれば、どうにかこれを成功させたい。そういう作戦か」
「そういうことだ。ここ最近の侵攻はすべて情報収集が目的らしい。十万での侵攻が情報収集というのは馬鹿げているが……それだけ次の帝国は本気だぞ?」
「だとしても、私がやることは変わらない。撃退するだけだ」
「素晴らしい回答だ。さぞやルテティアの民は安心するだろうな。だが、帝国も馬鹿じゃない。どれだけ軍勢を動員しても、お前を突破できないことはわかっているはずだ。この作戦には裏がある」
ヴァレールはそう言うと、一枚の紙を取り出した。
おそらく帝国の重要書類。
暗号化されていて、意味のない手紙にしか見えないが。
「まだ解読中のものだが、上層部でこの手の書類が頻繁に交わされている。失敗ができない作戦ゆえ、慎重になっている可能性もあるが……俺の意見は違う」
「用意された大軍勢が陽動の可能性もあるということか?」
「ご名答。察しが早くて助かる。敵が来たときはそれを頭に入れて行動してほしい」
「陽動とわかっていても、大規模な軍勢には対処せざるをえないが?」
「迅速に対処して、ほかに備えてほしい。お前ならできるはずだ」
「無茶を言う男だ」
「大賢者というのはそういうポジションだ。ただ、お前にばかり働かせては申し訳ないからな。詳細が分かり次第、また連絡する」
ヴァレールは酒の入ったグラスを一気に飲み干すと、そのまま立ち上がる。
かなり強めの酒を飲んだはずだが、酔った様子もない。
服を整え、では、と立ち去ろうとする。
しかし、ヴァレールは立ち止まった。
「言い忘れていた。弟子を取る件、考えてくれたか?」
「弟子を取る気はない」
「もったいないな。お前はいい先生になると思うんだが」
「私は自分のことで忙しいのでな」
「それはそうだな。式神を用意して、こそこそと何をやっているのやら。まぁ、俺には関係のないことだ。ルテティアを守ってくれるかぎり、俺はお前の味方だ。安心しろ。もしも弟子を取る気があるなら、言ってくれ。面白い人材を知っている」
言うだけ言うと、ヴァレールは風と共に姿を消した。
すでに気配は付近にない。
抜群に有能な男なのは間違いないが、それゆえ俺の式神もあっさり見抜いてくる。
本人は特に俺の正体を詮索する気はないようだが、あいつの言葉ほど信じられないものもない。
きっと裏で俺についての情報も集めているのだろう。
できれば関わりたくないが、有能すぎて関わらないという選択肢を取れない。
あれほど安心できない、安心しろという言葉もないだろうな。
「もしも弟子を取るとしても、奴が紹介する面白い人材だけはごめんだな……」
呟きながら、俺は式神を作り、その場をあとにしたのだった。