第九話 ルヴェル男爵家
決闘の話は瞬く間に広まった。
落第貴族がタウンゼット公爵家の御曹司、そして剣魔十傑の第六席に決闘を申し込んだんだ。話題にならないわけがない。
さらに、ティムは相当頭に来たのか、この決闘を相当大がかりなものにしようとしている。
準備期間は一週間。
稽古場を貸し切り、アルビオス王国、ルテティア皇国からかなりの来客を呼んで行うらしい。もちろんそこにはタウンゼット公爵も含まれている。
これほど大規模な決闘は滅多にない。
普通なら教師の立ち合いの下、ひっそりと行われる。少なくとも観客は生徒だけだ。
外から人を呼ぶなんて、よほど腕の立つ生徒同士の決闘じゃなければ行われない。
見世物にならないからだ。つまり、だ。
「自分が勝つ姿を見せたいから親を呼ぶとは……親離れができない人だなぁ」
「言っている場合か?」
部屋のベッドで呟くと、呆れた声が返ってきた。
灰色の髪に黒い瞳。
俺との違いはまず背が高いこと。それと伸ばした髪を後ろで結っていること。
名はリアム・ルヴェル。
俺の四つ上の兄だ。
年は二十歳。
今は王城にて外務大臣の補佐官をしているエリートだ。
「お前がタウンゼット公爵の息子と決闘をすると聞いたとき、俺がどんな気持ちだったか、わかるか?」
「いつも苦労をおかけしてすみません、兄上」
静かに頭を下げる。
リアム兄上は苦労人だ。生真面目な性格のせいで、苦労を背負い込んでしまう。
タウンゼット公爵はアルビオス王国の名家だ。
いろいろと問題のあるルヴェル男爵家の者が、その不興を買い、決闘に発展したとなれば、城での兄上の立ち位置も微妙なものとなる。
「俺の苦労などどうでもいい。経緯はレナから聞いている。俺もむかついた。お前の立場なら同じ行動をしていたかもしれん。だが……勝算はあるのか?」
「八割ほど」
「勝てるか!?」
おお!? という表情を兄上が浮かべる。
思わず座っていた椅子から腰が浮く。
しかし。
「負けます」
「では、二割ではないか! 期待させるな!」
兄上は期待して損したという表情で椅子に座りなおす。
しかし、少し考えて聞き返してくる。
「……二割もあるのか?」
「一応、弱点はわかっています」
「相手は第六席。それに二割もあれば上等か。それで? その弱点というのは?」
「秘密です」
「俺にまで秘密か?」
「お楽しみということで」
「まぁいい。少なくとも勝算があるなら良い。気づいていると思うが、俺が来たのはお前を説得するためだ。決闘の前に頭を下げにいけ、という説得だな」
「兄上の立場なら仕方ないでしょうね。いつもすみません」
兄上は外務大臣の補佐官。
外務大臣からすれば、いくら学院内のことであってもアルビオス王国の有力貴族と自国の貴族が揉め事を起こすのは避けてほしいだろう。
ましてやルヴェル男爵家。アルビオス王国にしろ、ルテティア皇国にしろ。
ルヴェル男爵家によいイメージを持っていない。
まぁ、やったことがやったことではあるし。 しょうがないといえばしょうがない。
とはいえ、もっともルヴェル男爵家を警戒しているのは大公国の貴族たちだが。
いつ、父上の謀略が自分たちに向くのかと恐れている。
だから爵位は上がらないし、要職につくこともない。
そんなルヴェル男爵家のイメージを変えるため、兄上は城で働いている。馬車馬のように。
すべて俺やレナのためだ。
自分が城にいれば、少しは父上への疑いも薄れる。自ら人質になったようなものだ。
そんな兄上には頭が上がらない。
迷惑ばかりかけている。
「勝算がないなら頭を下げろと説得するところだが、勝算があるなら構わん。所詮は生徒同士のいざこざだ。大事にしようとしても、限度がある。負けたところで傷む家名でもない。全力を尽くせ」
「ありがとうございます。けれど、兄上はそれでいいのですか?」
「今更穏便に済むとは思えん。向こうはお前を大衆の面前で負かさねば気が済まないだろう。ならばぶつかるのみ」
「いえ、そうではなくて……勝ってしまった場合、困ったことになるかなと」
「もう勝った気になっているのか? 調子の良い奴め。それも安心しろ。事前にタウンゼット公爵とは、生徒同士の諍いと話をつける。万が一、負けたとしても難癖はつけられん」
兄上の言葉に俺は頷く。
ティムのプライドの高さを見る限り、そのとおりになるか不安ではあるが。
今は考えても仕方ない。
「それでは俺は行く。当日は見に行くから、それまで稽古に励め」
そう言って兄上は部屋から去ったのだった。
■■■
決闘の前日。
心配するレナやユキナには勝算があると告げて、上手く誤魔化してきた。
そうこうしているうちに、決闘の準備は整った。
勝者の条件も。
こちらの条件は〝レナとユキナへの謝罪〟だけ。
対して向こうは、〝二度とユキナに近づくな〟という条件だった。
なかなかユキナに執着しているようだ。もしも、ティムが勝者になれば、よほど肝の据わった奴じゃなければユキナに近づかないだろう。それを理由に決闘を申し込まれても困るからだ。本格的にユキナを孤立させる気なんだろう。
独占欲の権化みたいな男だ。
俺から近づいたわけじゃないんだが、向こうからすればあんまり関係ないんだろう。
どういう経緯、理由があろうと、自分の婚約者の周囲に男がいるのが嫌なんだろう。
「まいったなぁ……」
負けるわけにはいかない。
しかし、しかしだ。 程よく勝つ方法がいまいち思いつかない。
できれば、あまり力は見せたくない。けど、負けたくない。
贅沢な悩みだが、大勢が見に来る以上、剣聖としての剣筋は見せたくない。どこから繋げられるかわからないからだ。
なにより。ユキナが見ている。天狼眼を使われたら誤魔化しはきかない。
「困っておるようじゃのぉ」
部屋の扉が音もなく開く。
そこには男がいた。 ぼさぼさの長い灰色の髪、黒い瞳。右手には杖を持っており、右足を引きずっている。五十を過ぎたばかりだが、重ねた戦歴の賜物か。他者とは隔絶した凄みがあった。
その顔には曲者特有の笑みが張り付いていた。
「わざわざお呼びしてすみません、父上」
「よいよい、気にするな」
そう言って男は笑いながら部屋に入って、椅子に座った。
かつて、自分の領地を餌にしてアルビオス王国とルテティア皇国を争わせた謀略家。
三国随一の食えない男。
ルヴェル男爵家当主にして、俺の父、ライナス・ルヴェルだ。
「話を聞いたときは驚いたぞ? さっさと学院を辞めたいがために、大貴族に喧嘩を吹っ掛けたのかと思ったが、どうやら違うようじゃな?」
「まぁ、いろいろとありまして」
「わかっておる。クロフォード公爵家の娘をチラリと見たが、あれほどの美人、そうはお目にかかれんぞ? 見る目があるな? さすがワシの息子じゃ」
「違います。そういうことではありません」
「よいよい、照れるな。お前もそういう年頃じゃ。レナは建前、あの娘が理由では? 相手は婚約者らしいからな。次代の剣聖を、と両家は婚約を進めたわけだが……片方が落第貴族などと呼ばれている落ちこぼれに負ければ、婚約の話は立ち消えることになるだろう。なかなか考えたものじゃのぉ?」
「頭の片隅にはそういう考えがあったことは認めますが……それが本命じゃありません。ただ単にムカついたからです」
「男の誤魔化しはみっともないぞ? それで? どう考えておる? 妻にと考えているのか? それとも――剣聖の後継者か? どちらの条件も満たしておる。まぁ、剣聖と大賢者の妻という点においては、やや見劣りするやもしれんがな」
そう言って父上は愉快そうに笑う。
心底、楽しんでいるな、この人は。
俺の正体を知っているのは三人。俺の師匠である先代の剣聖と先代の大賢者。
そして父上だ。
「父上、ふざけるのはそろそろよしてください。知恵を借りたくて呼んだんです」
「そう怒るな。息子の成長が嬉しかっただけだ。さて、本題といこう。何に困っておる?」
スッと、父上は目を細めた。謀を考える時の顔だ。
「ユキナ・クロフォードは……天狼眼を持っています。下手に戦っているところを見られると、正体がバレかねません」
「すべてを見切る魔眼か。なるほどなるほど。天賦の才じゃな。とはいえ、剣聖ならばたいしたことあるまい。見られん位の速度で斬れんのか?」
「何かしたことはバレます。見えなかったという事実がありますから。それこそ剣聖につなげられてしまうかと」
高性能な魔眼に捉えられないほどの速度の斬撃。そんなことができる者は限られる。ゆえに、俺は下手なことはできない。
「ならばお手上げじゃな。諦めて、弟子にするなり、妻にすることじゃ。身内に引き込めば問題あるまい。強いなら問題ないじゃろ?」
ワシも早く孫が見たい、と父上は笑う。
そんな父上に対して、俺は呆れながらため息を吐いた。
「真面目に相談しているんですが? 父上」
「ワシは人より賢いと自負しておるが、剣聖であり、大賢者であるお前がどうにもできん状況を覆す策など思いつかん。無茶を言うな」
父上はそう言って肩を竦める。
たしかに状況がすでに整ってしまっている。この状況ではなかなか小細工はできない。
だが。
「そこをなんとか。知恵を絞ってください。三国一の謀略家と言われる父上なら、いやらしい策を思いつくはずです」
「父に向かってなんたる言いぐさだ。まったく……」
ぶつくさと文句を言いながら、父上はしばし天井を見上げて考え込む。
そして。
「一つだけあるやもしれんな」
「聞かせてください。どうにか彼女に天狼眼を使わせない方法を」
「じゃから無茶を言うな。そんなものはないし、使わせないように動けば、自分の正体を晒すようなものじゃ。秘密は隠すから秘密なのじゃからな。大人しく使わせるしかあるまい」
「バレてしまえと?」
俺の言葉に父上は頷く。
たしかに一理ある。下手に隠せば疑われるだけ。ならば。
「剣聖とバレなければいいだけ。そう割り切って、力はある程度見せるということですね?」
「そのとおりじゃ。相手はお前が力を隠していると思っていても、剣聖とは思っておらんじゃろう。だから、力を隠していたこと自体は明かせばいい。一切、剣聖の片鱗を見せず、倒せばよいのじゃ」
「言いたいことはわかりますが……そう都合よくいきますか?」
ため息を吐きながら俺は呟く。剣を軽く振るうだけでも、癖は出る。そういうのを見抜く眼だ。それを出さないようにできたら、苦労はしない。
「できんことはないじゃろ。剣聖としての剣技のほかに、お前にはもう一つ剣技がある。母親から受け継いだ剣技が、な」
「子供の頃に見た記憶と、書物から得た知識で真似ただけのものですよ?」
「しかし、それを使えば誰もが納得する。お前の母はかつて、大公国一の剣士だった。さすがはあの女の息子だ、と皆、思うじゃろう。もちろん、クロフォード家の娘も、な」
父上らしい無茶ぶりだ。たしかに俺が普段から使う剣技を封印して、滅多に使わない剣技で臨めば、剣聖だとバレる確率は下がる。
ただ、とても難しい。癖は意識しなくても出る。隠し通せるかどうか。
俺の腕前ありきの無茶ぶりだ。とはいえ、元々は俺が蒔いた種だ。
「それならまぁ、やるだけやりましょう。それで誤魔化せないときは……そのときはそのとき考えます」
「そうしろ。それはそうと、あっさり決着をつけるでないぞ?」
「なんでですか?」
長引けば癖が出る可能性がある。力を隠していた、ということ自体を認めるなら、さっさと倒すべきだ。その先の正体にたどり着かれたくはないわけだし。
けれど。
「まぁ、ワシに任せておけ。上手くすれば儲け話に発展させることができるやもしれん」
そう言って父上はニヤリと笑う。
これはまたよからぬことを考えている顔だ。