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Baby Let Me Take You

作者: ぱるこμ

読んでくださりありがとうございます

キーを回すとギュウイイイイィとエンジンに負荷がかかる。ブロロロロロと重低音が響く。アクセルを数回べた踏みし、マフラーを鳴らす。傍にいると腹の底にまで届くような音は威圧にも聞こえるし、どこかゾクゾクと高揚もさせる。


「じゃあヘンリエッタ。よろしくね」


ブロンドヘアの色白の女がネグリジェにショールをはおり、まだ昼間だというのにそれなりに露出のある恰好で立っていた。小汚いアパートの前に停まるはピュアスポーツカー…ニッサンスカイライン・BNR34・GT-R。過去、壮絶な人気を誇った古い車種だ。古いと言って馬鹿にしたら痛い目を見る。現在でもマニアには高値で取引されており、中古でもそうそう簡単に手を出せる値段ではない。


そんな高級車に乗るは、三十路程の女だった。癖毛の赤毛、褐色肌にそばかす。ヘンリエッタと呼ばれた本人だ。助手席には女から預かった革製のビジネスバックが置かれていた。


「お預かりした鞄は無事届け次第ご連絡します。この携帯に連絡が入れますので、確認次第早急に壊してください」

「えぇ。いつもありがとう」


女はヘンリエッタの目元にキスを落とす。

ブレーキを外し、アクセルを踏むと狭い路地を器用に抜けていく。そして大通りに出た瞬間、スカイラインは爽快なほどのスピードを上げ走行する。


これがヘンリエッタの日常だ。運び屋で生計を立てている。生きてきた。車上荒らをして警察から逃げるのに運転技術が勝手に向上し、今ではそれなりに知名度のある運び屋として生活をしている。大体は薄暗い事情を抱えた者達に利用されている。その分、報酬も高い。安くて百万、大体は新卒採用の年収くらいは手に入る。危険性が高ければ高い程、高額報酬になる。最高の時は高級クルーズ世界一周を優雅に堪能できるくらいの報酬だった。


あの女は所謂常連だ。これから運ぶ先のヤクザのタカマツ組長の愛人その二。麻薬を仕入れては組長に渡していた。その運ぶ役目がヘンリエッタだった。もう常連サービスで、一回九十万で請け負ってやっている。その分、女がやっている会員制キャバクラで飯と酒と綺麗なお姉さんに愚痴を聞いてもらうというサービス付き。申し分無い。


今日もさっさと渡して、帰ってシャワーを浴びて終わる。そのはずだった――



シン・ジャポネーゼ國。ここがヘンリエッタの住む島國だった。國土も広い。端から端を34・GT-Rで休憩なし、ノンストップで走って四日くらいはかかる。そんな國は移民の寄せ集めでたくさんのルーツを持つ人種が多く住んでいる。祖先たちが代々守って来た文化を今も大切にしている在住者も多く、同じ國なのに異文化が立ちこむ不思議な國だった。


ヘンリエッタが拠点としているハルトーキョー州は和が強く残る街だ。その中でも神薙街は治安が悪いで有名だった。ネオン街で、風俗で溢れ、女も男も欲望渦巻く、金と力が支配する街。その神薙街を牛耳っているのがタカマツ組だった。


昼間はまだ穏やかだ。牙を向くのは夜。いくら危険な道を渡って来たとは云え、無暗に危ない場所に足を踏み込むことはしない。


「これを。マチルダからです」


鞄を渡すと、部下の男が中身を確認する。そして頷いた。


「確かに受け取った。マチルダの姐御に近々行くとお伝えください」

「解りました」


仕事を終え、34・GT-Rを少し離れた場所まで走らせる。自販機を見つけ、缶コーヒーを購入し一息つく。

『無事手渡しました。近々お店に行くそうです』これだけ打つと、深い溜息を吐いた。


「早く帰ろう」


伸びをし、ドアに手をかけたときだった。


「ヘンリエッタさん、お待ちくだせぇ」


声をかけてきたのは組長の世話役だった老人・萩だった。世話役だった、というのはタカマツ氏の少年期の面倒を見ていたと聞いたから。今も相談役として傍にいるらしいが。隣にいるのは見たことも無い子供だった。艶のある黒髪は下で二つ結びをお団子にし、サイドの横髪は水色のカラーで染められていた。背は一六〇くらいだろうか。その出で立ちから少女かと思ったが、手の感じから少年とも言えた。中性的な子供は視線を下に向けたまま、無愛想にしている。


「どうかしましたか」深追いはしない。余計なことに巻き込まれたくはない。

「アンタの腕を見込んで頼みたい事があります。お嬢を実母のミザリーの下へ届けてほしいんだ」


子供は可愛らしいリュックとクタクタになったクマのぬいぐるみを手に持っていた。


「お嬢を逃がしてほしい」


手に握り渡されたのは小切手と住所が書かれたメモ一枚。小切手の金額は一億…。実母の下へ連れていく簡単な仕事…とは言え無さそうな雰囲気を醸し出している。


「萩さん。ミザリーの身元だけでも詳細をください。荷物については不要です」


「あぁ。ミザリーの姐さんはスノーウィンター州ココ群を仕切るマフィアの令嬢だ。元愛人さ。お嬢が五才になるまでご実家で暮らしていんだが、タカマツの頭が正妻に子供が出来ねぇって理由で無理矢理引き取った訳で…。ミザリーの姐さんも一緒に暮らすことを望んでいる。そこまで行けば、タカマツ組も手出しはできない。お嬢も自由になれる」


「なるほど、いいでしょう。大切なお荷物、お預かりしました。無事届けましたら、こちらの携帯に連絡を入れます。確認したら、すぐに破棄を」


コーヒーを飲み干すと、ゴミ箱に捨てる。


「さ、後部座席へ乗って」ドアを開き、助手席をスライドさせ招き入れる。

子供は萩との別れを惜しむ様子も無く、すんなりと乗ると、シートベルトを締めた。


「お嬢…お元気で」

「萩もね」

「何があっても、戻って来ては駄目です」

「解ってるってば…今までありがとう。お姉さん、出発して」


ヘンリエッタは口をへの字にして溜息を吐いた。反抗期真っ只中の子供に、心配性な老人。ありふれた光景だ。


「では、出発します」

「お願いします。絶対にお嬢を、守ってくだせぇ…!」


エンジン音でかき消されたが、その言葉が意味することは、遅かれ早かれ追手が来る可能性が大ということだ。後部座席に横たわりスマホを弄る子供の姿は、ヤクザで育ったのかと疑いたくなるほど現代っ子の象徴のような姿勢だった。


「用があったらアクリル板をノックして頂戴」

「え?あぁ、これ?」


前座席と後部座席を隔てるようにアクリル板が仕切ってあった。


「これ邪魔じゃない?」子供が身を乗り出し、無理矢理外そうとする。

「やめてください。仕事中です、邪魔しないでください。貴方は荷物。用が無い限り話しかけないで。集中出来ません」


子供は一旦大人しくなったが、アクリル板に人差し指でトントントンと叩いてくる。まるで何かを考えているように。そしてひらめき、ニヤリと悪戯っ子のように笑う。


「お姉さん、自己紹介って大事じゃない?ボクはマコト。タカマツ・マコト。性別はみんな信じたい性の方で接してる。時期組長が決まるまでは子供の性別は明かさない伝統なんだ」


面倒なお家事情だ。つまり、立派な跡取り男児として接してくる連中もいれば、その座を狙い一人娘と婚姻関係を結びたい輩もいる訳で。


「苦労しているのね」

「ねぇ、お姉さんの名前は?ボクは教えたよ」

「…ヘンリエッタ」

「変な名前。ねぇ、エッダって呼んでいい?これは大事だよ。ボクにとっては」

「解りました、エッダとお呼びください」


了承を得られたマコトはにんまりと笑うと、嬉しそうに頷きながら後部座席にまた寄りかかった。


「この車、煩いだけかと思ったけど、意外と悪くないね」


エンジンの振動を感じ取るように、座席に寝転がり目を閉じた。しばらくすると、満足したのか起き上がった。


「ボクが小さい頃なんだけどさ、お父さんが車の下の部分の…」

「サイドシルのことですか?」


「それかも。そこをさ、改造して道路に付くか付かないくらいギリギリを攻めたのはいいんだけどさ、お気に入りのお店の駐車場に車とめようとしたら段差でサイシルド?が擦れちゃってさ!それ以降下っ端の車借りてお店行くようになったよ」


ケタケタと年相応に笑う仕草は、窮屈なりにも楽しく過ごしてきたのかもしれない。あの萩は、この子供を解放したかったのかもしれない。


「ねぇ、なんか曲かけてよ」

「は?」

「飽きると降りるって我儘言うかもよ」


ここまで自由に過ごしている荷物は初めてだ。生きている荷物は大体動物か、人間。人間の場合は暴行された後で反抗する気力の無い者、怯えて絶望を待つ者、諦めて上の空になる者、みんな静かだった。


――子供の扱いが解らない。


ヘンリエッタは眉を顰めながらも曲を流す。


「ユーセンだから何が流れるかは知らないわよ」

「ヘヘ、オーケー!」


ご機嫌な曲が流れ始めた時だった。バンバン!とこちらもご機嫌な奴等がカチコミにくる。


「ッチ、スピード上げるよ!」

「ヒヒェ」マコトはドッと冷や汗を掻くと慌てて座席にピタリと座りシートベルトを正しい位置につけ直す。そうしないと安全性が欠けて逆に危険になることを萩から教わっていた。


アクセルをグッと踏むと、遠心力で身体がグイッと後ろに持っていかれる。マコトは後ろを振り返ると、タカマツ組の下っ端が黒塗りの車で追って来ていた。こんな一般道路でハンドガンも発砲してどういう思考をしているんだと噴気する。


「ねぇ!逃げられるんだよね?!」

「逃げられるわよ。今まで捕まったことないもの」


窓を開け、一気にアクセルを踏む。マコトは思わず爪先を丸めた。そして34・GT-Rは激しい動きで急なUターンを決め、敵方に向かい加速する。


「少し目を離すけど気にしないで」

「ハァ?!」


ヘンリエッタは窓から上半身を乗り出すと、ハンドガンで敵の車のタイヤに向けて発砲していく。タイヤが破裂しパカパカと破れ左右に揺さぶられ、身を乗り出していた下っ端たちが何人か落ちて道路に転がっていく。

それでもまだ運転し、根性ある下っ端が発砲すると、ヘンリエッタは一旦車内に戻って来る。


「意外と根性あるのね。逃げましょう」

「最初から大人しく逃げようよ、まったくもう!」


加速し、百キロを超え敵の車とすれ違う瞬間だった。マコトがリュックから何かを取り出し外へ転がした。

数秒後、ボン!と小さな爆発が二ヵ所起き、一台の黒塗りの車がひっくり返る。


「…アナタがやったの?」

「そうだよ。自分で手榴弾の作り方覚えたんだ。役に立ったでしょ?」ちょっと得意顔のマコト。

「そうね。ありがとう」

「ねぇ、この仕切りやっぱり取らない?」

「ちゃんと座っていてください」



そこから先はマコトにとって味気なく、つまらない旅路だった。

昼食はジャンクフードをドライブスルーで購入。ヘンリエッタはコーヒーのみで、常備している栄養食のクッキーを一本食べただけだった。ジャンクフードは好きな味だ。でも、結局ここにいても家とは変わらない味だった。


何も喋らず時間だけが過ぎていく。辺りは暗くなり、すっかり夜へと更けこんだ。州の境付近に近付くと、突然ヘンリエッタが話しかけてきた。


「今夜はホテルではなくドライブインシアターでもよろしいでしょうか」

()()()()()()()()?何それ」

「車から見られる映画館のことです。どうしても観たい映画が上映されるようなので」

「いいよ。ボクも映画は嫌いじゃないし」


マコトの許可を貰うと、右折し会場へと向かった。

会場には何十台もの車が止まっており、静かながらだが小さなざわめきが立っていた。カップル、老夫婦、一人だけの人。稀に家族…。そんな中、不思議な関係性で結ばれたエッダと自分が混ざっていることが面白かった。周りから自分達がどう見られているのかなんとなく気になった。


停まっていると、本日の上映スケジュールを配りに係員がやって来る。今夜はどうやら冒険奇譚の三本立てらしい。


大きなスクリーンの垂れ幕に映し出される映像は、荒くて音割れも少々あった。だけどそれがノスタルジックを彷彿とさせた。マコトは綺麗な映像で質の良い音でしか映画鑑賞しかしたことがなかったから思わず見入る。


夕飯用に売店で購入したホットドックを口に運びながら、エッダを見る。運転する時とは違う眼差しで夢中になって観ているようだった。


――内容は戦争で引き裂かれた親友に会いに行くストーリーだ。親の反対を押し切り、主人公が独りで目的地まで向かう。友情、初恋、家族との愛情を詰め込んだ児童書が原作の映画だ。

この映画を観るのは初めてだった。


結局親友は空爆により死亡していて。感動の再会とはならなかったけど。主人公の家族がより安全な国へ逃げようと一致団結したところでエンドロールを迎える。


「エッダはこの映画が観たかったの?」

「…えぇ。ずっと忘れられないんですよ。彼等の結末が心から離れないんです」


涙は流していないが、彼女の瞳は潤んでいた。悲し気な横顔を、マコトはじぃっと見た後、スクリーンに視線を戻す。


「悲劇の方が好きなんだ」

「喜劇も恋愛もアクション好きですよ。もう零時を過ぎてます。そろそろお休みになったらどうですか」

「うん」


ヘンリエッタは一旦降りると、トランクからブランケットと枕を取り出しマコトに渡した。


「ボクは。喜劇なら下品でもいいから笑い涙が出来るくらい笑える映画がいい。恋愛映画なら純愛がいいな。恋人は悲しいことがあったら頭を撫でてくれて、ギュッて抱きしめてくれて、寝る前に絵本を読んで、隣で一緒に眠ってくれるんだ」


黙って聞いていたら、スースーと寝息が立つ。マコトが眠ったのだ。寝顔はまだ幼さが残る。

この子の恋愛観を聞くと恋人というよりは家族への愛情を求めているようだった。


「明日の夕方にはココ群に到着しますからね」



翌日早朝

ガタンガタンと喧しい音に起こされる。ヘンリエッタは目を擦り振り向くと丁度窓から仕切りを投げ捨てたマコトを目撃する。座席にはドライバーが転がっていた。


「何してるの!?」

「仕切りを捨てた。それだけ。あ、朝ご飯買ってきといたよ。オニギリセット、みそスープ付き。一緒に食べるでしょ?」


思わず溜息を吐き、頭を抱えた。悪びれもせず朝食を差し出してくるマコトの笑顔に、また溜息を吐いた。


「…いただきます」

「やっと一緒にご飯食べられるね」


マコトが嬉しそうに笑った。


もうそれからはマコトのオンパレードだった。ユーセンを掛けご機嫌に歌い、スピードが出ているというのに窓から顔を出し叫び壮快に浸り。昼食にまたジャンクフードを買えば後部座席からポテトを口に運んでくれた――無理矢理入れられたに近いけど――。身を乗り出しては質問や自身の思い出話をした。マコトはヘンリエッタのパーソナルスペースに無理くり入ってくる。想像以上に‘子守り’をしているようで疲弊するが、悪い気はしなかった。弟妹がいたらこんな感じだろうか。


「エッダって初恋いつしたの?」

「マコトが産まれる前に初恋は終わりましたよ」

「ふーん。僕は五才のときかな。今もその子が好き」

「そう」


『ここから先ココ群』と記された看板を通過する。もうすぐ母親に会える。依頼を無事終える。そう思っていた。

萩から聞かされた住所へ向かうと、夕焼けよりもおどろおどろしい烈火が空を照らし、黒い煙と火の粉を散らしていた。嫌な予感が過り、ヘンリエッタは駐車する。


「どういうこと…」血の気が引いていく。確認をしに行くにもマコトを置いていった方が安全なのか、一緒に行動したほうがいいのか。しかしマコトは「ママ、シヴィ!」と叫び車内から飛び出した。


「マコト!」


燃えている屋敷は中々に立派だった。近所の住民が集まり消防車も火消しに尽力している。呆然としていると、ガサッとマコトの足元に紙袋が落とされた。


「マコト、それを寄越しなさい!」底に赤黒いシミが滲んでいる時点で予感は的中した。マコトが耳を貸さず急いで拾い中身を確認する。そして、悲鳴を上げてヘンリエッタに駆け寄った。


「エッダ!嘘だ、嘘だ!ママと萩が!シヴィだって…!」


泣き叫ぶマコトを強く抱きしめる。この野次馬に紛れタカマツ組の下っ端がこの紙袋を置いていったのだろう。依頼主と届け先が消えた以上、荷物をどうするか。無機物ならそのまま放置。生きていたら…


「ねぇ、今シヴィちゃんの名前を呼ばなかった?」


年配のご婦人が血相を掻いて駆けてくる。


「呼びましたが…」

「よかった!シヴィちゃんなら、一週間前に結婚するためにあのお屋敷からお暇をもらったの。まだ旦那様やミザリー様の行方は解らないけど、シヴィちゃんは心配ないわ!」

「は…よかった」


マコトの力が脱力していくのが目に見えて解った。


「もしかして君がマコちゃん?シヴィちゃんから手紙を預かっていたの。結婚式への招待状よ。いつもマコちゃんの事を話していて、もし来てくれることがあったら代わりに渡してほしいって」


招待状を受け取る。場所はリリーホワイト県。隣県だ。ヘンリエッタは落ちていた紙袋をよく観察すると、筆記体で『TO my baby』と書かれていた。マコトの生活事情を思い出す。

その時、ブブブブと携帯のバイブ音が鳴る。番号は萩に渡した携帯からだ。


「…もしもし」

『お前が運び屋の女か。依頼だ。依頼主はお父上であるタカマツのオヤジ。届け先はシヴィの結婚式場にいる俺だ。…早くしな。掃除をしながら待っている事にならねぇようにな』


ツーツーと通話が切られる。エッダは思わず「クソ!」と叫んだ。


「マコト!すぐに車に乗って!」

「え、うん!」


すぐに乗り込むと、ギアを入れアクセルを全開に回す。Uターンをし、野次馬がいない車が通るにはギリギリの裏道を信じられないスピードで走行する。


「シヴィがいるリリーホワイト県に向かう。シヴィを殺しそうな人物について心当たりってある?」


尋ねると、マコトの表情がどんどん曇っていく。


「答えたくなかったら、」

「…いる。エドワードって男。アイツ、ボクに執着してるんだ。たぶん、お父さんに命令されてママと萩を殺したんだ。じゃないと、マフィアにまで手を出すとは思えない」

「マコト、どうしたい?もう萩もお母様もいない。荷物が生きている人間の場合は、本人に委ねなきゃいけないの」

「…守りたい。シヴィのこと守りたい!」招待状をギュッと握りしめる。

「承知しました」


裏道は次第に開けていき、やがて大通りへ飛び出し車の川へ合流する。たくさん走る車の間を器用に抜かし猛進していく。


「助手席に座っていいから私のこと手伝って頂戴」

「!…わかった」


後部座席からモソモソと助手席へと移動し、シートベルトを締める。チャペルに行くにはこの道の先にある二子坂を超えなければならない。二子坂はカーブが多く事故が頻繁に起きていることでも有名だった。二子坂を下り終えればすぐにリリーホワイト県に入る。


「エドの乗っている車種は解る?」

「え、えーっと、白で、なんかラン、ダンレボみたいな名前」

「ランエボかしら」正確にはミツビシ・ランサエボリューション7。AWD。


二子坂は夜になると人通りが無くなり走り屋が集まることで有名だ。止めるならそこが最適で最後の砦だろう。


「追い付ける?」

「勿論」


不敵に笑うと、意地でも追いつくためにアクセルを奥まで踏んだ。



エボ7が黒塗りの車五台を連れて二子坂を登っていた。速度は八〇キロ程。

エドワードは葉巻を銜え、肺を煙で満たす。荒い走行だが的確な運転技量が備わっていた。部下達がへっぴり腰になる急カーブでもエドは速度を落とさずグリップ走行し決めていく華麗に決めて行く。


助手席に座っている部下がハンドガンを磨きながら遠足の楽しみ方のように喋る。


「これでシヴィって女を殺せば兄貴はオヤジに認められて坊ちゃんと婚約成立っすね!萩のジジィが逃がす計画を知ってから兄貴がいくら時間を費やしたか…」

「ペラペラ喋んな。お喋りなのは坊ちゃんだけでいい」


バックミラーを何気なく覗いたら後方からライトがふわりと見えた。カーブを綺麗な九十度で曲がり切りこちらに全速でやって来る34・GT‐R。エドはニヤリと笑うと無線で部下に伝える。


「例の女だ。殺して坊ちゃんを保護しろ」

『承知』と一斉に返事が来ると、部下達が窓や天窓から身を乗り出し34・GT-Rに射撃しはじめる。


(やっぱエボ7か…)ヘンリエッタは舌打ちをするとハンドガンを取り出した。


「マコト、運転代わって頂戴。アクセル踏んでハンドル握って曲がる方に傾ければ行けるから」

「へ、ちょっと嘘でしょ?!」


ヘンリエッタは窓を開けると上半身を出し銃弾の嵐の中冷静に構え、狙いを瞬時に定め相手の額に一発を命中させる。撃たれた部下はそのまま窓枠に引っかかり力無く垂れる。


「まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ…!」


運転を変わったマコトは人生で初めてのドライブがまさかの百キロ以上を出すスピード違反上等のカーチェイスだとは思いもしなかった。ちょっとの油断でハンドルを取られてひっくり返るのではと恐怖が襲う。


「ねぇ!早く戻って来てよ!次カーブだよ!」

「私が合図したらブレーキを踏んでハンドルを切りなさい」

「もぉおおお!死ぬときは一緒だよ!ボク責任取らないからね!」


マコトの文句を笑い、エッダは黒塗りのタイヤ目がけ発砲する。加速する中パンクによりバランスを崩した一台がガードレールを突破して落下していく。


「エッダ!」

「今よ!」


指示通りマコトはブレーキとハンドルを切る。そしてキィイイイイイイ!と煙を立てながらドリフトし右へ曲がる。


「すぐにアクセル!」

「アクセルってどっちだっけ?!」

「右です」


急いでアクセルをベタ踏みし急発進する。遠心力でエッダは反動で後ろへ仰け反るが体勢を整える。二台の車が34・GT-Rを挟む。エッダは急いで車内に戻ると交代する。


「次の仕事です」

「言われなくても解った気がする」


銃弾を浴び、窓が割れる。エッダは更に加速させ二台を追い抜く。そこに、マコトが手作りの手榴弾を投げつけた。ボン!と爆発音と共に車がひっくり返る。


「ヤッター!ざまぁみろ!」

「やばいかも」


エッダの瞳には、自動散弾銃をこちらに向けている金髪の男がいた。白いスーツを決め込んだ男…奴がエドワードだ。エドは歯を見せるように笑うと、引き金を引いた。


「伏せて!」


ババババと銃弾から散弾された金属片が更に威力を増しエッダとマコトを襲う。

フロントガラスは割れ、ピラーもボコボコと蜂の巣にされていく。ルーフは向かい風に耐え切れず剥がれ道路に落下した。


「マコト、大丈夫?!」

「大丈夫…エッダ、怪我してる!」

「左腕と頬に掠っただけです。命中はしていません。…私はあの男と決着を着けます。マコトの覚悟は、いいですね?」


マコトは口をヘの字にすると、エッダの手を取り握りしめた。それを、エッダが握り返す。


「エッダが大好き。だから信じる」


エッダはマコトの額にキスをすると、ハンドルを握りエボ7へ急速に接近し並行する。

エッダを狙おうと気を効かせた部下が拳銃を向けると、ヒュンと音がすると部下は額から血を流し、眼を見開いたまま倒れ込んだ。


「マコトに当たったらどう責任取るつもりだったんだ、カスが」


エドの表情は何も変わらなくて。冷徹さも、血の気も、怒りも無い。ただ鬱陶しくなった小さな虫を殺したみたいに、迷惑そうだった。


「…マコト、合図したら頼まれごとをして頂戴」

「OK」


二人の姿にエドの血管はみるみる太くなり青筋を立てる。


「気安くマコトと喋ってんじゃねぇぞ、クソババァ!」


苛烈な銃撃戦が始まる。命取りになる箇所が多い二子坂。そこを百四十キロまで出して二台の車が熾烈な争いを極めていた。


「エッダ、あそこから先が見えない!」

「頂上ね。先は下りよ」


アクセルを踏む。ブレーキなんていらない。34・GT-Rとエボ7は同時に登り上がり大きく跳ね、下し坂へと突入する。

銃弾を浴びながらもエドは装填し、また散弾銃をエッダに向ける。


「坊ちゃん、多少の怪我くらい許してくださいな。一生面倒見ますんで」

「ボクは坊ちゃんでもお嬢でもない。マコトだ。誰と一緒にいるかは、自分で決める」


銃撃戦で負傷したエッダを見つめると、彼女はゆっくりと頷いた。


「もう、お前とは二度と会わない」


宣言すると、エッダは手榴弾を割れた窓から車内に投げ込む。そして爆発が起き、エボ7は酷い蛇行をしながら崖にぶつかり止まった。速度がそれなりにあったので、車体の半分は潰れていた。


「囮にするような真似をしてごめんなさい」

「気にしてないよ…それより、殺せたかな…」

「どうでしょう。油断しないで」


34・GT-Rも止まり、様子を窺う。リボルバーを持ち、ゆっくりと近づく。

すると、エボ7から火の手が上がる。サンフールから人影が現れる。エドだ。

エドの体は滅茶苦茶だった。生きているのが奇跡に近い。立ち上がり両手を広げるエドの生命力は異常だった。――執着心の間違いかもしれない――そして叫ぶ。


「マコト!‘私と結婚しよう’!これがお前のルーツの言葉だろう!」


エンジン音にも、風の音にも負けない声量は圧倒だった。マコトは立ち上がる。


「マコト、座って!まだ危険だから!」

「ババァは黙っていろ!」エドが絶叫し、マコトからの返事を今か今かと待つ。

「‘I hate you’。地獄へ堕ちろ」


マコトは父からくすねてきたジッポを投げた。綺麗な放物線を描き、ガソリンが滴る車体の下に着地する。


「クソッタレェエエエエエエエがぁあああ!」


初日とは比べ物にならない爆発が起きる。エッダはマコトに覆いかぶさり、爆風と熱から守る。


「マコト、無事?!」

「無事!今のうちに逃げよう!」


こうして、ヘンリエッタとマコト戦いは終結した。これは後日談だが、スノーウィンター州を牛耳るマフィアボスとその一人娘ミザリー、使用人七名が死亡したこと。タカマツ組の若衆エドワード・ホースの死体を発見と新聞紙の一面に載った。若衆が起こした抗争と記載されていたが、実際は跡継ぎを巡るトラブルで組長が暗躍している。巻き込まれた萩もミザリーも残念だが、二人はその覚悟があってマコトを解放しようとしたはず。事実はもう闇の中だが。




チャペルから今正に人生の新たなスタートを切る新郎新婦がライスシャワーの祝福を浴びながら階段を下りていく。

ルーフから下が捥がれた34・GT-Rはもう高級車と呼ぶにはズタボロだった。そんな車のボンネットに寄りかかるエッダと、どっかりと座り込み初恋相手の花嫁であるシヴィを見つめるマコトがいた。


「何か言葉をかけなくていいの?」

「うん。シヴィが無事で幸せになれるならそれで満足だよ。ボクが関わったら、また面倒事が起きるだろうしね」


マコトの幼い恋愛観だったのもやっと納得した。シヴィに優しくしてもらったあの経験から、ずっと止まっていたのだから。

ふふふ、あははと不安定な声を出すもんだから。泣くのかと心配したが、少し違った。


「あれは喜劇だ!笑い涙が出てくるくらい、最高なね」


くしゃくしゃの笑顔に、ボロボロと零れ落ちる涙は、嬉し泣きというより、失恋を味わった痛みからくるものだとエッダは感じた。少し考えた後、エッダはそっとマコトを肩に引き寄せた。


「あなたは強い子です。敬愛する萩と愛するお母様を亡くしても、大好きなシヴィさんを守る決断をした。そう上手く切り替えができるとは思ってもみなかった…。マコト、君はもう自由だ」


これが。お別れの言葉だと気づくのに時間はいらなかった。

マコトは抱きしめられたまま質問をする。


「失恋したら、どうしたらいいの?」

「私は海に向かって叫びました。クソ野郎がって」

「じゃあさ。お金、どうにかバイトして返すから海に連れて行ってよ」

「子供からお金は取りません。ていうか、アナタまだ働ける年齢じゃあないでしょう。取引しない?」


エッダの急な要求に、マコトは眉を顰めたが行く宛ては無い。とりあえず頷く。


「私と一緒に豪華クルーズ船で行く世界一周旅行とかしない?色んな国へ行って、海に囲まれて、辛くなっても外に出れば海だからいくらでも叫べるわよ」

「いいね…!」


まずは34・GT-Rが修理可能か。それとも新車購入が安く済むのか。近くの知り合いが経営している修理工場にいかなければならない。それに、クルーズ船に見合う格好の服やアクセサリーも買わないと。


「あ、あと名前も変えないと」

「偽造ってこと?」


二人は聞かれたら一発アウトの会話をしながら、オープンカーになってしまった34・GT-Rに乗り、走り出した。


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