第8話 エレベーターと秘密/Elevators and Secrets
十一月十二日 午後一時七分
「もしもし。はい。笹倉です。こんにちは」
「ああ、……お気にならさずに」
「今、そちらの署に向かってる所なんですよ。川を渡ったのでもうすぐ着きます」
「間宮さんも署に今いらっしゃるんですか?」
「……はい。今日は交通捜査課で送致番号を聞くだけなんですけど、それが終わったらで宜しければ」
「そうですね、分かりました。そうしましょう」
◇ ◇ ◇
笹倉優衣香は隣県と接する警察署にいた。
五階にある交通捜査課へ行く為、一階エレベーターホールで呼出ボタンを押して待っている。
そのエレベーターの横には廊下があり、その廊下から出て来た男が優衣香に気付いた。
その男は話しかけようとしたが、エレベーターに乗り込んだ優衣香は男に気付かずエレベーターの扉は閉じられた。
その男、相澤裕典はエレベーターの所在階数のランプを眺めている。エレベーターが五階に止まった事を確認すると、相澤もエレベーターの呼出ボタンを押した。
そこに相澤とペアを組む派手な私服の女性警察官が現れた。彼女が指差す方向を見て相澤はウンザリとした顔をしたが、有無を言わせない顔の彼女に腕を叩かれ、彼女が指差す先にある階段で上がって行った。
女性警察官は四階に着き、廊下に出ようとした所で相澤に呼び止められた。相澤が上を指差して何やら彼女に言って、相澤はまた階段を上がって行く。
肩で息をする相澤は五階に着き、そっと廊下を覗くと、交通捜査課の警察官が廊下にあるベンチに優衣香と並んで座り、台帳を膝に乗せてそれを指差し、優衣香はそれを手帳に書き写していた。
手帳を閉じた優衣香はそれをカバンにしまい、警察官も台帳を閉じて二人は立ち上がった。優衣香がお辞儀して一歩踏み出した所で相澤は廊下に出た。何食わぬ顔ですれ違う交通捜査課員に挨拶をし、エレベーターホールに向かう優衣香に声を掛けようとしたが、優衣香はエレベーターホールにいた誰かと話している事に気づいた。
相澤はエレベーターホールをそっと覗くと、優衣香が話しているその男を見て、相澤は目を見開いた。
二人は、到着したエレベーターに一緒に乗り込んで行った。
「間宮さん、また笹倉さんと話してる」
廊下に一人残された相澤はそう呟いた。
首を傾げた相澤は、階段で一階に急いで下りて行った。
◇ ◇ ◇
笹倉さんの仕事は、保険金算定に係る調査をしていると言っていた。病院や警察、検察や裁判所にも行くらしい。
警察署には交通事故以外にも盗難事件に関わる調査もあって刑事課に行く事もあると言っていた。だから刑事課の間宮さんと懇意になることもあり得る。でも、捜査状況は絶対に話せないし、逆に刑事課は笹倉さんみたいな人を煙たがる。入室すら許さないはず。
――松永さんは笹倉さんと間宮さんの事を知っているのかな。
笹倉さんのマンションの近くに迎えに行った時の、松永さんの喜びに満ち溢れていた姿と昨夜の松永さんの電話の内容を考えると、笹倉さんはやっと松永さんの気持ちに応えたのだと思う。だから笹倉さんは大丈夫だと思うけど……おそらく、間宮さんは笹倉さんの事を狙ってる。間宮さんは合コンで好みのタイプど真ん中がいた時と同じ顔してる。
――松永さんに教えた方が良いのだろうか。
前に笹倉さんと間宮さんを署の駐車場で見かけた時、笹倉さんはパンフレットのようなものを間宮さんに見せていて、間宮さんはスマートフォンを持って、二人は楽しげに話していた。
笹倉さんは、間宮さんが担当する事件の被害者なのかも知れない。でも、笹倉さんが被害者になったら松永さんが大騒ぎする。それで俺も知る事になるから、違うと思う。
ただ笹倉さんは仕事で間宮さんと関わっているだけなのかも知れない。
でも、警察から情報を得たいのなら、まず松永さんに言うだろうし、松永さんはそれを受けたら俺を使うと思う。でも俺は何も言われていないし、そもそも松永さんはいくら笹倉さんがそれを要求しても絶対に拒否する。松永さんの秘密保持は徹底しているし、逆に笹倉さんがそういう要求をしたら、それこそ百年の恋も冷めると思う。それくらい冷酷な時が、松永さんにはある。
松永さんは女にモテるけど、特定の恋人がいた事がない。笹倉さんに恋人が出来ると自暴自棄になって他の女と関係を持つけど、それは体の関係だし。たまにトラブルになってるけど……。でも笹倉さんに恋人がいない間は、絶対に他の女に見向きもしない。絶対に。
――どうしよう。
ここ数日の松永さんを見ていると、多分、伝えたら大変な事になると思う。
てっきり俺は松永さんと笹倉さんは恋人関係で、何かしらの事情で結婚しないだけだと思っていた。でも、抱きしめた事はあってもそれ以上の事はした事が無いと聞いた時、驚いた。
夜遅くに女性の部屋を訪れるのに、着替えが部屋に置いてあるのに、何もした事がないなんて信じられなかった。
十四歳の時に笹倉さんを好きになってから、ずっと想い続けていると聞かされた時は、ただただ驚いた。
昨夜の電話を切った松永さんのあの喜びようは、その二十年を超える想いが伝わったのだろう。そうでないなら何なのか、逆に聞きたい。
間宮さんの事を伝えたらどんな状況になるのか、そんなの想像したくない。
――見なかった事にしよう。
俺は、何も見なかった。何も見ていない。
俺は、笹倉さんと間宮さんの秘密を守る。それでいい。
◇ ◇ ◇
優衣香は一人で警察署を出て右へ歩き出した。その少し後に相澤が出て来て、優衣香の後を追う。
相澤は横断歩道を渡る優衣香に走って追いかけたが、信号が変わってしまった。足止めされた相澤は、優衣香が警察署裏手から現れた男に駆け寄っている姿を見ていた。その男は五階エレベーターで優衣香と愉しげに話していた間宮だ。笑みを優衣香に向けている。
「笹倉さん……なんで間宮さんと……」
コンビニへ入って行く二人を眺めている相澤は唇を噛みしめ、二人の追跡を止めて署に踵を返した。




