第7話 美容師/Hairdresser
十一月十二日 午前九時五十三分
隣県にある観光地の最寄り駅で、俺は改札口の向こうに野川里奈の姿を見つけた。
野川はAラインのピンクの膝丈スカートに白のニットを着て、白いカーディガンを羽織っている。スカートのウエストには黒いリボンが付いていて、カバンとパンプスも黒だ。
パンプスにも頭にもリボンが付いている。
――俺がアレと合わせるのかよ。
野川は、既に到着している俺を見つけ、小走りになった所で前から来た人とぶつかった。その人に何度も頭を下げて謝罪し、また小走りで改札を抜けて来た。
「おはようございます! 遅くなりました!」
見た目にそぐわないデカい声の清楚系が頭を下げる相手は俺だ。
青いスリーピースの細身スーツに茶色のベルトと革靴、水色のクレリックのワイシャツを着てる俺だ。
パーマの茶髪を後ろで結んで黒縁メガネを掛けている俺だ。
ほぼ直角にお辞儀をする清楚系の事を壁にもたれて腕組みしながら無表情で眺める俺だ。
――なんでこのポンコツは目立つ事するの?
改札から出て来た人、改札に向かう人、全てがこちらを見ている。小動物のような清楚系と、胡散臭そうなサラリーマン風の俺の組み合わせが特異に映るのだろう。
――お気持ちは分かります。
「おはよう」
「髭を剃ったんですね!最初分かりませんでした!」
「あの……行こうか」
「はい!」
俺は駅前で待ち合わせした事を後悔した。今日は弟が勤める美容院で俺と野川の見た目を合わせる為に来たが、美容院で待ち合わせすれば良かったと心底後悔した。
◇
駅から徒歩三分の所に弟が勤める美容院はある。
歩き始めてから俺の左後ろにいる野川は、俺の歩幅についてくるために小走りになっていた。
「ああ、ごめんね、気が利かなくて」
「すみません! 遅くて!」
少し息を弾ませてデカい声で話す野川に皆振り返る。俺は眉根を寄せて、あと少しだからと野川に言ったが、野川は俺の脇をすり抜けて先を歩いた。元々背の低い野川の歩幅は狭いし、履き慣れない五センチのヒールで尚更狭くなっていた。すぐに追いつく俺は、歩調を合わせるから普通に歩けばいいよと言った。
弟の勤める美容院は、一階と二階にテナントがあるビルにあり、中央に踊り場の無い階段がある。階段を上がれは左側に美容院がある。
ビルに着いた俺は、エントランスホールでキョロキョロ見回して目を輝かせている野川にため息が出たが、その階段を何の疑いも無く上がろうとする野川に話しかけた。
「あのさ、こういう階段って下からパンツ見えちゃうけど、そういうの気にしないの?」
目を見開いて俺を見上げる小動物は、口を開けたまま何と返事をすればいいのか悩んでいるようだ。
「いや、俺が見るとかじゃなくてさ」
少し疑いの目を向けながらそれは分かりますと言う野川に、俺はさらに眉根を寄せて後ろにあるエレベーターを指差した。
◇
エレベーターの中で、俺は野川の香りに気付いた。この甘い香りは優衣香と同じだ。二階に到着して野川に訊ねると、商品名を答えた。確かにそれは優衣香のシャンプーに書いてあった商品名と同じ物だった。
「会議の時、松永さんからこの香りがしてビックリしたんですよ! これすっごくいい匂いしますよね! お気に入りなんです! 松永さんもなんですか? お揃いで嬉しいです!」
ああ、良かった。ポンコツ警察官で本当に良かった。サロン専売品の女性向けヘアケア商品を独身男性警察官が使うと信じて疑わないポンコツ警察官で本当に良かった。普通、女の部屋で使ったと思うのが自然だろうに。
だが、この小動物はインテリヤクザの米田の刺客だ。全て筒抜けになる。
無表情でポンコツ野川を眺めながらそんな事を考えていると、ガラスの扉の向こうの人影がこちらを気にしている気配がした。
清楚系と胡散臭そうなスーツ着た男。
そんな二人の俺らを不審に思うのは当然だろう。
「……兄ちゃんだ」
美容院から出て来て、俺が自分の兄だと確信が持てずにいた弟の声がした。
「おう」
「いらっしゃい」
弟に毎回髪型を変えてもらってその時の仕事に合うようにガラリと印象を変えるが、この弟も毎回違う髪型や髪色をしている。今日は不思議な髪色をしていた。黒髪に見えるが、光が当たると他の色になる。
「その頭何色なの?」
「これはラベンダーアッシュだよ」
「あ! 聞いたことがあります! 綺麗な色ですね!」
「……ああ、こちらは野川だよ」
「はじめまして! 野川です! 宜しくお願いします!」
ほぼ直角にお辞儀する野川を、弟と顔を見合わせて苦笑いした。
◇
店内では女性美容師が待っていた。女性美容師に野川のカットとヘアアレンジの講習をお任せする。
弟に案内されたシートに座り、鏡越しに弟と顔を見合わせるが、早くもお互いに挫けそうになっていた。
「俺、アレを初めて見た時の格好を見てさ、この胡散臭いサラリーマン風でいけると思ったんだけど、今日のアレ見たら完全に間違ってた」
「あー、方向性は合ってるけど……若干ズレてるね」
「どう見てもホストの客引きと女性客、もしくは女衒と売られた女」
弟は笑いを堪えて肩が揺れている。
「俺もコレはやり過ぎだったかもとは思う……でも、頭にもリボン付けてるの見て挫けたよ」
「……小柄で可愛い子だね」
「今後は普通のスーツにするから。宜しく」
「あいよ」
小動物の野川を横目で見て、鏡越しに俺を見た弟のため息が聞こえた気がした。
◇
「午後は加藤さんが来る予定だよ」
ストレートパーマの薬液を手際よくかけている弟から声がかかった。加藤は相澤とペアを組んだから、ギャルから相澤に合わせた髪型にするのだろう。会議で見た加藤はパーマをかけたロングヘアで、グレーっぽい髪色だがハイライトとインナーカラーもしていた。
「ペアは相澤だから。相澤に合わせた髪型にしてあげて。ヘアアレンジもね」
「オッケー。加藤さんは器用だからヘアアレンジを教えてもいつも完璧なんだよね」
その言葉で弟と鏡越しに目が合い、そのまま野川へ視線を同時に動かした。
「…………」
「…………」
多分、二人とも同じ事を考えただろうが、あえて口にする事もないだろうと目で会話をした。
◇
「今ストレートパーマやって、次はカラーで、最後にカットするよ」
「時間かかるよね?」
「そりゃ。時間になったらまた来るよ」
「はいよ」
普段美容院のこの待ち時間は雑誌を読んでいるが、今日は野川を連れているから野川と美容師の会話を聞いてみる事にした。
事前に弟経由で警察官である事は伝えてあるので職業や仕事に関する事に美容師は触れないが、話を聞いていると若干、危ない気がする。野川は警察官になって六年だが、ポンコツ故に危機感が無い。こんなのとペアを組むのは本気で嫌だが、仕方ない。相澤とペアを組んだ加藤の方が俺と見た目が合う。年齢もそうだが、何よりも彼女の能力があると俺はとても助かる。
「好きな人がいます」
若い女の子の声なら微笑ましいで済む言葉も、ここで聞くのは宜しくない言葉――。
その声の主である野川の姿を鏡越しに眺める。相澤の事を言っているのだろう。官舎で同室の仲の良い俺に聞かせたいのか。まあ、野川ならそのままで相澤はコロッといくだろうが、俺は反対だ。だってこのポンコツは信用出来ないから。
――裕くんには先約がいるから諦めな。
ピピッとタイマーが鳴って、弟がこちらにやって来た。肩に巻いたタオルで頭を巻き、奥にあるシャワー台へ向かう。
やっと野川から逃れられる事に安堵のため息が出た。
「なに、疲れちゃった?」
「いや、アレがもう嫌になった」
「ふはっ! もう?」
薬液を流している間、弟は優衣香が来店した事を話した。
「ああ、家にシャンプーがいつもと違うのがあった。ここで買ったの?」
「そうそう。女の子の香りがするシャンプーね」
「ふふっ」
「優ねえは、もう私は女の子って年齢じゃないよと言ってたけど」
弟は優衣香の事を『優ねえ』と呼ぶ。歳の離れた弟を優衣香が弟のように可愛がった。弟が幼い時に上手く名前を言えなくて、『優衣香おねえちゃん』を略して『優ねえ』と呼んでいた。
「美容師さん、そのシャンプーの甘い思い出が野川に上書きされてしまって、ぼくとても辛いんです」
「ふはっ! 最悪だ、そりゃ」
野川の席からは女性美容師と仲良く話す声が聞こえる。言葉の端々に相澤の事を言っているのだと思われる言葉が散らばっていた。
それを聞きながらため息をつくと、弟は後で炭酸ヘッドスパやってあげるよ、と言ってくれた。




