幕間 言葉足らずの乙女心
午後四時五十八分
――この世は不条理だ。
私は今、リビングにある全身が映る大きな鏡で自分を見ている。
ネット通販で買った物を着て大きな鏡で見ているのだが、着用画像では裾が骨盤を覆っていたのに私が着たら臍が見えている。どういう事だ。
そもそも私の背が高いのがいけないんだ。
一昨年の健康診断で身長は一メートル六十八センチだったが、昨年の健康診断では一センチ伸びていた。おそらく原因は懸垂マシンだろう。
――今年は大台に乗るのか?
だが、大台に乗ったところで葉梨は一メートル八十五センチだ。大丈夫、超えない。まだ、大丈夫。それだけは安心して良いだろう。
だが、ネット通販で買ったこれはどうなのか。臍が見えているのだ。小さい女の子ならば大成功だったろうが、いかんせん私はでかい女だ。やはり失敗だったのだ。臍が見えている。
――この世は不条理だ。
先週、私はネットで『初エッチで男性が彼女に着て欲しいランジェリー』というタイトルの記事を読んでいたのだが、そこに書かれていた男性は全員、違う事を言っていた。何の参考にもならないじゃないか。そう思った。
とりあえず私はベビードールが良いだろうと考えて、ネット通販で商品を見て、買った。発送が早くて助かります。
だが、それが、これで、臍が見えている。
ネットで調べた私の努力は、水の泡――。
――この世は不条理だ。
実は、参考にしたいからと松永さんに質問をしたのだが、結論から言えばそれも失敗だったのだ。
彼女からまだおあずけを食らっていて悶々としている松永さんに、彼女が着ていたら嬉しいランジェリーを聞いてみたのだ。
松永さんは元気良く「全裸」と言い、聞かなきゃ良かったと思った。だが、「葉梨は喜ぶと思うから、本人に聞いてみたら?」と言った。
そんな事、恥ずかしくて聞けないだろう。聞けないから調べたのだ。葉梨に聞けないから松永さんに聞いたのだ。
松永さんは女心を分かっていないと抗議すると、「なんで俺に聞くのは恥ずかしくないの?」と呆れられた。
仕方ない、松永さんの言う通りに葉梨に聞いてみよう。
写真を撮って、葉梨に送ってみよう。
葉梨の好みのランジェリーはどういうものなのだろうか。
葉梨の新しい一面を知る事になる。私は頬が緩んだ。
◇
葉梨にこのベビードールを平置きして真上から撮った写真をメッセージアプリで送信した。「これはどう?」とメッセージを送ったのだが、葉梨は「証拠品ですか?」と返して来た。
――違う、そうじゃない。
そうか、フローリングに平置きするのは何となく嫌で、このマットに平置きしたのがいけなかったのか。
実家で父から何かに使うだろうと言われて持たされた、透明なデスクマットの下に敷くこのグリーンのマットが良くなかったのか。
ああ、言われてみれば確かに証拠品の写真のようだ。被害者の着衣――。
――お父さん、床に転がってるケトルベルを置くよ。
やはりフローリングに平置きは何となく嫌だから、私は畳の上にベビードールを置き、正座して写真を撮り、それを葉梨に送った。「こっちは?」とメッセージを送ると、返ってきたメッセージが「会見時の押収品展示ですか?」だった。
――違う、そうじゃない。
だが、言われてみれば確かに押収品展示のようだ。
新人の頃、窃盗未遂で逮捕した男性宅から押収した大量の女性用下着をひたすら道場に並べた事がある。
私が適当に並べていると、玲緒菜さんや先輩達から上下セットではなくてはならないとか色は揃えてグラデーションになるように並べろとか面倒な事を言われながら相澤と一緒に道場に並べた。
相澤はゴリラだが、ああ見えても几帳面だ。一生懸命並べながら、「ピンクってこんなに色があるんだね」と、ガーターベルトを手に持ち、女性用下着で神経衰弱をしながら言った。
私は疲労と睡眠不足でフラフラしながらそれを聞いていたせいか、出てきた言葉が「ピンクって二百色あんねん」だった。
相澤は『お前は何を言っているんだ』の顔をしていた。私が関西弁で答えた理由は今でもよく分からない。
その会見のニュースを見た父は私が勤務する所轄だと気づき連絡を寄越したが、「私が並べたんだよ」と誇らしげに言うと絶句していた。私は褒められると思ったのだが、今思えば、うら若き二十歳の愛娘が下着を並べている姿を想像して哀しくなったのだろう。同じ公務員とは言え、国税局勤めの父は女性用下着を並べた事は無いだろうし。
――お父さん、警察官ってそんなもんなんだよ。
◇
私はどうすれば良いのだろうか。
葉梨に「こういうのは好き?」とメッセージを送った。それで私の気持ちは伝わるだろうか。
先程の証拠品と押収品のメッセージはすぐに既読になって返信があった。だが、既読は付いたが返信が遅い。今、葉梨は官舎に戻った頃だと思うのだが、何か忙しくしているのだろう。
しばらくすると、葉梨から電話が掛かってきた。
「もしもし」
「もしもし! 葉梨です!」
「はーい」
「あの、どうしたんですか?」
「なにが?」
葉梨は、女性用下着の写真を送られた上に質問の意図が分からず悩んでいたという。だから電話したと言った。
――言葉足らずだったのか。
「ごめんね、どうかなと思って、送った」
「……はい、あの……それで、何が、どうかな、なのでしょうか」
「あー。えっと、葉梨は、私が、これを着ていたら、嬉しい?」
「はっ!?」
――文法を間違えたのだろうか。
「臍が見えるけど」
「んっ!?」
「臍は隠れている方が良いでしょ?」
「えっ!?」
葉梨は臍が見えていた方が良いのか。好きなものをはっきりと言えない時もあるのだな、と新しい一面を知って嬉しかった。
葉梨に官舎で同室の岡島はいるのか聞くと、岡島はいないと言う。
岡島は私と同期なのだが、私はこの十六年間、岡島を物理的に抹殺してやろうと思い続けている。しかし、機会に恵まれずに今に至る。
あの日、膝カックンした岡島の事を私は一生忘れない。
「岡島がいないならさ、ビデオ通話しようよ」
「あ、はい!」
私はベビードールとパンツを履いた。ソングだからケツが寒いが、メッセージアプリのビデオ通話をタップし、葉梨の応答を待った。
葉梨が応答すると、困った表情をしていた。どうしたのだろうか。
「葉梨はこういうの好き?」
「えっと、あの、もう、着ている、と」
「うん」
葉梨は私が着ているものなら何でも良いと言う。それでは困るのだが、頭を抱えながら目を閉じてそう言う葉梨は、先輩の私に気を遣っているのだろう。
「ねえ葉梨、臍が見えているんだよ」
「んんっ!?」
私は懸垂マシンで腹筋をする時に握るグリップにスマートフォンを置き、全身が映るようにした。
「ほら、臍が見えるでしょ?」
「……はい」
「臍が見えてても良いの?」
「はい。見えていても良いです」
葉梨に、このベビードールを買うに至った経緯を話した。ネットで『初エッチで男性が彼女に着て欲しいランジェリー』というタイトルの記事を読んだ事、そこに書かれていた男性の希望は皆違っていたから、葉梨に聞いてみよう思ったと言った。
記事タイトルを言った時点で葉梨は唇を噛んで天井を見上げていたが、今は画面を見ている。
「あの、加藤さん」
「なにー?」
「今から行ってもいいですか?」
「あー、うん……」
「あの、ご迷惑なら結構ですが……」
迷惑なわけがない。だが、葉梨は休みではない。午後十時には捜査員用のマンションに戻らなくてはならない。官舎へは荷物を取りに戻っただけだ。
「あのさ、これ以外にも、買ったものがあるんだよ」
「えっ……」
「見せたいから、えっと……」
「…………」
「マッチョしかいないジムに行こうよ」
「はっ!?」
画面の葉梨は、『お前は何を言っているんだ』の顔をしている。私は葉梨のその顔が好きだ。
こんなにも早く、葉梨とマッチョしかいないジムに行けるとは思わなかった。
世界中にあるマッチョしかいないジムだが、葉梨はどのジムにいるマッチョよりもカッコいいだろう。
マッチョしかいないジムのロゴの青いリンガータンクを着た葉梨は、世界で一番カッコいいはずだ。買っておいて良かった。
一人の女だけを夢中にさせる男は、いい男――。
私はすでに、葉梨に夢中だ。
加藤奈緒と葉梨将由のスピンオフは
『ブランカ/Blanca』として公開しています。
二年前、加藤奈緒と葉梨将由が初めて出会った日から一緒に仕事をする日を迎えて本編スタートまでの物語。
加藤奈緒が主人公のコメディです。
その他、ファーレンハイト第二部の主要メンバーでもある葉梨将由、岡島直矢、松永敬志、須藤諒輔、松永敬志の同期の男性が出てきます。
松永敬志が加藤奈緒にしでかす碌でもない行動・言動の数々、言葉足らずの加藤奈緒に困惑する葉梨将由、姐さんこと松永玲緒奈のヒミツ、上司の須藤諒輔から受けるハラスメント、加藤奈緒の両親と弟と犬、そして葉梨将由の両親と妹と犬など、『なんか、思ってたのと違う……』と呟きたくなる全45話になっています。
URL
https://ncode.syosetu.com/n9238ie/
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(・∀・)ノ




