第38話 姐さん、襲来(後編)/Raided
午後二時四十分
打ち合わせが終わり、相澤、本城、武村の三人は昼を取りに外出した。
捜査員用のマンションのリビングにいるのは俺と葉梨で、玲緒菜さんは女性捜査員用の仮眠室で荷物を解いている。加藤はまだ帰って来ない。多分、駅に行って電車に乗るより早いからとマッチョしかいないジムまで走って行ったと思う。
「姐さん、昔は容赦なく引っ叩いてたけど、もうアラフォーだし丸くなったのかな」
「えっと……あの、松永さんはご存知ないんですか?」
「何を?」
「姐さんが手を上げなくなった理由です」
「三人殴ったんだろ? 詳細は知らないけど」
葉梨が話し始めた玲緒菜さんに関わる事は四年前に起きた事で、優衣香の実家の事件が起きた後だった。俺はその時、情報を一切遮断されていて、何も知らなかった。
玲緒菜さんの件はかなり問題になったが、直後に兄が本城を庇って公務中に怪我を負った事で有耶無耶になった。というより、それで許された面もある。
そこに俺が署で暴れて怪我人が出た事も重なり、玲緒菜さんの件は完全に無かった事になった。
玲緒菜さんがしでかした事というのは、葉梨に関わる事だった。
玲緒菜さんとペアを組んでいた葉梨は、その日寝坊した。葉梨は待ち合わせ場所に八分遅れたのだが、玲緒菜さんが笑顔で手を大きく振っていた事で葉梨は油断し、手を上げた玲緒菜さんを躱す事が出来ずに鼻にグーパンを食らった。
人はここまで冷めた目を出来るのかと葉梨は思ったと言う。
一般的に、女性が被害者で男性が加害者だと周囲の人間は助けに行くか通報をするが、これが反対だとそうでもない。
だが、通行人が近くの交番に「男性が殴られて血が出ている」とだけ言い、交番から警察官が走って来た。
彼らが見たものは、仁王立ちする背の高い女と、その女に圧倒されて何も出来ないでいる鼻血が噴き出したままの体格の良い男だった。
彼らは二人と面識もなく、運が悪いのか、玲緒菜さんに声をかけた方は対応が悪いタイプの警察官で、SNSや動画サイトで全世界に晒されるタイプの警察官だった。
そこで手帳を見せれば済んだはずなのに、玲緒菜さんはその警察官を葉梨と同じようにグーパンした。
それを見ていたペアの警察官は対応が丁寧なタイプだったようだが、玲緒菜さんはそいつもついでにグーパンした。連帯責任だったらしい。
高身長で体格の良い葉梨と、制服警察官二人は鼻血を出していて、それを仁王立ちで眺める玲緒菜さんの元に、応援の警察官も緊走のパトカーも臨場し、大騒ぎとなった。
後から走って臨場した警察官は玲緒菜さんと葉梨に面識があり、対応が悪いタイプの警察官が何かしでかしてグーパンされた上に、残り二人はついでにやられたのだと思い、玲緒菜さんの話を聞かずに制服警察官の頭を下げさせたと言う。
「なんだその地獄絵図は」
「俺のせいです」
「まあ、そうだけど……」
その後、玲緒菜さんは副署長の前で正座して、『もうグーパンしません』と誓ったという。
四年経った今はピコピコハンマーが活躍中だ。
「パワハラで訴えられればいいのに」
「ちょっ!! 義理のお姉さんですよ!?」
そこに玲緒菜さんがリビングへ戻って来た。
「パワハラが何だって?」
「ハハッ、聞こえてましたか」
「地獄絵図も」
「あらやだ」
テーブルにあるピコピコハンマーを手に取った玲緒菜さんに俺は頭を叩かれた。
「敬志は本当に知らなかったの?」
「はい。初めて聞きました」
「あんたの情報源、構築し直した方がいいんじゃないの?」
――姐さん、この件はみんな気を遣ったんだと思いますよ。
葉梨は玲緒菜さんの希望で冷蔵庫に冷たい飲み物を取りに行き、戻って来たところで玲緒菜さんは「二人に話がある」と言った。
「野川が相澤を好きなのは二人とも知ってるよね?」
俺も葉梨も直接彼女から聞いたわけではないが、野川を見ていれば相澤が好きな事は明らかだった。
「あの子さ、私としては裕典くんに良いかなって思うのよ」
――加藤とくっつけるのは止めたのかよ。
「あの子、私を利用しようとしてるんだけど、それがね、やり方が上手いんだよね。あの子、出世するわ」
相澤は松永家にとって、血縁関係は無いが親戚の子のようなものだ。俺は弟だと思っているし、父を慕って警察官を志望した相澤は、父亡き今、松永家にとっては宝物でもある。
だが、相澤は若干ポンコツだ。
仕事は俺が補えば良いし、私生活は加藤が補えば良いと俺と玲緒菜さんは思っていたのだが、玲緒菜さんがポンコツ野川を推してきた。
ポンコツ野川はポンコツだが、成長の余地はある。どちらかというと出世させた方が良いと思って、俺は彼女にそう言った。それは玲緒菜さんも同じ考えなようだ。
「ねえ、葉梨」
「はい」
「加藤はもう三十四歳だし、あんたが良いなら早く結婚してあげてよ」
「はっ!?」
――なんで知ってるんだよ。
「敬志が二人をくっつけたんでしょ?」
「……はい。そうです」
「良くやったね、褒めてあげる」
「はっ!?」
玲緒菜さんは上品な笑みを浮かべて、「じゃ、相澤と野川の件、よろしくね」と言った。
そこに昼飯から三人が帰って来た。
「玲緒菜さんもお昼、ご一緒に」
「いいね!」
「葉梨、行こう」
「はい!」
玲緒菜さんは立ち上がり、帰って来た三人を出迎えて、それぞれに笑顔で声を掛けていた。
服装、髪型、髪と肌の調子、顔つき、目線、声の質を観察して、捜査員の心と体のコンディションを判断している。それを元に各人へ適切な対応をしていた。
そこにいる微笑む玲緒菜さんは優しい女の人――。
玲緒菜さんは、加藤が『優しい女の人』の一面を持つには、相澤ではだめだと見切りを付けたのだろう。そして、相手が葉梨なら加藤はそうなる、と見込んだのだろう。
――葉梨、頑張れよ。
俺は、加藤から食らう裏拳や手の甲でフルスイングがピコピコハンマーで済むのなら、二人を全力で応援しようと思った。




