第37話 姐さん、襲来(中編)/Raided
玲緒菜さんが二十一歳の時、長男の敦志から結婚を前提としたお付き合いをしていると聞いた両親は、初めて玲緒菜さんを家に招いた。
玲緒菜さんは綺麗なお姉さんだった。
当時俺は十七歳で、弟の理志は十歳だった。
綺麗なお姉さんに浮かれる理志を隣に座らせ、理志の話を一生懸命聞いている姿は今でも記憶に残っている。俺も話したかったが、理志がずっと話しているから話せなかった。だが玲緒菜さんはそれが分かっていて、理志の話を俺も話に加わる事が出来るように誘導していた。優しいお姉さんだった。
当時、テレビCMで『綺麗なお姉さんは好きですか』がキャッチコピーのCMがあった。
理志とテレビを見ている時にそれが流れると、二人で頷いて、理志は「うん! 好き!」と大声で言い、母は笑っていた。
優衣香とは高校が別だった。公立高校に進むなら同じ高校のはずだったが、優衣香はバレーボールを続けたいからと私立高校に進んだ。
優衣香の事はもちろんずっと好きだったし、家が隣で学校の行き帰りに会う事もあったし、休日は理志と遊びにうちに来る事もあった。
だが、十七歳の俺は玲緒菜さんが綺麗なお姉さんで憧れた。優衣香への恋心とは違う感情を抱いた。
だが、それは警察学校に入るまでの思い出となる。
俺が警察学校に入る直前に兄と玲緒菜さんは結婚したが、警察官として会った俺に玲緒菜さんは厳しかった。豹変した玲緒菜さんに驚いたが、兄は「これが標準だよ」と言っていた。
「警察官になったって事は、私の後輩って事。だから甘やかさないからね」
そう言う玲緒菜さんに、挨拶の声が小さいと手の甲で頬を叩かれた。俺は青春を返してくれと言いたかったが、言えなかった。
警察官にならなかった弟の理志の事は、今でも玲緒菜さんは溺愛している。
狂犬加藤も狂犬の親玉も知らない理志は、世界で一番幸せ者だと思う。
◇
武村と本城がコーヒーを全員分仕度してリビングへ戻って来ると、玲緒菜さんはコーヒーを置く順番、砂糖とミルクの個人の好みの数を淀みなく各々の前に置いていく武村と本城に口元を緩めていた。
二人が着席すると「さて、本題に入りましょうか」 と言い、打ち合わせが始まった。
午後二時十四分
打ち合わせであった玲緒菜さんから連絡事項は、休みが増える事と武村と交代でポンコツ野川が戻って来る事だった。
玲緒菜さんは、背の高い自分と加藤は俺と葉梨とでペアを組み、小動物のポンコツ野川は相澤と本城とでペアを組めば良いと言ったが、加藤が意見を言った。
「その日の状況次第でペアを変えれば良いと思います」
「でもさ、加藤はハイヒール履きたいってサルに言ったんでしょ? そう聞いてるよ?」
「その時はそうだっただけです。私の個人的な都合で変えて頂くのは申し訳無いと思います」
「うーん……」
――サルなんだ。チンパンジーじゃなくて。
確かに背の高い俺と葉梨なら、同じく背の高い女性の方がバランスが取れる。ポンコツ野川のように身長が低いと真横にいるのに視界から消えてびっくりする事もあるし、何よりも歩幅が合わない。
だが、ハイヒールを履く加藤とも歩幅が合わない時もある。それにハイヒールだと機動力も落ちる。その指摘に、以前加藤は「練習します」と答えていた。
相澤は雪の日に加藤の家に行ったが、横長のリビングダイニングがトレーニングルームだったと言っていた。サンドバッグもあったと言う。
家具は一人掛けソファ一つと小さいテーブルと大きなテレビしかなく、床にはケトルベルやダンベルが転がっていて、トレッドミルの横に高さの違うハイヒールと、十センチ以上あるピンヒールもあったそうだ。懸垂マシンにはストッキングが掛けてあり、目の遣り場に困ったと言っていた。
努力の方向性が合ってるとも合ってないとも俺が言う事では無いが、努力しているのなら、実地で結果を出す必要もあるだろう。
それに、隣の葉梨がテーブルの下でハンドサインを送っている。
気が重いが、俺は玲緒菜さんに意見しなくてはならないようだ。
「あの、私からも、よろしいでしょうか」
「んっ? なにー?」
「背の低い野川だと、私も葉梨も困ります」
「だよね」
「はい。視界から消えますし、走った時に野川は追い付けません」
「だよねー」
加藤の顔を見るが、表情の変化は無い。だが、相澤の目が少しだけ、変わった。
その相澤の顔を葉梨は見ていたが、玲緒菜さんに顔を向けた。玲緒菜さんは「暑い」と言い、着ていたウインドブレーカーを脱ごうとしていた。
「少し、換気しましょう」
俺はそう言って席を立ち、加藤も席を立ってバルコニーに面した窓とリビングのドアを各々が開けたが、相澤が「あっ」と言い、何かと思って相澤を見ると、同じ視界にいる加藤が今にも倒れそうになっているのも見えた。俺はリビングのドアにいた加藤に走り寄って体を支えた。
「玲緒菜さんと俺、お揃いコーデですね!」
「あー! ホントだねー!」
加藤を支えながら玲緒菜さんと相澤を見ると、黄色い看板のマッチョしかいないジムで売っているあのTシャツを、玲緒菜さんも着ていた。
二人は笑顔で顔を見合わせている。
「ヤバいです、松永さん……」
今にも消え入りそうな声で加藤が俺を呼んだ。何かと思って加藤を見たが、相澤の声に俺も倒れそうになった。
「これは加藤がお下がりでくれたんです!」
「……お下がり?」
顔面蒼白となった加藤は、「マジもう無理」と言って、目を閉じた。
加藤は雪の日に相澤を風呂に入らせたが、トランクスは仕方ないにせよ、汗ばんでいる肌着を風呂上がりに着せるのもどうかと思い、オーバーサイズで気に入っていたマッチョしかいないジムの黒いTシャツを相澤にあげた。それは襟ぐりがビロンビロンになっていた為、加藤は部屋着にしていたという。
だが相澤は、カッコいいからと一軍として着ている。
裕くんはそういうのをあんまり気にしないタイプだ。
「襟ぐりがデロンデロンじゃない、だめよ、裕典くん」
「そうですか?」
玲緒菜さんが加藤に向き直すのが早かったのか、加藤の口が開くのが早かったのか、定かではないが、加藤の新人ばりの大きな声がリビングに響き渡った。
「隣の駅前にマッチョしかいないジムがあります! 私、今から買ってきます!」
加藤がコートを着てカバンを持ち、リビングを出て玄関を出て行くまで、五秒もかからなかった。
玲緒菜さんと俺以外の捜査員は呆気にとられている。
――優衣ちゃんの言う通り、部屋着にすれば良かった。
俺はウインドブレーカーのファスナーを顎までそっと上げた。
(後編に続く)
ビロンビロンとデロンデロン




