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第33話 武闘派女と忍耐男(後編)/Female Martial Artist and Patience Man

 俺がキッチンで見つけた物は、その黄色い看板のマッチョしかいないジムのプロテインとブレンダーボトルだった。

 相澤が来た時にそれを話したのか聞くと、話していないと言うが、マッチョのジムのチラシがリビングテーブルに置いてあった気がすると言う。

 俺はもう一度、普通のスポーツクラブではだめなのかと言ったが、優衣香はだめだと言う。


「マシン使ってるとね、男の人が寄ってきて、話しかけて来るから……」


 それは使い方などを教えてあげようとする善意を装った、下心のある男の行動だ。スポーツクラブのスタッフも、そういった事には対応はしてくれるが、あくまでも店舗内でなら、の話だ。敷地外に出てしまったら、対処は出来ない。


「なら、女性専用フィットネスジムは?」

「駅の反対側だから面倒で」


 ――マッチョのジムめ。駅の反対側に出店しろよ。


「マッチョのジムだって、マッチョしかいないよ? 男だよ?」

「マッチョは筋肉の話しかしないよ?」


 ――でしょうね。自分の筋肉と会話してるもんね。


「うーん、でも、どうしてダイエットしようとしたの? 何かあったの?」


 どうしても、原因を言いたくないようだ。それは俺に気を遣っているのが分かる目で、優衣香は俺を見る。


「言わないと、くすぐるよ?」


 俺は優衣香のパジャマの裾から手を入れて、タンクトップの裾も引き出して、優衣香の素肌に触れた。


「腹斜筋」

「んふふ……」


 それから背中にかけてゆっくりと、指先を動かしていった。


「脊柱起立筋」

「腰痛対策に、ね」

「ふふっ……」


 背中の中心を、爪でゆっくりと撫で上げていく。

 優衣香はくすぐったいのか、唇を少し噛んで、俺を見る。潤んだ瞳にまた、襲いたくなる衝動に駆られたが、我慢した。だが指先はそのままで、肩甲骨を親指で触った時、優衣香が動揺した。


「……どうしたの?」

「あ……うん……」

「なに? 話して」

「……そこの肉は取れたでしょ?」

「えっ?」


 優衣香は何の話をしているのだろうか。尋ねると、優衣香は小さく息を吐いてから話してくれた。


「敬ちゃんを腕枕した時、寝てる敬ちゃんがずっとそこを揉んでて……。胸と勘違いしたのかな、って……」


 ――夢で、揉んだ、おっぱいは! おっぱいじゃなかった!


「えっと……それを、気に、して……?」

「うん……」


 ――やっぱり俺が原因じゃないか。敬志の馬鹿!


「優衣ちゃん……俺は痩せてる優衣ちゃんより――」

「背中の肉を落としたいの」

「どうして?」

「私、肩幅があるから、背中の肉が付くと、すごい貫録が出る」

「貫録」

「貫録」


 二人で笑い合ったが、急激な体型の変化は健康に良くないと伝えた。だから風邪をひいたのだと指摘すると、優衣香は「ごめんなさい」と言った。


「ああっ……優衣ちゃん、怒ってないよ。言い方が悪かったね。ごめんね」

「いいの。ごめんなさい。気をつけるね」


 俺は体格の良い優衣香が優衣香だと思っているから、そのままでも良いと思っている。

 優衣香を見ると、目を伏せて少しだけ、唇を結んでいる。そんな優衣香に申し訳ないなと思いながら、背中に添わせた指を動かすと、優衣香が俺の目を見て、また伏せた。


「あの……敬ちゃん、胸、触る?」

「えっ……」


 触りたいけど、優衣香が反応したら、俺はもう止められなくなる。でも――。

 俺が躊躇している様を見て、優衣香は俺の腕を掴んで、手を体の前まで引っ張った。

 手を添えた俺の手を、パジャマの裾から自分の胸に持っていこうとする。


「……じゃあ、優衣ちゃん。感じても、声を出さないでね。我慢出来なくなっちゃうから」


 そう言って、優衣香の胸に触れた。俺の手に、収まるくらいの大きさで、柔らかい。ゆっくりと手を動かすと、手のひらの中で、硬くなった先端が分かった。

 優衣香が必死に声を出さないようにしている。

 優衣香が声を出してしまわぬよう、唇を重ねる。それでも漏れてしまう甘い吐息に、俺は徐々に余裕が無くなっていった。

 今なら、止められる――。


「我慢」

「んー」


 体調が万全ではない優衣香を、なんとかして宥めて、俺は優衣香に寝るように言った。


「優衣ちゃん、近々にまた休みを取れるから、その日までに必ず治しておいてね」


 優衣香の返事を聞いて、また唇を重ねた。


 ◇ ◇ ◇


 一月十二日 午前二時三十四分


 ビルの隙間を抜ける風は冷たく、スタンドカラーのコートの襟を寄せる加藤奈緒を、隣の本城昇太がちらりと見た。

 道幅は狭く、車がすれ違うことはできないその道を歩いているのは二人だけだった。加藤は寒そうに身を縮めている。吐く息は白く、宙に浮かんでは消える。


「姐さん、本当に来ちゃうんですね……」

「……まあ、仕方ないでしょ」


 二人はマンションに戻る途中だが、戻りたくないのか、足取りが重いようだ。


「あんたはさ、何で玲緒菜さんが怖いの?」

「あー、俺はアレです。松永さんの……あ、お兄さんの方の……」


 初めて聞く二人の話に耳を傾けている加藤の表情は、だんだんと優しくなっていった。


 ◇ ◇ ◇


 同時刻


 気付いたら二人とも寝ていたようで、今、ほぼ同時に目が覚めたようだった。

 俺が目を開けた時、優衣香は眠たげな目で俺を見ていた。


 冷えた空気で満ちているはずの部屋なのに、身体の奥底から熱を帯びていくような感覚がある。

 優衣香を抱き寄せると、優衣香は俺の肩に腕を回した。押し付けられた柔らかな膨らみから伝わる体温が心地よい。


 こんなにも密着しているのに、優衣香の体温を感じているというのに、もっと触れたい、温もりを感じたいと思ってしまう。

 そんな事を考えていたら俺は無意識のうちに優衣香を抱きしめる腕に力を込めていたようで、少し苦しそうに身を捩った優衣香は、潤んだ瞳でこちらを見上げてきた。その表情はどこか艶っぽくて、思わず息を飲んだ。


 ――したいな。でも……。


「我慢」

「んーっ!」


 優衣香だって、我慢している。体調さえ良ければ――。

 俺は、自分の欲望だけで行動するわけにはいかない。


 だが、腕の中にいる優衣香が欲しい。優衣香を全部手に入れたい。優衣香が乱れる姿を見たい。唇で舌で指で、優衣香が望む快楽を与えてやりたい。愛したいけど、壊してしまいたい気もする。そんな矛盾する思考に脳内を支配されながらも、理性を総動員させてなんとか堪えていた。


「多分、腹減ってるから我慢出来ないんだと思う」

「んふっ、そうだね、食欲で満たす?」

「ふふっ……何か食べようか」

「ブロッコリーとささみと卵があるよ」

「でしょうね」

「んふっ」

「ふふっ」


 プロテインと言わなかっただけ、まだ俺に気を遣っているのだと思えば、その筋肉三点セットでも十分だと思う。


 ◇


 武闘派の優衣香は、打倒敬志をスローガンに兄と特訓する日々で、柔道が面白いと思ったようだった。中学では柔道部に入ろうとしたが、優衣香の両親が必死に止めた。

 特訓の成果が出て、隣に住む同い年の男の子を足払いしている愛娘の姿に、「違う、そうじゃない」と思ったのだろう。

 結局、部活はバレーボールを選んだ。

 竹刀では、後ろから飛んで来るバレーボールはどうにも出来ないと分かり、やっぱり柔道をやっていれば良かったと後悔した。柔道でも無理だが。


 子供の頃は、仲良く遊ぶ時と、理志に関する事でケンカをする時があった。仲良しだったけど、ショートヘアで男の子みたいだった優衣香に恋をする日が来るとは思わなかった。

 十四歳に抱いた恋心を、二十二年も持ち続けるとも思わなかった。


 二十二年経って、やっと手に入れた優衣香が、今、俺の腕の中で笑ってる。


 ――優衣ちゃんの笑顔が大好きです。


 優衣香がいてくれるから、俺は生きていける。

 優衣香が笑顔でいてくれるなら、俺は幸せだ。


 ――でも、マッチョしかいないあのジムは、ちょっとな……。


「優衣ちゃん、スポーツをすれば良いんじゃない?」

「ん? 格闘技?」

「それだけはやめてって、言ったよね」

「んー」


 優衣香と駅前でばったり会った二十歳のあの日。

 ショートヘアになった優衣香に気づかなかったあの日。

 優衣香がショートヘアになった事がショックだったけど、それよりも俺は焦った事があった。

 優衣香はチラシを持っていた。

 その文字は、優衣香に倒されて、勝ち誇る優衣香の顔を仰ぎ見た日の記憶を呼び起こすものだった。


『新オープン! グレイシー柔術 無料体験!』


 ――おかあさん。ぼく、女の子は弱くていいと思う。


夢だけど! 夢じゃなかった!

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