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第30話 病は突然に/Illness comes suddenly

 葉梨将由は官舎の自室で電話をしている。

 ベッドに腰掛け、左足をベッドに乗せている彼の表情は、徐々に険しくなっていった。


「話してくれなかったから」


「……気持ちは分かる、けど……」


「それって結局、俺の事――」


「じゃあなんで、話してくれなかった」


 少しだけ声を荒らげた彼は上を向いて奥歯を噛み締めた。


「俺はもう、いい」


「そう。…………冷めた」


 電話の向こうの相手は、まだ彼に何かを言っているようだ。


「もう連絡しない。それじゃ」


 そう言って、彼は通話ボタンをタップして、スマートフォンをベッドに投げつけた。

 跳ねたスマートフォンは壁に当たって、大きな音がした。


 ◇ ◇ ◇


 一月十一日 午前十一時五十七分


 冬の晴天の日。

 その暖かな日差しの元、行き交う人々で賑わう観光地。

 そんな賑わいとは打って変わって、捜査員用のマンションがある裏通りは静かだ。

 マンションを出て駅方向へ歩いて行くと、見覚えのある車が止まっていた。


 ――チンパンジーの私有車だ。


 今朝、チンパンジー須藤から電話があった。

「そっち行くから」と「昼に行く」とだけ言って電話は切れた。

 昼って十二時かな、と思ってマンションを出ると須藤の車があった。運転席の窓を覗き込むと、須藤はウインドウを開けた。


「あー、運転手さんねえ、交差点から五メートル以内は駐停車禁止なんですよ」

「ふはっ! ごめんなさーい」


 そう言って、須藤は後ろに乗るよう言った。


 ――へぇ。公用車がフルモデルチェンジすると、こんなに高級になるのねー。


 ドアを閉めると、静寂がそこにあった。


「ヤバいっすね、すっげー高級車になってる」

「な、俺も驚いたけど、公用車を新しくしても、これはクラウンパトより大きくなるから無理だと思う」


 俺がシートベルトを着けた事を確認すると、須藤は車を発車した。

 他愛もない話を始めた須藤だったが、信号待ちでマグの温かい飲み物を飲んだ後、信号が変わってから話し始めた。


 ――やっと本題か。そんなに面倒そうな感じはしないけど。


「山野、今は有給を消化させてるだろ? こっちも事前に……まあ知ってたけど、新たにいろいろと、出て来てさ」


 男性用仮眠室から出てきた、葉梨も聞かされていなかった六個目のボイスレコーダーの件は、葉梨が山野を懐柔して聞き出していた。

 その報告が須藤に上がり、既に山野は有給消化という名の自宅謹慎となっている。米田も何かしらあったようだ。詳細は分からないが。


「葉梨は元々、かなり知ってたみたいですね」

「ああ、あれだろ? 山野の事、まだ何も知らん時に可愛いと思って二人で遊びに行ってたけど……」

「口は軽いし、ヤリマンだし、って? ふふっ」

「以前はそうじゃなかったんだけどねえ……」


 ルームミラー越しに、須藤と目が合った。


「ぼくのせいだとおっしゃるんですか!?」

「ふはっ! どうだろうな」

「山野って、カネ関連も……アレですよね」


 山野がホストに入れ上げてるという情報は葉梨から受けていた。同僚に金を借りているという。


「ああ、今日はその話出来た。……で、会社の金を、ね」

「えっ……」

「今、山野の親と話し合ってる」

「おっと……マジで……」

「とりあえず、この話は敬志だけが知ってるから、よろしくね」

「……はい」


 ◇ ◇ ◇


 午後一時十二分


 相澤裕典と加藤奈緒は昼ご飯を食べにいつもの中華屋へ行き、日替わりランチ三種類を注文して待っていた。

 早歩きで店に来たせいで汗ばんでいる加藤は、水を飲み干し、空いたコップを相澤に突き出していた。


「……返盃?」

「あんたずいぶん偉くなったんだね」

「水を入れろって事?」

「そうだよ」

「もう!」


 加藤のコップに水を入れる相澤は頬を膨らませている。それを優しい眼差しで加藤は見ていると、そこに顔なじみとなった女将が席にやって来た。


「今日もたくさん食べるのね」

「ふふっ、もちろんですよ」


 二人の間にチャーハン三個、青椒肉絲、麻婆豆腐、餃子十個が置かれた。


「多分、足りないから何か注文します」

「えっ! あ、そうね、ふふっ」


 そう言って、女将は相澤をチラッと見た。相澤は置かれた品に目を輝かせている。


「本当に、奈緒ちゃんっていっぱい食べるね」

「燃費悪いからね」

「でも痩せてる」

「これでも、三十過ぎてから肉が付いてきたんだけど」

「えっ……」


 相澤は何かを思い浮かべたようで目を彷徨わせた。


「……良いから食べな」

「うん……」

「八宝菜か油淋鶏、どっち頼む?」

「奈緒ちゃんの好きな方で良いよ」

「あんたが決めてよ」

「奈緒ちゃんが食べたい方を俺食べるよ」

「決めてよ」

「どっちでもいいよ」

「決めて」


 押し問答をする二人を、店主と女将は口元に笑みを浮かべながら眺めていた。


 ◇ ◇ ◇


 午後一時三十分


 須藤にマンション近くまで送ってもらい、車が見えなくなるまで見ていた。


 ――新しい捜査員は三人分働く女性だ。頼もしいけど……。


 いいや、それは後で考えよう。

 今は、優衣香の事だけを考えよう。


 マンションには駐車場が無いため、近くの時間貸パーキングを月極契約している。

 優衣香に電話しよう。

 ここで良いだろう。

 誰も来ないはずだ。


 停めてある公用車に乗り込んだ。


 この公用車は優衣香と同じだ。優衣香のは後期型で七速だと言っていた。確かに五速の前期型は、高速道路では問題ないが、渋滞した市街地だとストレスになる事もある。


 履歴から優衣香の文字を探して、タップした。

 あれから何回か電話しているが、今でも緊張するし、怖い。だが、優衣香に謝らなければならない。


 ◇


「もしもし、俺……あの、今、電話大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」

「……優衣ちゃん、声が……」

「ああ、うん、風邪ひいたみたいで、午前中に病院へ行ったけど、インフルエンザじゃなかったよ」

「えっ、あの……大丈夫なの?」

「うーん、咳と喉の痛みで、熱もある」

「ああ……、どうしたの? 寒かったから風邪ひいたの?」

「うーん、疲れだと思う。このところ体を……ああ、でも大丈夫だよ。敬ちゃんは? 体調は? ちゃんと寝てる?」


 優衣香は何かを言いかけて止めた。何だろうか。でも、今は優衣香を休ませないといけないと思った。謝罪は優衣香が元気になってからで良いだろう。


「ああ、うん、大丈夫だよ。ありがとう。あの、優衣ちゃん、ゆっくり休んで。また連絡するね。ちゃんとお薬を飲んでね」


 ◇


 午後一時四十七分


 捜査員用のマンションには、相澤、加藤、葉梨、本城、武村がいた。皆リビングのテーブルに着席している。

 俺は皆の顔を見ながら、作り笑顔で話しかけた。


「皆さん! とっても良いお知らせです!」


 俺がこういう事を言い出す時は例外なく碌でもない事だから、それを知らない武村以外が俺から視線を外した。


「なんと!新しい捜査員の補充があります! 皆さん、嬉しいですね!」


 捜査員の補充がある時点で余裕が生じるのは確かだから、少しだけ期待している目で俺を見た。武村の目は輝いている。だが、前回の山野の件がある。それが誰なのか、固唾を飲んで俺を見つめた。


「姐さんです! 明日の昼から姐さんが来て下さいますよ!」

「えっ! 本当ですか!? 玲緒奈さんが来てくれるんですか!?」


 歓喜の声を上げる相澤と、誰の事か分からない武村以外の葉梨、本城、加藤の反応は同じだった。俺もさっきチンパンジー須藤から聞かされた時も同じだった。

 茫然自失――。

 加藤は目眩がしたのか、隣の相澤にもたれかかった。


「奈緒ちゃん! どうしたの!?」

「マジ……もう無理……」

「ええっ!?」


 玲緒奈さんは今年四十一歳になる既婚女性で、俺が信頼する同業女性の一人だ。初めて赴任した署で加藤を指導した先輩であり、同じ所轄の相澤を溺愛した女性でもある。

 相澤には優しく指導したが、加藤にはそうではなかった。加藤が狂犬になったのは、玲緒菜さんのせいでもあるし、おかげでもある。

 葉梨と本城に関しては知らない。だが表情を見る限り接点はあったのだろう。二人共、『いますぐおうちにかえりたい』という顔をしている。


「皆さん! お気持ちも分かりますが、私が一番辛いんですよ!」


 そうだ。玲緒菜さんに俺は頭が上がらない。玲緒菜さんが独身の頃から本当に、お世話になっている。公私共にお世話になっている。


 ――だってぼくの義姉だもん。


 こんな美人が何で警察官になったのか、何かの間違いでは無いのかと騒然とさせた松永玲緒菜は、一つ下の俺の兄が警察学校に入った時に、「あんただわ」「私はあんたの嫁になる」と兄に言い、兄はよく分からないまま交際をして、よく分からないまま結婚して、二十二歳で父親になっていた。


 兄もよく分からなかっただろうが、うちの家族もよく分からなかった。

 両親は兄の恋人が一つ上の同業とだけ聞いていて、玲緒菜さんを初めて見た時は動揺していた。初見で兄を選んだという玲緒菜さんを、詐欺では無いのかと疑ったという。玲緒菜さんも警察官なのに。


 玲緒菜さんは加藤と同じで、背が高くて痩せている。痩せていた時は『ヤクザの愛人』と呼ばれていたが、三人目を産んだ後に少し肉付きが良くなり、三十代になってからは、『姐さん』と呼ばれるようになった。インテリヤクザと反社の間ぐらいの顔でレスラー体型の兄が公務中に傷を負ったせいでもあるけど。


「では皆さん! 覚悟を決めて、頑張りましょう! 休みだけは! 休みだけは取れますから!」


 ――よし、ついでに言ってやる。


「俺、明日の朝まで時間もらう。心の準備させて……お願い……」


 加藤、葉梨、本城の三人が憐憫の眼差しで俺を見て、小さく頷いた。

 相澤は武村に教えている。「玲緒菜さんはね、すごく優しい女性だよ」と。その声にゆっくりと顔を向けた三人は、皆思い思いの表情をしていた。


 ――よし、優衣ちゃんに会って現実逃避しよう。


 看病セットは何を買えば良いのかだけを考えて、玲緒菜さんの事は明日まで忘れようと思った。


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