第12話 三人組の恋路/A Love Affair of Three
十一月十七日 午前十一時三十六分
バルコニーに面した窓から差し込む陽の光が室内を明るく照らしている。その光を受けるようにして椅子に座って、いつもの資料に目を通していると玄関が開いた音がした。
「お疲れ様です……あれ、松永さんだけですか?」
連絡所兼仮眠室のマンションに戻った加藤奈緒がリビングの扉を開けて部屋を見回している。
加藤はグレーの髪色から濃い目のブラウンになっていた。前に入れたハイライトとインナーカラーの部分はそのうち色が抜けていくのだろう。
ハーフアップにした髪型は毛先が揺れていて、パールのピアスをしている。ギャルから『大人可愛い』のスタイルになった加藤は、どんな格好をしても似合う女性捜査員だ。
「ああ、お疲れ。一人だよ。相澤は?」
「官舎です。夕方には戻ります」
加藤は、部屋に入ってから俺を視界に入れて見ているようで見ていない目の動きを止めた。俺は椅子の背もたれに身体を預けて右脚を左脚の膝に乗せているが、それを窘めるような目線で真っ直ぐ俺を見据えて、少し首を傾げた。
「体調がすぐれないご様子ですが」
「正解。さすがだね……って、見れば分かるか。ふふっ」
「睡眠不足でしょうか」
「あー、それもあるけど、ほら夏は……大変だったでしょう? そのツケを今払ってる感じだよ」
「あー……なるほど」
テーブルに来た加藤は俺の斜向かいに座った。視界の右上方にいる加藤を見ながらも資料を読む。
会議でギャルメイクだった時は思わず二度見したが、今日のメイクは桜色に上気した肌のような艶のあるメイクで、柔らかな女性らしさのあるものだ。
資料をテーブルに置き、腕を組んで加藤の顔を見た。
「相澤もそうだったけど、あいつはどう? 元気にしてるの?」
「ゴリラはいつも元気です」
「ふふっ……そうだね」
加藤は会議の時より雰囲気が少し変わっていた。それは髪型やメイクのせいではない。何かは分からないが、変わったのは事実だ。
「相澤と会ったのは二年ぶりだよね? どう? 毎日幸せ?」
「それはどのような意味でしょうか」
「ペア組んでる間にどうにかしちゃいなよ」
「松永さんは何のお話をされているのでしょうか」
加藤はずっと俺の目を見て話しているが、口元に笑みを浮かべながらも目が全く動かない。
――どうしよう。わかんない。
「もおー! わかんないよ! 相澤と何かあったんでしょー? 教えてよー!」
「何の事ですか?」
「ふふっ……いいよ、相澤に聞く」
この加藤は信頼出来る捜査員だ。秘密があっても加藤は表情ひとつ変えずにのらりくらりと躱してしまう。
「今のうちにシャワー浴びますね。……ああ、野川はどちらへ?」
「コンビニだよ。ちょうど行き違いだったと思うけど、会わなかった?」
「姿が見えたので隠れました」
「ふはっ! なんでだよ」
「……野川はどうですか?」
「仕事はよくやってるよ」
言外の意味を含めたが、それに気づいた加藤は睨めるような視線を送ってきた。それに俺は目を大きく開いて歯を見せた笑顔であしらう。
「……お疲れなのは野川も原因の一部でもある、と?」
「だってー! すっごいポンコツなんだよ!?」
「あははっ」
野川が原因の疲れなど微々たる……いや、二割程だが、大きい原因は……睡眠不足の原因はそうじゃない。それを彼女に見透かされても、彼女は何も言わないし何もしない。だが、俺は知られたくない。自分でどうにかしないといけない。
俺は座り直して肘をテーブルにつき、組んだ指に顎を乗せた。加藤を真っ直ぐ見据えて声音を変えて話しかける。
「なあ加藤、シャワーは野川が帰って来てからにしな」
「何故でしょうか?」
「今、俺一人。良くない」
「松永さん以外でも、他の男性捜査員が一人の時にもシャワーを使う事はあります。問題は無いかと思いますが」
「俺には、ある」
「と申しますと?」
「俺にとっての奈緒ちゃんは相澤からの預かり物になった、から」
加藤の眼球がほんの数ミリ動いた。
ここまで感情を露わにするのはあの日以来。加藤の相澤に対する恋心を指摘した日以来だ。
◇
七年前、俺は加藤とペアを組んでいた。
夜、観光地の遊歩道を手を繋いで歩いていると、繋ぐ手に微かに力が加わった。どうしたのかと思って加藤を見ても、特に表情からは異変は感じられなかった。だが、身体が微かに震えている。
その時、視界の端に相澤がこちらへ歩いて来るのが見えた。
相澤はこちらに気付かなかったが、相澤は野川のような『小さくて可愛い』を体現したような女と手を繋いで歩いていた。相澤がプライベートである事は一目瞭然で、チョコレートのソフトクリームを相澤が持ち、女に食べさせていた。女の口に溢れたソフトクリームを見た相澤は、繋いだ手を解いて女の髪に触れ、頭を自分に向けさせた。そして相澤は女に顔を近づけた。その後にする事は一つしかない。
俺は加藤と繋いだ手を解いて腰に回し、遊歩道の欄干に加藤を押し付けた。肩に手を置きながら耳元で「ごめんね、見たくない」と笑いながら言うと、加藤は「そうですね、私もです」と返して来た。
声音はいつもの加藤だった。だが俺のジャケットを掴んでいる。加藤はこの状況だと俺の背中に腕を回すか前から肩に手を乗せていたが、この時の加藤はジャケットのポケットの上を、震える手で強く掴んでいた。
相澤が通り過ぎた事を確認してから加藤と身体を離したが、俺は立ち位置を間違えて加藤の視界に相澤と女が入ってしまった。その時の加藤は相澤を目で追っていて、唇をギュッと噛んでいた。
俺が加藤の恋心に気付いたのはその時だった。
「正直に言うけど、お前が相澤を好きなんて意外だ」
その言葉に加藤は目をそらした。
◇
相澤とペアになって一週間で何かあったのだろう。彼女にとっては特別な事が。相澤にとってはどうかは知らないが。
「奈緒ちゃん顔に出てるよ」
「…………」
「奈緒ちゃん、長かったね」
俺と加藤の共通点は、同じ相手をずっと想い続けている事だ。彼女は優衣香の存在を知らないが、何も言わないだけで気配くらいは察しているだろう。
折に触れて相澤に付き合うのは誰でも良いが結婚は加藤としろと言ってある。それがどんな意味なのか全く考えた事も無い様子だが、やっとその意味を知ったのだろう。
長い沈黙の後で、加藤は口を開いた。
「先も長いと思います」
やっぱり彼女は何かを伝えたけど、相澤は分かってないんだな。あのゴリラめ。
「そうか。なら俺はこれから何をすればいい?」
「何もなさらずにいてください」
「えー! 便所スリッパでゴリラの頭を叩きたいんですけどー!」
「あははっ。それはお好きなように」
そこにいつもの大声が響いた。「ただいま帰りました」と野川の声が玄関から聞こえる。
「もう一人、便所スリッパで頭叩きたい奴が帰ってきた」
「あははっ」
リビングのドアを開けた野川は加藤の姿を見て目を見開いた。加藤は座ったまま野川に向き直し両手を挙げて野川を出迎えている。
そこへ野川は飛び込んで加藤は野川の背中を抱いた。二人は笑顔になって顔を寄せている。
野川が「炭酸水が無くなりそうだったから買いに行ったんです」と加藤に言うと、加藤は「えらいえらいありがとう」と野川の頭を撫でた。
野川も不安だろう。ペアが俺だし、米田からは何かを命令されている。だがポンコツとは言え仕事はよくやっている。真面目に倦む事無く取り組んでいる。野川が心折れずにやれているのは加藤の的確なフォローがあるからだ。
加藤の後輩を思いやる気持ちを有難く思うが、この有能な捜査員は夢が叶ったら警察官を辞めるだろう。
『ゴリラはいつになったらアイロン掛けが上達するんでしょうね』
スーツを着る相澤を見て眉根を寄せた加藤が願った自分の未来は、今の自分ではない。
それだけ愛情深い彼女の気持ちを十六年も気付かなかった相澤はバカだと思うが、そもそも気持ちを気取られないようにしていた加藤がバカだと思う。
俺が加藤の恋心を指摘した日、加藤はこう言った。
『相澤が結婚したら諦めます』
と、どっかの誰かと同じ事を言っていた。




