表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/53

第11話 あなたのために/For Your Benefit

 十一月十七日 午前十一時三分


 人の少ない住宅街で見上げる空は透き通るように青くて、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。頬に当たる風は冷たい。


 ――あの日もそうだった。


 結婚を反対した交際相手の母親を刺殺した上、家に火を付けた事件があった。

 今日はそのご遺族の元を訪ね、お線香を上げさせて頂く。年に一度、命日の前に行くようにしているが、昨年はどうしても命日前に都合がつかず十二月になってからの訪問だった。


 オートロックのエントランスを経てエレベーターで部屋へ行き、玄関のインターホンを押す。

 解錠を待っている間、ふと松永さんの事を思い出して、小さくため息を吐いた。

 このお住まいは被害者の一人娘であり、容疑者の交際相手だった女性の住むマンションだ。


 ◇


 約一年ぶりにお会いしたその女性は、以前より痩せたような気がする。頬が少しやつれて、手首の尺骨が以前より目立つ。礼服のワンピースの上に白いカーディガンを羽織っているが、ワンピースの中の身体は泳いでいる。


 お仏壇のある部屋に案内され、お線香を上げさせて頂く。遺影の写真を変えたようだ。夫に寄り添って優しく微笑んでいる写真に変わっていた。

 俺にとっての年に一度のこの日は、事件と共に警察官になって一番怖かった事を思い出す日でもある。


 傍らに正座する女性はいつも座布団を当てない。俺は仏壇の座布団から下りて頭を下げた。この後は本来であれば被害者のお話やご遺族様の近況をお話をするが、今日は違う話をしなければならない。


「笹倉さん、今日は個人的なお話があります」


 ◇


 四年前、笹倉さんの実家が火事になったと、松永さんは母親から連絡が来たという。何せ松永さんの実家の隣の事だ。その後、笹倉さんのお母さんが殺されていた、容疑者もその場で死んでいた、その容疑者は笹倉さんの交際相手だったと状況が分かるにつれ、その都度松永さんの母親からメッセージが入っていたそうだ。


 最後の五個目のメッセージは、『優衣ちゃんがうちに来て取り乱してる。今から来れないか』だった。松永さんがその最後のメッセージを読んだ日は、受信の三ヶ月後だった。

 当時、松永さんは個人所有のスマートフォンを見るどころかニュースや新聞すら見る事が出来なかった。松永さんは情報を完全に遮断されていた。

 松永さんは事件発生から約半年も経ってから、笹倉さんの身に起きた事を知った。


 俺は事件前、松永さんの実家に二回招かれた事があった。実家の隣の笹倉優衣香さんが松永さんの幼なじみで好きな人、という話をその時初めて教えてくれた。松永さんから高校生の時に松永さんの三兄弟と笹倉さんとで撮った写真を見せてもらったが、そこには不貞腐れている坊主頭の松永さんがいた。セーラー服に三つ編み姿で笑顔の笹倉さんは、松永さんの歳の離れた弟を後ろから抱きしめて顔を寄せていた。

 笹倉さんとは直接の面識はなかったが、実家の南面が笹倉家だという記憶だけは残していた。


 火災発生後、臨場した消防隊員が部屋の中で自らの腹を刺している男を発見し、当時松永さんの実家のある所轄にいた俺は臨場した。

 現場で俺の顔を憶えていた松永さんの母親から声を掛けられて松永さんに連絡が取れないと言われたが、「誰であっても無理です」の一言で夫が警察官だった松永さんの母親は察した。


 事件後、笹倉さんの担当は俺になった。

 多分、警察官になってからの松永さんが笹倉さんと会った回数は俺の方が多いと思う。

 いつまでも松永さんに連絡が取れない、来ない日々は続いたが、目の前で打ちひしがれる笹倉さんに「松永さんと同じ官舎です、同室です、あなたの事は松永さんから聞いています」と言いたくても言えなかった。

 あなたが今一番頼りたいであろう男性は「どこで何をしているか分かりません」なんて言えなかった。


 ある日、所轄の刑事課にいた時、廊下が騒がしくなった。何人もの人の走る足音、怒号と唸り声、悲鳴、物が倒れる音、それが刑事課に向かってる事は明らかだった。

 廊下に出た俺は、警察官の制止を振り切り、廊下を走って来る背の高い痩せた男と目が合った。

 警察官としていろんな経験はしているが、あの日のあの時の松永さんの目は、今でも夢に出て来る程の恐怖を感じた。


 ◇


 リビングに通された俺は部屋の全体を見た。昨年よりも物が減った気がする。


 ――引越しを念頭にしているのかな。


 ソファに座るとテーブルの上の薔薇が目を入る。深紅の薔薇九本。そこから右に視線を移し、笹倉さんに話しかけた。


「私と笹倉さんの間の個人的な事として、私は秘密を守ります。……お聞きしたい事があります」


 ティーカップに淹れたお茶を俺の前に置いた笹倉さんは、何の話なのか分からないといった顔で困惑したが、俺の目を見て頷いた。


「では単刀直入に申し上げます。笹倉さんと間宮さんはどういったご関係ですか」


 笹倉さんは間宮さんの名が出た瞬間に後ろめたさを隠す目の動きをした。


 ――クロかよ。


 右側の一人用ソファに座る笹倉さんは、しばらく思案して語り始めた。


 最初、笹倉さんは署のエレベーターで先にいた間宮さんの顔を見て、どこかで会った気がして二度見したと。それを不審に思った間宮さんはエレベーターを下りた笹倉さんに声をかけた。詫びる笹倉さんは、間宮さんと話している間にどこで間宮さんを見たのか思い出した。それは署の近くにある企業に勤める友人が笹倉さんの車に置いていった社内報に、間宮さんが載っていた事を思い出した。社内報には町内会主催の防犯講話をその会社の講堂で行った時の記事があった。間宮さんは刑事課の警察官として講話を行い、その社内報に顔写真が載っていた。そこで笹倉さんは、車にその社内報があるからご覧になりますかと間宮さんに言って、二人は一緒に駐車場へ行った。そこでの二人を俺は見ていたわけだ。

 二回目に間宮さんに会ったのは、交通捜査課へ仕事で行った時だった。刑事課と交通捜査課は同じ階にあり、廊下で間宮さんが笹倉さんを見つけて、間宮さんから声をかけた。その時に連絡先を交換したと。これは俺が二人を見た日よりも前の事だった。

 何度か間宮さんから誘いの電話があったが、笹倉さんは断っていた。だが、何度も連絡があり、断り切れなくなっていた。こんなことは松永さんに言えないし、悩んだ末に一度だけ飲みに行ったと。それが十二日だった。


 ――不審な点は無い。


「お話頂いてありがとうございました。では次の質問です」

「はい」

「松永さんの事は好きですか?」


 驚いた表情をした笹倉さんからなかなか答えが返って来なかった。手を握りしめて、テーブルの上にある薔薇を見ている。


「……好きです。えっと……この前……この……」

「笹倉さん、詳細は結構ですよ。私はその日に松永さんを近くまで迎えに来ました。笹倉さんと何があったのか、ある程度は察しています」


 その言葉に耳を赤くした笹倉さんは下を向いてしまった。


「……間宮さんとその後は?」

「連絡はありません。……あの……交際の申し出がありましたがお断りしました」

「そうですか」


 間宮さんとラブホへ行ったのか、それは間宮さんからは聞けば良い。笹倉さんに聞く事ではない。


「笹倉さん、お話をありがとうございました。秘密は守りますから。ご安心を」

「あっ……いえ……私が悪いんです。すみませんでした」


 ◇


「あの……相澤さん」

「はい」

「お茶、冷めちゃいましたから入れ替えます」

「ああ、お構いなく」


 手を付けていなかったティーカップを手に取ると、香りに一瞬戸惑った。その俺の姿を見ていた笹倉さんはジャスミンティーですよと言った。


「相澤さんはジャスミンティーを好むと松永さんから聞いたことがありまして……」

「ああ、お心遣いをありがとうございます」


 昔付き合ってた女性が好んだジャスミンティーを俺はずっと好きでいる。飲んでる間だけ、その女性を思い出す為に飲んでいるだけだ。本当はジャスミンティーは好きではない。


「香りが好きなんです。たまに飲みます」

「そうなんですか」

「最近は炭酸水を飲んでます。松永さんはお茶かミネラルウォーターを飲んでますよ。甘いのは好きではないようです」


 こちらを向いた笹倉さんは、少しだけ口元を緩ませた。

 毎年お線香を上げに笹倉さんのマンションに伺っているが、笹倉さんは松永さんの話を一切しない。俺と松永さんが同じ官舎で同室なのも知っているし、仲が良い事も知っている。松永さんからも俺を信用していいと笹倉さんに伝えたと言われた。それでも笹倉さんは松永さんの話を一度もした事がない。

 訪問後に松永さんから笹倉さんの事を聞かれて、笹倉さんの状況や状態は見たまま聞いたままを話すが、松永さんの事は何も聞かれていないと話すと、松永さんは毎回不満そうな顔をする。

 笹倉さんは、本当は松永さんの一番近くにいる俺にいろいろと聞きたいのだろう。だが、言える事と言えない事がある。聞かれたら言える事だけは答えるのに、何も聞いて来ない。


「笹倉さん」


 いつもの俺とは違い、まるで取調べのような訪問になり、不安そうな顔をする笹倉さんに申し訳なく思った。言う必要はないだろうが、少しでも元気になって欲しくて俺は松永さんの事を話し始めた。


「十一日の夜、松永さんは笹倉さんに電話しましたよね。その電話を切った後の松永さんなんですが……」


 自分の知らない松永さんを知る事はないであろう笹倉さんは、不安と好奇心が綯い交ぜの目をしている。


「笹倉さんは電話を切る際に松永さんへ何と言ったか、覚えてますか? 松永さんは顔を赤くしていたんですよ。顔を手で抑えて、足をバタバタさせて何か言ってました。……きっと、笹倉さんから言われたその言葉が嬉しかったのだと思いますよ」


 何を自分が言ったのか、思い出した笹倉さんはあの時の松永さんと同じ顔をした。


「笹倉さん、松永さんは元気にしていますよ」


 笹倉さんはテーブルの上の薔薇を見て、頬を緩ませていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ