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掟の魔物と囚われの聖女  作者: みやびつかさ
第一章 ふたつの歯車
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少年の変化

 大地より切り出されたかのような岩山が立ち並び、緑が川のように窪地に沿って茂っている。

 どこまでも続く卓状地の荒涼とした景色を見下ろしながら、ふたつの腹の音が広い空に消えた。


「お腹空いた、お腹空いた、お腹空いた!」


 黒髪の少女が地面を背に、砂埃を立てつつクレームを投げつけた。


「おれもだよ。もう干し肉も無くなっちゃったしな」


 ふたりは着のみ着のままで町を飛び出したために、二日足らずで窮地に陥っていた。

 カネ無し、飯無し、足無し。

 初めこそは希望に満ちた旅の展望や、お互いの身の上話で盛り上がっていたものの、そのうちに口に糊をしたように押し黙ってしまった。


 最後に口にものを入れたのは先日の夕方で、宵闇に紛れて採石場の水をくすねたのが最後である。

 オアシスでは水のほかに、思わず肩を落とす情報を得た。

 その採石場の石材や資材の運搬ルートが繋がるのは、先日に抜け出してきたシュラトだけらしい。


 アディグが町から町へ移動するさいは、石や資材の運搬を行う馬車やそりにこっそり紛れこむのが常套であった。

 だが、そこで乗っても元の町に戻されるだけで、ほかの町へも繋がる作業場を見つけるために、まだまだ歩かねばならないということだ。


「お腹空いたっ♪ お腹空いたっ♪」


 なぜか節をつけて機嫌良く抗議を続けているタマナは、よく辛抱してくれていた。

 長らく地下室に閉じこもっていた足で丸一日以上歩き、休憩のたびに顔を歪めて足をさすることこそするが、「痛い」とも「おぶって」とも零さなかった。

 言われれば背負っただろうが、アディグだって今後を考えればそうすべきではないと理解している。

 ほかにも、涙を拭いてからは死別した両親を呼ぶことを一度もしなかったどころか、不自然なほどに明るく振る舞っていたし、この苦情の歌だって、わがままではなく、間抜けな腹の音の照れ隠しと分かる。


 ――こんなイイ女を腹ぺこのままにしていていいのか? いや、よくない。


 男一匹、飯の調達を考える。

 普段の旅ならば、先日のような人の集まるオアシスで“ちょっと失敬”をして腹を満たしただろう。

 だが、それにはときに暴力が付随するものだ。


『暴力は禁止!』

 少女の声が頭の中で弾んだ。


 後悔なぞ無縁に生きてきた少年であったが、売り女に拾われた銀貨が恋しくなった。


 こぶしやコインで叩くことができないのならば、誰の所有権もないところから奪うほかないだろう。

 単独行動のさいにはあまり選ばない手段であったが、背に腹は代えられまい。


「あの森に行ってみよう。獣の一匹くらい獲れると思う」

 そびえる岩の台地を囲うように豊かに木が生い茂っている。

 荒野に密集する緑は、どこか寄り添い合う貧民を思い出させる。


「狩りをするの? わたし、初めて!」

 少女の顔がほころんだ。


 幸運なことに、森に入ってすぐにバカでかいネズミと木にぶら下がるサルたちにでくわした。

 サルのほうは、こちらを見ると歯茎を見せながら何かの種をぶつけてきた。

 腹が立ったが、追うのはネズミのほうだ。

 サルも食えないことはないが、いつだったかサルの脳ばかり食していたために奇病に冒された村を見たことがある。

 連中は病で舌や指先をダメにしながらも、小さな頭蓋の浮かぶ鍋を囲い続けていた。

 いっぽうで、ネズミのほうならば町から離れた場所に生息するぶんに関しては、安心して口にできるだろう。


 アディグは“採石場式の狩り”を真似ることにした。

 採石村には町から食料が運ばれてくるが、作業員たちだって獲れたての肉が喰いたくなることがある。

 かといって、罠を仕掛けて待つほど気は長くないし、石に槌を叩きこむばかりの連中が弓矢のたぐいを得手とすることは滅多にない。


 つまり、逃げる尻に向かって石ころをぶつけるだけだ。


「よし、当たった!」


 ふたりで小一時間ほど鬼ごっこをしたのち、アディグの投げた一撃がでかいネズミの側頭部に直撃した。

 ところが、ネズミは昏倒することもなく、さっさと逃げしまった。


「頑丈なやつめ!」

「やっぱりダメだった……」


 タマナがぼそりと呟く。


「やっぱり?」

「うん。本で読んだ狩りだと、石をぶつけるのも道具を使ってたから」

「そうなのか。どうやってたんだ?」


 アディグが訊ねると、タマナはしばらく考えたのち、虹色のやいばを使って衣装のすそを少し切り取って帯を作った。

 その布の腹に石を包んで、両端を持ってぐるぐると振りまわす。


「回転の力を利用して勢いを強くするんだって。昔の人はそうやって狩りをしてたって本に書いてあった」

「へえ、賢いんだな」


 勢いよく回転する石入りの布は、少女の細い腕でも充分な勢いを生み出しているように見える。

 これをぶつけられたら、あのでかいネズミでも無事では済まないだろう。


「あっ!」


 タマナの声と一緒に顔面になんか飛んできた。

 石頭の魔物ゆえに痛くはないが、威力の違いは分かる。なるほど、これなら自分がやればネズミの頭蓋も砕けるだろう。


「ごめん! すっぽ抜けちゃった!」

「平気平気。石頭だからな!」


 アディグは覗きこむ心配顔を堪能しながら、遠心力による投擲を採用することを決めた。


 ところが、拍子抜けなことに、書物の知識を生かす機会は先送りとなった。

 ネズミのあとを追って森へと分け入ると、木が根を持ち上げて作った隙間にはまって暴れるケツがすぐに発見されたからだ。


 バカなやつだとふたり揃って笑うも、すぐに静かになった。


「おれがやるよ」


 ナイフを受け取り、暴れるネズミに近寄る。

 獣をしめた経験はある。

 盗んだ家畜を潰して食うなんてスラムじゃ上等な仕事だったし、一人で荒野を渡るさいにも、狩りには何度か世話になっている。


 しかし、どうにも野生生物を殺すのは気が引けた。


 獣だって、殺されると知れば暴れる。だが、家畜のそれは痛みから逃げるためで、そうそうに諦めへと変わる。

 野生生物のほうはもっと粘り強くて、死からの逃走ではなく、生への執着を宿した抵抗に思えた。

 生きるためなら子どもや年寄りと競争することも厭わないアディグであったが、荒野を強く生き抜く獣相手では、若干の気後れを感じるのであった。


 太ったネズミの首にやいばを沈め、皮を剥いで赤い姿を晒す。

 ウサギやニワトリよりもずいぶんと大きく重たいそれは、かなりの重労働を課した。

 手伝おうとしたタマナも、ネズミの身体を裏返すことすらできなかった。

 皮を剥いだあとは木に吊るし、付近で火を焚いて野営地とする。

 肉食獣のたぐいは確認していないが、こんなまぬけなネズミがまるまると太ることができたのだから、横取りや自分たちが餌になる心配はしないでよさそうだ。


「と、いうことで。わたしは水浴びをしてきます」


 連れ合いの少女が宣言をする。少年は「おれが守ってやるから安心しな」と胸を叩いた。


「その“おれ”の視線からも守るように!」

 そんな言い回しはずるい。ずるい女だ。少年は露骨に肩を落とし、少女は笑った。 


「あ、ちょっと待て」

 アディグはタマナを呼び止めた。

 彼女は気が早く、泉のある茂みの向こうに行く前に、すでに衣装の布をほどきに掛かっていた。


「な、なに?」

 慌てて衣装を抑えながら振り返る娘。

「泉の水は澄んでても飲むなよ」

「どうして?」

「腹を壊すからだよ。湧き水か川の上流以外はよしたほうがいい」

「そっか……。じゃあ、食べるものはあっても、水は無しってこと……?」

 少女の顔が見る見る曇っていく。

「それはタマナが水浴びしてるあいだに用意してやるよ」

「本当!?」

 雲がしりぞき笑顔が咲く。

「もちろん。任せておきなって」


 彼らはろくすっぽ旅の道具を持たずに荒野に出ている。

 どこであろうと溜り水を飲むには煮沸は欠かせない。

 火打石と打ち金くらいは携帯している。枝の転がる森では家畜の糞を燃やす必要もない。

 しかし、鍋もなければ、壺もカップもない。

 うつわが無ければ水を火に掛けることができないのは、まさに火を見るよりも明らかである。


 だが、自称石頭の少年には、ちょっとした特技があった。

 石の柱を穿って登ったように、岩石を赤く光るこぶしで割り、いびつな器を作ることができるのだ。

 都合のいいことに角閃岩(かくせんがん)が露頭した岩のせり上がりも近所にあるし、材料には事欠かないだろう。


 魔物の少年は岩壁をぶん殴り、砕けた破片や頭に落ちてきた石から鍋になりそうな形のものを吟味した。


「水を火に掛けるには、水が必要である」

 石のうつわを持った少年は何事か呟いた。


 いざ泉へ。


 「水浴びをしているあいだに飲み水を用意する」のはタマナとの約束である。約束ならば仕方がない。

 それに仕事に対して報酬が支払われるのは、社会の仕組みの基本である。

 貴族でも騎士団でも、農民でもギロウでもそれに従うだろう。

 いやいや、教団は無償提供をするのだから、聖女の修行としてタマナもそうすべきかもしれない。


 普段はコソ泥をしている少年は、狩りにも使えるほどに忍び足が得意だ。

 泉の中で調子はずれの鼻歌を歌う少女を盗み見るなど朝飯前。


 柔らかな腕を撫でる細い指。

 いいあんばいに無駄を蓄えた臀部が水へ伸びた脚を操る揺れや、なだらかなふたつの丘陵と、その天辺に咲く小さな花。

 くびれより低い位置にある縦長のくぼみと、その下のかすかな茂み。


 それらはアディグの期待通りで、彼を元気にさせるだけのものであったが、想像と違ったある一点が、すぐに萎えさせてしまった。


 地下室で出逢ったときのタマナは、白と黒のコントラストが美しかった。

 ここには静謐(せいひつ)な闇も無ければ、あの黒髪の清流も大半が失われてしまっている。

 今の肩に掛かる程度の長さでも、美しさを欠くとは言えなかったが、無自覚な断髪が示した迷いは再び彼の胸を打った。


 ――タマナが聖女を諦めるかもしれねーなら、おれもただ見はダメだよな。


 少年はそっと水を汲むと、焚き火へと戻った。

 火にくべられた石を見つめながら、聖女候補との将来を考える。


 ――もしも、聖女にならないとしたら。


 彼女は元の暮らしには戻れないだろう。

 両親と財貨を失えば、非力な金持ち娘の価値は肉体のみとなる。

 カネ持ちにも二種類がいて、ひとつはタマナの一家のような成金で、もうひとつは生まれながらの勝者、貴族だ。

 後者であれば親戚縁者に頼ることもできようが、態度からも分かるように、唯一の頼みは“おれだけ”と見ていいだろう。

 別にほかのカネ持ちに頼れなくもないが、つまりは美しい少女であることを売りこんで“飼ってもらう”ことであり、それは決して許せない。


 かといって、今日の狩りで、野性味あふれる生きかたも難しいと思い知っている。

 これは無頼の暮らしをするアディグも同じことで、カネ持ちだろうと、法に捨てられた貧民だろうと、人のそば、通貨や物資の回る世界でしか生きられないのだということを示していた。


 となれば、暴力の支配するスラム暮らしか?

 いやいや、最下層に彼女を置いておくなんて男が廃る。


 ――町に着いたら、まっとうな仕事を探してみるか。


 労働らしい労働を考えたのは初めてだった。

 これまでは、運が途切れて野垂れ死ぬまで、ずっと気ままな暮らしをするつもりでいた。

 アディグは、不変に貫き続けてきた自身の“掟”(おきて)が揺らぐのを感じた。

 職を持って、家を持って、子どもなんかも持っちゃったりして……。


「熱っちい!?」


 アディグは石のうつわを触って悲鳴をあげた。

 器の中の水はぶくぶくと沸騰し始めている。


 彼は自身の指先がひりついているのに驚愕した。


 石頭の魔物を名乗った少年は、生まれてこのかた、一度も怪我らしい怪我をしたことが無かったのだ。


 げんこつはもちろん、やいばで刺されても平気だったし、重く鎮座する岩壁を殴ってもあっちが砕けるし、火に手をつっこんでも温かいだけで、高所から飛び降りて舌を噛んでも、その肉体は常に“不変”だった。

 ゆいいつ、食あたりだけはするので、その辺は気を遣っていたが、自分はほとんど不死身だと思っていたのだ。


「いや、大丈夫だぞ?」


 何度か触れて確かめ、湯の沸き立つうつわを火からどかした。


 ――今のはなんだったんだ?


「お待たせ。お水は用意は出来ましたか?」

 濡れ髪の少女が戻ってくる。

 まだ日は沈んでいなかったが、くちびるは色を失い震えている。

 手持ちの布はドレスを割いて作った短い服だけだ。その衣装からも水が滴っている。

 アディグは衣装をほどいて焚き火に当たって乾かすように言うと、背中を向け、湯の入った石のうつわを指差した。


「まだ熱いから気を付けろよ」

「振り返らないでね」

「おれは振り返らねえ。前だけを見る!」

「アディグが座ってるほうから来たから、そっちがうしろかも」

「あ、そうかな?」

 にやけながら振り返ると、衣装をまとったままのつれあいが頬を膨らませて、笑った。

 分かってはいたが、こちらも笑わずにはいられない。


 それからふたりはおしゃべりに花を咲かせ、なかなか血の抜けない太ったネズミを指をくわえて見上げながら、未熟な果実をかじった。

 見張りとまくら役を交替しながら、寝顔を眺めたり、鼻をつまむいたずらをしあったり。

 アディグがこんな楽しい夜を誰か過ごしたのは、最初のギロウを抜けてから一度もなかったことだった。


 不変の少年は、自身の中で、ゆっくりと何かが変わろうとしている気配を感じたのであった。


***

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