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掟の魔物と囚われの聖女  作者: みやびつかさ
第一章 ふたつの歯車
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別れと旅立ち

 アディグにとっては些細な問題だ。

 タマナが物語のなにがしを重ねていようと、聖女への迷いを滲ませようと、仰せのままにといったところである。

 ほかにも、誰かを守りながら戦うという難題や、暴力への禁を得てしまったが、そのくらいで彼が止まることはない。


 だから、タマナが普段通りに目覚めたかのように立ち上がって背伸びをしてふらついたところを抱きとめ、悲鳴をあげられ、挙句、自身の“朝の元気さ”を押しつけたことに気が付いて慌てて腰を引いてバランスを崩してしまったとしても、「絶対に守る」という誓いを破らなかったのであった。


「あれ? わたし……そっか。でも、上で寝てたんじゃなかったっけ?」


「……おはよう、タマナ」


 下敷きである。見上げるは首を傾げる少女と、白んだ空を背に天高くそびえる柱。

 石頭の魔物でも大地にぶん殴られれば、さすがにちょっと痛かった。


 それでも、タマナに怪我が無かったのはさいわいだ。

 ひとつだけ残念だったのは、日が昇ってからの眺めの感想が聞けなかったことだ。

 アディグは目やらナニやらをぎんぎんにさせながら迎えた夜明けに、東から登る太陽を背にした見事な景色を拝んでいた。

 普段は寂しいばかりの荒野や岩棚も、そのときばかりは生命力に満ち満ちて見えた。

 昨日の危険や失望への穴埋めを兼ねて、景色を(さかな)に旅の話や遠くの町の話などをしてやろうと彼女を揺すったときに、ことが起こったのである。


「わっ、ごめんなさい! 重たくなかった!?」

 ようやく飛び退くタマナ。


 アディグは「平気だよ」の一言で済ませた。

 実際のところ、食うものは食って地下室暮らしの娘の尻は、スラムの娘たちのように軽くはなかった。

 かといって、働きすぎで筋張ってもおらず、忍び込んだ金持ちの家で親と共にブタのようになった娘ほど甘やかされてもいない。

 上に座られたまま、もう一晩でも、二晩でもいけそうだ。


「……どうした、タマナ?」


 少女の顔が見る見る歪んでいく。

 思考を読まれたか、さては“元気”を悟られたかと思ったが、彼女は離れた何かを見ていた。


 寝転がったまま首を上へと向けると、地面に座りこんだ男の姿が見えた。

 彼は髭が無ければ男と分からないほどに顔面を腫れ上がらせて、口と鼻から血を垂れ流している。


「あっちにも。あ、ああ! 怪我人がたくさんいる!」

 少女の声は震えている。


「……スラムではよくあることさ」

 アディグは起き上がらないで言った。


「みんな、酷い怪我だよ。何があったの!?」


「さあな。行こうぜ。もう、あんたのパパとママも帰ってるかもしれない」

 立ち上がれば、生きてるのか死んでるのか分からないような怪我人がてんてんと続いているのを見た。


「……お医者さん、とか」

 昨晩と被るやり取り。少女の声が小さくなる。

「きりがないぜ。倒れてる奴が悪いことだってあるしさ。聖女になってから助けるんだな」

 手を引き、足を棒にした少女を引っ張る。


 スラムでは瀕死、ときには死に至るまでの暴力が振るわれることも珍しくない。

 略奪やギロウ同士の抗争だけでなく、内部抗争やその庇護を受ける者への報復や見せしめでも起こる。

 手足の二三本、目玉のひとつを奪われることもざらだ。

 なんなら、物乞いが哀れさの質を高めるために自らこうなることもある。


 苦しんでいることが、救うべきに直結するとは限らないのだ。


 ……もっとも、アディグはこれが“聞きこみ”によるものだと見抜いていたが。



 後ろ髪を引かれて何度も振り返る少女の手を引きながら、前方のバラックの陰に注意を払う。

 被害者たちの血はまだ乾いていなかった。

 朝陽とランタンの光では人を別人に見せることもあるが、もうひと手間加えるべきだろう。


「ちょっと、顔を洗おうか」

「えっ、うん? ……ぶぇへ!?」


 悲鳴もお構いなし。アディグは道ばたの泥水をすくって、タマナの頬と額にこすりつけた。

 同じく、自分の顔にも塗っておく。


「顔を変えるんだ。家に帰るまで我慢してくれ」

「でもこれ……おしっこのにおいがする」


「……」

 無法少年的にも厳しかったが、連れ合いを危険に晒すよりはマシ……である。


 歓楽通りを横切る。

 昨晩の淫靡な空間は影も形もない。何かに酔い潰れた男が、ニ、三人転がっているくらいである。


 それから、遠くから轟音が近付いてくるのが分かった。


 こういった通りは、木材や石材を運ぶための“そり”のルートのそばに住まいが作られてできあがる。

 町では常にどこかしらが工事をやっているし、それは明朝から始まり、陽が沈む前まで続けられる。

 だから日中の道路では、巨大で重たい物資を引きずる馬車やそりがひっきりなしに砂埃をまき上げる。

 この音はそれらの近付く音だ。

 道に出ていれば轢き殺されるし、物拾い連中への恵みもこのタイミングで芽を出すし、身体の丈夫な者は作業員の空席を求めて最初の一台目を追いかける。

 そのために誰しもが静かに道の端や物陰で待っていた。


 ふたりは怪しまれぬよう、どうどうと道を歩いた。

 最初の通りを抜けるとき、ひとりふたり、誰かを探している様子の者とすれ違ったが、声を掛けられることはなかった。


 迂回路を取るか、昨夜のトラブルの前を突っ切るか。

 本来なら前者を選ぶべきであったが、スラムの事情に詳しいとはいえ、アディグもここではまだ日が浅く、真っ直ぐに戻ることとした。


「大丈夫そうだね、くさいけど」


 タマナが安堵の息を吐き、むせた。


 誰かにつけられているということもないようだ。

 “あちら”と“こちら”の境界の通りで仕事にいそしむ物乞いたちも、ふたりには声を掛けなかった。


 じきにあの目立つ白い建物が見えてくるだろう。

 レンガ造りの家並みを歩き、すれ違う人や軒先で顔を洗ったり家畜の世話をする一般市民に顔をしかめられる。

 巡回兵たちにも十回は舌打ちをされた。


 ――十回? 多くね?


 妙だ。目的地に近付けば近付くほど、兵隊の姿が多くなる。

 気付いたときにはもう、連れ合いは疑問をぶつけに行っていた。


「何かあったんですか?」

「くっさ! ……この先の白い屋敷で、強盗騒ぎだ。おまえも疑われたくなかったら、現場には近寄らないことだ……って、待て!」


 兵は鼻をつまんでいたために、黒く長い三つ編みはつかめず、指先をかすめて去っていった。

 タマナは昨日の逃走劇よりも遥かに早く駆けている。

 革と石槍で武装した兵士は怠慢が過ぎるようだ。

 アディグにも追い抜かれたのちに遅れてなんぞ怒鳴り、進行方向にいる同僚へ助けを求めた。

 兵たちは腰に帯びた剣に手を掛けたが、向かい来るのが少女であることに戸惑ったか、そのまま素通りさせた。


「待て、タマナ! 待てって!」


 止める少年。しかし少女は辿り着いた。見知らぬ兵士が門番をする我が家へと。



 どこかで、石の歯車の動く音がした。あるいは、石門が引きずられる音か。



 敷地の境界、門をまたぐように投げ出された足。



「パパ!」

 悲痛な叫び。絶対の命令のように、門番すらも道を開ける。



「ママ!」

 それはもはや怒号か。溺れるような少女の声が少年の胸を衝いた。



「こら、おまえは駄目だ!」

 潜り抜けようとしたアディグの腹を石突きが打ち、兵のほうが呻いて得物を落とした。


「わりい、家族なんだよ」

「いてて、スラムのガキじゃないのか?」

「強盗って言ったな? ほかには誰か倒れてなかったか?」

「知らん。倒れてたのは被害者のふたりだけだ」


 血溜まりの中に沈む着飾った男女の傍らに転がるのは、虹色に輝くやいばを持ったナイフ。

 特別な宝石であつらえられた美しき刀身は、ぬめったいのちで化粧をして、いっそう妖しげに朝陽と競っていた。


 アディグはナイフを見て僅かながら、安堵した。

 これが得物なら、自分が手加減をして見逃した雇われ男どもが下手人ではないはずだ。

 それでもやはり可能性が残る以上は、「殺しておけばよかったか」と歯噛みせざるを得なかった。


「タマナ? 大丈夫か?」


 そんなはずはないが、声を掛ける。

 少女は手足を投げだした母親の胸にすがりついてむせび泣いている。


「殺ったやつの手掛かりはある。ああいう変わった石を使って道具を作るのは、その石を崇拝する宗派の連中だ」


「……そいつらがやったの?」

 訊ねるタマナの目は落ち窪み、昨晩に蹴り損ねた男児のようにぎらついていた。


「い、いや。証拠品は残さないだろ。どっちかというと、それと敵対する宗派とかじゃないか? 聖女の枠が空いてたのなら、タマナを取り合った可能性も……」


「また、わたしのせいなの?」


「またって、なんだよ……って、あれ!?」


 いつの間にか、少女の手の中には七色に光るやいばが収まっていた。

 彼女は座りこんだままだ。ナイフは手の届く範囲には無かったと思ったが。


 ――見間違いか? 


 いや、証拠品に手を触れたことを咎める兵士の声もまた震えている。


 何に突き立てようというのか、少女はやいばを振り上げた。


 「やめろ」と叫び、暴れるタマナを強く抱きすくめる。

 押さえ損なった細い腕とやいばが何度も彼の身体を叩き、刺さりはしなかったが“痛み”が伝わった。


「落ち着け、落ち着けって……」


 アディグはタマナの背を叩いてやり、視界の隅にいる虚ろな瞳たちに語りかけた。


 ――あんたらの代わりに、守るから。


「いらない! 聖女なんてもうならない! ……こんなもの!」


 ぶちぶちと何かが千切れる音がした。


「おい……。なんてことをするんだよ!?」


 土の上に髪の毛の束が転がった。少女は追い打つように三つ編みへとやいばを突き立てる。

 髪はまるでヘビが最期のあがきをしているように跳ねた。


「おい、おまえたち。聞きたいことがあるから詰所まで来い」

 兵士だ。

「落ち着くまで待ってやってくれよ。それから、下手人は絶対に捕まえろよな。教団の連中が怪しいぜ」



「そんな話はしていない。この娘、さっき、赤く光っただろう?」



 ――タマナが?



 思考の歯車が回ろうとしたが、アディグはそこへ石棒をねじ込んだ。


「魔物の疑いがある」

「……んなわけねえだろ」

「抵抗する気か!?」


 兵士を睨む。振り下ろされた石剣が立ち上がった魔物の頭蓋骨に砕かれる。


「こいつはただの女の子だ」


 少年は手首を抑える兵士を尻目に跳躍し、建物を囲う壁の前に着地すると、全身を真っ赤に熱く燃え滾らせた。


「光ったのは貴様か!」


 不変の肉体から繰り出されたのは、頭突き。

 渾身の一撃は、白い石灰質の塀を乾いた土のように吹き飛ばした。


 白い煙幕が立ちこめる中、少年は己の宝を担ぎ上げる。


「魔物め! 逃がさんぞ!」

 

 煙から飛び出した黒曜の切っ先。突きこまれたそれを噛み砕き、吐き捨てながら少年は笑う。



「この女はおれが貰った! おれは石頭の魔物のアディグ! 憶えておくんだな!」



 啖呵を切り、まだ煙の濃いほうへと飛びこむ。


 娘を担いだ盗賊は走った。息が切れて、肺から血の味がこみ上げても構わず走った。


 少女を、危険から遠ざけるために。

 少女を、疑いから遠ざけるために。

 少女を、悲しみから遠ざけるために。


 あえてスラムを突っ切り、そのまま町のはずれへ。


 道と荒野の区別がつかなくなったころにようやく、肩越しに「降ろして」の声が聞こえた。



 降ろしてやると、少女は自身の手の中に固く握られたものを見止め、驚き取り落とした。


「そのナイフ、持って来てたのか」

「わたし、こんなもの……」


 続いて少年もまた、自身の手に握られたままのものに気付いた。


「それって、わたしの髪の毛!?」


 タマナは目をまんまるにして、アディグに詰め寄り、その手から髪をもぎ取った。


「酷い! なんてことをしてくれたの!?」

「へ!? おれじゃないって!」

「じゃあ、兵隊さん!?」

 燃える瞳で町をふり返る娘。


「憶えてないのか? タマナが自分で切ったんだよ。聖女になんかならないって言って」


「は? わたしが……?」


 へなへなと崩れ落ち、手の中の三つ編みを見つめる。

 それから、しゃくりあげて、両親を呼びながら髪へと顔を埋めた。


「……そうだ、わたしがいけなかったんだ。聖女になんてなりたがるから。“掟”を破って地下室から出たから。だから、パパとママも死んだんだ!」


「それは違う!」「違わない!」


「いいや違う! あんたの両親は死んだんじゃない、殺されたんだ。たとえ、タマナを目的にした賊の仕業だったとしても、殺さない選択肢はあったはずだ。だが、そいつは選ばなかった。おれは兵士から逃げるのに誰も傷付けなかった」


「それもわたしのせいなの!?」


「別に誰も困ってない。兵士だって、仕事をしただけだ。だから、タマナのせいなんてあるかよ」


 足元に転がったナイフを拾い、柄を向けて少女の胸へと差し出す。


「殺されたんだぞ」

「……復讐しろっていうの?」

 いまだに血糊の付いたナイフを、震える瞳が見上げた。


「決めるのはタマナだ。おれはあんたを盗み出したけど、それでもあんたはあんたのものなんだ」


「聖女様は復讐なんてしない……。でも、わたしは……」

 手が伸ばされるも、宙を彷徨う。


「おれはタマナが決めたことに従うよ。別に決めなくっても、いい」


 アディグはさっさとナイフを引っこめ、代わりに手を差し出す。


「さあ、立ちな。おれと一緒に、前を見て歩こうぜ」


 彼女の頬には、重い雫を引きずったあとが濡れて光っている。

 それでも、少女の手はしっかりと返事をした。


「ありがとう」

「いいってことよ」


 ……続いて、アディグは、頬に何やら柔らかく湿ったものを押しつけられた。


「えっ、ちょっ!? 今何をした?」

「知らない!」


 弾むように立ち上がる少女。「知らない」はまだ少しの震えを孕んで。

 反して少年は、膝をついて自身の頬を触ったり、何も無いのにきょろきょろと忙しい。


「今、キスしてくれたよな?」

「してない!」


 そっぽを向く少女。

 少年の頭には「こいつ、なんか変じゃないか?」と、よぎったが一瞬のことで、喜びと興奮が押し流してしまった。


「確かに小便くさかったって!」

「それはわたしのせいじゃない!」

「じゃあ、顔を洗ってもう一回!」

「バカっ!」


 こぶしが額に直撃する。無論、悶絶するのは殴ったほう。


「な、なあ頼むよ。もう一回!」

 両手を握り合わせて拝み倒す。


「だーめ。“ひとつだけ”! これからよろしく!」


 少女はそう言うと、握った三つ編みを振りながら歩き始めた。

 少年はしつこく頼みつつ、のろのろとついていく。


 こうして石の歯車はぴたりと噛み合い、滑らかに回り始めた。

 だが、歯車はしょせん歯車。ふたつだけでは用をなさぬだろう。


 これから先、聖女を見据える少女と、魔物を名乗る少年を一体どのようなさだめが待ち受けるのであろうか……。


***

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