005
元気な自己紹介の後、とおかと名乗った彼女は深くお辞儀をした。
その姿に拍手と歓声が上がる。毎度、このクラスはなにかとテンションが高い。申し訳ないが、そのノリにはどうしてもついていけない。
「うるさいぞー! まぁ先生、そういうのも好きだけれども。じゃあ坂田さんの席は……月嶋君のとなりね」
おいまじか。
みんなの視線が私に向く。正確には、私と私の隣にいつの間にか用意されていた机と椅子。
こんなものがあったことに、私は今の今まで気づかなかった。
「おいキラっち! あそこじゃなくて俺の隣にしてよぉー!」
どっかの男子が叫んでる。
「隣は私じゃないと、あんたの制御がきかないでしょうがっ!」
その隣の女子がツッコんでる。
教室が笑いで溢れる。
いやいや、そんなのどうでもいい。
せっかくの"周りが結構空いていますよ特等席"が"隣埋まっちゃったね特等席"になってしまう。そんなことは断じて阻止しなければいけない。
「先生それはっ……」
「はーい! じゃあさっそく席に着きまーす!」
私が反論する暇もなく、とおかが先生に笑顔を返し、それに先生も笑顔で返す。その一連の流れと喧騒に負かされ、私はすでに反論する気力を失っていた。
席と席との間を歩く彼女は、この教室の生徒の首を動かす。その首の動きが止まったとき、彼女の姿は目の前にあった。
といっても、別に私を見ていたわけじゃ……
「えっと……よろしく」
彼女は私を見ていた。私の隣に座って、私に向かって小さくお辞儀をした。私はそんな彼女に首だけを使ったお辞儀を返す。相変わらず頬杖をつきながら間抜けな顔をして。
きっと愛想のない奴だと思われただろうな。
それでもいい。それがいい。こうしていれば、彼女は俺に見向きもしないだろう。それが一番良いんだ。
うだつのあがらない返事をした私を見て、彼女は戸惑いながら前を向きなおった。
「さてさて、可愛い転校生ちゃんの話はここらへんにして、今日の連絡を――」
教室内の騒々しさが冷めやらぬ中、吉良先生はHRの続きを始める。その間の私はというと、窓の外を見ながら空を走る鳥達を数えるばかりだった。
〇
吉良先生によるHRが終わり、少しの休憩時間を経たあと、いつも通りの授業が開始された。
休憩の間、坂田さんは詰め寄ってきた生徒達から質問攻めにあっていた。私としては、睡眠妨害でしかないただの雑音であった。
「ねぇ、坂田さん! その髪とってもきれいだね!」
「どこの高校から来たの!?」
「どんな絵を描くの?」
「とおかちゃんって呼んでも良い?」
頼む。静かにしてくれ。私は心の中で懇願していた。
そんな休憩時間もすぐに終わり、一時限目が始まる。
現代文担当の先生が教室に入ってくると同時に、集まっていた生徒が踵を返して離散していく。
結局、眠る暇なんてなかった。
「委員長。号令お願いします」
「はい。起立ッ!」
先生の言葉を受けて、聡が低い声で号令をかける。その号令を皮切りに、生徒達が立ち上がった。
「礼ッ!」
『お願いします!』
はいはい、お願いしますお願いします。
先生に向かって礼をしたあと、我々はもう一度席に着いた。教科書とノート、筆記用具を出して授業に備える。誤解をうまないように言っておくが、私が有意義な睡眠活動に入るのはHRや休憩時間及び昼休みくらいで、授業はきちんと受けている。いやほんとに。……まぁ、たまに半分寝て半分起きている状態で受けていることはあるけども。
「……あれ? おかしいな。ない……ないっ」
ふと隣から小さく声がした。
決して首は回さず、横目でそちらのほうを見る。隣の席に座るその子は、チェック柄で薄桃色のペンケースに手を入れて、なにやらガチャガチャと中を漁っていた。どうやら、何かが見当たらないらしい。
私はちらりと彼女の机を見た。教科書、ノート。消しゴム。蛍光ペン。ボールペン。付箋、スティックのりに修正テープ。色々なものが散らばっているが、一番肝心なアレが見当たらない。まぁボールペンで代用することもできるが、それはあまりにも不便であろう。
慌てる彼女の様子に、私以外誰も気づいていない。気づいてしまった以上、見て見ぬふりは私にはできない。
私は机のわきにかかっている鞄に手を突っ込み、勉強用とは別に持ち歩いている絵描き用のペンケースを取り出し、その中からシャーペンを抜き出した。
「ん」
手に持ったシャーペンを坂田さんに見えるように差し出す。彼女はそれを見て少し戸惑っていたが、やがて恐る恐るといった様子でそれを手に取った。
「いいの?」
坂田さんが私に向かって首をかしげる。その様子を見て、私は無言でただ頷いた。
「ありがと……意外に優しいんだね」
彼女は小さくそう言いながら、私に微笑みを向けた。
意外とはなんだ。意外とは。私達は今日あったばかりなのに、意外と言われるのは少し違和感がある。
そんなことを思った私であった。しかし、よくよく考えてみれば、これまでまったくと言っていいほど愛想を見せなかった私に向けての言葉として「意外に」というのは案外適切だったのかもしれない。