004
「もう何度も聞いてるよソレ……どうして毎日挨拶運動なんてできるわけ? 俺には理解できない」
「生徒会長だからだ」
「理由になってないって」
ホント、頭が下がるよ。
この学校の生徒会長"御堂聡。
短く切った黒髪を流し、前髪はV字にそろえ、真面目さを際立たせる黒縁メガネをかける。これが彼の基本スタイル。
中学の頃から何一つ変わっていない。中学の頃も生徒会長で、高校になっても生徒会長。
そんな堅物ではあるが、一応数少ない……というより、たった一人の私の友人だ。
「ともかく、早く教室に行け。あと寝ぐせを治せ」
「行けって、呼び止めたのは聡のほうだろ?」
「HRは寝るなよ?」
「はいはーい。聞く耳もナシね」
HRは絶対に寝てやろうと心に決めた。
昇降口に入って、階段を上る。いつも通りの順路を歩いて、目的の場所へとたどり着いた。
ガラガラララ
三年C組。吉良実が担任の総勢三十一名のクラス。
私が教室に入ったとき、何人かの生徒が私を見た。その生徒が私に挨拶をする。ということは全然ない。少し私を一瞥したあと、彼らは早々に今までの行動を再開した。友達と会話したり、本を読んだり、携帯をいじったり、ひとねむりしていたり。
ちなみに私も最後のやつと同じことをする。
窓際の席の一番うしろ。三十一名の中からひとりだけ選ばれし最高の席。この席だけは隣に誰もいない。
私は机の上に肩掛け鞄を投げ捨て、それを枕に頭を落とした。
今日もこうやって、なにもない一日が始まる。HRをやって、授業を受けて。昼休みに入って、また少し授業をやったら放課後へ。そして、美術室に行って、絵を描こうと試みる。それで今日もだめなんだ。きっと。
そう……思っていた。
〇
「起きろ。月嶋」
相変わらず声がひっくいなぁ……
聞きおぼえのありすぎる声に、私は無理やり起こされた。さっきあったばかりの黒縁メガネ。私が寝ていると、大抵、彼が私を起こす。
しかし、今日は少し変だ。
「ふぅぁ……いつもだったらHR後に起こしてくれるのに、今日はどうしたんだよ、聡」
聡は私の前で仁王立ちしながら、私を見下ろしていた。
「今日は特別だ。あとで俺に感謝することだ」
「なんだよそれ……」
聡は寝ぼけ眼の私を見て静かに笑ってから、自分の場所である教卓前の席へと歩いていった。
もう一度、寝に入ろう。そう思った瞬間、教室の引き戸がガララと開き、吉良先生が入ってきた。あの黒縁メガネ、とても良いタイミングで起こしてくれたみたいですね。あとでメガネのレンズだけ外しといてやる。
「皆さん! おはようございます!」
吉良先生の大きな声が教室に響く。
『おはようございまぁす!』
クラス中の生徒が挨拶を返した。ちなみに、私は返していない。そんな俺を見て、吉良先生が微笑んだように見えたが、正直寝ぼけててよく覚えていない。
「えぇーいつも通り、今日のアレやらコレやらどうでもいいことやらを話したいところですが……残念ながら今日はちょっと長くなります……皆騒ぎすぎないようにね! 入ってきてくださーい!」
吉良先生の一言で、教卓側の引き戸から生徒がひとり、入ってくる。
このクラスの全員。私も含めて全員が、そこに注目する。
大勢の注目を浴びながら、そんな素振りも見せずに堂々と。赤茶の長い髪をなびかせて。その姿はまるで一つの作品のよう。その光景に、私は頬杖をつきながらも不思議と目が離せなかった。
〇
「ということで……今日からこのクラスで一緒に勉強する転校生ちゃんでーす!」
吉良先生の言葉を受けて、教室中が色めきだった。
「超可愛いくない?」
「俺タイプだ」
「髪染めてるのかな?」
主に男子からの声が大きく聞こえるが、不思議なことに女子の声もいくつか聞こえる。女の子が転校生だった場合、男子には好かれて女子に嫌われると言った構図をよく聞くが、今回は違うようだ。
「はいはいざわざわしなーい! まだ自己紹介もしてないでしょうが。ごめんね……お願いします」
吉良先生は赤茶髪の乙女に一礼し、乙女はそれを笑顔で返した。そしてくるりと体を回転させると、黒板に向かってチョークを持つ。華奢な手で、一字一字丁寧に文字を書いていく。生徒が注目する中、彼女は自分の名前を黒板に書き終えた。
「えぇ、はい! "坂田とおか"です! 絵を描くことが好きです! よろしくお願いします!」
よくこういうのがあるだろう?
突然やって来た可愛い転校生に一目ぼれして、その女の子と一緒に様々な試練と様々な甘い出来事を体験していくラブロマンス。
最初に言っておくが、この物語はそんな綺麗な物語じゃない。なにより私が、そんな夢いっぱいの登場人物にはなれない。
私はこのとき、ただ淡々と転校生がやって来たということを受け入れていた。それよりも、どうにかもうひと眠りできないかということのほうが気になっていた。
でも、なぜかな。彼女が絵を描くことが好きと言ったからかな。
私がこのとき、心のどこか奥底でなにかが変わるんじゃないかと思っていたこともまた、紛れもない事実であった。