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最初で最後のわがままを  作者: 下鴨哲生
1.暗い運命
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002

「はぁァァァァ~」

 静かにも甲高い雄叫びを上げながら、切り裂かれたキャンバスを手に立ち上がる。そして私はだらだらとやる気のない足取りで歩き、美術室に隣接する美術準備室のドアのノブに手をかけた。

 ガチャと音を立てて開け放ったドアの先には何に使えばいいのか分からないこげ茶の長い机と背もたれのないボロボロの木の椅子。そして、けっして完成させられることのないキャンバスが床に積み上げられていた。そのどれもが無残にも切り裂かれている。まぁ、やったのは言うまでもなく私なのですが。

 私は手に持った哀れなキャンバスを床上のキャンバスの山に積み重ねた。こういう場合、キャンバスは分解して再利用できるようにしておくのがマナーなのかとも思うが、美術部もないこの高校においてそんなマナーを通す相手はいない。それに何より面倒くさい。これが一番大きい。

 私はもう一度、美術室へと立ち戻った。そこには私が散らかしに散らかした様々な道具があり、床には細切れになったキャンバスの布が落ちている。

「めんどい……」

 やる気は出ないが、美術室をこのままにはしておけない。ここは準備室とは違って授業でも普通に使われるため、掃除をしておかなければ私はここを出入り禁止にされてしまうだろう。

 私はまず、多種多様な絵の具が出されたパレットに手をかけた。


     〇


 いつからだったか、絵を描き上げられなくなったのは。

 いつからだったか、何事にもやる気がでなくなったのは。

 あっいや、それは生まれつきだ。

  私は昔から物事に対して興味を示さない人間だった。

 幼稚園に入ったころ、周りの友達はヒーローごっこや砂遊びをしていた。そんなとき、私はベンチで座って本を読んだり、ぼーっと空を見ていたりするのが好きだった。

 小学校に入ったころ、周りの友達はサッカーやドッチボールをしていた。そんなとき、私は教室で本を読んだり、寝ていたりするほうが好きだった。

 しかし、私は決して孤立していたわけじゃない。

 普通に友達はいて、普通に話せていて。私はいたって普通の生活ができていたと思う。

 それは私が自分のことを客観的に見るのが得意だから。私は自分がそういうやる気の出せない人間なんだと理解していたから。

 そんな私に転機が起こったのは中学校に入学してすぐ。

「よろしく! 啓成(けいせい)!」

 彼と私が出会ったこと。それが、私が絵を描くことになったきっかけであり、最悪の結末への始まりであった。


     〇


 道具を片付け、清掃も済ませ、全てが終わったときにはすでに日が落ちていた。やる気に満ち満ちた運動部も終礼を行っている。

『あざっしたぁぁぁ!』

 極端に簡略化された言葉が窓の外から聞こえる。時刻はすでに六時を回っている。

 私は黒のショルダーバックを肩に回し、美術室を出た。もちろん、電気を消すことと戸締りも忘れずに。

 カギのついた金属製の輪っかに指を入れて、それをくるくると回しながら、私は薄暗い廊下を歩く。

 美術室は別館の四階に位置する。できることならこのまま外に出て帰ってしまいたいところだが、放課後に美術室を使ったものはそのカギを本館二階の職員室にまで返さなくてはいけない。

「地味に遠いのが辛い……」

 私は誰もいない廊下でそうつぶやいた。

 階段を降り、連絡橋を渡って本館へ。そしてまたしばらく廊下を歩いたあと階段を降り、また少し歩く。

 毎度思うことだが、きっと生徒のアクセスが多いであろう職員室の近くになぜ、連絡橋をかけておかなかったのか。もしくはなぜ、連絡橋の近くに職員室を置こうとしなかったのか。

 私は苦言(くげん)(てい)したい。

 トントントン……ガラガラララ。

「失礼します。三年C組の月嶋啓成(つきしまけいせい)です。吉良(きら)先生はいらっしゃいますか?」

 大きく音を立てながら職員室の引き戸を開け、私はいつものように職員室に入った。

「はいはーい! ここだよ月嶋君!」

 お目当ての先生はいつも通り自分のデスクに座っていた。

 ここだよも何も、いつもそこにいますよね。私は心の中で思ったが、決して口にはしなかった。

「ここだよも何も、月嶋君はいつも来ているんだからわかってるよねぇ~あはは」

 自分で言うんかい。

 私は手を大きく振っている吉良先生のもとに歩いていった。

 吉良実(きらみのる)。彼はこの学校の美術教師であり、私の在籍している三年C組の担任である。常に笑顔を絶やさない。しかし授業の時は真剣に。見た目からはなんとなくヘナっとした印象を受けるというのに、なぜか生徒から慕われている。いわゆる、天然のひとたらしというやつだ。

「今日もありがとうございました」

 私は感謝の言葉を述べながら、手に持っていたカギを先生に差し出した。先生はそれを手早く受け取ると、慣れた手つきでそれをデスクの引き出しに入れ、その引き出しにもカギをかける。

 こんなやりとりをもう長いこと続けてきた。

「お疲れ様。それで? 今日はどうだった?」

 先生の質問は主語が抜けている。しかし、たとえそれが抜けていたとしても、容易に察することができる。

「今日もだめでした。また準備室に積みあがってます」

 私は正直に答えた。

 答えを聞いて、吉良先生は「そっかぁ……」とつぶやき、小さくため息をつく。こんな表情もこれまで何度となく見てきた。

「まぁ焦ってもしょうがないからね。"描けたら"でいいから」

「はい。是非」

 吉良先生は私が絵を描き上げられないことを知っている。

 高校一年の冬。美術室を借り始めたころ、吉良先生が美術室に様子を見に来たことがあった。

 あたりまえだ。美術室を借りて俺が何をするのか。美術教師の吉良先生にはそれを監視する義務がある。

 しかし、そのタイミングが悪かった。

 私が絵を完成させる……いや、完成させるはずだった瞬間。私がカッターを手に絵を切り裂いている瞬間。吉良先生はその瞬間を見てしまったのだ。

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