二章 大きなモフモフ、到来(5)
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王国軍第二十四支部、獣騎士部隊団。通称、獣騎士団。
その団長であるジェド・グレイソンには、長らく相棒獣がいなかった。
就任して数年いた最初で最後の相棒獣は、先代の獣騎士団長にして、前グレイソン伯爵だった父から譲り受けたものだった。
――私の大切な相棒よ。どうか、息子に力をやってくれ。
長年生きていた経験豊富な白獣だった。魔力量も申し分なく、獣本体が持つ戦闘センスも当時ずば抜けてもいた。
だが、ジェドの相棒獣とはなれなかった。
歴代のグレイソン伯爵家の中でも、もっとも濃く血を受け継いだ優秀な後継者として生まれたせいだった。
その白獣は、もうかなりの高齢でもあった。せめて最初で最後の相棒獣として、隠居した父の元で静かな暮らしを送って欲しい、と、彼はその白獣に命じた。
『それで良いのですか、ご子息様』
美しい慈愛に満ちた目をした、メスの白獣だった。
『私が離れれば、あなたと長時間共に戦える白獣は、この獣騎士団からいなくなります』
『フッ、最後まで俺を子息呼ばわりだったな』
いいんだ、とジェドは父の白獣に答えた。
『お前、本当は闘いが好きではないんだろう』
『――』
『早めに引退した父上もそうだった。そうして母上と、そして父上がいる団欒の光景を見ている時が、お前はいつもとても幸せそうだった』
『――…………祖父の代から、私はここにおりました。あの二人が出会い、結婚し、あなた様が生まれた日も全てそばで見届けました。私にとって、あの二人は子も同然なのです、ご子息様』
白獣は本来、戦うことに生き甲斐を持つ種族だった。
それでも『彼女』は少しだけ違っていて、幼獣達の世話を手伝っている時ほど、穏やかで幸せそうな顔をしているような白獣だった。
ジェドは、その白獣を父の元へと返した。
そうして相棒獣なしの身となってから、早七年が過ぎようとしていた。
グレイソク伯爵家の人間は、全ての白獣を従わせられる。けれどジェドは、必要のある短い時間の他は、出来るだけ他の白獣の手を借りなかった。
白獣は、希少種の魔力保有生物だ。グレインベルトの一部にしか生息域を持っておらず、それでいて繊細な種ゆえに極端に寿命も変化し、頭数はあまり多くない。
そのため希少性もあって金になる。生体や食肉目的、宝石みたいな瞳も魔力が宿っているために腐敗なくコレクション出来るとして、かなり高額で売買さる。
成体となれば凶暴で手が付けられないが、幼獣であれば野犬よりも容易く襲えるので狙う人間も多かった。それらから守るのも獣騎士団の役目だった。
『違法密猟グループが複数、この土地に入っている』
春先、そう協力関係にある周囲の土地から報告を受けた。それからというもの山への巡回数も増やし、毎日ジェド達は警戒して対応にあたっていた。
そうして、ジェドはその獣に会った。
どれだけ長い間、深く山奥に隠れていたのだろうか。
それは、そう思わせるほど大きな白獣だった。密猟グループの侵入で騒がしくなったせいか、それとも幼獣を傷付けられるのを嫌う性質から出てきたのか――。
その白獣の後ろには、既に始末された違法狩猟団と思わしき人間の躯が転がっていた。八つ裂きにされ食い殺された、ひどい死にざまだった。
本来の白獣というのは、こうなのだ。
決して獣騎士以外には懐かず、警戒も解かない。それはこの地に古くからある、グレイソン伯爵家と、当時の獣戦士達の誓いと約束があるから、とされている。
――我が一族と獣戦士は、白獣と共に。
その獣を一目見て感じたのは、こいつなら絶対に任せられるという安心感だった。奴も同じものを感じたのか、自らゆっくりと足を進めてこちらへとやって来た。
獣騎士は、相棒の白獣がいて初めて完成される。
目と鼻の先に来た強い白獣を前に、ジェドは、身体の欠けていたものがカチリとはまるような感覚を覚えた。ああ、こいつがそうなのかと分かった。
敵意はなかった。拒絶も感じなかった。
その強い獣は、見定めるようにこちらを凝視し、それから――相棒騎士となれるかを見定めたい、というファーストコンタクトを取って頭を下げる仕草をした。
白獣が山から降りてくるのは、本能的に相棒の必要性を察知した時だ、とも言われている。
もしかしてこいつも、何かしら必要性を感じて出てきたのだろうか?
父の相棒獣は、先々代の頃、自分が産んだ幼獣を絶対に守れるようにありたい、と願ったら、気付くと相棒を求めて山を下っていたのだと言っていた。
『私には助けが必要だったの。そうして私は、――満たされた』
あそこまで人の言葉を流暢に解する白獣もいなかったが、獣としての本能も強い彼らの言葉の意味を、全て組み取るのは難しい。
この大きな白獣は、一体どちらなのだろう。
ただの本能的な好奇心からなのか。それとも、何かしら動物の察知能力でも働いて深い山奥から出てきて、自分の前に姿を現した……?
白獣自身に、相棒獣となりたい強い意思があるのかどうかも重要だった。
とはいえ、相棒獣として魔力を繋がせてもらえならなければ、意思の疎通は出来ない。人の言葉は理解しているが、まさか獣に文字を起こせとも言えない。
「――ならば来い」
だから、ジェドはその白獣にそう告げた。
「この地の領主、グレイソン伯爵として。そして王国軍第二十四支部、獣騎士部隊団の団長として、俺はお前を迎え入れよう」
獣は拒絶を示さなかった。
そうしてジェドは、部下達と共に『彼』を連れ帰った。
しかし、ようやく見付けた相棒獣候補は、かなりの暴れ獣だった。やたら強気で指示行動に従う姿勢を見せず、同じ白獣として宥めようとした相棒獣達を威嚇し、警告もなく吹き飛ばしたうえ、力を見せつけて怯えさせる始末だった。
人間・協力・規律・社会……野良暮らしでよく知らないでいる白獣のためにも、まずは早急に教育係りを決めなければならなかった。
全獣騎士達が集まれるもっと広いところへ、移動させる必要があった。
けれどその白獣は、そんな細かい指示まで聞く義理はない、と言わんばかりに反抗的だった。どうにか途中までは進められたものの、環境の変化のストレスもあったのか暴れ出し、近付く獣騎士や白獣達にまで牙を剥き始め――。
その時、ジェドは、向こうにリズがいるのに気付いた。
こんな騒ぎの最中だというのに、水場の方に立っている彼女の存在に、どうしてか目が吸い寄せられた。
華奢な後ろ姿。無頓着にやや長めに伸ばされた、春みたいな色をしたふんわりとした髪。それが温かな日差しに照らされて、淡く揺れているのが見えた。
その時、不意に暴れていた白獣が動きを止めた。
そのまま、ふっと振り返った獣がリズを目に留めた。彼女も向こうから振り返ってきて、双方の目がパチリと合ったのが分かった。
直後、暴走でも起こしたかのように白獣が動き出した。
彼女の方へ向けて一直線に猛進するのを見て、ジェドは心臓が止まり掛けた。
間違いない、奴の目はずっとリズに向けられ続けている。あの白獣は、彼女目掛けて走っているのだ。
考えてみれば彼女は獣騎士ではない。
ああ、なんてことだ、とらしくなく彼は全力で必死に駆け出していた。
野生の白獣は、下山するという不慣れな環境でピリピリする。だから敷地内に入れる際、ここなら獣騎士しかいないと説明して安心させてから促す。
だが、そこにリズという非獣騎士の『他の人間』がいた。
そうであれば、テリトリーを害されたと暴走してもおかしくはない。白獣は獣騎士以外には牙を剥く。脳裏に過ぎったのは、彼女が食われてしまう光景だった。
「リズ!」
咄嗟に真っ先口から出たのは、獣に対する制止でも部下達への指示でもなく、彼女の名前だった。
ああ、どうか頼むやめてくれ。傷付けないでくれ――まるで半身を抉られるような痛みで息も出来なくなった。
すると不意に、彼女が勝手に転倒してしまうのが見えた。
「ッあの馬鹿!」
なんでこんな時に、と思ったジェドは、白獣が飛びかかりもせず引き続き走って向かっている様子に違和感を覚えた。
彼らは普通、あの状況ならば狩りの本能としてトドメを差すため跳躍する。けれどそうしないのを見て、ジェドは部下達と揃って違和感に気付いた。
あの白獣、そもそも牙を剥き出してなくないか……?
思えば耳も尻尾も、殺気立った反応は見せていない。背中の毛だって逆立っていないし、獰猛な唸り声と歯をむき出しに威嚇音を上げてもいない。
そう気付いた直後、立派な身体を持った白獣が、まるで人間みたいに利口にも四肢で急ブレーキを踏むのを見て、ジェド達は呆気に取られた。
そうして奴は『お座り』した挙句、リズの顔をべろんっと舐めたのだ。
白獣は、自分の内側に入れる人間に対して顔を舐める仕草をする。それでいて相棒獣候補として、初めて前足を揃えてきちんと座るのはセカンドコンタクト――つまり教育係り決定の瞬間だった。
なんだか白獣は、これでよし、と言わんばかりに満足そうだった。
対する彼女は、こっちを見ても混乱に立たされた顔をしていた。感情がいっぱいいっぱいになって目が潤んでいる様子は、やはりジェドの目を引いて――。
つい、個人的にじっと見つめてしまっていた。
実を言うと、自分の言動や行動で彼女がそういう顔をするのを、どうやら気に入っているらしいとも気付いていた。
だから、この白獣が満足そうな理由の一つが、なんとなく察せてもしまった。
これが見たくて、奴はわざと猛進したのではないだろうか……?
相棒になれる互いの能力以外の、性格といった相性の部分のせいもあるのだろうか。なんだか自分を見ているようだな……とも感じたりした。
そんな野生の白獣が、騎士団の仲間入りをして数日。
教育係りに選ばれてしまったリズは、初めての大きな獣相手となる世話に振り回されながらも、よくやっている。
さすがにジェドとしても、怪我をさせるようであれば他の教育方法を考えようと思っていた。しかし、あの白獣は、彼女の顔に擦り傷一つさえ作らない絶妙な加減だった。
恐らくは教育係りとしての節度は守っているのだろう。場所もきちんと選んで、芝生外では無茶をしない。窓からよく見掛けるが、おちょくっている感じた。
「つまりナメられているな」
ジェドは、窓の向こうを見つめて一つ頷いた。そこにはあの白獣を連れて、ブラッシングへと一生懸命引っ張っていこうとする彼女の姿がある。
白獣は悠々とした様子だった。完全に拒否しているわけではなくて、ほどよく困らせて『どうしよっかなぁ』とおちょくっている感が強い。
すると、一緒になって窓から見ていたコーマックがこちらを見た。
「団長……。頼みますから、それ、本人には言わないであげてくださいよ」
隣からそう控え目に口を挟んでくる。
ジェドは、どう答えたもんかなと口を閉じたまま考えた。実は先日、顔を出した際に、既にその感想については本人に言っていたのだ。
見飽きないし反応も面白い。だから、ようやく少しだけ空いた時間に足を運んでやったら「そんなの分かってます団長様に構ってる余裕もないんです!」的なことを一呼吸で言われて、彼女はすぐに白獣の教育に戻ってしまった。
なんだが、それが少しだけ面白くない。
ジェドはそう思い出して、密猟グループの件でギッチリになっている中、次のスケジュールで一人の時間が取れるタイミングを考えた。