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四章 リズ・エルマーの頑張り(7)

               ※※※


 一頭の獣が山を駆けている。白い毛並みを揺らし、たくましい四肢を動かせ、美しい紫色(バイオレッド)の目はただただ前方を見据え続ける。


 ――ああ、この脚が、もっと速ければ。


 土を抉り、木の根を爪で傷付けながら、その獣はただひたすら走る。


 もし今の自分に、岩を噛み砕くほどの力があったなら。もしくは雷光のごとく風になって大地を駆け抜けられれば……あるいは空を駆けられたのなら。


 そうであったのなら、簡単に助けられたのではないか、と。


 速く、はやく、もっと速く走るのだ。


 魔力で守られてもいない四肢の先が、ただの獣と同じ柔さでもって傷付くのを感じる。それでも構わず、鼻先や身体に土汚れを付けたまま大地を駆けた。


 一頭の獣が、暴走したかのように猛然と走る。


 唐突に町に飛び出してきた彼を見て、人々が「野生の白獣が出た!」と悲鳴を上げて逃げ出した。しかし、彼は脇目も振らず、只一人の人間の匂いを辿って大騒ぎな町中を駆け抜ける。


 助けたい、助けたいモノがいる。


 速く、早く、はやく――。


 彼はこらえきれなくなった様子で立ち止まると、肺いっぱいに空気を取り込み、初めて腹のそこから獣の凶暴性を詰め込んだ咆哮を上げた。


 それは、あらゆる生き物を震え上がらせるほどに強く響きを立った。


 居合わせた町人達が、「ひぇ!?」と反射的に竦み上がるほどだった。獣は『気付け』、『オレを見ろ』、と言わんばかりに野獣の叫びで空気を震わせる。


 一頭の恐ろしい、それでいて咆哮する姿が実に美しい獣だ。


 それはどの白獣よりも大きい――最近、『カルロ』と呼ばれている獣である。


 長く続く咆哮。


 一体何事だと、相棒獣に乗った獣騎士が駆け付ける。


 少し遅れて、近くにあった館内にいたジェドとコーマックも、他の獣騎士らと同じくして「なんだ!?」と外へ飛び出してきた。


 ジェドが、カルロの姿を目に留めて表情を強張らせた。


「お前、その姿はどうした……? そもそも何故、外にいる?」


 誰もが緊張して見守る中、歩み寄るジェドとカルロが目を合わせている。


 カルロはジェドを目にした直後には、もう咆哮をやめていた。


「もしや、何かあったのか……?」


 そうジェドの方から問い掛けが来る。


 カルロは肯定を伝えるべく、向かいに来た彼を、落ち着きを払った紫色(バイオレッド)の目で真っすぐ見つめ返して頷いて見せた。


 これから話そう。


 そうして、直接オレの声や思いを聞いてくれないか。


 そのままカルロは、視線の高さを合わせるようにジェドを見つめ返すと――敬意を持って、忠誠を誓う戦士のごとく深々と頭を下げた。



 オレには、お前が必要だ。


 そしてお前には、オレが必要なんだろう、『団長様』とやら。



 リズ流の呼び方で思って、カルロは苦笑を浮かべる。


 初めて目にした時から分かっていた。任せられるという絶対の信頼感。欠けていたモノが埋まり、物足りなさも不安も全て払拭されるような感覚。


 一目で感じたのは、オレはこいつの獣であったのか、という安心感だった。


 共に生きれる相棒。共に分かち合える戦友。


 自分が欲しかったものは、コレであったのかと気付かされた。もうオレは一頭(ひとり)ではない。彼と一緒であれば、もう怖いものは何もない。


 つまり(じぶん)の予感は確かであったのか、とカルロは思った。


               ※※※


 身体がなんだか痛い。


 パラリ、と降ってきた小さな石が頭にあたる感触を覚えた。土っぽい湿った匂いがしていて、リズは「うっ」と呻く自分の声で意識が戻った。


 ふっと、ゆっくり目を開けてみる。


 とても静かだ。風が、上を通り過ぎていく音がしていた。


 そういえば、落ちてしまったのだ。打ち付けた身体がずきずきと痛んでいる。それが次第に落ち着いていくのを待っていたところで、ハタと思い出した。


 あの子達は……?


 そう気付いた途端、リズは横になってうずくまった姿勢のまま、ハッとして腕に目を走らせていた。


 腕の中には、二頭の幼獣の姿があった。少し土埃を被っただけで、彼らは離さないでいたリズの腕に守られて無事でいる。


 ほぅっと思わず安堵の息がこぼれた。


 どうやら落下の衝撃で、自分は一時意識を失ってしまっていたらしい。


 リズは現状を理解しながら、幼獣達を胸に抱えたままズキズキとする身体を起こした。その場でどうにか座り込み、最後の痛みの余韻が引くまで数呼吸分待つ。


「…………だいぶ深い穴だわ」


 見上げてみると、ポッカリと空いた穴の向こうに青空と木々が見えた。辺りを見回せば、馬車一台が丸々落ちてしまえるほどの広さがある。


「こんなにも大きな穴、どうやって掘ったのかしら……」


 茫然としてしまって、つい不思議に思ったことを呟いてしまう。


 返ってきたのは、しん、と静まり返った空気だけだった。そこでリズは、ハタと思い出した。


「カルロ?」


 急ぎ見回してみたが、カルロの姿はどこにもない。


 戦闘獣なのだ。獣の俊敏な身体能力で無事だったのだろう。そう思って胸を撫で下ろしたところで、ふと、外にも彼の気配がない違和感を覚えた。


 あ、もしかして……と、これまでの追い目から胸がズキリとした。


 どうして自分が、カルロに教育係りとして選ばれたのか分からなかった。もしかしたら、こんなにも頼りない教育係りだったのか、と先程の件で彼を失望させてしまったのでは……?


 そうしてカルロは、落ちてびっくりした拍子に獣の本能を思い出し、そのままこの穴から飛び出して行ってしまったのではないだろうか。


 そう理解した途端、身体から力が抜けてしまった。


「………………やっぱり、私ではだめだったのね」


 ぺたりと座り込んだリズは、腕の中でぐったりしている愛しい幼獣達を見下ろして、つい涙腺が緩んだ。


 やはり自分は、教育係りとしては全然だめだったのだろう。教えるものと教えられるものの信頼関係や、交流も深められていなかったのかもしれない。


 カルロはとても賢くて、能力も高い白獣だ。


 それでいて、とても強い意思を瞳に宿していた。嫌になって途中で逃げ出すような獣ではない。


 悪いのは全部、そうさせてしまったリズの方だ。こんな平凡な自分が教育係りにあたってしまったせいで、あんなにも能力が高く賢かったのに、カルロを相棒獣として成長させてあげられなかった。


「ごめんなさいカルロ、私が不甲斐ないばっかりに……」


 涙が込み上げそうになった。


 少し性格に難はあるけれど、心強くて、それでいてやんちゃな子供みたいで……そういった全部を可愛くも思っていた。


 カルロを立派な相棒獣にしてあげたかった。


 でも、もう無理なのだろう。ここは彼がいた山だ。カルロが野生に返ってしまったとしたのなら、もう、彼とは会えないのかもしれない――。


「せめて世話係りとして、この子達だけでもどうにか助けないと」


 リズは、自分を奮い立たせるようにそう口にした。


 意識もなく、ぐったりとしている二頭の幼獣を胸に抱き締める。


 この子達を、助ける手段を考えなければならない。こうしている間にも、先程の男達が自分達を捜して近くまで来ているかもしれない。


 見付かってしまったら、この子達が連れて行かれてしまう。そんなことは絶対に駄目だ、自分の命に代えても――。


 でも、どうやってこの穴を登ればいいの?


 考えても考えても、何も浮かばない。自分が無力であることばかりが実感させられて、とうとう潤んだ瞳からじわりと涙が溢れてきた。


 先程だって、カルロがいたから銃撃の嵐をくぐり抜けられたのだ。


「…………ごめんなさい、私、何も出来なかった」


 ぽろぽろと涙がこぼれて、頬を伝い落ちていった。


 嵐の前触れのような静けさの中で、リズは先程のけたたましい銃撃音を思い返した。小さく震え出した腕で、それでも、と二頭の幼獣を抱き締める。


「でも、あなた達のことは、きっと必ず助けるから」


 一度溢れ出した涙は止まらなくなって、本当に自分の子みたいに愛しい白獣の子供達を、胸にかき抱いて生きている温もりに泣いた。


 その時、遠くで発砲音が上がるのが聞こえた。


 そんなに離れていない別方向からも、騒がしさが鈍く伝わってきた。もしや、先程の男達が自分達が落ちてしまった穴を見付けてしまったの……?


 不意に、上から降り注いでいた日差しが遮られる。


 ギクリとしたリズは、警戒心を覚えてハッと目を向けた。するとその途端、彼女は大きな赤紫色(グレープガーネット)の目を「あっ」と見開いた。

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