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四章 リズ・エルマーの頑張り(5)

               ◆


 ごぉっと新鮮すぎる冷たい風に打たれるのを感じた。


 まるで水だ。またしても息が出来なくなるのを感じて、眩しい光の洪水にぎゅっと目を閉じてしまった直後――ふっ、と春の柔らかな温かさが頬に触れた。


 そっと目を開けてみると、そこはもう先程の場所ではなかった。


 目の前には、ゆるやかな山の傾斜の土肌と木々があった。所々には大小の岩のようなものが転がっていて、女王様に会う直前までいた場所とも違っていた。


 先程よりも標高があるのか、空気はやや冷たさを帯びている。


 隣に立ったカルロが、現在の場所を確認するかのようにピンと耳を立てた。その白い毛並みが、ふわふわと優雅に風に揺れていた。


「とても静かね……」


 リズは思わず呟いた。ここに自分以外の人がいるだなんて思えないくらいに辺りは静かだった。


 木々の囁きの遠く向こうで、飛翔していく鳥類の鳴き声が聞こえてくる。


 柔らかな春の風を吹き抜けていく音。どんなに耳を澄ませても、他の物音は聞こえてこない。


「あの子達がいるのは、この近くなのよね?」


 カルロの方の反応を確認してみると、同じく第三者の存在感を覚えていない様子だった。リズに伝えるように、すんっと鼻を動かして顔を顰めて見せる。


 ――人間は匂いを消せる。


 ここへ来る前、カルロはそう言っていた。獣に感知させない方法があるとするなら、引き続き幼獣達の匂いも分からなくされている状況なのだろう。


 でも、近くなのは確かだ。女王様が不思議な力で送ってくれている。


 しばし考えていたリズは、すくっと顔を上げた。


「それなら歩いてみましょう」


 相手の密猟グループが移動していない限り、自分達の足で向かえるどこかに幼獣達はいるはずだ。


 目を合わせてみると、カルロが同意と言わんばかりに「ふんっ」と答えた。


 木々は背が高くて、木の葉の向こうの青空は遠く感じた。


 山は大自然の風景で、随分奥なのだろうと思われるくらいに麓側とは様子が違っている。所々に大きな石も転がっていた。


 ひとまず近くに他の人間がいないか警戒しつつ、リズはカルロと共に慎重に探索を始めた。


 傾斜ゆるやかで、柔らかな土色が目立っている。足元は木の根の凸凹などもあって、リズはスカートを持ち上げ出来るだけ急ぎ足を心掛けた。


「あてはないから、もう直感で行くしかないのよね……」


 下は緑が深い。上の方は木々の間に広い間隔もあるので、見通しを良くして害獣対策をするのなら、そちらを一旦の待機所にするかなと考えて進む。


 村周りで害獣が増える時期、そうやって男達が狩りに乗り出していた。


 そうだとしたのなら、攫われた二頭の幼獣はきっとそこにいるはずだ。


 その位置から、そんなに遠くはないに違いない。だから、もし上にいなかったら下へ引き返す。それでも駄目なら左右を探す――。


 そう考えて足を急ぐリズの後ろでは、カルロが地面に鼻先を向けて匂いを嗅ぎ続けていた。


 感知出来ないせいだろう。ブスッとした表情で黙って付いてくるカルロから、苛々しているのが伝わってきて申し訳なさを覚える。


「ごめんなさい、カルロ」


 自分が頼りないせいだ。もし他の獣騎士だったら経験や知識から、近くの密猟者達の居場所をあっという間につきとめていただろう。


 そう思ってリズが詫びると、カルロが目を合わせないまま首を横に振ってきた。自己嫌悪で苛立っている感じもしたが、字を書く気はないようで、何が彼をそんな表情にさせているのか分からなかった。


「カルロ――」


 気になって呼んだ時、カルロがピンっと耳を立ててある方向を注視した。そのまま前を見るよう促されて、リズは前方へと目を戻した。


 ゆるやかな傾斜の上へと目を凝らしてみると、広い間隔で立つ木々の向こうに大きな岩の一角が見えた。


 洞窟だろうか?


 それなら一時的な休憩場所としても最適だ。耳を澄ませたカルロが頭を動かして大丈夫だと伝えてきて、リズは彼と共に駆けて向かった。


 辿り着いたそこは、雨が避けられる程度に奥行きがある岩場だった。カルロ一頭が入れるくらいの空間には、ごちゃっと複数人分の荷物が置かれてある。


「密猟グループの荷物、かしら……?」


 山旅等に使用する専用鞄だけでなく、狩猟用の物騒な銃器などもあった。そのいくつかは、村にいた頃に見た物に形が近かった。


 リズは、武器に緊張を覚えて足を止めてしまっていた。その横から、カルロがずいっと顔を出して、ふんふんと匂いを嗅ぐ。


 と、不意にカルロが背中の毛を少し逆立てた。後ろに目を走らせたかと思うと、ピンっと耳を立ててじっと向こうを見据える。


 警戒反応だ。普段にはないピリッとした空気を感じたリズは、遠くの物音を拾っているカルロを見て、ハッと推測されて同じく緊張した。


「…………もしかして、近くに誰か……?」


 声を潜めて尋ねると、カルロが目を戻して小さく頷き返してくる。


 もしかしたら、この荷物の持ち主達かもしれない。彼らが戻ってきて鉢合わせたら大変だ。でも、まだあの子達がいるのかどうか確認していない――。


 いや、こうして迷っている間にも近づいているのだ。


 それなら、その時間も全部使って行動した方がいい。鉢合わせてしまった時のことを考えるよりも、今は幼獣達のことが最優先だ。


「中へ進んでみましょう。あの子達がいないか確認するわ」


 リズは決意すると、震える足を叩いて動き出した。大きな身体をしたカルロが、外を警戒しながら身を低くして後に続く。


 雑に置かれてある荷物を、急ぎ確認していった。足音に気を付けつつ岩場を進んだところで、ふと、奥に大きな四角い荷物が置かれてあるのに気付いた。


 それは粗い古布で覆われていて、上部分には雑な結び目がある。


 するとカルロが、目に留めた途端に美しい紫色(バイオレッド)の目を見開いた。覚えでもあると言わんばかりに、片方の前足で荷物の前をポフポフと忙しなく叩く。


「カルロ、何か知っているの?」


 下は岩だ。字を掘ることは出来ない――。


 そう考えたところで、リズは少し遅れて「あっ」と声を上げた。荷物の中で一番大きくて、不自然なくらいに随分容量のある唯一の四角い箱形。


 小型犬くらいであれば、二頭くらい平気で収まってしまえる大きさだ。


 そう気付いた直後、リズはその古布を解きにかかっていた。急いてもだつく手で覆いを取ってみると、動物用の檻が現われた。


 そこには、力なく横たわっている二頭の幼獣が入っていた。


「いたわ!」


 リズは、脇目も振らずに檻を掴んだ。ふわふわの白い身体をした幼獣達は、普段見掛けていた健康的な寝姿とは違ってぐったりとしている。


 慌てて檻の蓋を探していると、痺れを切らしたようにカルロが「ふんっ」と鼻を鳴らして頭を寄せてきた。少し横にどけられたかと思うと、彼が牙をむき出しに檻の上部分に噛み付いた。


 リズは、近くで目にしたカルロの獣的な一面に驚いた。バキリ、と音がして頑丈な檻が破壊されるのを見て、そういえばかなり大きな白獣だったと思い出す。


「檻も噛み砕けるくらいに顎も強いのね……」


 そう呆けた声が出たら、カルロが「ふんっ」と視線を寄越してきた。


 今はビックリしている場合ではなかった。リズは我に返ると、破壊された檻の上部分に大慌てで両手を入れて、急ぎ二頭の幼獣達を胸に抱えた。


「大丈夫っ? しっかりして!」


 幼獣達は、身体を揺すっても目覚める様子はなかった。ぎゅっと抱き締めたふわふわの柔らかな身体は、いつもより体温が低い。


「女王様が言っていた薬のせいなの? なんだか顔色もとても悪いわ……どうしよう、今すぐに解毒剤とか必要なんじゃ――」


 動揺のあまり涙声になった時、バッとカルロが警戒したように顔を上げた。


 リズは、向こうから聞こえ出したバタバタとした足音と騒がしい声に、どくんっと心臓がはねた。


 檻が壊れた音を聞かれてしまったのだろう。


 ここに自分達がいるのを気付かれたのだ。一体なんの音だ、向かえ、と飛び交う複数の男達の警戒する怒号の声が聞こえてくる。


 怖い、足が震える。


 この地に来るまで、村で暮らすただの平凡な娘だったリズは震えた。あんなにも敵意むき出しの、荒っぽい男性達の声を聞いたのも初めてである。


 すると、カルロが強さの宿った目を向けてきた。


 どうする、と冷静に問われている気がした。先程の獣的な雰囲気を彷彿とさせるその目が、一体どんな指示を想定して仰いでいるのかは分からない。


 でもリズには、考える余裕も悩んでいる時間もなかった。


「わ、わた、しは――私はこの子達の『ママ』なの!」


 リズはカルロの視線を受け止めた直後、幼獣達を抱き締めたままガバリと立ち上がって、そう涙目で告げ返していた。


「何があったって離さないッ。怖いからって置いて逃げるだとか絶対にしないわ。こうなったら、この子達と一緒に逃げ切ってみせるんだから!」


 見付け出せたのだ。もう二度と、あんな檻になんて入れさせない。


 このまま幼獣達を連れて山を下る。そうして獣騎士団へと連れて戻るのだ。


 朝一番からずっとバタバタしていたので、もしかしたらジェド達も山に捜索隊を出している可能性だってある。途中で合流出来れば、確実に逃げ切れるだろう。


 リズは、そう自分に言い聞かせるように思った。


 そうでなければ、臆病な自分の足が震えてしまいそうだから。このまま自分達だけでどうにかしなければならない、とは分かって覚悟していた。


 こちらを、カルロはずっと見ていた。


 そうして不意に――獣的な雰囲気を抑えて、付き合うと伝えるようにして知性的に頷いた。


「行きましょうカルロ!」


 リズは声を掛けるなり走り出し、岩場を飛び出して下山するため駆けた。その後ろから、大きな白い身体をしならせてカルロが続く。

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