四章 リズ・エルマーの頑張り(2)
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走っていた獣騎士達と別れたあと、真っ直ぐ幼獣舎へと向かった。
そこが近付いてくるのを目に留めてから、リズの顔は緊張で強張っていた。何かが変だ。その気持ちが次第に増して、気付けば走り出していた。
幼獣舎の木柵の壁から、おろおろと不安そうな幼獣達の姿が見えた。
それをパッと目にした途端、どくんっと心臓が大きく打った。
駆け寄った戸には、珍しく鍵がかかっていた。不安は倍増と、一体何が、と思って内側の雨戸が開けられた隙間に顔を寄せ、素早く中を覗き込む。
中にいる幼獣達が、潤んだ大きな目を向けてきて「みゅぅ」「みょ」と弱々しく鳴いてくる。けれどみんな元気がなくて、そばに寄ってくる気配もなかった。
「…………待って、足りないわ」
気付いたリズは、くらりと気が遠くなりかけた。
毎日のように世話をしていたから、見分けだって付いている。そんな、まさか、と信じられない思いで、今度は慎重に一頭ずつ顔を見ていった。
「――やっぱり、二頭、いない」
改めて確認して呟いたところで、愕然とした。
不安でドクドクと胸が痛い。呼吸が止まりそうだった。え、どうして? だって、あの子達はまだ勝手にお散歩も出来ないのに……。
その時、カルロが本当に軽く背中をつついてきた。
リズはビクッとした。ハッとして振り返る。
「カルロ……あの子達が」
息がうまく出来なくて、言葉が続かない。
するとカルロが、力強く「ふんっ」と鼻を鳴らして、見てろと言わんばかりに目の前で爪を一本出し、それから地面にガリガリと書いた。
『落ち着け。深呼吸、だ』
「そう、よね。まずは私が落ち着かないと」
リズがどうにか答えて呼吸を意識すると、カルロが「ふん」と頷いて地面の字を消した。
何度か呼吸を繰り返していると、どうにか少し頭の中が落ち着いてくる。
不意に尻尾でソフトタッチされて、リズはカルロが顔で下を示していることに気付いた。幼獣舎の壁に向かって、昨日には見なかった削り痕がある。
「これ……何……?」
まだ頭がうまく回ってくれない。しゃがみ込んで観察してみると、そこの土はまだ柔らかかった。どうやら一部、急きょ埋め直された感じもある。
そうしたらカルロが、近くに爪を一つあててガリガリと書き始めた。
『たぶん、密猟者が来た』
その字を見てドキリとした。
リズがパッと顔を向けると、カルロが強い紫色の目で視線を返してくる。
「そんなッ、でもここは獣騎士団の敷地内で――」
『方法、ないわけじゃない。人間は匂いも消せる、山でもそうだった』
野生経験が長くあるカルロが、教えるように地面に文字を刻んでいく。
『獣騎士団が、外を警戒している間にしてやられた、のだろうと思う』
「外……?」
『密猟団体。複数のグループが、一気に流れ込んでくるの、滅多にない。それを、近く地域の協力団体が通報した。それを獣騎士団は受けた』
「あっ、ここ最近バタバタしていたのは、それで……?」
リズは、とくにジェドの方が忙しさが増し出した時期を思い出した。
それを肯定するようにしてカルロが頷く。
『オレも、ここに来た日、その一グループを見付けた』
「え!? 大丈夫だったのッ?」
すると、ずっと地面を見ていたカルロが目を上げた。
美しい紫色の目が、本気で心配しているリズをじっと見つめ返す。その獣の口が、小さく開いて――リズは彼が、獣の言葉で何かを呟いたように感じた。
「何? どうしたの?」
『いや、なんでもない』
「なんでもないって顔じゃないような……」
尋ねたら、しばし間が出来た。
『大人の白獣、心配する非獣騎士、いない』
思い耽った様子でそう刻んだカルロが、直後に「ふんっ」と鼻を鳴らしてその字を消した。
カルロは目先へと意識を戻すようにして、ガリガリと再び地面に書く。
『今の時期、幼獣、多くいる。だから別々の密猟グループ、集まったかも』
「でも、密猟団はそれぞれ全くの別なのよね?」
リズは納得出来ないものを感じて、慎重にそう尋ねた。
「騎士団の中がガラ空きになる状況を、分かって狙われたとなると、まるで集まった状況も通報も、全部のグループが一致団結したとしか思えないわ」
『密猟団は協力関係、築かない。周りの同業グループは、みんな敵』
「なら、どうして――」
『奴らは、ずる賢く、卑怯。我先にと互いを利用する』
つまり今回の件も、その状況を悪用されたのだろう。
リズはどうにか立ち上がったものの、今にも足から力が抜けそうだった。私はどうしたらいいんだろう? 連れ去られた子達のために、何が出来る……?
その時、幼獣達の不安そうな鳴き声が耳に入ってきた。
ハッとしてそちらを見ると、隔たれた木柵の壁ごしに幼獣達が集まっていた。大きくて愛らしい紫色の目が、とても心配そうにしてリズを見ていた。
――私は、今、この子達にとって『ママ』なの。
そんな思いが胸をよぎる。まだ十七歳の少女なのだとか、獣騎士ではないとか、そんなこと関係ない。この子達を、これ以上不安にさせてはいけない。
「大丈夫よ。きっと、大丈夫だから……」
リズは、どうにか幼獣達を安心させるように微笑みかけた。
獣騎士団のところへ、密猟団が何組も来ていると近隣から通報があった。だから警戒を強めて対応にあたっていて、最近は敷地内に残っている人数も少なかったのだろう。
考え込む顔を見られたくなくて、リズは歩き出しながら思考を働かせた。――そうして獣騎士団は、その隙を突かれたのだ。
「…………ああ、なんてことなの」
幼獣舎から少し離れたところで、リズは隠しきれなくなって悲痛に表情を歪めた。無力な自分の手を見下ろし、震える手をぎゅっと目に押し付けた。
幼獣達は、大人の白獣と違ってとても弱く繊細だ。
体調管理も自分ではまだ難しく、自分達で遠くへ行くことだって出来ない。
「ひどい……まだ、ミルクごはんしか食べられない子達なのに……」
密猟、という言葉から最悪な展開が脳裏を過ぎる。
「…………カルロ、どうしよう。もし、あの子達が怪我をしていたら……もう、殺されてしまっていたら……」
思わず、小さな声で弱音がこぼれ落ちた時、目元に押し付けている両手をべろんっと舐められた。
手を離して見つめてみると、そこには大型級の白獣であるカルロの、強さを宿したとても凛々しく美しい紫色の目があった。
何故だか、リズは、いつも真っ直ぐ見てくるジェドの瞳を思い出した。
思えばカルロとジェドは、同じ強さをその目に宿しているのだと、今更になって気付かされた。どちらも、強い意思を持って前を見据えている――。
気付くとリズは、不思議と落ち着いていた。
まるで泣いていないのをホッとしたように、カルロが鼻で小さく息を吐く。そして下を見るよう促して、再び土の上を爪でガリガリとした。
『だから何度も言ってる、落ち着け。血の匂いはない』
「……つまり怪我はしていない……?」
『そうだ。そもそも人間、白獣の子、生きたまま売る』
「じゃあ、まだ生きていて、あの子達は無事でいるの?」
『運ぶ段階で殺す者もいるが、山でそうした場合は【女王】が黙ってない。だから人間、約束されたグレインベルトの地を出るまで、子を殺さない、と思う」
「女王?」
唐突なキーワードに、リズは先程で少し濡れた目をきょとんとする。
するとカルロが、しばし間を置いた。それから考えるような静止を解くと、一つ頷いて地面に新しく言葉を刻んだ。
『女王、会ってみるか? 彼女なら、子の場所、きっと分かる』
急に言われても理解か追い付かない。リズは考える時間が必要で、カルロが急かさないと態度で示すようにして『お座り』で待つ。
「ちょっと、待ってちょうだい」
ようやくリズは、混乱気味ながら声を出すことが出来た。
「カルロの言う『女王』って、もしかして白獣の女王様のことなの?」
『そう』
「でも、どうして、カルロが――」
『彼女の子ら、一番そばで守ってた時期がある。そして女王、太古の身体、山と共にある』
そう伝えたカルロが、前足でゴシゴシと雑に文字を消す。
子を一番そばで守っていただとか、どういうわけかは分からない。ただ、白獣をまとめているリーダーがいて、彼女なら子の場所が分かる、と……。
今は、ごちゃごちゃと考えている場合じゃない。攫われてしまった幼獣達のことが先だ。
深い山々へ踏み入ることに不安が掠めたものの、リズは、震えそうになる両足にぐっと力を入れてカルロを見据えた。
「もし会えるのなら、その女王様のもとへ行ってみましょう。もしかしたら私達も、頑張ってくれている獣騎士達の力になれるかもしれない」
先程会ったトナー達は、幼獣舎の方は行かなくてもいいと言っていた。彼らの方でしばらく幼獣達をみるつもりなのなら、一時抜け出したとしても大丈夫だろう。
「カルロ、女王様のもとへ案内してくれる?」
そこに望みを託してみよう。
まずは、攫われた子達がどこにいるのかを突きとめるのだ。そう不安を押し殺して、濡れた瞳で強く見上げるリズに、カルロは――
『承知した』
そう地面に字を刻んで答えた。
そうしてリズとカルロは、一緒に獣騎士団の敷地から出るため会議を開いて、作戦を立てるべく手短に話し合った。