四章 リズ・エルマーの頑張り(1)
その翌日も、騎士団内はバタバタしているようだった。
本日は出払っている面々が目立つというよりは、獣騎士と相棒獣の出入りが揃って多い印象だ。
昨日も少しバタバタしているようだったが、なんだか今朝は少し違っているみたいだった。リズは朝から、どこか少し緊張状態であるようにも感じた。
「朝なのに、副団長様もいないみたいだったのよねぇ……」
朝一番、カルロの小屋内の雨戸なども全て開けていきながら呟いた。
ここに来るまでに擦れ違った獣騎士達も、挨拶もそこそこに「また後で」と半ば急ぎ足だった。月の中での、多忙期だったりするのだろうか?
「カルロのごはん、『ついでに持っていって先に済ませた』と言っていたけど、みんな今日はそんなに早起きだったのかしら」
そう本館側の方でのことを思い返して、本人に確認してみた。
大きく伸びをしていたカルロが、見つめ返して頷いてきた。早かった、と答えているのだと分かったリズは、どれくらい、と尋ねようとして口をつぐむ。
外からどたどたと重い足音が聞こえた。入口の方へ行って外を覗き見てみると、白獣にまたがって駆けていく三人の獣騎士達の姿が目に飛び込んできた。
戦闘の演習で遠くから見た以来だ。近くから目に留めたのは初めてで、獣舎側の敷地内ではあまりない光景に、ちょっとびっくりしてしまう。
「やっぱり忙しそうね」
目で追いかけて見送ったリズは、ふと、時間を短縮するために騎乗していることが推測されて考えさせられた。
「…………もしかして、何かあったのかしら……?」
昨日まで続いていた忙しさも、その延長線だった?
その時、後ろの屋内からガリガリと音がした。
カルロが何か書いているのだ。リズはパッと入口から離れると、パタパタと駆け寄った。慣れたように見下ろして、不意に大きな赤紫色の目をパチリとする。
「……『密猟団体の件で、近隣から協力団体が来てる』……?」
思わず読み上げて、リズは素早くカルロへ目を向けた。
「どういうこと?」
『朝に拾った単語、他にもある』
そう書いたカルロが、前足で消してまたガリガリとする。
「『協力体制』、『引き渡し』、『意見交換で打ち合わせ』……なんのことかしら」
『多分、任務関係』
「カルロって、ほんと難しい言葉もよく知っているのねぇ」
リズは見上げて、感心の吐息をこぼしてしまう。座ったカルロが相変わらずの無愛想さで、小馬鹿にしているのか威張っているのかも分からない「ふんっ」と鼻を鳴らした。
獣騎士団の任務には関わっていないので、難しいことはよく分からない。けれど地面に掘られた字からは、穏やかではないことは伝わってくる。
「密猟団体の件……そういえば白獣って、狙う人が多いのよね」
先日、ジェドが横になって休んだ際『密猟』と口にしていたのを思い出す。
白獣は、この地域にしか生息していない魔力保有生物だ。その存在はとても貴重で、獣騎士団は彼らの保護にもあたっている部隊団なのだとも聞いた。
「その狙っている密猟団が、複数入ってきてしまっているということ……?」
リズはここに来るまで、珍しい魔力持ち動物の戦闘獣、というくらいしか知らなかった。だから人間に狩られるだなんて、思ってもいなくて。
『子らは、弱い』
するとカルロが、ガリガリと新たに字を刻んだ。
『自らでは、守る術がない』
「――うん、そうよね。お世話をしてよく分かったわ」
とても素直で、少し力はあるけどリズが抱えて走れるくらいの大きさだ。
そう思い返して微笑んだリズは、不意に嫌な予感がした。
たとえばカルロくらいの大人の白獣だったら、恐らくは密猟者にも太刀打ち出来る術はあるだろう。でも、彼が口にした『子』だったとしたら……?
「ごめんなさいカルロ。部屋の掃除をする前に少しだけ、したいことが出来たわ」
リズは、カルロに向き直るとそう切り出した。
「何か起こっていることがあるのなら、誰かに話しを聞いてみようと思うの」
その場合は、彼も後ろを付いてくることになるだろうと考えて、スケジュールが少しずれてしまっても大丈夫か、ときちんと確認する。
するとカルロが、愚問だと言わんばかりに「ふんっ」と鼻を鳴らし、大きな身体を揺らして腰を上げた。
その姿に、なんだかとても頼もしさを感じてしまった。
自分の方がしっかりしなくちゃいけないのに、リズは涙腺で緩みそうになって、
「ありがとう、カルロ」
ぐしぐしと目元を擦ってから、「行きましょう」と声を掛けて一緒に外へと出た。
小屋を出て少し歩いたが、珍しく獣騎士の姿を一人も見掛けなかった。
普段の散歩コースまで行ってしまう、カルロは首輪をしていない……そう心配になったところで、ようやくリズは、獣舎を超えた先で四人の獣騎士を見付けた。
それはトナー達で、やっぱなんだかバタバタしているようだった。そばに連れている相棒獣と共に走っていて、その方向は正門側だ。
普段なら躊躇して声を掛けないものの、リズは同じように駆け出していた。
「トナーさん!」
せいいっぱいの大きな声を出したら、彼らが気付いて「へ?」と目を向けてきた。足で級ブレーキを踏んで、のろのろと遅い走りのリズを待ってくれる。
「リズちゃん、どうした?」
「いえ、少し質問したいことが」
駆け寄ったリズは、上がった呼吸を整えながら言った。離れず追ってきたカルロが、悠々とした様子ですぐ後ろで足を止める。
すると、トナーの後ろにいた獣騎士達が、「あ」と何かに気付いた顔をした。視線を交わし合ったかと思うと、トナーを肘でつついて急ぎ小声で話し出す。
「そういや、リズに誰か伝えたか?」
「いや、分からないな……」
「つかこの時間だぞ、まずくないか?」
そう言葉早くトナーに確認された獣騎士が、ガバッとリズを振り返る。
「リズちゃん、今はまだカロルの方をやり始めたばかりだよな?」
「え? ああ、そうですね」
突然振り返られて、リズはびっくりしつつ答えた。
その途端、彼らかが揃って胸を撫で下ろした。一体なんだろうと小さな違和感を覚えたものの、そんなことよりも訊きたいのは別だ。
「あの、走っているところを呼び止めてしまって、ごめんなさい」
急ぎ正門側に向かっているところらしい彼らの時間を、そんなに取らせられないと感じて、リズは手短に済ませるつもりで早速切り出した。
「今日は、とくに忙しそうにしているみたいですが、何かあったんですか?」
「へっ? いやいやいや、何もないよ」
「他の部隊団に比べると人数も多くないから、少し立て込むとバタつくだけで」
「でも――」
「リズちゃんが心配することは、何も起こってないからさ」
「そうそう単に人数不足で、こう、みんなで出入りしてバタバタしているというか」
質問してみた途端、なんだかトナー達が焦ったように次々に答えてきた。
リズが勢いに押されて目を丸くしていると、一人の獣騎士が追ってこう言ってきた。
「えぇと、今日は幼獣舎の方はいいから、リズちゃんはカルロの教育に集中していてくれ。な?」
「え? でも、皆さんが忙しいのなら、私がお世話を――」
「本当に大丈夫なんだ! うん、団長が一日でも早く相棒獣出来る方が大事!」
「じゃっ、また後でな!」
そう言いながら、彼らはまるで逃げるみたいに既に走り出していた。相棒獣達を連れて、あっという間にバタバタと向こうへ駆けて行ってしまう。
残されたリズは、茫然として見送ってしまっていた。
「…………やっぱり、なんだか、変……?」
ぼうっとしたまま呟いた時、肩の後ろをぐいっと押された。
ハタと我に返ってみると、顔を近づけてきていたカルロが「ふんっ」と鼻を鳴らした。
そのまま頭を戻したカルロが、くいっと顎で向こうを指す。
その方向は幼獣舎だった。リズが不思議に思って見つめていると、彼がやれやれという感じでまた鼻息を吐いて、芝生外に爪でガリガリとやった。
『お前、気になってる。それなら、子ら、見てみる』
今日は、珍しく積極的に字を書いている気がする。
そう思ったリズは、幼獣舎の方を見た。きっと気になっているのはカルロも同じなのだろう。多分、自分と同じで落ち着かないのかもしれない。
「そうね、やけに行かせたくないみたいだった」
それなら、その答えは幼獣舎にあるのかもしれない。
リズは不安が強まるのを感じて、一つ大きく深呼吸した。思いすごしならそれでいいのだ。臆病な自分を心の中で叱り付けて、一歩を踏み出す。
「行ってみましょう、幼獣舎へ」
動き出した彼女に続いて、カルロが大きな尻尾を揺らして後に続いた。