三章 獣騎士団でのモフモフライフ(3)
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カルロを、立派な相棒獣としてあげたい。
そうして他の相棒獣達のように、ジェドと自由に外を行き来するのだ――自覚したその気持ちは、日々リズの中で増していた。
素直に従って欲しいだとか、懐いて欲しいだとかは望まない。自由きままで気分屋なカルロ……彼らしくこの獣騎士団で、活き活きと毎日を送って欲しく思った。
「首輪なんて必要のないくらい、自由でいて欲しいわ……」
その日の勤務を終えて部屋に戻るたび、一人ベッドの中でどうすればいいのか考える。でも獣騎士でないリズには、分からないことが多い。
最近、獣騎士達は忙しそうだった。ジェドも珍しくほとんどやってくることもなくて、なんとなく尋ねてみるチャンスも回って来ないでいる。
ここ数日は、敷地内から人と獣の姿が減って静かだ。
散歩で獣騎士達と遭遇してから四日目。リズは午前中の幼獣達の世話を終えたところで、カルロの日光浴がてら、休憩して芝生の上に座り込んでいた。
引き寄せた足に頬杖をついて、空を流れていく雲をぼうっと眺めている。そのジューシーな果実を思わせる赤紫色の目に、青空が映っていた。
リズの柔らかな春色の髪を、優しい風が揺らしていった。
「春の風ねぇ……」
そよそよと吹き抜けていく風の音が聞こえる。それくらい、今の早い時間も獣騎士や相棒獣の相当数が、敷地から外に出ているのが分かった。
カルロは隣で楽に座っていて、優雅な白い毛並みを風に揺らしている。
本来なら、こうして相棒騎士と休んで座ったりするのだろう。
そんなことをぼんやり考えていたリズは、そこでハタと気付いた。あ、と頬杖をやめた彼女を、なんだよと言わんばかりにカルロが顰め面で見やる。
「…………そもそも相棒獣って、いつ、どうやってなれるのかしら?」
ふと、どれくらい教育すれば相棒獣になれるのか疑問を覚えた。
隣のカルロに視線を返したら、ますます顔を顰められてしまった。本当に表情豊かな白獣である。自分に訊くなといいたいのだろうか?
「白獣本人なら知ってると思って」
「ふんッ」
「……ここ数日で一番大きな『ふんっ』をしなくたって……」
ちょびっとダメージを覚えた。カルロ自身は知らないのか、それとも長い説明になるから筆談を拒否しているのか――後者の可能性が高い気がしてきた。
こればかりは、すぐにでも誰かに聞いてみた方がいい。
「教えてくれそうな親切で優しい人……」
すぐにパッと頭に浮かんだのは、人がよくて面倒見もいい副団長のコーマックだった。団長ジェドが出払っている際、留守を任されていることも多い人だ。
リズは、彼とコンタクトを取ってみることにした。
忙しい人であるのは分かっているので、敷地内にいた獣騎士に今日ここにいるのか確認してから、少し会いたいと伝言を頼んだ。
そうしたらすぐに返事があり、正午休憩前に待ち合わせることになった。
「リズさんの方から、突然の呼び出しがあるとは思わなくて驚いてしまいました」
カルロのブラッシングが終わった後、コーマックは待ち合わせていた獣舎近くまで駆けつけて来てくれた。
走ってきたのか髪が少し乱れている。その後ろには、彼を心配したのか、美獣といった顔立ちをしている印象が強い相棒獣の姿もあった。
「副団長様、お忙しい時にすみません。……お時間は大丈夫ですか?」
「あっ、大丈夫ですよ。ちょっと外部とのやりとりが立て続いて」
コーマックはリズの視線に気付くと、そう言いながら慌てて髪を直した。軍服のロングジャケットの曲がっていた裾部分を、相棒獣が気を利かせて鼻先で下ろす。
「僕の方は、やりとりや書類関係は、午前中で終わらせてきましたから時間はあります――それで、何かありましたか?」
困ったことはないか、とコーマックの優しげな目が心配して尋ねてくる。
リズは、カルロと少し目を合わせた。
「えぇと、立ち話しもなんですから、副団長様、少しあちらへ」
すぐそこにあった木陰に誘った。ひとまず疲れている彼を座らせると、自分も隣に腰を落ち着ける。
「実は、少し訊きたいことがありまして……」
時間を取らせてしまって申し訳ない気持ちが大きくて、リズは先程ふと覚えた疑問について、ごにょごにょとぎこちなく切り出した。
向こうに見える本館の建物や、少し近くに見える獣舎にも穏やかな日差しが降り注いでいる。
前に広がっている芝生には、カルロが座ってふさふさの身体に太陽の光を浴びていた。相棒騎士の一休みに便乗したコーマックの相棒獣が、サクサクと芝生を踏む音を楽しむようにして優雅に散策している様子を、じーっと見やっている。
「――なるほど。相棒獣になるタイミング、ですか」
話を聞き終わったところで、コーマックが納得したように一つ頷いた。
「とても大事なことですし、それならリズさんが呼び出すのも当然ですね」
「そこに気付くのも遅くなってしまって……うぅ、未熟な教育係りでほんとごめんなさい」
「いえ、謝るのは僕の方ですよ。教育係りになった時、先にそちらについても教えておくべきでした」
だから気にしないで、とコーマックは困ったように微笑んでくる。
決してこちらを悪く言わず、フォローまでしてくれる。リズは『理想の上司ナンバー2』である彼の、美しい気遣い笑顔を前に感動した。
「実は白獣は、相棒となれる騎士と出会うと、三段階の手順を踏むんですよ」
コーマックは手振りを交えて、丁寧に説明し始めた。
「まずは相棒候補の騎士に出会うと、頭を下げて一礼します。これはファーストコンタクトと言われているもので、白獣から騎士への候補アピールですね」
「カルロもそうしたんですか?」
「しましたよ。そうやって意思表示がされ、それを団長が受理して合意のもとで連れて帰って来たんです」
いつだって偉そうに頭を上げているので、なんだかイメージがない。
リズは、目の前に広がる芝生の上で、背を伸ばして座っているカルロへと目を向けた。堂々としているせいか、座っていてもさまになる。
「そうして次に、人間である騎士やその暮らしを知るために、別の者を教育係りに指名します。リズさんもご存知かと思いますが、腰を下ろして座るのがセカンドコンタクトです」
「……つまり、『お座り』?」
「はい。警戒心の強い野生の白獣は、不慣れな初めての場で緊張します。落ち着き処、と決めた人間の教育係りの前で、初めて警戒を解いて腰を下ろすんですよ」
落ち着き、初めて緊張を解く……なんだか耳に慣れないキーワードだ。
リズが困惑を露骨に滲ませると、コーマックが年上のお兄さんのようにニコッと笑って、品のある仕草で手を前に出してこう続けた。
「信頼します、という意味合いでもあるんですよ」
「信頼、ですか……?」
「あなたのことは信じる。だから私に『この場所』や『人や暮らし』を教えて欲しい、という、白獣にとっての意思標示でもあるんです」
私に人と、そして人と共にいる相棒獣のことを教えて欲しい――それが、あの時のカルロの言葉でもあったのだろうか?
不安が胸の奥から込み上げてくる。
思わずリズは、知らず胸元をぎゅっと握り締めていた。
「私は、ほとんど何も教えられていないのに……?」
「教えられていますよ、大丈夫です」
コーマックは、優しげに微笑む。
「リズさんが思っている以上に、カルロは沢山のことを学んで覚えていっています。敷地内の散歩の運動でも、首輪が外れる日もそんなに遠くないと思いますよ」
「そう、かしら……」
「そうですよ。それに、あなたの前で彼が『お座り』をした時、だから僕らは心配がなくなったんです。ここに来て一番目に信頼を預けた人間を、白獣は先生としてきちんと言葉に耳を傾け、決して傷付けはしませんから」
そういえば、怪我はしていないのよね。
今更になって気付いたリズは、そう思って自分の手を見下ろした。ひっくり返ったとしても、転倒したとしても、擦り傷を作ったことはない。
「そうして、リズさんが知りたがっていた相棒獣となるタイミングですが」
そんな声が聞こえて、ハッと目を戻す。
こちらを見つめているコーマックの目は、優しげだけれど真面目な雰囲気も漂っていた。彼はリズをしっかりと見つめ返して、指を一つ立てる。
「白獣が相棒獣となるためには、サードコンタクト――つまり最終儀式があります」
最終儀式、なんて言い方をされて緊張してしまう。
「…………それは、一体どういうものなんですか?」
「白獣が、自ら全てを受け入れることを示して、騎士に忠誠の誓いを立てるものです」
「忠誠の、誓い……?」
「騎士が、仕える主君にするものと似ていますね」
言いながら、コーマックは片手を胸に当てて続ける。
「あなたを絶対に裏切らない、共に全力で戦って欲しい。――そう心から意思表示をし、相手の騎士が受け入れた時、初めて双方は魔力で繋がれるのです」
つまり、物理的ではない……?
しばし考えたところで、ようやく察せてリズは身体から力が抜けた。
「つまり結局のところ、タイミングはカルロ次第、というわけなんですね……」
「そういうことになりますね」
説明を終えるようにして、コーマックが一息挟んで座り直した。最後の緊張を解いたリズも、彼につられるようにして芝生の方へ目を向ける。
そこには、二頭の白獣がゆっくりしている姿があった。
「こればかりは、僕達やリズさんがどうこう出来る問題ではないので、団長と『彼』については見守っていくしかないですね」
「そもそもカルロは、相棒獣になる気はあるのかしら?」
「リズさん、相当苦労されていますもんね…………。こうして自らここへやって来てはいるので、相棒獣となることへ興味は抱いているとは思うのですが」
そうでなければ、セカンドコンタクトまであっさりとやって、リズを教育係りに選んだりはしなかっただろう。
その時、リズとコーマックは「あ」と揃って声を上げた。
じっと座っていたカルロが、目をキラーンっとさせたかと思うと、唐突にジャンプしてコーマックの相棒獣を見事に踏み付けたのだ。
直前まで優雅に歩いていた相棒獣が、べしゃりと芝生に倒れた。困惑して見つめ返す視線の先で、カルロが「ふふんっ」と偉そうにして意地悪げに鼻を鳴らす。
「ちょ、カルロやめなさい、ちょっかいを出すのはだめっ」
呆気に取られていたリズは、足元を叩いて「めっ」と叱りの言葉を投げる。
カルロが相棒獣を片足で踏みつけたまま、なんだよと顰め面を向けてくる。それを見たコーマックが、「はぁ」と呆れ交じりの吐息をもらした。
「まるで団長を見ているようですね……」
あの人も、暇になるといつも突然してくるところがあるんですよねぇ……S寄りの俺様な性格が、似ている気がする……と彼は独り言を呟いた。
カルロが足をどけるのを見届けたリズは、よく聞こえなくて彼を見た。
「え? 何か言いました?」
「あっ、いえ、別に」
ハタと我に返ったコーマックが、慌てて立ち上がろうとして――一体何に焦っていたのか、彼が自分の軍服のロングジャケットの裾を踏んだ。
「うわっ」
そんな声が聞こえた直後、彼の身体がぐらりと傾いてきた。
気付いたものの避ける暇などなく、リズはびっくりして「きゃっ」と声を上げた時には、そのまま押されて一緒に倒れ込んでしまっていた。
ドサリ、と音がして、背中が鈍く痛んだ。
気付くと、リズは押し倒される形で芝生に後頭部がついてしまっていた。目の前には、こちらを見下ろしているコーマックの優しげで端整な顔がある。
リズは、新鮮な果実を思わせる、大きな赤紫色の目で彼の姿を映し出した。
「副団長、大丈夫ですか? 思いっきり手をついたようですが、お怪我は――」
「そッ、そそそそのっ、すみません!」
声を掛けた途端、かぁっと顔を赤くしてコーマックが言った。
「あの、決してそういうつもりじゃなかったんですッ」
「え? 分かっていますよ、大丈夫ですから、落ち着いてください」
リズは、優しいだけじゃなくて女性にも誠実である人のようだと分かって、柔らかな苦笑を浮かべた。こんな子供相手に本気になる人でもないだろう。
「私だって、うっかり転んでしまうことはありますから分かります。それに、そういうことをされるほどの魅力はありませんし」
「えっ。あの、そんなことはないような……――」
言いながら、コーマックの目が顔のパーツを辿って、下へと向かう。
リズの愛嬌を覚える素直そうな大きな目、形のいい小さな唇。細くて白い首を辿った彼の視線は、そのまま柔らかで豊かな膨らみを作った胸元へ向かう。
「――…………ッ」
直後、ぼふっと音を立てて、コーマックが耳まで真っ赤になった。
すぐには声も出ない様子だった。強く赤面したまま小さく震えている彼を見て、リズは、一体どうしたのだろうと心配になってしまった。
「副団長様……?」
その時、不意に悪寒が突き刺さった。
近くで聞こえた足音に気付いて、コーマックがハッと目を向ける。蛇に睨まれたような緊張感を覚えたリズも、咄嗟に言葉を切ってそちらを見た。
そこには、絶対零度の空気をまとったジェドがいた。
「副団長、コーマック・ハイランド――一体そこで何をしている?」
向かってくる彼の軍靴が、足元の芝生を踏み潰す。
「そもそも団員に女人がいないからといって、敷地内で『そういった行為』をすることは禁じているはずだが?」
冷やかに睨見下ろした彼が、低い声で言う。
表情が冷えきっていて考えが読めない。けれどリズは、どうしてか緊張で心臓がドクドクしてしまった。これまで見た時と違って『怖く』感じる。
二人して固まって動けないでいると、ジェドの目がすっと細められた。威圧感が増して、たったそれだけの仕草なのに息が詰まった。
「――いつまでリズの上に乗っているつもりだ、コーマック。今すぐどけ」
追って指摘されたコーマックが、ハタと我に返って慌てて身を起こした。そのまま親切にも手を差し出され、リズはその手を取ろうとした。
「ありがとうございます、副団長さ――」
そうしたら、不意にジェドが割り込んできて手を取られた。驚いている間にも引き起こされ、力強い腕が腰に添えられて立ち上がらせられてしまう。
「何かされたのか?」
抱き寄せるようにしてジェドが覗き込んでくる。
すぐ目の前まで青い瞳に迫られて、リズはびっくりして目を丸くした。彼の手や腕で触れられているところから、高い体温がじんわりと伝わってくる。
「わざわざカルロが窓を叩いて教えてきた」
「カルロが……?」
「甘い言葉を囁かれたり、どこか触れられたりしたのか?」
ぐいっと引き寄せられて、ますます距離感が近くなる。リズは質問の内容が分からなくて、頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「あの、いいえ」
ジェドが何かを勘違いしているようだったので、戸惑いながらもどうにかそう答えた。
チラリと見てみると、歩いて戻ってくるカルロの姿があった。芝生の上に残されている相棒獣が、疑問いっぱいの顔で彼を目で追いかけている。
「実は、あの、カルロが副団長様の相棒獣さんにちょっかいを出しまして。立ち上がろうとした拍子に躓いて、一緒に転んでしまったんです」
転んだ、と口にした途端、ジェドのピリピリしていた雰囲気が和らいだ。
何やら考えるような顔をした彼が腕を解いた。そのまま優しい手付きで前に下ろされたリズは、コーマックの方を見やった。
何故かコーマックは、ちょっと目を見開いて佇んでいた。
「…………もしかして、カルロがリズさんを選んだのは……いや、まさか……」
そんな混乱の独り言が聞こえて、リズは疑問に思った。
その時、ジェドが一気に緊張が解けたような溜息を吐いた。やや疲れたようにして夜空色のような髪をかき上げ「この二人ならありうるか……」と呟く。
「事情は分かった。次は気を付けろ」
こちらに向かってそう口にしたかと思うと、続いて彼はコーマックを目に留めた。
「コーマック」
「えっ――あ、はい!」
「留守を任せていたお前を誤解して、すまなかった。行くぞ」
軍服のロングジャケットの裾を揺らして、ジェドが建物へ向かって歩き出す。
コーマックが「あの団長が謝った……」とめちゃくちゃ困惑顔で、その後ろに続いた。彼の相棒獣が、ひらりと軽やかな動きで後を追う。
残されたリズは、彼らの後ろ姿が離れて行くのを見ていた。
「なんだったのかしら……」
ふと、サクサクと芝生を踏み締める音を聞いて目を向けた。やってきたカルロと視線を合わせ、やや間を置いて「あ」と思い出す。
「カルロ、あなた副団長様の相棒獣を踏んだりしてはだめよ」
そう言ったところで、ふと気付いて考えた。
「窓を叩いて団長様を呼んだ? それくらいには信頼関係がある、のかしら?」
でも一体、いつの間に?
首を捻っているリズの前で、すとんっとカルロが『お座り』した。全く呆れる、そう言わんばかりの顰め面で「ふんっ」と鼻を鳴らしたのだった。




