三章 獣騎士団でのモフモフライフ(2)
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幼獣達の世話係り教育係りの両立は、結構ハードだった。
離れていた間の寂しさを埋める勢いで、幼獣達は元気たっぷりだった。問題はそれも可愛い苦労と思えるくらいに、カルロとの時間が大変だったことだろうか。
それから二日後、午後の昼食休憩から少し経った頃。
リズは一旦、幼獣舎で幼獣達がお昼寝するのを見届けてから、続いてはカルロの運動がてらの散歩、という教育係りとしての時間にとりかかった。
敷地内を歩かせて運動させるのも、獣騎士団に所属している白獣達にとっては大切な日課の一つである。太陽の日差しを受けることで体内の魔力も安定する。
それを習慣化しルートを覚えさせるのも教育係りの仕事の一つだった。――が、カルロは決められた道を、まだ真っ直ぐ進んでくれない。
「おーねーがーいーッ、そっちは駄目なのおおおおおお……!」
散歩を開始して十分、リズはカロルの首輪に繋がっている散歩縄を、必死になって引っ張っていた。
非力な娘が大型級の獣の力に敵うはずもなく、踏ん張っている足は、匂いを嗅ぎながらゆっくりずつ進んでいくカルロに引きずられている。
自分の覚えさせ方が悪いのか、それともまだ一週間と数日であるせいか。それとも野生暮らしが長く、自由気ままで気分屋なカルロ自身の性格のせいだろうか?
敷地内のどこに何があるのかは覚えてもらえたようだが、散歩だけはまだ駄目だった。
おかげで相手は戦闘獣であるのに、散歩紐を毎度必死になって引っ張らねばならなくなっているリズは、大きすぎる犬を連れているみたいになっている。
「そっち側は一般の別館だから、ほんと駄目なのっ!」
カルロの進行方向には、本館側と別館側を隔てる壁があった。
向こうは、獣騎士以外の勤め人達がいるところだ。相棒獣となっても、距離が近ければ本能的に『拒絶』の反応をしてしまうとは聞かされている。
まだジェドを相棒騎士と認定しておらず、きちんとした相棒獣にもなっていないカルロに関しては、何があったとしても、絶対に行かせては駄目だ。
もし、今、別館側から職員が出てきたら、バクリとイかれてしまう。
リズは想像して「ひぇぇ」とか細い声をもらした。どうにかしてカルロを、ここから引き離して元の散歩コースに戻さなければならない。
実は先日、本館側で用事に来ていた別館の元上司と先輩に会った。
向こうの建物の窓から、時々頑張っている姿が見えるのだそうだ。みんなで応援しているのだという。
『ほら、わざわざ遠い地から一人で来て、仕事を続けたいからと一生懸命頑張っていたから、いつの間にか俺も部下達も、娘や妹的な感じで応援していたんだよ』
『課長……っ、私、てっきりみんなから揃って新入りの洗礼を受けているとばかりに思っていて、ほんとすみませんでした!』
『おいおい泣くなよ。俺がエリザ達に怒られる。数少ない女性職員も心配してさ、すっかり団長様の話題も二の次で、みんなでお前の無事を話してるよ』
入社してから二週間上司だった彼と、そして一緒に隣にいた課の先輩も困ったような顔をしていた。
『いっぱいになると、失礼なこともボコボコ言ってくるのも相変わらずだな~。リザは真っ直ぐ一生懸命だから、嫌味がないし俺達としては別にいいんだが』
『それもあって、こっちでやっていけているんだろうな』
『確かに』
その先輩は、上司と揃ってなんだか納得顔だった。
『思った通り白獣に懐かれているのを見て、まぁ、驚きはしたんだが……』
『それ以上に、かなり大きな白獣の教育係りをやっているらしい、と分かった衝撃の方が大きくってさ』
先輩はそう言って、どういうこと? と不思議がるリズにこう教えてくれた。
『エリザ主任達も「あの子、なんか色々と不憫ッ」「一年の就職活動でも不運続きだったのに……ッ」って、同情してめっちゃ泣いてた』
ああ、つまり外れクジを引かされたとも思われているわけか……。
なんとなくリズが察していると、彼らは労うようにして柔らかな苦笑を浮かべてきた。
『まっ、頑張れ。あのエリザ達がすぐ好きになったくらいだ、きっといい奴だから白獣もお前を拒絶しないんだろうさ。元上司としては、獣騎士団からの抜擢は誇らしいし、俺も仕事が続けられているお前の活躍が素直に嬉しいよ』
『その異例のデカい白獣、無事にジェド団長の相棒獣に出来るといいな。ようやく見付かったと聞くし、大役だ。俺らも応援してるから、頑張れよ』
それが先日のやりとりである。
別館側の職員に関しては、誰一人『バクリ』とさせてはいけない。みんな大切な『先輩』で『上司』だ。
つまり死ぬ気で頑張らなければ。
リズはゴクリと唾を飲んだ。先程よりも強く散歩紐を引っ張られるのを感じて、ハッと我に返って回想を止めた。
「いやいやいやそっちは駄目だったら!」
一時力が緩んでしまっていたリズは、慌てて両足を必死に踏ん張った。
なんだ今更また頑張るのかよ、と言わんばかりにカルロが面倒臭そうな目を向けてきた。さっきぼけぇっとしてただろ、と、その目は語っている気がする。
毎日のように小屋で筆談が続いているせいで、そう感じるのだろう。
でも多分、その直感は間違っていないようにもリズは思った。
「何度も説明したけど、あの壁の向こうはここと違うのッ」
ここに慣れてきたこともあって、一体何があるのか好奇心はあるのだろう。別館の建物も大きくて、こちらからは階上と屋根は見えるのである。
ああ、もし窓から元同僚達が見ているとしたのなら、さぞ青い顔をしているに違いない。
リズはチラリと想像して、頼りない自分でごめん……と思ってしまった。よし、絶対に向かわせない。そう気を取り直して反対側へ身体を向ける。
「さっ、戻るわよカルロ!」
思いっきり頑張って引っ張った。
カルロは、全く効果無しと言わんばかりに、その様子を悠々と上から目線で見下ろしていた。しばし考える風にして――ふと抵抗をやめる。
唐突に散歩紐にゆとりが出来て、リズは芝生にべたーんっとダイブした。
降り注ぐ太陽の日差しを受けた柔らかな芝生からは、温かな春の匂いがした。いきなりのことでリズは考える時間も必要で、すぐには動けない。
場にしばし沈黙が漂う。
それでも引っ張られない散歩紐。おかげでカルロが動かず待っているのが分かったリズは、鈍いながらも「もしや」と気付いた。
ゆっくりと立ち上がってスカートを軽く直す。ああ、まさかと思いながら、ぎこちない動きで目を向けてみれば、こちらを小馬鹿にする顔で見下ろしているカルロがいた。そのまま彼が、フッと勝ち誇った表情を浮かべる。
「ふふんっ」
「…………うわー、鼻で笑われた……」
またおちょくられたらしい。教育係りが始まってからずっと、獣に駆け引きでも負けている自分って……とリズは心的にダメージを覚えた。
しばらく動けないまま考えていると、ふさふさの尻尾で、カルロが小馬鹿にするようにソフトタッチでぺしぺしと身体の横を叩いてきた。
早速散歩に戻るぞ、と言われている気がする。
それでいて、最近はかなりブラッシングがご満悦なので、ただただブラッシングで見事になった尻尾を自慢されているだけ――のような気もしてくる。
ああ、なんか、すごく上質な羽毛でふわふわとされている気分だ。小馬鹿にされていると分かっているのに、リズは心地がいいし、複雑な心境だった。
すると、どこからか見知った声が聞こえてきた。
「午後一番の散歩か? 頑張ってるな~リズちゃん」
そちらに目を向けてみると、相棒獣を連れた数人の獣騎士達の姿があった。どうやら彼らも、自分達の相棒の白獣に歩行運動をさせているところであるらしい。
そうすると、このコースが終わったら次はアレかな。
リズは、教育係りになってから知った相棒獣の日課を思い返した。歩かせるのも大切なのだが、午後のこの時間帯は、他にも彼らに必要なスケジュールが組まれているのだ。
「今日もデカいのを連れてるなぁ」
獣騎士達が、コースを少し外れて歩み寄ってきた。最近はカルロが喧嘩を売って来るのも少ないので、白獣達もすぐ後ろを付いてきていた。
「あの、私の相棒獣というわけではないので……」
ひとまず、リズは誤解のないようそう答えた。
「私はただの教育係なんです」
「まぁ、うん、それは知ってるけどさ」
そもそも相棒獣は、相棒騎士をひきずったりしない。
そう習ったことを思い返したリズは、同じくそれを浮かべていた彼らと揃って、微妙な表情を浮かべてしまった。
「えっと、皆さんはこれから訓練場ですか?」
リズは、ひとまず気を取り直して尋ねた。
「おぅ。トレーニングがてら、ガッツリ身体を動かせてやろうと思ってな」
訓練場は、戦闘獣用のトレーニングにも作られていた。実際に騎士達が騎乗して、彼らの魔力を引き出してコンビネーションの特訓にも適している。
本来であれば、いい影響を与えるかもしれないし、相棒獣を目指しているカルロにも見せた方がいい場所の一つでもあった。
しかし、魔力操作によって相棒獣達の戦闘本能が高められることもあり、非獣騎士の教育係りであるリズは、安全のため立ち入りを制限されてもいた。
「カルロは、やっぱり騎乗訓練とか気になる?」
思わず、チラリと見上げて尋ねる。
すぐ隣まで来たカルロが、美しい紫色の目でじっと見下ろした。別に、とでもいうように「ふんっ」と鼻を慣らすと、すとんっと隣で『お座り』する。
獣騎士達が、申し訳なさそうなリズの横顔に気付いて首を傾げた。
「どうした?」
「え? あ、その……」
どうしたものかと迷った末、リズは白状するように続けた。
「私は教育係りに指名されましたけど、やはりただの一般人ですし……カルロにいい勉強をさせてあげられないなぁ、って」
初めは、なんで教育係りなんて、と思った。でも過ごすうちに少しずつ獣騎士団内のことを覚えていくカルロを見て、いつか相棒獣として立派にデビューさせてあげたい、という気持ちが芽生えてリズの中で日に日に強まった。
相棒獣になれば、仕事のお供としてこの敷地内から外へ出ることが出来る。相棒騎士を乗せて、自由に空を駆け、外の散歩にだって行けるだろう。
自由なカルロには、そんな日々がとても合っているような気がした。
「やっぱり、私が教育係りのせい、なのかな……」
だからカルロはまだ色々と、こちらの暮らしに慣れないのだろうか?
すると一人の獣騎士が、「そんなことはないさ」と苦笑を浮かべて言った。
「リズちゃんは、よくやってると思うよ」
「おかげで、来た当初よりだいぶ落ち着いた」
「他の相棒獣に、喧嘩を吹っ掛ける光景もあまり見なくなったしな」
獣騎士達は、そう口々に励ましてきた。
リズは、ここへ来てから世話になりっぱなしの彼らや、穏やかな眼差しで見守っている相棒獣を見て、柔らかな苦笑を返した。
「そうだといいんですけど」
やれることはやっているつもりだ。なら、もっと頑張ろう。
そう思っていると、安堵したように息を吐いた一人の獣騎士が、ふと思い出したようにチラリとカルロへ目をやってこう言った。
「それにしても、名前まで付けているのは驚いたよなぁ……」
「はじめて呼んでいるのを聞いた時は、いつの間に、って感じだったもんな」
近くにいた獣騎士が、当時は驚いたもんだと同意する。
そういえば、呼び分けのため自分が個人的に付けたニックネームだった。正式に名付けるのとは違うから、彼らには戸惑いもあるのかもしれない。
「もしかして、教育係りはニックネームを付けたりはしないんですか?」
「ニックネーム?」
口にした獣騎士含め、彼らが「あ」と今更気付いたような顔をする。
「それってつまり、仮の名前……?」
「はい、そうですよ」
「あ、なんだ。ちゃんと名付けたとかじゃないんだな」
ホッとした感じを受けて、リズは小さく笑った。
「だってちゃんとした名前は、相棒になった獣騎士が正式に付けるんでしょう? 騎乗して魔力で繋がれている間は、意思疎通が出来るからそこで呼び合うとか」
彼らは揃って少し意外そうに見つめる。
「よく知ってるな? 俺らが騎乗中、実は相棒獣と頭の中で言葉を交わし合ってるとか、名前のことも獣騎士団以外だとほとんど知られてないんだけど」
「カルロが教えてくれたんです」
「え」
「白獣ってすごく賢いんですね。まさか人間の字を爪で器用に書けてしまうなんて思ってもいなくて、はじめて見た時は驚きました」
リズが思い返してのんびり笑う中、獣騎士達は、思わず一斉にその隣へ目を向けた。
カルロは、お座り姿勢でしれっと空を見ている。
「…………字が書けるって、マジか」
「…………つまり字を読めもするってわけだろ?」
「…………とんでもない格上の白獣が来たもんだ」
通りで、ウチにいる全相棒獣が強く出られないでいるわけだよ、と、彼らはようやく疑問が解けたとばかりに呟いたのだった。




