ver.5.0.18 後日談
五日も経過すれば、世間は元の騒がしさに戻った。
T天閣で総理大臣と府知事が、人間マルウェア開発者によって襲撃されたとなれば、報道機関もネットの空間にも激震が走る。
社会は一時的な混乱状態に陥った。
特に、政界は今でも熱い視線を向けられている。
海外も例外ではない。
日本のように被害が広がらないよう、各地で対策を進めているらしい。
どこかの国は、QRコードの使用を禁じたという。
そして、俺にとって厄介だったのは、テレビや新聞など古いメディア以上に、ネットの住民だった。
一般人とマスメディアは、ソーシャルヒーローを大いに称賛した。
国を守った英雄だ、と。
だが、過激なネット住民は違った。
まず、ソーシャルヒーローの中の人を暴いた。
すなわち、大倉ツカサを特定したのである。
個人情報、住所を含め、俺の何もかもを知られた。
奴らは、村雨マサムネよりも恐ろしい存在だ。
ある意味で、実体のない存在とも言える。
しかし、とても心強い助っ人が俺を守ってくれた。
鷲尾総理大臣である。
彼女が各方面に口を利いてくれたおかげで、ソーシャルヒーローは依然、社会の救世主として名乗ることができた。
何よりも行動が速かった。
感謝しかない。
それから、黒崎さんにも感謝している。
本人は謎の力で、過激ネット住民を潰したと言っていた。
パソコンすら利用できない状況にしてやった、と。
ひょろっとした見た目の黒崎さんだが、武闘派な一面も隠し持っている。
というわけで、不穏な書き出しで始まったが、ハッピーエンドである。
俺は結城研究室の向かい側にある休憩室で、お茶を啜りながら寛いでいた。
研究室と比べるとちょっと窮屈に感じる部屋だが、フカフカのソファで楽に座れた。
ただ、視界は酷い。
一般的な趣味なら大っぴらに見せてもいいが、劣情を煽るような趣味は隠してほしいものだ。
とにかく、結城博士の趣味が詰め込まれた部屋というわけだ。
博士が、これら全てを売り払うと生涯過ごせる金額になると豪語していたのを思い出す。
「来週からは、高宮が本部長かぁ。偉い出世したもんやな」
黒崎さんが隣で煎餅に噛りつきながら、話を切り出した。
「本部長は責任取らされて、辞職でしたっけ」
小泉さんが話に乗る。
黒崎さんは頷いて、お茶を飲んだ。
「あの人……警察組織を最適化するらしいで。あの人が考える最適、やけどな。色々と人が減って、パニックになりそうやけど、なんだかんだ言って良くはなりそうやな。それにしても、ツカサくん……元気ないやん」
「え、そう見えますか。ちょっと気持ちの整理ができてなくて。あはは」
空元気と空笑いで、周りと自分を騙す。
「まあな。この短期間で、色々あったからなぁ……」
黒崎さん、ごめん。
俺にとっては、黒崎さんの言う”色々”はちっぽけなものなんだ。
本当は、トオル兄のことで頭がいっぱいだ。
トオル兄の死を受け入れることはできた。
できた、というよりは受け入れる他なかった。
トオル兄が死んだことは、俺と結城博士しか知らない。
死んだことを言えば、安楽死のことも言及しなければならない。
口にした隠し事は、いつかバレる。
なら、口にしないことが賢明な判断だ。
葬式もひっそりと終わらせ、墓を建てた。
精神的に不安定な数日を過ごしている。
黒崎さんは手を叩いて、いきなり立ち上がった。
「せや! 今度、新しくオープンするレストランから招待状が送られてきてやな。カオリちゃんとツカサくんの二人で、行ってきてくれへんか」
「お、俺たちだけですか。黒崎さんは」
わざとらしく頭を掻いている。
目線も泳いでおり、怪しい素振りにしかみえない。
まあ、T天閣でのデートは失敗に終わった。
黒崎さんは精一杯、気遣ってくれているのだろう。
「ワイは仕事があってやな。そうそう、事後処理や! いやぁ、課長ってのは忙しいものやなー。ってわけで、楽しんできてな」
そう言って、手紙を渡された。
無駄に豪華な招待状だ。
顔を上げると、小泉さんと目が合う。
なにか気まずい空気が、互いの間を流れている。
勇気を奮い立たせて、自分から話を切り込んだ。
「先週の土曜日は、その、事件が起きたし……どうかな」
「そ、そうですね。良い機会ですから、行きますか……二人で」
お互いに、顔色を伺いながらの会話となってしまった。
それでも、再び食事に誘えた。
黒崎さんは小泉さんの後ろに立って、こちらに親指を立てる。
からかっているのだろうか。
「ってことで、ワイは仕事に戻るわ」
「あ、私も戻ります」
「ゆっくりしてても、ええんやで」
「私だけ、そういうわけにはいきませんよ。大倉さん、また!」
俺は手を振って、彼女が出ていくのを見送る。
やれやれとした様子の黒崎さんも後ろを付いていって、部屋から退出していった。
こうやって、時々遊びに来るが本業は忙しいはずだ。
警察本部とも離れているというのに、わざわざ来てもらうことに罪悪感があった。
申し訳ない。
遊びに来るといっても、情報交換だ。
これも仕事の内、かもしれない。
「なんだ、もう帰ったのか」
結城博士が不満そうに呟く。
この五日間、博士はずっと研究室に閉じこもって作業していた。
碌に眠れていないのだろう。
目の下のクマが証明している。
「お疲れ様です、博士。お茶でも淹れましょうか? 黒崎さんが、K町の玉露を買ってきてくれたんですよ」
「ほう、K町の玉露! K町はいいところだ」
「行ったことがあるんですか?」
「何を言う。私は、K町の出身だぞ。K町のことは市長よりも詳しい」
勝ち誇った表情で、手を腰に当てる。
「そ、そうなんですか。ていうか、地元をそんなに詳しくなりますかね。俺なんて、生まれ故郷の特産品が分からないままですよ」
「せめてもの恩返しで、知識にしたのだよ。そんなことより、早く淹れてくれ。ちなみに玉露は緑茶の王様とも言われ、エナジードリンクを超えるカフェイン量が含まれている。しかし、お茶のカフェインは効きにくいのだ。お茶に含まれるタンニンが、カフェインと結びつくと薬理的な作用を抑えてしまう。コーヒーにもタンニンは含まれているものの活性が低いため、カフェインの苦みと薬効が強くなるのだ。そもそも日本人は、カフェインが効きにくい体質だ。古くから緑茶を飲む習慣があり、カフェインの代謝能力が……」
「博士、そこまでにしてください。はい、どうぞ」
「相変わらず冷たいんだね、君は。こっちは喋り続けていないと、寝ちゃいそうになるんだよ」
ふぁぁ、と大きな欠伸をして、ソファに身を投げた。
俺は湯気の立つ湯呑みをテーブルに置いて、博士の向かい側に座る。
「いやぁ。連日、海外からの問い合わせが殺到だよ。ソウルスーツを開発してくれとか、人間マルウェアの対策法を教えてくれとか。綾小路教授も天手古舞だってさ。それよりも、医療関係の仕事が積もりに積もってる。さっきも、何十人の患者を相手に魂のケアだ。恐ろしいほど、死にたがりが多くてビックリしたよ。人間マルウェアがもたらした意外な被害さ」
「もしかして、社会に絶望したとか、身近な人が殺されて鬱になったとかですか?」
博士は淹れたての茶を啜ったが、猫舌が災いして尻が爆発したように飛び上がった。
湯呑みに息を吹きかけながら、調子を戻している。
「ち、違うよ。皆、死に方を見つけたんだよ。納得を優先する死に方が、君によって具体的になったんだ」
思わず、ぎくりと背筋が固まる。
まるで、俺が悪いみたいな言葉だ。
だけど、博士の声色にそういった意図はなさそうだった。
良いも悪いもない、フラットな話題だ。
博士も気付いたのか、目尻を下げて「すまない」と謝る。
「言葉が悪かったね。正確には、感染者の死に方に憧れた人が多いんだ。人間マルウェアが流行りだした時は連日、そのことばかりが報道されていたでしょ。人間マルウェアに感染すれば、痛みもなく死ねる。おまけに世間で注目を浴びることができるし、バトル系主人公のように無双できる。なんていうか、欲求を満たして自殺できるという捉え方をしているみたいなんだ。ある人は、ソーシャルヒーローに殺されるなんて羨ましすぎる、なんて言っていたよ」
湯呑みに舌を入れて、ちょんちょんと突いている。
飲める温度だと見極めた博士は、一気に飲み干した。
納得する死に方。
暗い話になりがちかもしれないが、大切なことかもしれない。
ゴール地点を決めてから行動すれば、効率的に進めやすい。
だから、歴史に名を残して死にたいというのなら、歴史に名が残るような働きをすればいい。
少なくとも、ぼんやりと生きているよりかは伊達な生き様だ。
だからといって、感染して死にたいという考え方には共感できないが。
「今は、心の時代だよ。心が豊かなだけで立派だ。ほとんどの人は、重い悩みを解決できずにいる。そんな人達に、私が手を差し伸べる。悩みは解決できないけど、小さくするよう導くことはできる。それだけで救われる人がいるんだ。心に免疫をつけるのが、スピリチュアルケアの魅力さ」
「その人らしく生きられるようにする、ですね」
博士は同意して頷く。
この言葉は、とある大学での特別講義で口にしていた。
脳科学の権威(美人)が講義に来てくれる。
そんな触れ込みのおかげで、大講義室はぎゅうぎゅう詰めだった。
俺は博士の助手という形で、特別に授業を受けることができた。
初めて、大学の雰囲気に触れた時はえらく興奮したものだ。
特別講義の内容は、スピリチュアルな話だった。
博士は、どうしてスピリチュアルケアを始めたのか、その理由を聞いたことがなかった。
博士は脳科学でスピリチュアルを解明したいと話していたことがあったが、それが一番の理由なのだろうか。
超有名人と身近な存在だが、聞こうとはしなかった。
踏み込むのが怖くなったからだ。
博士は、空になった湯呑みをテーブルに置く。
「龍道川くんは納得して死んだはずだよ。最期に私と話していた時も、吹っ切れたような様子だったから。大倉くんに命を繋いだのも、満足しているはずさ」
俺は、ポケットから輝きを失った球体を取り出す。
トオル兄のスピリットメタルだ。
村雨の止めと共に、オーラは消滅した。
俺は、このスピリットメタルを愛でるように大切にすると誓った。
第三者からすれば、気持ち悪いと思われるかもしれない。
そう思われても、俺は無視することにした。
笑われたっていい。
俺が納得できる形だから。
「あの、博士。相談したいことがあるのですけど」
「どうしたんだい。急に改まって」
「俺に……恋愛のコツ、教えてくれませんか?」
「ふふん、いいよぉ」
「気持ち悪い返事しないでください。それと、真剣な顔つきにしてください。恥ずかしいんですよ!」
「お母さん、息子のために一肌脱ぐわよ。安心しなさい、恋愛マスターの私がいれば……」
「そういう前口上、いらないんで。ハードル上がるだけですよ」




