ー第3話いつかの少年
ー第3話いつかの少年
息子の恭太郎は、2年間居なかった母親に代わって、しっかり家事をこなす中学生になっていた。
「お母さんさぁ。音楽ソフト使わないなんて変だよ。プロは音楽の幅が命なんじゃないの?」
「音楽ソフトが幅を拡げるなんて、メーカーにだまされてるんじゃないの?」
恭太郎の作った焼きそばを食べながら美里は言った。
「そんな事ないよ。ライブのリズム体のセッティングって、その道のベテランしか出来ないじゃん。でも僕らなんかPC置くだけだから」
「その道のベテランのセッティングでプレイしたら、恭太郎も考えが変わるね」
美里はルミノックスのリーコンポイントマンの文字盤を見た。
「エリアの病院行く時間だ。あと洗濯物よろしくね!」
「言われなくても2年間やってきましたぁおまかせを!」
エリアの状態は、叫ばなくなった以外に進展は無かった。
フィメールサーバントバンドの収入は、4人に均等に分配されている。
入院費を払うには支障がない。
旦那さんと娘さん達が世話をしている。
「今日のエリアのご機嫌はどうかな?」
エリアそっくりになってきた長女の早奈子が言う。
「サットさんがくるよ~って言ったら、ボイストレーニング始めちゃって。レコーディングのつもりみたい」
ベッドではなく、椅子に座って音階練習をしている。
「実際、ソロアルバムのレコーディング始まるけどね」
「ねぇサットさん。なんでフィメールでベースだったの?」
「最初サポートでベース弾いて、後から加入だから。エリアは楽器弾かないしね」
美里はエリアの近くに行って、音階練習に加わった。リズムを前ノリにしたり後ノリにしたりすると、エリアの顔がプロの顔になった。ハモリだし、ボーカルアレンジを始めた。
フィニシュすると、早奈子が呆然としていた。
「凄い。もったいない。ママ。フィメールで歌わないともったいないよ」
「でしょ?なんとかなって欲しいね」
エリアの顔が戻った。なにか遠くを見ているような顔に。
「発作は?有るの?」
時に、02アカデミーの夜にエリアは戻る。
1曲目を歌い出すと、ナースコールして、睡眠薬が注射される。
「ずいぶん減ったけど。ちょっとしたきっかけで有る」
「判るよ。私もパニックになる時が有る」
美里は病室を出た。
やりきれなくて、あてもなく街を歩き始めた。
フィメールの復活の見通しは立たない。エリアのこころが戻ってこない限り。
ソロアルバムは発売日だけが決まっていて、タイトルも決まっていない。まだ1曲も作っていないが、予約は1800万人が入れている。
曲も歌詞も降りて来ている。デモトラックを録音するだけで、アルバムは出来る。
だがその気に成れなかった。なにか違う。
何かが足りない気がする。
気付くとクラブテラの前に居た。この時間は開いていない。
もう何年も来ていない。オーナーは引退して、別の人が引き継いでいる。
そのまま歩いていると、商店街に入った。
「ここ…」
恭之助がスフィア会長をぶん殴った夜に、少年が歌ってた場所だ。
あの夜はシャッターが閉まっていたが、おしゃれなカフェだった。
入口横に貼ってあるポスターが目に止まった。
「池上商店街出身…小林智昭…スタジオミュージシャンからメジャーデビュー…7月7日午後2時記念ストリートパフォーマンス…」
笑顔のおしゃれな若者は、黒いストラトキャスターを肩にかけ、ミニアンプを右手に持っている。
「これ。私の持ってたストラトキャスターとミニアンプ…あの子だ」
大人になった彼の顔に、あの日の面影が有った。
スフィア会長をぶん殴り、メジャーデビューを止める決意をさせた彼だ。
「来たんだね。このクソッタレなパラダイスに。歓迎してやらなきゃね」
美里はイタズラっぽく笑って、自宅に戻った。