萌芽
鏡に映っていた私の姿に驚いた。なぜならそこに映る私の額には幾筋ものみみずばれのようなものが浮き上がり、そしてその部分は私の鼓動に合わせて、トクン、トクン、と動いているのだった。とっさに鏡から目を背けた。その時の感情はぐるぐると気持ち悪さ、怖さ、悲しさが渦巻いていたように思う。そしてまだ女子高生だった私はその感情が処理できずにただただ泣くだけだった。
「落ち着いて、落ち着いて。きっとよくなるから。ちゃんと私が治してあげるから。だからちょっと説明をさせてください」
沢渡さんをはじめとしたその病室にいた全員が私に声をかけてくれた。私は訳の分からないこの状況に不安を抱き泣いていたのだが、しばらく泣き、多少心の中が落ち着くと説明を聞こうという気持ちが大きくなったのだった。
「それでは説明させてもらいますね。鏡は預けておきますが見たくなかったら見ないで構わないです。まずは救急で運ばれてうちの病院の処置室に入った時にはこのようなみみずばれの症状はなかったです。ただ頭の痛みを数日前から訴えているとお母さんから説明がありましたので頭のCTを撮りました。そうすると頭の内部に一つ異物があったのです」
私の頭の中に異物ですか。何でしょう? やっぱり命に関わる重大な病気なんではないでしょうか? そう思うとまた泣きそうになります。花の女子高生がこんな顔になってしまったことも悲しいですが命に関わる病気というのはそれ以上に怖いです。
沢渡さんは説明を続けます。それを気持ちを押し殺しながら黙って聞いていると私の頭の中では驚きの出来事が起こっているようでした。
何かの種が脳の奥に入り込みそこで芽を出したそうです。何を言ってるのかわかりません。沢渡さんも半信半疑みたいで歯に衣を挟んだようなあいまいな表現なのでなおさらですね。そしてこのみみずばれは根っこらしいです。これが水分と脳への養分の一部を吸収したのが今日倒れた理由だと説明されました。
そして点滴で水分と栄養を入れるとこのみみずばれの症状が出たということです。血液中の栄養と水分を吸収して成長が早まったのだと。なので体としてはまだ水分と栄養が十分ではないということでした。言葉を濁していますがこれは私の体に寄生されたということですよね。
「えーっと、すみません。荒唐無稽な話でわからない点も多いのですがこれは私の体に植物が寄生しているということですよね」
「……ええ、…そうなりますね。ちなみになんの植物か心当たりはありますか? まだ採取していませんのでわからないんですよ」
なんの植物かですか。心当たりといえば憎きあいつでしょうか? みゆのお弁当に入っていたあいつです。
「このあいだグリーンピースを食べたときにむせました、そしてその翌日から頭痛がではじめたんですよね」
「それではもしかしたらグリーンピースだと、それでは専門機関にちょっと調べてもらいますね」
カルテにグリーンピースと書きつつまた看護士さんに指示を出していました。調べるということはすぐには取らないんでしょうか。気持ち悪いですし早く取ってもらいたいのですが。
「それで先生。これは取り除けるのですか?」
「手術でということですよね。ちょっと難しいかと。現在の生田さんの体調では長時間の手術の麻酔に耐えられません。しかもどこまで取れば成長が止まるかも予測できません。雑草が根っこが残っていれば再びそこに生えるということは周知のとおりです。同じことが起こるかもしれません。そうすると再手術という可能性もありますし」
「じゃあずっとこのままなんですか!? 何が起こるかわからないこの状況が続くんですか!!」
「枯れてからの処置の方がリスクは低いんですよ。麻酔のリスクは現状かなり高いです。それにただいま調べたところによるとエンドウ豆は一年草のようなので、このまま枯れずにずっと残るということはなさそうなのでひと月ほど我慢していただければ」
信じられません。このままの姿でひと月生活しろというのでしょうか。学校やお買い物などもこの顔で行けと。恥ずかしくて外出もできませんよ。学校でもいじめられてしまいます。いっそのこと病気ということで学校を休んでしまいましょうか? 実際にこれは病気です。寄生されて体調不良になりましたし、頭痛もひどかったですし。やはりどうにかして取り除いてもらいましょう。そう思っていると頭のつむじ付近がもぞもぞします。何かで軽くたたかれているような痛かゆい感じがします。するとちょっと痛みの方が強くなってきました。段々と痛みが増していき、最後は髪の毛が引っ張られるような痛みとなり、手で頭を押さえます。
「どうしたの? 大丈夫?」
「また頭痛が……」
「もしかしたら……」
ポンッ
後にその時のことを聞いても実際はそんな音は鳴っていなかったそうなのですが私の中ではこの表現が一番しっくりきます。
「やはり」
「めぐみちゃん……」
「えっ、なに? なんですか?」
先ほどよりも強いみんなの奇異の視線。そして私の頭を押さえた手に触れる髪以外の感触。
恐る恐る鏡をのぞき込むと頭の上には緑の若葉がちょこんと乗っているではないですか。よくよく見ても若葉です。頭の上に葉っぱが生えています。どこからか落ちてきた葉っぱではありません。私の頭に根付いています。頭をかしげても振っても落ちる気配はありません。私の頭にくっついています。
そっと触ってみます。すると髪を触ったというより頭皮を触ったという感覚です。頭を触っているのかこのみょうちくりんな寄生者を触っているのかわからなくなります。次第にこれは私の一部であるかもと思うようになりました。
「ちょっと触らせてもらってもよいかな?」
「おい、これは大丈夫なのか?」
沢渡先生が私の頭に手を伸ばしてきます。そして若葉に触れたのが若葉からの感覚でわかりました。ゆっくりと撫でているのがよくわかります。そしておもむろに若葉を引っ張りました。
「いたっ!!」
髪を強く引っ張られるのと同じような痛みに思わず先生の手を払うと
「驚いた。感覚神経がつながっている? それとも皮膚の神経で反応しているのか? ちょっとそこのところはどうなってるのか教えてくれ」
沢渡先生の目が爛々に光って、こちらに先ほどまでの弱腰の対応とはうってかわった態度で詰め寄ってきました。思わず突き飛ばします。
「もしかしたらこれはノーベル賞ものだぞ。体にどんな変化が起きているのか、これからどうなるのか?」
そのこれからどうなるのか? その言葉を聞きまた心が寒くなります。このまま枯れずに植物に乗っ取られる可能性もありますし、枯れると同時に私の体が死んでしまう可能性も思いつきました。そしてこんな状況ではマスコミが食いつかないはずがありません。平穏な私の生活がかき乱されることも容易に想像できます。本当にこれから先どうなるのでしょう?
これがのちに「植物少女」と呼ばれる私の一日目だった。このときはすべてが怖かった。
明日を迎えられるのか? 本当に私の体はこのまま無事に元に戻るのか? 世間の目は? 迫害されるのではないか? もしかしたら一生施設で飼い殺しとなるのではないのか?
悪い想像ばかりが頭に思い浮かんだ。そう奇異の視線に晒されるのは確実だったのだ。味方がほしい。どんな形でもいいから仲間がほしい。そう思ったのだ。それは私の感情だったのか、それともこの若葉の感情だったのか。
生物の本能の根源とは自己増殖である。これは私が新しい生物であるという証拠なのかもしれない。