プロローグ
とある日の午後。私がエンドウ豆の手入れをしていると5歳になった息子がやってきて手伝ってくれた。うまくやらないと痛むので慎重に触らせながらも手入れを終えると息子が尋ねてきた。
「ねえ、お母さん。お母さんはなんでグリーンピース嫌いなのに育てているの?」
「ちゃんと若いうちに収穫してサヤエンドウとして食卓にあげてますよ。グリーンピースでなければいいんですよ。種として未熟であれば」
「だけど僕が育てるなら果物がいいな」
「まだ早いですよ。もうちょっと大きくならないとちゃんと育てることができないわ」
そういいながら右手でエンドウ豆の葉を左手は背伸びしている息子の緑色の髪をなでる。ちょっとくすぐったいけど若葉の手触りは気持ちの良いものだ。このエンドウ豆以外にも私はたくさんの植物を育てている。今も続く継続的な収益は広大な庭を管理するのに使われているのだ。
しかしこのエンドウ豆は特に思い入れのあるものだった。たとえ私がグリーンピースが嫌いであっても育て続ける意味がある程度に。
「だけど僕はやっぱりエンドウ豆は育てないや。だって豆ってあまりかっこよくない」
「あまり邪険にしてはいけませんよ。このエンドウ豆はあなたにとってお兄さんなのだから」
「エンドウ豆がお兄さんってなんか変だよ。今年植えたばかりなのに」
「そうね、お兄さんの子孫といった方がよいのかしら?」
そう、このエンドウ豆は私の子供のようなものです。なのであなたの中の遺伝子とこのエンドウ豆には共通点があるのかもしれないですよ。
ずいぶんと世代を超えてきてはいますが。
あれは私が高校1年生だったころですので今から、歳がばれますね。そんなに昔の話ではありません。もし過去に戻れたなら私はどうするのでしょうか。また四苦八苦するのでしょうか? それとも避けて別の未来を歩むのでしょうか?
おそらく四苦八苦する道を選ぶと思います。それが今につながっているわけですし、あんな体験は他のどの人生よりも奇妙奇天烈であるに違いありません。
何の話かって? 聞きたいですか?
それではあの運命の分かれ目の少し前から話しましょうか。