もうひとり
ドッペルゲンガ―というものがある。ドイツ語であるドッペルゲンガ―を直訳すると『二重の歩く者』という意味がある用語だが、古今東西、和洋問わず目撃事例が多々ある。有名な人物を挙げると日本では芥川龍之介、アメリカではエイブラハム・リンカーンが死の直前に自分に似た人物を目撃したと記録されている。自分に瓜二つの人物がいると想像するのは気味が悪い話だが、医学的心理学的に ドッペルゲンガ―を見てしまう病というものは存在する。精神医学の世界ではドッペルゲンガ―は『オートスコピー』と呼ばれ古くから研究の対象とされていた。自身の身体意識が外部に投影される現象とされ、自分の周囲との境界があいまいになる。つまり白昼夢を見ている状態に近く、自身の像を外部からの視点で眺めるのである。これは日本では金縛りと称される現象に近い。
私自身も疲れが溜まりソファーで寝ているときに金縛りにあったことがある。意識ははっきりしており、周囲は見渡せるのだが、身体が全く動かない。胸の上においた手が動かない。これが金縛りかと初めてかかったときは驚いたものだ。身体をどうにか動かそうともがいていると(もちろん、全身の筋肉は硬直しており、身体は動かないが意識下でもがいている)身体から私という意識が抜け出しそうになった。その時はさすがにまずいと思い、もがくのを止めた。目を閉じることは出来るので落ち着く意味も込めて数分間、視界を遮ることにした。これがまずかったのかもしれない。次に目を開けるとソファーに寝ている自分が正面に映った。いつのまにか身体から意識が抜け出したようだ。(幽体離脱というのだろうか)
身体から抜け出した私という意識はしばらくリビングを動き回り、幽体状態を楽しんだ。幽体化では空中にふわふわ浮かび、空中を水面のようにクロールしながら進む。幽体状態は不思議と恐怖感はなかった。幽体化で目をきつく閉じ、もとに戻るように念じると、これまた不可思議であるが意識は元の身体に戻ったようでホッとした覚えがある。(もちろん、身体は動かせないが)その後、睡魔に襲われ、二度寝した。次に目を覚ました時は金縛りに陥らず、無事に起床できた。今思い返してみれば、あれは夢だったのかもしれない。余談が過ぎた。話を戻そう。
このようにドッペルゲンガ―が精神的なものに起因する「ドッペルゲンガ―病気説」だとするならば、金縛りにあいやすい過労状態だと死期が近くなるのにも納得がいく。しかし、この説だと他者が自身のドッペルゲンガ―を見たケースに対応できない。
例えば、ギリシャ賢人に挙げられるピタゴラスのエピソードに次のものがある。ある時の同じ日の同じ時刻にイタリア半島のメタポンティオンとクロトンの両所で大勢の人々に目撃された。この話だと精神病説が成り立たない。このピタゴラスの真相はなんなのか……。
次に記す話は私、夏原が就職活動に立ち寄ったあるセミナーの帰り、多田君から聞いた体験談である。多田君とは同じ回生の知人で私がホラー好きであることも知っている。多田君とどこで知り合ったのかは控えさせてほしい。身元が特定される。話の舞台が特定されないように可能な限り配慮した。もちろん、登場する人物の名前も変えてある。なおそれでは分かりにくい部分も多々あるので、読みやすいように私の判断で補足し補った部分もある。特に会話内容など私の想像力で補った箇所もあり、完全な事実の記載というわけではない。ただし、問題の体験については可能な限り彼の生の声を取り入れるよう努力した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
8月某日 大阪某所
「夏原はミステリーサークルに入っとるからわりと怪談に興味あるよな」
「え? 推理小説やて?」
「なんや。ホラー好きやからてっきり、お前みたいな辛気臭いやつがおる集まりやと思ったわ。まあええ、このあと時間あるか?」
「特に予定ないか。わかった。じゃあ、ちょっと行ったとこにあるキャンパスに行ってエントリーシートみてくれへんか」
地下街を進む。ちなみにキャンパスとは大学が就職活動用に所有するオフィスのことである。大学に行かずとも卒業見込み証明書等が発行できる。空き時間休憩できると学生に好評である。私と多田君は地下街を歩いていると広い空間に出た。いきかう人々で込み合っている。中央には噴水があり、私たちは中央まで歩を進め立ち止まった。
「この泉の広場の都市伝説聞いたことあるか? 夏原」
「知ってるのか。まあ、結構有名やしな」
泉の広場の都市伝説とは次のようなものである。
赤いドレスを着た女が、すっと素早く近寄ってくる。明らかに普通じゃない様子で、髪振り乱してドレスの裾をゆらしてこっちに来るのに、誰も気付かない。もの凄い顔で笑って、その表情の怖さにふーっと気が遠くなった。だって、目のあるとこが全部黒目にかわってるんやで……。
「単なる作り話やろうけどな。夏原は案外ビビりやからホラー好きでも実話怪談系とか苦手やろ」
「へえ、大丈夫なん。そんならキャンパスまでの時間つぶしに俺の体験談でも聞いてみるか」
私はこくりとうなづいた。
Y県××群〇〇村、この地こそが多田君の郷里である。多田君はゴールデンウイークの長期休暇を利用し、実家に帰省した。どこまでも続く田園風景、舗装されてない悪路を数時間に1本しかこないバスで乗り継ぎ、ようやく○○村に着いた頃にはすっかり日も暮れてしまった。多田君の実家は神社であり、彼自身は次男ゆえ、継ぐこともないだろうが代々多田家が神主を世襲していた。
「ただいまあ」
鳥居をくぐり家にたどり着くと玄関口で彼の父と母に帰省のあいさつをした。
父はそんな息子の挨拶を一瞥し
「疲れたろう。お風呂に入って休みなさい」
と帰省の労をねぎらい、奥に引っ込んだ。
多田君はその言葉に従い、自室に入り、風呂の用意をした。田舎ではあるがユニットバスが備え付けられており快適だった。虫のざわめきが外から聞こえてくる。身体が温まったので風呂を後にして母と父と夕食を取り、大学の成績はどうだととりとめのない話をして夜が更けていった。
次の日、あらかじめLINEで連絡をしていた彼の旧友、安達君と金山君と会うことになった。安達君は高校卒業後、村の郵便局で働いていたため、仕事終わりの夕方に定食屋に集まることになった。
「多田はもう就活生か。来年アドバイス頼むわ」
と1年浪人し地元の県立大学に進んだ金山君。
「郵便局受けるんなら相談のるで」
と高校卒業後就職した安達君。
級友たちとたわいのない話を咲かせ気が付けば夜も更けてきた。高校時代の思い出に浸っていると金山君がふと学校の七不思議を語りだした。12段の階段の段数が深夜0時になると13段になっていたという、なんてことはないよくある七不思議だが、そういえばそんな噂もあったなあと懐かしくしみじみ思い返した。すると自然と会話が怪談の流れになり、次第に怪談を披露するようになった。安達君の番になり、
「そういやあ、多田ん家ってあのY神社やろ」
安達君が多田君の実家について切り出そうとした。
「ちょっと待てよ。俺んちに怪談なんてないで」
多田君が慌てて静止したが、
「いやいや、近所で噂になっとることがあってな……。神社の社の裏にけったいな倉庫あるやろ。」
多田君の頭の中には木造の貧相な作りの小屋を思い浮かべた。
「ああ、そういえばあるな」
「そう、そこ。その倉庫に面してる道路あるやろ。あのやたら交通量が多い道路。俺よくそこの道路を通って配達してんねんけど、あの辺通るたんびに妙な寒気がしてな。ふと倉庫を見ると人の気配があるというか、誰かにみられてるというか変な気がするんよ」
「てか安達、それは普通に多田の両親がいてただけじゃないのか」
金山君がなげやりに答える。
「いや、あの小屋は俺が中学の時から使用禁止になってそれ以来、誰も使ってないはずなんや。俺らが住んでる住居からもだいぶ離れ取るし、わざわざ行く意味もないはずや。1回なら両親が居てもおかしない思うけど、通るたびに誰かにみられてる気配があるんならちょっと妙やなあ」
多田君の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「なんなら、今から肝試しに行ってみるか!」
金山君が切り出す。
「俺ん家で肝試しとかなんの冗談や!」
とはいうものの、多田君も興味あったのでわりと乗り気だった。夜もかなり更けており、まさに肝試し日和、蝉の鳴き声もいつの間にか止み、外に出ると辺りは闇に包まれていた。電灯の明かりをたよりに歩いて多田君の家の神社へ向かう。
「そういや、なんで使用禁止なんや」
安達君が先頭を歩いていた多田君に話しかける。
「そういえば、なんでやろう……」
確か理由があったはずだ。思い出そうとしたらずーんと重い衝撃が頭に伝わる。
(なぜ使用禁止なのかは彼の話を聞いてる限り分からなかった)
「ついたで」
神社の鳥居をくぐり、社の裏手に回り小屋にたどり着いた。鉄製の扉を見るとあちこち錆びついており、小屋全体は今にも朽ち果てそうに思えた。
「もっときれいなイメージやったんやけどな」
と安達君が呟く、実際に周囲を見渡してみると道路に面してる壁はどうやら真新しい木材でできているようだ。周囲の道路と神社を遮るようにレンガ塀が周囲を覆っているのだが、この小屋に面してる塀もどこか新しい印象を受けた。
「入るで」
多田君がそういうとドアに手をかけ、倉庫の中へ足を入れた。倉庫の中は夏であるのにもかかわらず、どこか冷たく、ひんやりとしていた。電気も通っていないため懐中電灯を使用し、倉庫内を見渡してみたが、ホコリやゴミで汚れが溜まっていた。とてもじゃないが人が居たような空間には見えない。
「あれはなんや?」
金山君が指さす。
指をさしたその先には2体の人形がケースの中に入っていた。男女の人形が結婚式で着るような袴と白装束に身を包んでいた。ともに似ている男女の人形で本来は喜ばしい結婚式の人形が多田君にとってはどこか冷たい薄ら寒いものに感じた。
「取り出してみようか」
金山君がガラスケースに手をかけて中の人形を取り出す。
安達君もどこか顔を引きつってみえる。予想外なものが出てきたからだろう。
「はよ片付けて帰ろや」
多田君がそういうと、人形をもとに戻し、倉庫を後にした。倉庫の中には気味の悪い人形が2体、あっただけだった。人がいた気配はない。それでは安達君が感じた視線はなんだったのだろうか……。
ピシ、
今の音はなんだ?
背後から聞こえてきた。安達君、金山君もどこか顔色が悪い。
「今日はこれぐらいにしてまた明日やな」
多田君は神社の正面まで二人を見送り、そして家に帰って寝た。
奇妙な夢を見たようだ。多田君に似たもうひとりの多田君がにちゃりと笑っている。もうひとりの多田君はピシ、ピシと音を鳴らし近づいてくる。数センチ、また数センチと近づいてくる。多田君は動けない。一歩近づき、にちゃりと笑う。
誰もいない二人だけの空間。夢の中で恐怖を感じ、目が覚めた。
はあ、はあ……。
嫌な夢を見た。と早朝、父と母に告げ朝食を摂る。
午後になって安達君と金山君が家に帰っていないことが判明した。どうやら昨日神社で別れた後、行方不明になったらしい。実家に電話がかかり、最後に会っていたのが多田君だと知ると彼はぞくっと寒気がしたようだ。私も彼の話を聞いてこの箇所で妙な寒気を感じた。(7月の行方不明者で調べると多田君の郷里が分かる恐れがあるが、あえてそのまま記載した。もし調べるなら自己責任で)
多田君は両親に昨夜の出来事を伝えるやいなや、すぐにこの村から出て行くようにとまくしたてられた。急用で呼び出したがこの際、もうよい、と父が、母はやや大げさにあなたも失うのが恐ろしいと泣き出す。
それからというもの父が運転する車で村の外にまで追いやられ、しばらく家に帰ってくるなとお守りを渡された。下宿先に帰り、多田君は大阪に行き就職活動に専念することにした。しかし、今でも夢にもうひとりの多田君が現れ、にちゃりと笑い、近寄ってくるのだ。夢を見るたびに彼との距離が縮んでいる。
おかげでだいぶ寝不足になったと笑いながら彼は言った。顔つきをみると深刻に悩んでいることが分かる。無理は承知で他に思い出せることはないかと聞いた。
そういえばと彼が思いだす。2体の人形を奇妙に感じた理由が分かったそうだ。男性人形は多田君に似ていたようである……。
「しかも昨夜、あいつが出した変な団子を食べたんよ……」
多田君は夢の中でもうひとりの多田君が用意した団子を食べたようだ。
地下街を進み、百貨店横を通ってスクエアビルに入った。最上階に入居しているオフィスに向かって、エレベーターに乗り込む。隣に立っている彼の話はどこまで信じたらよいか。少し考えてみた。まず、気になったのは2体の人形、私はムカサリ絵馬を想像した。ムカサリ絵馬とは事故や事件、病気などで子供を失った親が絵や写真で架空の人物との婚儀の様子を描き、寺に奉納することで、故人の成仏や死後の幸せを祈るという死後婚の風習の一種だが、人形を奉納することもある。しかし、なぜ彼の実家が神社とはいえムカサリ人形があったのか疑問が残る。そもそも彼の話の中で兄が一切出てこなかったことも気になる。彼の話だと実家の神社を継いだはずである。なぜ兄が彼の話から出てこないのか。いや意図的に言わなかったのか。最後に母親が言ったあなたも失いたくないという意味は? なぜ人形が彼に似ていたのか、彼ではないとしたら。その人形は彼の兄を模したものだとしたら。兄はひょっとしたらもうすでに……。
そういえば、倉庫も怪しい。道路に面した塀や倉庫の壁が真新しいものになっているのは昔、交通事故で車が突っ込んだことがあるとか……。
いや考えるのは止めよう。そもそも考えたところで憶測の域を出ず、答えも出せない。
エレベーターは最上階に到達した。
「じゃ、先中に入ってるから。夏原はトイレに行きたかったよな」
私はうなずき、オフィス横の男性用トイレに入った。
用を足し、洗面台で手を洗う。
なぜ、彼は7月に実家へ帰ったのか。急用とはなんだったのか。7月とはいえ就活も忙しいはずである。それこそ法事でもない限り遠方の実家にも帰らないだ
ろう。法事? 誰か亡くなったのか……。
後方からひとりの男が近づいてきた。
鏡越しで見つめるとそこには多田君がいた。
多田君は先にオフィスに入ったはず……。
鏡越しで多田君がにちゃりと笑い、視界から消えた。
ああ、そうか。
私は合点がいった。彼はもう手遅れだったんだ。私はオフィスには入らず、エレベーターに乗り、ビルをあとにした。
もちろん、彼からの連絡はそれ以後一切ない。