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解禁日-泰地と瑞乃-

 昔から勘のいい子だねと言われ続けていた。僕自身にそんな自覚のなかった頃からずっと周りからそう思われていて、きっと相当不思議だったんだろうなーと今となっては思う。他人事のように。

 記憶にある限りで一番古いのはあれかな。とても暑い日、あんまり日差しが強くてくらくらしながら歩いていたら道路の向こうでおじいさんが倒れる様子が見えた。その人は近所のおじいさんで、僕も挨拶くらいしたことがある人で……僕が見た次の日に道路で突然倒れて亡くなった。僕が見た日におじいさんは一歩も外に出ていなくて、僕の話を聞いた母さんはそれはきっと“虫の知らせ”だって言ったっけ。暑さが見せた幻。そういうこともあるかもしれない、と切ない不思議さをもって片付けられる話だった。

 それが小学校に上がる前のことで、それから僕はときどきそういうものを見るようになった。と言っても僕はそれが幻なのか本当のものなのかなんて区別がつかなかったから、ただ自然に見ていただけだったけどね。見るだけじゃなく、たとえば外を眺めていたら「あー、明日は雨が降るなー」って思うことがあって、そういうときは必ず次の日雨が降った。家の電話が鳴る前にも絶対に「電話が来るな」と分かったし、母さんが買い物から帰ってくる前に夕食のメニューの見当がついていた。

 僕にとっては当たり前だったそれが他の人から見れば妙なことなんだと気付いたのは小学校に通うようになってから。高学年の頃には僕は周りから“予言者”なんてあだ名で呼ばれていた。頼りにされていたのは大概天気予報だったけれど。

 中学校に入ると“予言者”は周りから遠巻きにされるようになった。不思議なもので、人は自分達の群れの中に異質なものがいると喜んでそれを特別扱いする。排除するとまでいかなくても常に監視して、異端者が何かしようものならここぞとばかりに石を投げる。なるほどそれが人間社会というものなのだと僕は身をもって理解した。それは少し悲しくて、けれど妙に納得のいくことでもあった。

 だって僕はその頃僕を目の敵にしていた1人の男子生徒が中学校の卒業式の前日に自動車事故で亡くなることを知っていたから。そうなることを願うほど彼を憎んだり疎んだりしていたわけじゃない。だけど彼が亡くなることを知っている、そのことが後ろめたくて何を言われても受け流すことしかできなかった。そして“予言者”が知っていた通りに彼は亡くなり、卒業式は全員が喪章をつけて執り行われた。


 高校は自宅から遠いところを選んだ。同じ中学の人が誰も行かない、勿論下宿をしないと通えないところ。そこで僕は同級生とほとんど口を利かない、つるんで遊びにも行かない、でも話しかけられれば程よい笑顔で応対する無害な人間を演じた。誰とも仲良くならず、誰とも仲違いせず、たとえ誰かが不幸な目に遭うことに気付いてしまっても自分の心に波風が立つことのないようにとひたすら守りに徹していた。

 それは結構うまくいっていた。僕の存在はクラスの中で空気のように透明で、用のあるときにだけ意識される幻みたいなものになっていた。僕がどこにいても誰も気にしなかったし、僕がいなくても誰も気が付かなかった。穏やかな毎日だった。そしてそんな毎日が2年続いた。


   *   *   *


 少し冷たい風が淡い花びらを散らしている。その木の根元に人影があった。校舎裏の人気のない場所で、その人はじっと何かに耐えるようにしてうずくまっていた。

 僕の中にある何かが、とてもきらきらしたものを僕に見せている。踊る花びらに紛れて光を散らすその予感はまるで万華鏡。心惹かれずにいられない強烈な美しさが僕を木の根元まで導いていく。そして。


「大丈夫ー?」


 誰かに声をかけるなんて何年ぶりだろう。少し上ずった僕の声に反応して顔を上げたのはさらさらの髪をした女子生徒だった。顔色はあまりよくなくてその目には涙が滲んでいたけれど僕ははっきりと分かってしまう。僕はこの子に恋をするんだなー、と。

 大丈夫じゃないですね、とその子は苦笑しながら答えた。ちょっと風邪気味で、でもまあ大丈夫かなと思って学校まで来たはいいんですけど今度は吐き気がすごくって。多分熱も出ているんじゃないかな。そんなことをすらすらと語る彼女はどうやら身体に力が入らなくてその場から動けないようだった。保健室に行くかい、と僕が尋ねると彼女はなんだか慣れた様子で、職員玄関に車椅子があるからそれを持ってきて、よければ保健室まで運んでほしいと頼んでくる。車椅子か、と僕は小さく呟いた。

「車椅子を持ってくる間に君の具合はもっと悪くなっちゃうよ。それに車椅子の振動で吐いちゃう。だから僕が君を抱き上げて保健室まで運ぶよ。いいかな?」

 確認を取る口調で言いながら僕はもう彼女を抱き上げていた。彼女は「わああ」と声を上げながらもしっかりと僕の首に両腕を回す。そうした方が重心が重なって安定することを彼女は知っているようだ。慣れているんだろうな、と制服越しに彼女の熱を感じながら僕は思う。誰かを頼ること、誰かに迷惑をかけても助けてもらうことに慣れている。それは他人との交流が少ないまま生きてきた僕にとってちょっと、いやかなり新鮮な姿だった。

 彼女を保健室に運ぶ間、何人かの生徒とすれ違う。僕はあまり気にならなかったけれど彼女は少しだけ頬を染めて時折「ひゃー」と小さな声を出している。意外と元気そうかもしれない。

 しかしそう思えたのはどうやら彼女が気丈に振る舞っていたためだったようだ。保健室に着いて先生から渡された体温計で熱を測ると39.6℃と出た。高熱じゃないか、と僕もさすがに驚いたのだけど、彼女はやっぱりという顔で苦笑するばかり。こんな熱にも慣れているのだろうか。

 養護教諭の先生は彼女の家に連絡するからと僕にその場を預けて保健室から出ていった。そのうち予鈴が鳴って、僕は次の授業は数学だったなとぼんやり考える。今年僕は受験生で、得意の数学の成績を落とすわけにはいかない。僕が予鈴を気にしているのを見て白いベッドに横になった彼女が「もう大丈夫だから戻っていいですよ」と声をかけてくれる。僕はあのねと彼女を諭すように答える。

「そんなとんでもない熱を出している人を1人で置いていけるわけないよ。いいから君は静かに寝て先生を待っていなさい」

 僕の言い方が面白かったのか彼女はくすくすと笑いながら「はーい」と素直な返事をする。やがて養護教諭が戻ってくると僕は自分の教室に戻るように言われた。彼女は家が近いので親が車で迎えにきてそのままかかりつけの病院に行くのだという。それならひとまずは安心と、僕も大人しく教室へ戻ることにした。

 じゃあお大事に、とありきたりな言葉をかけて立ち去ろうとした僕をベッドの中の彼女が引き留める。

「あ、待ってください親切な人。名前とクラスと出席番号を」

「出席番号は何に使うの」

「知っておいて損はないかと思いまして」

 損はないだろうが得もない気がする。そしてこれだけの高熱を出しておきながらそんな冗談めいたことを言える彼女は実に不思議な人だ。僕はきっと複雑な苦笑いを浮かべながら、それでももう一度彼女の方へと向き直って答える。

「3年8組15番。武野澤泰地(たけのさわたいじ)

(さば)イチゴの武野澤先輩ですね」

「何その絶妙に最悪な組み合わせ」

「語呂合わせですよ、3年8組で鯖、15番でイチゴ」

「覚えるなら普通に覚えてほしいなー……」

「いやあ、私こうしないと数字覚えられないんですよ」

 たははと笑う彼女は状態の割にあまりにも普通で、それがかえって心配になる。無理をしているんじゃないかと。だから僕はなるべく彼女を疲れさせないように今度こそそこから立ち去ろうとして。

「先輩先輩待ってください。私の自己紹介も聞いてください」

 再び彼女に呼び止められた。一瞬、それを期待していた自分に気付く。予感はもう確信に変わっていた。

「2年1組17番、七山瑞乃(ななやまみずの)です。武野澤先輩、今日は本当にどうもありがとうございました」

 疲弊した顔に浮かべられた笑みをこんなに綺麗だと思えることを僕はそのとき初めて知った。同時にそれがどれだけ儚くても惹かれずにおれないことがあると思い知らされた。何のことはない、今まで僕はただ自分を守って逃げていたけれど、それ以上に大事なものがこの心の中に生まれてしまったんだ。

 七山瑞乃、僕は君のそばにいたい。一目惚れなんて単純な言葉は当てはまらない。僕は僕と君がこれから過ごす時間の素晴らしさを垣間見てしまったんだ。君といるとどんなに幸せで、楽しくて、嬉しくて、そして愛しくてかけがえないと感じるか……僕はもう知ってしまった。


 1週間経って、瑞乃が3年の教室に僕を訪ねてきてくれた。お礼です、と言って渡されたのは大きめの弁当箱で、ずっしりと重い。驚く僕に瑞乃は言う。

「先輩が独り暮らしだということはリサーチ済みです。体格からして食事量はそれほど多くなさそうですけれど肌の感じから考えると極端な好き嫌いはないものと考えました。というわけでお昼ご飯代を浮かせることのできるお弁当の差し入れです」

「ときめくようなときめかないような微妙な感じだね」

「中身は期待しないでください。あ、でも魚はちょうどいい具合に焼けましたからそれは美味しいと思います!」

「ありがとう」

 きっと僕は随分だらしない笑顔でその弁当を受け取ったに違いない。瑞乃は少しだけ誇らしげに、そして少しだけ照れたように顔を赤らめて「では! お弁当箱は放課後回収にきます!」と宣言して去っていってしまう。クラスメイトが僕を見ている。下級生の女子から手作り弁当をもらって佇む僕を奇異の目で見ている。でもそんなことはもうどうでもいい。

 僕はできるだけ弁当を揺らさないようにしながら廊下に飛び出して瑞乃の後を追った。病み上がりの割りに妙に足が速いのはやっぱり恥ずかしさが理由だろうか。

「七山さん!」

 呼び止めるために出した声は自分のものでないような大きさで廊下に響いて、そしてちゃんと彼女の耳にも届いたようだった。立ち止まって振り返った彼女と僕の間の距離は教室ひとつ分より少し短いくらい。僕はまた大きな声を出して言う。

「よかったらお昼一緒に食べよう。君の話をもっと聞きたいんだ」

「なんとまさかのお誘い。え、いいんですか?」

「君さえよければ」

 なんて。本当は無理やりにでも引っ張っていってどこか誰にも邪魔をされないところで君との時間を過ごしたいのを必死に我慢して言ったんだ。君の答えは笑顔で、そのとき僕がどれだけ嬉しかったのかをきっと君は知らないんだろうね。そう、僕は君と出会って誰かと共に過ごす幸せに気付いたんだ。


 たとえそれがどれだけ儚い時間だと分かっていたとしても。

執筆日2016/01/26

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